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外伝
突撃お宅訪問
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2014年「どこでも読書」様、エタニティフェアにて掲載された番外編SSです。出版社様の許可をいただきまして、こちらで再掲載しました。
********************************************
「……みなまで言うな。風邪か」
ざらざらの声で連絡を入れると、上司である海外事業部欧州ブロック長が苦笑いしながら言った。
「ちゃんと休んで、しっかり治せ」
すみません、と言って通話を切り、実里は目を閉じた。
* * *
枕元で、スマートフォンのコールが続いている。
――ああもう、放っておいてくれないかな。
手探りで掴むと、画面を確認もせずに電源を落として、ぽい、とベッドの下に落とした。
谷口実里は、ただ今絶賛発熱中なのである。
多少の不義理は許せ。どこの誰だかわからないけど。
昨夜感じたアヤシイ喉の痛みは、キリキリしたものに変わり、今は唾液を飲み込むのも辛い。
栄養ドリンクと買い置きの市販薬では、やり過ごせなかったということだ。
こういう時、ひとり暮らしは少し心細い。
実里は、けふん、と咳をして布団に潜り込む。
病院に行き、薬を処方してもらった方がいいとわかっているけれど、今は動きたくないし、動けない。
だから、もう一度眠ってから――……
――雨の音がする。
それとは別の耳障りな電子音も。
実里はもぞもぞと布団から手だけを出し、枕元を探る。
スマートフォンは手に触れなかった。
そういえば、さっき電源を切ってベッドから追放したんだっけ、と思い出す。
じゃあ、何の音?
のろのろと頭を布団から出すと、音がクリアになり、こめかみに響いた。
リビングのインターフォンが鳴っているのだ。
「……う゛う゛。保険も、新聞も、食材の宅配も、間に合ってます」
実里は無視を決め込んで、再び布団に潜り込んだ。
インターフォンが再び鳴らされる。
「ケーブルテレビも、不動産も興味ありませんから」
それでもしつこく鳴り続けるインターフォンに根負けして、実里はよろよろとベッドから起き出した。
「何なの、もう……」
訪問販売特有の回りくどい調子で、ウォーターサーバーだの乳飲料だの言い出したらキレてやる。
実里はインターフォンの通話ボタンをぐいと押した。
「開けろ」
ところが、こちらが応答する前に聞こえてきたのは、傍若無人な口調である。
「……へ?」
モニターに意識を向けると、「ど・あっぷ」で桜井が映っていた。
ってか、近いんですけど。
「常務?」
モニターに表示されている時計を確認すると、午後十二時前。
思いのほか長い時間ぐっすり寝入っていた自分にもびっくりだが、ばっちりオンタイムじゃないの。
何しに来たの? って、そりゃ状況からしたらたぶん様子を見に来たってことよね?
病欠情報をどこかから仕入れたんだろうけれど、と思いつつ実里は自分の格好を見下ろした。
紺地に白い水玉模様のよれよれのパジャマ姿とか。
ぴ。
軽く現実逃避した人さし指が、勝手に通話ボタンを切った。
「あ゛」
そのまま固まっていると、間髪入れずにインターフォンが鳴らされる。
そうでした。桜井誠はそういう人でした。
「何で切るんだ。早く開けろ」
通話ボタンをもう一度押すやいなや、低い不機嫌な声が響いた。
「不審者扱いされるだろうが」
ドアチャイムに応えて玄関ドアを開けると、桜井が雨の気配を纏って入ってきた。
実里の様子をさっと眺めると眉を顰め、額に手を伸ばしてくる。
それを自然に受け入れて実里は目を伏せた。
触れた手がひんやりと気持ちいい。
「かなり熱があるな」
そう言うと慣れた様子で上がり込み、実里を抱えるようにして寝室に向かう。
つまり、間取りを把握するくらいには、ここに馴染んでいるということだ。
けふん。
「あの、休んでいるってどうして……」
実里のひどく掠れた声に、桜井は眉を跳ね上げた。
「それくらいの情報は、当然入ってくる」
他所から入る前に、本人が知らせてくれてもいいと思うがな、と憮然とした口ぶりだ。
「……ごめんなさい」
実里をベッドに座らせると、桜井はふう、とため息を吐いた。
「俺に秘書として付いていた間、お前が体調不良を理由に休むことは滅多になかった。それなのに、風邪を理由に休んでいると聞けば、よほど酷いに違いないと思うだろう? 気になって連絡を入れてみれば、電話にもメールにも応えない」
ベッドの下に放り出されているスマートフォンを拾うと、桜井はしゃがみこみ実里の顔を覗き込んだ。
「心配するだろうが」
大学入学と同時に上京し、ひとり暮らしを始めてから約十年。
どんな時にも、自分の面倒はいつだって自分ひとりでみてきた。
それが余りにも当たり前になっていて、誰かから直接こんな風に心を掛けてもらうことの喜びを忘れかけていた。
自分を心配するが故の、桜井の少し怒りを含んだ口調と眼差し――
実里の瞳がじわ、と潤んだ。
「あ、いやっ、責めているわけじゃない」
慌てる桜井の様子に、実里は瞼を伏せ、ふふ、と小さく笑う。
心の奥が、じんわりと甘く痺れて。
「心配してくれて、ありがとうございます」
パジャマの袖口で、目許を押さえる。
あちこちはねている髪と、熱でかさついた唇。
がさがさの声に、よれよれのパジャマ。
今の自分は、桜井の前に立った今までのどの時よりもみっともない様子なのだろうけれど。
桜井は、そんな実里の頭をそっと自分の肩に引き寄せた。
「――実里。お前の自立してあろうという気持ちは尊重する。だが、こんな時は別だろう? 頼るべき時はちゃんと頼れ」
広い肩に額を乗せ、実里は与えられるその安心感に、ほぅと吐息をつく。
「そんなこと言ってると、誠さんがうんざりするくらい甘えますよ」
「そういう実里を見てみたいもんだ。どうせそんな自分は恥ずかしくて、絶対見せられないんだろう」
桜井は実里の耳元でくく、と笑った。
「夜、また様子を見に来る。スマートフォンの電源は絶対落とすな。いいか」
実里を病院に連れて行き、再び家に送り届けて細々と世話を焼くと、桜井はそう言い残して慌ただしく会社へと戻って行った。
「風邪、うつっちゃうのに」
実里は、ぼそりと呟いて目を閉じた。
そう口にしつつも、桜井の言葉を嬉しく思う自分がいる。
――ひとりだけど、ひとりではない。
こんな風に心配され甘やかされるのも、時にはいいものだ。
ふと、桜井がコンビニで買ってきてくれた品物を思い出す。
レトルトのおかゆやスポーツ飲料と一緒に出てきたのは、プリンにゼリーにヨーグルト……
彼はどんな顔で、あの品物たちを選んだのだろう。
実里は、ふふ、と笑って眠りに落ちていった。
* * *
――その日の夜。
深い眠りに落ちた実里は、かなりしつこく鳴らされたスマートフォンのコールにも、何度か鳴らし続けられたインターフォンにも全く気付かずにいた、らしい。
薬のせいだもの、仕方ないじゃないのよ、ねぇ?
「……ふぁい」
ようやく寝ぼけた声でスマートフォンに応答した実里に、「合鍵を寄越せ」といきなり不機嫌極まりない桜井の声が告げるのは、また、別の話。
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「……みなまで言うな。風邪か」
ざらざらの声で連絡を入れると、上司である海外事業部欧州ブロック長が苦笑いしながら言った。
「ちゃんと休んで、しっかり治せ」
すみません、と言って通話を切り、実里は目を閉じた。
* * *
枕元で、スマートフォンのコールが続いている。
――ああもう、放っておいてくれないかな。
手探りで掴むと、画面を確認もせずに電源を落として、ぽい、とベッドの下に落とした。
谷口実里は、ただ今絶賛発熱中なのである。
多少の不義理は許せ。どこの誰だかわからないけど。
昨夜感じたアヤシイ喉の痛みは、キリキリしたものに変わり、今は唾液を飲み込むのも辛い。
栄養ドリンクと買い置きの市販薬では、やり過ごせなかったということだ。
こういう時、ひとり暮らしは少し心細い。
実里は、けふん、と咳をして布団に潜り込む。
病院に行き、薬を処方してもらった方がいいとわかっているけれど、今は動きたくないし、動けない。
だから、もう一度眠ってから――……
――雨の音がする。
それとは別の耳障りな電子音も。
実里はもぞもぞと布団から手だけを出し、枕元を探る。
スマートフォンは手に触れなかった。
そういえば、さっき電源を切ってベッドから追放したんだっけ、と思い出す。
じゃあ、何の音?
のろのろと頭を布団から出すと、音がクリアになり、こめかみに響いた。
リビングのインターフォンが鳴っているのだ。
「……う゛う゛。保険も、新聞も、食材の宅配も、間に合ってます」
実里は無視を決め込んで、再び布団に潜り込んだ。
インターフォンが再び鳴らされる。
「ケーブルテレビも、不動産も興味ありませんから」
それでもしつこく鳴り続けるインターフォンに根負けして、実里はよろよろとベッドから起き出した。
「何なの、もう……」
訪問販売特有の回りくどい調子で、ウォーターサーバーだの乳飲料だの言い出したらキレてやる。
実里はインターフォンの通話ボタンをぐいと押した。
「開けろ」
ところが、こちらが応答する前に聞こえてきたのは、傍若無人な口調である。
「……へ?」
モニターに意識を向けると、「ど・あっぷ」で桜井が映っていた。
ってか、近いんですけど。
「常務?」
モニターに表示されている時計を確認すると、午後十二時前。
思いのほか長い時間ぐっすり寝入っていた自分にもびっくりだが、ばっちりオンタイムじゃないの。
何しに来たの? って、そりゃ状況からしたらたぶん様子を見に来たってことよね?
病欠情報をどこかから仕入れたんだろうけれど、と思いつつ実里は自分の格好を見下ろした。
紺地に白い水玉模様のよれよれのパジャマ姿とか。
ぴ。
軽く現実逃避した人さし指が、勝手に通話ボタンを切った。
「あ゛」
そのまま固まっていると、間髪入れずにインターフォンが鳴らされる。
そうでした。桜井誠はそういう人でした。
「何で切るんだ。早く開けろ」
通話ボタンをもう一度押すやいなや、低い不機嫌な声が響いた。
「不審者扱いされるだろうが」
ドアチャイムに応えて玄関ドアを開けると、桜井が雨の気配を纏って入ってきた。
実里の様子をさっと眺めると眉を顰め、額に手を伸ばしてくる。
それを自然に受け入れて実里は目を伏せた。
触れた手がひんやりと気持ちいい。
「かなり熱があるな」
そう言うと慣れた様子で上がり込み、実里を抱えるようにして寝室に向かう。
つまり、間取りを把握するくらいには、ここに馴染んでいるということだ。
けふん。
「あの、休んでいるってどうして……」
実里のひどく掠れた声に、桜井は眉を跳ね上げた。
「それくらいの情報は、当然入ってくる」
他所から入る前に、本人が知らせてくれてもいいと思うがな、と憮然とした口ぶりだ。
「……ごめんなさい」
実里をベッドに座らせると、桜井はふう、とため息を吐いた。
「俺に秘書として付いていた間、お前が体調不良を理由に休むことは滅多になかった。それなのに、風邪を理由に休んでいると聞けば、よほど酷いに違いないと思うだろう? 気になって連絡を入れてみれば、電話にもメールにも応えない」
ベッドの下に放り出されているスマートフォンを拾うと、桜井はしゃがみこみ実里の顔を覗き込んだ。
「心配するだろうが」
大学入学と同時に上京し、ひとり暮らしを始めてから約十年。
どんな時にも、自分の面倒はいつだって自分ひとりでみてきた。
それが余りにも当たり前になっていて、誰かから直接こんな風に心を掛けてもらうことの喜びを忘れかけていた。
自分を心配するが故の、桜井の少し怒りを含んだ口調と眼差し――
実里の瞳がじわ、と潤んだ。
「あ、いやっ、責めているわけじゃない」
慌てる桜井の様子に、実里は瞼を伏せ、ふふ、と小さく笑う。
心の奥が、じんわりと甘く痺れて。
「心配してくれて、ありがとうございます」
パジャマの袖口で、目許を押さえる。
あちこちはねている髪と、熱でかさついた唇。
がさがさの声に、よれよれのパジャマ。
今の自分は、桜井の前に立った今までのどの時よりもみっともない様子なのだろうけれど。
桜井は、そんな実里の頭をそっと自分の肩に引き寄せた。
「――実里。お前の自立してあろうという気持ちは尊重する。だが、こんな時は別だろう? 頼るべき時はちゃんと頼れ」
広い肩に額を乗せ、実里は与えられるその安心感に、ほぅと吐息をつく。
「そんなこと言ってると、誠さんがうんざりするくらい甘えますよ」
「そういう実里を見てみたいもんだ。どうせそんな自分は恥ずかしくて、絶対見せられないんだろう」
桜井は実里の耳元でくく、と笑った。
「夜、また様子を見に来る。スマートフォンの電源は絶対落とすな。いいか」
実里を病院に連れて行き、再び家に送り届けて細々と世話を焼くと、桜井はそう言い残して慌ただしく会社へと戻って行った。
「風邪、うつっちゃうのに」
実里は、ぼそりと呟いて目を閉じた。
そう口にしつつも、桜井の言葉を嬉しく思う自分がいる。
――ひとりだけど、ひとりではない。
こんな風に心配され甘やかされるのも、時にはいいものだ。
ふと、桜井がコンビニで買ってきてくれた品物を思い出す。
レトルトのおかゆやスポーツ飲料と一緒に出てきたのは、プリンにゼリーにヨーグルト……
彼はどんな顔で、あの品物たちを選んだのだろう。
実里は、ふふ、と笑って眠りに落ちていった。
* * *
――その日の夜。
深い眠りに落ちた実里は、かなりしつこく鳴らされたスマートフォンのコールにも、何度か鳴らし続けられたインターフォンにも全く気付かずにいた、らしい。
薬のせいだもの、仕方ないじゃないのよ、ねぇ?
「……ふぁい」
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