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第6話
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仁瑶はぼんやりしていた様子だったが、左将軍が助け出していた紅春を見つけると「春児」と声をあげた。
紅春ではなく、春児と呼んだことが気になったけれど、翠玲は黙っていた。側仕えの太監にまで嫉妬するのかと呆れられたくはない。
それに、もしかしたら仁瑶は紅春にかかえられたいと言うかもしれないと思った。翠玲を厭うているのなら、腕の中に抱かれているのは苦痛だろう。
されど、仁瑶は翠玲の胸に寄りかかったまま、紅春の無事を確認しただけだった。
紅春も翠玲に任せておけばよいと思っているのか、一足先に囲場へ戻ることになっても、仁瑶に馬を用意したりはしない。翠玲は仁瑶を外套でくるみ、その身を後ろから抱きしめる恰好でともに昂呀に跨った。
馬を進めはじめると、仁瑶は辺りを見廻したのち、ここはどこかと問うてきた。
「囲場から、さほど離れた場所ではありません」
答えれば、紫紺の瞳が翠玲を振り仰ぐ。
「仁瑶様が花純の馬具を落とした辺りから、小川に沿って琅寧方面へ数里進んだ場所ですよ。とはいえここは林の中の一画で、小川からも離れておりますが。月珱たちが匂いをたどってくれたので、天幕を見つけることができたのです」
言って、翠玲は仁瑶を抱く腕に少しだけ力を籠める。
「太子が仁瑶様を攫ったと知って、国境を越えて麗草まで逃げるだろうと真っ先に考えました。けれど、太子はそれを逆手に取り、わざと逃げずにひそんでいたのです。帝君が月珱たちを貸してくださらなければ、知らずに国境まで向かってしまうところでした」
仁瑶は話をする翠玲をじっと見つめていた。
それから言いにくそうに視線をそらしたかと思うと、翠玲の耳にかすかな声が届く。
「……ありがとう」
恥じ入るように染まった頬が愛おしくて、翠玲はたまらない心地のまま仁瑶のこめかみにくちづけた。
「花純が仁瑶様の危機を知らせてくれたのです。あのこは本当に、とても賢いですね」
「うん……」
「恐ろしい思いをなさったのでしょう。馬上では難しいかもしれませんが、どうか少しお眠りくださいませ。囲場へ着いたら、お起こしいたします」
促せば、仁瑶はどこか羞恥を含んだ様子で翠玲の胸に寄りかかってくる。
その様子がどうにも愛らしく、翠玲は無意識のうちに破顔した。
花冷えの夜。外套を羽織っているとはいえ寒さを感じたのか、仁瑶のほうから翠玲にすり寄ってくる。
(おいたわしい)
仁瑶にしてみれば、頼りになる永宵がおらず、心細くて仕方ないのかもしれない。
翠玲しか縋る相手がいないからこのような態度を取っているだけで、囲場に着けばすぐに離れていってしまうはずだ。
(だけど、せめて今だけは……わたしが仁瑶様をお守りしてもよろしいでしょう? あなたを抱きしめて、不安を除くお手伝いをしても、かまわないでしょう?)
内心で独りごち、翠玲は仁瑶から香る木蓮の匂いにまなじりを下げる。
風の音にまぎれて、仁瑶が小さくうめいたことには気づかなかった。
紅春ではなく、春児と呼んだことが気になったけれど、翠玲は黙っていた。側仕えの太監にまで嫉妬するのかと呆れられたくはない。
それに、もしかしたら仁瑶は紅春にかかえられたいと言うかもしれないと思った。翠玲を厭うているのなら、腕の中に抱かれているのは苦痛だろう。
されど、仁瑶は翠玲の胸に寄りかかったまま、紅春の無事を確認しただけだった。
紅春も翠玲に任せておけばよいと思っているのか、一足先に囲場へ戻ることになっても、仁瑶に馬を用意したりはしない。翠玲は仁瑶を外套でくるみ、その身を後ろから抱きしめる恰好でともに昂呀に跨った。
馬を進めはじめると、仁瑶は辺りを見廻したのち、ここはどこかと問うてきた。
「囲場から、さほど離れた場所ではありません」
答えれば、紫紺の瞳が翠玲を振り仰ぐ。
「仁瑶様が花純の馬具を落とした辺りから、小川に沿って琅寧方面へ数里進んだ場所ですよ。とはいえここは林の中の一画で、小川からも離れておりますが。月珱たちが匂いをたどってくれたので、天幕を見つけることができたのです」
言って、翠玲は仁瑶を抱く腕に少しだけ力を籠める。
「太子が仁瑶様を攫ったと知って、国境を越えて麗草まで逃げるだろうと真っ先に考えました。けれど、太子はそれを逆手に取り、わざと逃げずにひそんでいたのです。帝君が月珱たちを貸してくださらなければ、知らずに国境まで向かってしまうところでした」
仁瑶は話をする翠玲をじっと見つめていた。
それから言いにくそうに視線をそらしたかと思うと、翠玲の耳にかすかな声が届く。
「……ありがとう」
恥じ入るように染まった頬が愛おしくて、翠玲はたまらない心地のまま仁瑶のこめかみにくちづけた。
「花純が仁瑶様の危機を知らせてくれたのです。あのこは本当に、とても賢いですね」
「うん……」
「恐ろしい思いをなさったのでしょう。馬上では難しいかもしれませんが、どうか少しお眠りくださいませ。囲場へ着いたら、お起こしいたします」
促せば、仁瑶はどこか羞恥を含んだ様子で翠玲の胸に寄りかかってくる。
その様子がどうにも愛らしく、翠玲は無意識のうちに破顔した。
花冷えの夜。外套を羽織っているとはいえ寒さを感じたのか、仁瑶のほうから翠玲にすり寄ってくる。
(おいたわしい)
仁瑶にしてみれば、頼りになる永宵がおらず、心細くて仕方ないのかもしれない。
翠玲しか縋る相手がいないからこのような態度を取っているだけで、囲場に着けばすぐに離れていってしまうはずだ。
(だけど、せめて今だけは……わたしが仁瑶様をお守りしてもよろしいでしょう? あなたを抱きしめて、不安を除くお手伝いをしても、かまわないでしょう?)
内心で独りごち、翠玲は仁瑶から香る木蓮の匂いにまなじりを下げる。
風の音にまぎれて、仁瑶が小さくうめいたことには気づかなかった。
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