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第6話
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***
月が中天にかかる頃、仁瑶は目を覚ました。
ぼやけた視界で辺りを探る。どうやら簡易な天幕の中のようで、やわらかな絨毯の上に寝かされていた。
(……どこまで移動してきたのだろう)
すでに囲場では騒ぎになっているはずだ。
花純を逃がそうと逃がすまいと、仁瑶が戻らなければ永宵は必ず捜索隊を出す。幼い時の刺客の一件から、永宵は仁瑶を特別視している。親子や夫婦間でさえ腹の探り合いが絶えない皇宮において、仁瑶は永宵が唯一心を赦せる血族なのだ。
颯憐とてそれはよく理解しているだろうから、仁瑶を捕えた場所やその付近に留まるとは思えない。天幕を張って休んでいるということは、ここは永宵の手の届かない場所、あるいは届きづらい場所だということだ。
(琅寧との国境を越えたか)
そこまで考えて、仁瑶は否と首を振った。
もしも国境を越えていたのなら、颯憐は追手の目を誤魔化すためにも最も近い麗草の町へ入るに違いない。町では宿を取るか、臣下のもとへ身を寄せて煌蘭との交渉案を練るだろうから、こんなふうに天幕を張って野宿などするわけがない。
囲場から麗草まではどんなに急いでも一昼夜はかかる。どれほど気を失っていたのかは不明だが、まだ煌蘭の領内にいるのは確かだった。
(ここから出て春児を探して、馬を奪う。追ってきた煌蘭の軍と合流して、それから……、っ!?)
身を起こそうとして、くずおれる。
じわりと腹の奥が疼くのを感じ、仁瑶は無意識に下腹部を押さえた。
妙に甘ったるい香りが鼻をかすめる。
数多の花蜜を煮詰めたような、爛熟した果実のような、脳髄を痺れさせる匂いに、仁瑶は眉をひそめた。
「阿仁」
声をかけられ、はっとして顔をあげる。
垂れ絹が揺れ、颯憐が入ってくるのがわかった。
沈丁花の香りが強くなり、鼓動が嫌な音をたてる。
颯憐は持っていた香炉を隅に置くと、横たわっている仁瑶のほうへ近づいてきた。
甘ったるい匂いのもとは香炉だったようで、仁瑶は颯憐に向かって顔をしかめる。
「このようなことをして、お立場がどうなってもよいのですか」
颯憐は静かに微笑った。
「俺の心配をしてくれるのか?」
「あたなの短慮で犠牲になる、琅寧の民を心配しているのです」
「なぜ民が犠牲になる? 太子の俺と、煌蘭の皇長子である阿仁が結ばれるのだ。むしろ両国がよりいっそう深く繋がりを持つことになり、民にも今以上の恩恵がもたらされるだろう」
「は?」
仁瑶は呆然とする。
困惑して瞬きをくり返せば、いたわるように肩を撫でられた。
切れ長の瞳がやわらかく眇められる。
「そなたと俺が番になってしまえば、あの青二才の帝君も文句は言えまい。なあ阿仁、本当は俺を愛していたからこそ、五弟に身をゆだねなかったのだろう?」
月が中天にかかる頃、仁瑶は目を覚ました。
ぼやけた視界で辺りを探る。どうやら簡易な天幕の中のようで、やわらかな絨毯の上に寝かされていた。
(……どこまで移動してきたのだろう)
すでに囲場では騒ぎになっているはずだ。
花純を逃がそうと逃がすまいと、仁瑶が戻らなければ永宵は必ず捜索隊を出す。幼い時の刺客の一件から、永宵は仁瑶を特別視している。親子や夫婦間でさえ腹の探り合いが絶えない皇宮において、仁瑶は永宵が唯一心を赦せる血族なのだ。
颯憐とてそれはよく理解しているだろうから、仁瑶を捕えた場所やその付近に留まるとは思えない。天幕を張って休んでいるということは、ここは永宵の手の届かない場所、あるいは届きづらい場所だということだ。
(琅寧との国境を越えたか)
そこまで考えて、仁瑶は否と首を振った。
もしも国境を越えていたのなら、颯憐は追手の目を誤魔化すためにも最も近い麗草の町へ入るに違いない。町では宿を取るか、臣下のもとへ身を寄せて煌蘭との交渉案を練るだろうから、こんなふうに天幕を張って野宿などするわけがない。
囲場から麗草まではどんなに急いでも一昼夜はかかる。どれほど気を失っていたのかは不明だが、まだ煌蘭の領内にいるのは確かだった。
(ここから出て春児を探して、馬を奪う。追ってきた煌蘭の軍と合流して、それから……、っ!?)
身を起こそうとして、くずおれる。
じわりと腹の奥が疼くのを感じ、仁瑶は無意識に下腹部を押さえた。
妙に甘ったるい香りが鼻をかすめる。
数多の花蜜を煮詰めたような、爛熟した果実のような、脳髄を痺れさせる匂いに、仁瑶は眉をひそめた。
「阿仁」
声をかけられ、はっとして顔をあげる。
垂れ絹が揺れ、颯憐が入ってくるのがわかった。
沈丁花の香りが強くなり、鼓動が嫌な音をたてる。
颯憐は持っていた香炉を隅に置くと、横たわっている仁瑶のほうへ近づいてきた。
甘ったるい匂いのもとは香炉だったようで、仁瑶は颯憐に向かって顔をしかめる。
「このようなことをして、お立場がどうなってもよいのですか」
颯憐は静かに微笑った。
「俺の心配をしてくれるのか?」
「あたなの短慮で犠牲になる、琅寧の民を心配しているのです」
「なぜ民が犠牲になる? 太子の俺と、煌蘭の皇長子である阿仁が結ばれるのだ。むしろ両国がよりいっそう深く繋がりを持つことになり、民にも今以上の恩恵がもたらされるだろう」
「は?」
仁瑶は呆然とする。
困惑して瞬きをくり返せば、いたわるように肩を撫でられた。
切れ長の瞳がやわらかく眇められる。
「そなたと俺が番になってしまえば、あの青二才の帝君も文句は言えまい。なあ阿仁、本当は俺を愛していたからこそ、五弟に身をゆだねなかったのだろう?」
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