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第6話
6-2
しおりを挟む「何事だ」
永宵に尋ねられ、清玄が配下に様子を見にいかせる。いくらも経たずに戻ってきた少監は、野生馬が囲場の中へ入ろうとして暴れていると告げてきた。
「野生馬が?」
翠玲は首を傾げる。
気性が荒くて人に寄りつかず、捕らえるのにも苦労するのが野生馬である。囲場から逃げ出すならまだしも、中へ入ろうとするなど聞いたこともない。
蛾眉を寄せていると、傍にいた昂呀が嘶いた。
「あ、っ!?」
つかんでいた手綱がすり抜け、昂呀が門のほうへと駆け出していく。青毛の馬体を取り囲んでいる武官たちへ突進し、後ろ足で数人を蹴り飛ばした。
「昂呀!」
慌ててなだめようとするが、昂呀は野生馬を庇うように立ちはだかって威嚇をくり返す。
「もしや、花純なのか?」
昂呀はあまり他馬にかまうことはない。このような仕草を見せるのは、仲良くなった花純に対してだけだ。
心配してくる武官らを下がらせ、翠玲はそっと青毛の馬へ近づく。
額の流星や顔立ちなどの特徴から、目の前の馬はやはり花純のようだ。どこをどう駆けてきたのか、艶やかな毛並みには小枝や葉などの細かな汚れが絡まり、ところどころに切り傷や擦り傷もできている。
首もとと腹部には白く泡立った汗がこびりつき、心なしか呼吸も荒かった。
「それは兄上の髪紐か」
尾に結ばれた飾り紐を見つけ、永宵がうなる。
「この馬の近くに誰かいなかったか?」
「はい、人影などはございませんでした」
門の守備を担当する禁軍右将軍が答える。
囲場の周囲は草が刈り取られ、木々も植えられていないため、誰であろうと身を隠すことはできない。
「殿下の馬だけが駆け込んできたのです。馬具もつけていなかったため、野生馬と勘違いを。大変申し訳ございません」
翠玲は永宵と顔を見合わせた。
囲場の外でなにかあったのは間違いない。
さりとて、不測の事態が起これば颯憐は真っ先に仁瑶を逃がすはずである。その仁瑶はもとより紅春の姿もなく、太子付きの護衛武官による伝令もない。
「……帝君」
嫌な予感が翠玲の胸をよぎる。
仁瑶を乗せて逃げてくるはずの花純が、馬具を外され、髪紐だけをつけて戻ってきた。逃れられない状況に陥った仁瑶が、身の危険を知らせるために花純だけでも囲場へ帰したのではないだろうか。
「仁瑶様の護衛は太子の親衛隊が担っておりました。琅寧でも精鋭ぞろいの部隊ですから、よほどの相手でない限り負けることはあり得ません」
翠玲は暗に、颯憐が事を起こしたのではないかと告げる。
「わかっている。だからこそ太子を信頼し、兄上の護衛も任せたのだ。……颯憐め、余を謀ったな」
永宵は苦々しい顔で呟くと、控えていた清玄に「月珱たちを連れてこい」と命じた。
「月珱?」
翠玲が首を傾げていると、清玄はいくらも経たずに黒銀の毛並みが素晴らしい三頭の狼犬を連れて戻ってきた。
「月珱、雪梅、銀嶺という。兄上の匂いを覚えさせてあるゆえ、捜索に役立つ。小さな虎くらいなら食い殺せるから、頼もしいぞ」
言うや否や、永宵は花純の尾から髪紐をほどく。匂いを嗅がせると、三頭は役目をわかっているかのようにひとつ咆えた。
「相公を救うのは娘子の役目だ。禁軍左軍を貸してやるゆえ、謀反人もひっとらえてこい」
いつの間にか翠玲の後ろに左将軍が控えている。
怪我をした花純を華桜に託し、翠玲は昂呀の背へ跨った。
「仁瑶様の救出をなにより優先してください。琅寧の親衛隊の制圧と太子の捕縛は左将軍にお任せします」
「かしこまりました」
すでに陽は落ち、残光が空を照らすのみとなっている。
駆け出していった一団を、花純の黒々とした瞳が心配そうに見つめていた。
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