皇兄は艶花に酔う

鮎川アキ

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第5話

5-2

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 振り返れば、昂呀に乗った翠玲と目が合う。
「仁瑶様」
 久しぶりに名を呼ばれた気がして、すぐには返事ができなかった。
 無言のまま立ち尽くしていると、翠玲がくらを降りて傍へやって来る。
 足もとの影が重なり、仁瑶は無意識のうちに身をこわばらせた。
 翠玲は胡服こふくと称する騎馬民族の衣裳を纏っていた。喉まで詰まった円領まるえり上衣うわぎは濃紺で、銀糸で白蓮の刺繍が施してある。胡服のすそくるぶしのあたりまでしかなく、下には裙裳くんもではなくと呼ばれる穿き物。腰には飾り気のない革帯かくたいを締め、黒革でできた長靴ちょうかを履いていた。
 簡素といえば簡素だが、余計な装飾がない分、翠玲の艶麗な容貌が引き立つ。
 颯憐も似たような恰好かっこうをしていたというのに、どうしてか翠玲を前にすると落ち着かない心地になった。
 仁瑶は動揺を誤魔化すように言葉を紡いだ。
「おかえりなさい。たくさん獲れましたか?」
「はい。帝君や兄には及びませんでしたが、鹿を三頭と鴨を五羽仕留めました」
 よほど楽しかったのか、翠玲は笑みを浮かべる。
 仁瑶はふと、自分が翠玲を見上げていることに気づいた。いつの間にこんなに背が伸びたのだろう。よくよく見れば、玉容からはあどけなさが抜け、艶冶えんやな印象が増していた。
「それはよかったですね」
 仁瑶は動揺を誤魔化すように曖昧に微笑わらう。
 視線を移すと、随従ずいじゅうたちが運んできた獲物を天幕の前へ並べていた。
「すべて仁瑶様にお贈りいたします」
「え、……」
 脳裏に颯憐の言葉が甦る。
 ――琅寧の男は、恋しい相手にしか獲物を贈らない。
 翠玲は立場上仁瑶の妻だから、狩りをしても、仕留めた獲物を永宵に捧げることはできない。
 胸の奥に苦いものが広がって、仁瑶はくちびるを噛んだ。
「私ではなく、帝君ていくんにお贈りしてかまわないのですよ」
「え?」
 琥珀瞳こはくとうがまるくなり、戸惑うような色が滲む。
「私の夫君は仁瑶様です」
 予想していた答えに、仁瑶は微苦笑を刷いた。
「……では、鴨を一羽だけいただけますか。せっかくの獲物を、私が独り占めするわけにはいきません。お父君や帝君にもお贈りするとよいでしょう」
 仁瑶は華桜カオウに目配せして鴨を受け取ると、紅春に炙り肉にするよう命じた。香ばしく炙った鴨肉は永宵の好物なので、夜宴の合間にでも翠玲の名で届けてやれば喜ぶだろう。
「汗をかいたのではありませんか? ちょうど湯浴みの用意をさせるところだったんです。先に湯を使われますか?」
 なにか言われるより先に話頭を転じる。
 翠玲は首を横に振った。
「わたしは後でかまいません。仁瑶様こそ、お疲れではございませんか? もしよろしければ、湯浴みのお世話をいたしましょうか」
「あなたにそんなことはさせられないと、以前も申しあげたでしょう」
「……はい」
 小さく頷いて、翠玲は蛾眉がびを下げる。
 昂呀の世話をしてくるというので、仁瑶は先に湯浴みをすることにした。
 ここ最近、妙に躰が怠い。湯に浸かりながら紅春に腕や脚をほぐしてもらったが、あまり効果はなさそうだった。
「夜宴に出席なさるのは、お控えになったほうがよいのではありませんか」
 湯からあがってもぼんやりしている仁瑶に、紅春が心配そうに進言してくる。
「大丈夫だ、久しぶりの行幸みゆきで少し疲れただけだろう」
 そう返せば、紅春は眉をひそめたものの納得してくれた。
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