39 / 74
第3話
3-13
しおりを挟む「先に寝ているようにと申しましたのに」
「申し訳ありません。灯りがずっとついておられるので、心配になってしまって……」
言いながら、翠玲は持っていた毛毯を仁瑶の肩にかける。
「お躰が冷えていませんか? 葛湯をお作りしましたので、よろしければ召しあがってください」
燕児が食盒から青磁の碗を出し、翠玲が匙とともに差し出してきた。
仁瑶は黙ったまま、翠玲の顔と枸杞子を散らした葛湯とを見つめる。
翠玲が焦ったような声をあげた。
「もしかして、葛湯はお嫌いでしたか。お茶かお酒のほうがよかったでしょうか」
すぐにも出直してきそうな様子に、仁瑶は微苦笑して碗を受け取った。
「いえ、驚いただけです。まさか翠玲殿が厨房に入られるとは思ってもいなかったので。夕餉の清湯も、とても美味しくいただきました」
「ぁ、……」
翠玲はほっとしたふうに目尻を下げる。
仁瑶は匙でまぜて冷ましてから、葛湯を口に運んだ。清湯と同様に翠玲の配慮が感じられ、胸が詰まる。
「こちらも美味しいですね。甘さがちょうどいい」
笑み含んでみせれば、翠玲は嬉しそうにはにかんだ。
「よかったです。……あの、仁瑶様」
「うん?」
「わたしに丁寧な言葉遣いをなさる必要はありません。仁瑶様より年下ですし、妻としてお仕えする身ですから」
琥珀瞳にじっと見つめられ、仁瑶は躊躇いがちに頷いた。
「わかりました、ではお言葉に甘えさせていただきますね。もう遅いですし、翠玲殿はお休みを。毛毯と葛湯をありがとう」
「仁瑶様は、まだ起きていらっしゃるのですか?」
心配そうな声音が書房に響く。
「それならわたしも、……ご迷惑でなければお傍にいたい、です」
こちらを窺う眼差しに、幼子のような印象が滲む。言外に寂しいと言われたのだろうかと思いかけ、そんなはずがないと自嘲した。
「私ももう少ししたら寝ますから。待たせているのは忍びないので、どうか先に休んでいてください」
「……は、い」
翠玲はなにか言いたそうにくちびるを動かしたものの、やがて小さく首肯した。
書房から出ていく背を見送って、仁瑶はそっと溜息をつく。
開いていた画巻をしまうと、紅春に羅漢牀を整えるよう頼んだ。
「臥室に戻られないのですか?」
わずかに目を瞠った紅春に、仁瑶は無言のまま毛毯を渡す。翠玲の香りがするものを、傍に置いておきたくなかった。
「もしも翠玲殿が寝入っていたら、起こすのは可哀想だろう」
「またそんなことを仰って。さっきの今で、眠ったはずがないじゃありませんか」
紅春に言い返されて、仁瑶は押し黙った。
こんな態度を取って、翠玲に申し訳ない気持ちはある。
だが、永宵を好いているのなら、翠玲だって仁瑶と褥をともにしたくないはずだ。
紅春は怪訝な顔をしていたが、仁瑶が口を閉ざしたのを見て仕方なさそうに肩を竦めた。
寝支度をすませて牀に横たわると、いくらも経たずに眠気が押し寄せてきた。昨夜満足に眠れず、昼間もずっと強張りのとけなかった躰は、自分でも気づかないうちに疲弊していたのだろう。
仁瑶は二時辰ほど眠り、夜が明ける少し前に起きると、翠玲に気づかれぬよう務めに出かけた。
翠玲はまんじりともせず夜を過ごし、一向に臥室へ戻らない仁瑶を案じていた。そうして朝になってから、既に仁瑶が出かけたことを知らされた。
「仁瑶様は、昨夜はどちらでお休みに……?」
盥に湯をくんできた桃心に尋ねれば、仁瑶の命で宝珠宮に仕えていたという少女は快活に答える。
「書房です。物音でもたてて奥様をお起こしするのはお可哀想だと、紅春さんに仰ったそうですよ。今宵もお帰りが遅くなるとのことでしたから、先にお休みになっているようにとのご伝言をいただいております」
「……そうか」
胸に苦いものが広がっていく。
仁瑶から拒まれている。わかっていたはずなのに、心が痛むのを抑えきれない。
(くよくよしたってだめだ。清湯と葛湯は褒めていただけたのだから、お好きなものをもっとたくさん作れるように頑張ろう。仁瑶様がお留守の間は妻としての務めを果たして、それで、……)
――それで、どうしたいというのか。
仁瑶と一緒に食卓を囲みたい。同じ褥で横になり、傍に寄り添って微笑まれたい。
捨てようと思った慾を捨てきれない。どうしたって、翠玲は仁瑶に赦されたいのだ。赦されて、愛されたくてたまらない。
(愚かなことを考えるな。そんなふうだから、仁瑶様にも嫌われるんだ)
頭を振って、盥の湯で顔を洗う。
桃心と燕児の手を借りて朝の支度を終えると、翠玲は皇貴太妃のもとへ出かけることにした。
1
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
そばにいてほしい。
15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。
そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。
──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。
幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け
安心してください、ハピエンです。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
βの僕、激強αのせいでΩにされた話
ずー子
BL
オメガバース。BL。主人公君はβ→Ω。
αに言い寄られるがβなので相手にせず、Ωの優等生に片想いをしている。それがαにバレて色々あってΩになっちゃう話です。
β(Ω)視点→α視点。アレな感じですが、ちゃんとラブラブエッチです。
他の小説サイトにも登録してます。
R18禁BLゲームの主人公(総攻め)の弟(非攻略対象)に成りました⁉
あおい夜
BL
昨日、自分の部屋で眠ったあと目を覚ましたらR18禁BLゲーム“極道は、非情で温かく”の主人公(総攻め)の弟(非攻略対象)に成っていた!
弟は兄に溺愛されている為、嫉妬の対象に成るはずが?
そこにワナがあればハマるのが礼儀でしょ!~ビッチ勇者とガチムチ戦士のエロ冒険譚~
天岸 あおい
BL
ビッチ勇者がワザと魔物に捕まってエッチされたがるので、頑張って戦士が庇って大変な目にあうエロコメディ。
※ビッチ勇者×ガチムチ戦士。同じ村に住んでいた幼馴染コンビ。
※魔物×戦士の描写も多め。戦士がエロい災難に遭いまくるお話。
※エッチな描写ありの話は話タイトルの前に印が入ります。勇者×戦士『○』。魔物×戦士『▼』。また勇者視点の時は『※』が入ります。
姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王
ミクリ21
BL
姫が拐われた!
……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。
しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。
誰が拐われたのかを調べる皆。
一方魔王は?
「姫じゃなくて勇者なんだが」
「え?」
姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?
溺愛αの初恋に、痛みを抱えたβは気付かない
桃栗
BL
幼馴染の上位アルファの怒りにより、突然オメガに変異させられたベータの智洋とそのアルファ、晴翔とが結ばれるまでの物語。
カプは固定ですが、2人共に他との絡みがあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる