皇兄は艶花に酔う

鮎川アキ

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第1話

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 翠玲に呆れられても、仁瑶はかまわず後宮の動向に気を配っていた。母の頼みというだけでなく、翠玲が気にかかって仕方なかったのだ。
 この世には男女の他に、天陽、范君、下邪と称される第二性がある。
 皇宮に勤める女官や宦官、文武百官など、蒼生たみの大半を占める范君種。彼らは同種としか子をなすことができず、孕む心配のない愛妾として皇族に寵愛される性でもある。
 天陽種は皇族や貴族に多く、こちらは人口の二割ほどしかいない。男女ともに美麗な容姿を持ち、文武を始め書画や音曲など様々な才に秀でているのが特徴だ。
 煌蘭国において、皇帝はまさに美と叡智を極めた至尊の天陽。神にも等しい天上の君を、民は尊崇と畏敬の念を込めて帝君と称す。
 そして、この二種よりも更に稀少なのが下邪種であった。天陽種の夫婦から稀に産まれ、いずれの国でも人口の一割にも満たない。身体能力こそ先の二種に劣るものの、こちらも美貌の者が多く、男であっても天陽種の子を孕むことのできる特異な躰を持っている。
 ゆえに、どこの国でも下邪種は政治の駒として利用されてきた。本人の意思に関係なく、国のために尽くすことを強要されるのだ。
 図らずもその役廻りから解放された仁瑶にとって、翠玲は過去の自分を見ているようで、ひどく哀れに思えた。
 永宵は翠玲ばかりを龍床に召しているらしく、昼間も傍にはべらせているという。進御しんぎょできない妃嬪たちの怨みは翠玲へ向かい、皇太后と皇后が苦言を呈しても、永宵は翠玲を嬖愛へいあいすることをやめなかった。
 されど、並々ならぬ寵を受けていたにも関わらず、翠玲は入宮から一年経っても懐妊の兆しがない。下邪種であるのに一向に孕まない翠玲を、永宵も次第に軽んじるようになっていった。
 後宮の妃嬪たちは帝君の態度の変化を敏感に察する。これを機に、天寵てんちょうを独占していた翠玲を貶めようとする妃が現れないはずがなかった。
 彼女たちは、皇貴太妃という後ろ盾を持つ翠玲を表だって罵ったりはしない。宴の折や茶会の席で、宮中特有の婉曲表現を使い、子ができないことを嘲弄するのだ。おまけに後宮内に根も葉もない噂を流し、最下層の奴婢ぬひまでもが翠玲を嘲るよう誘導するから性質が悪い。
「ねえ、寧嬪の話を聞いた? 琅寧に想い人がいるから、帝君の子を孕まないよう避妊薬を飲んでたんですって」
「俺は帝君に無理やり手籠めにされたから、その仕返しに子を流していたって聞いたぞ」
「あたしはそもそも石女うまずめだって聞いたわ。下邪種のくせに欠陥があるから、琅寧が体よく押しつけたんだって」
 紅牆こうしょうみちを歩いていると、そこここからそんな会話が聞こえてくる。
 仁瑶は眉をひそめ、紅春に目配せした。
「事実がまじっているのか?」
「いいえ」
「そうだろうな」
 翠玲は国益のために下邪種の役目を果たそうとしていた。後宮に入った以上、永宵の子を産むことが琅寧の利になると考えていたに違いなく、そんな翠玲が避妊薬など服用するはずがない。
桃心トウシンに、些細なことでも報告するよう指示を出しておいてくれ」
 なにかあった時のために、仁瑶は自身の配下を翠玲の侍女のなかにもぐり込ませていた。
 紅春が心得たように頷くのを一瞥し、帰宅しようとしていた足を皇帝の居処たる龍宮殿りゅうぐうでんへ向ける。
 御書房ごしょぼうで奏上に目を通していた永宵は、やって来た仁瑶に気づくと嬉しそうに顔をあげた。
哥哥にいさま、どうしたの」
 宝座ほうざに招かれ、隣り合って座る。三つしか歳の変わらない異母弟だが、いくつになっても幼く見えてしまう。永宵が、仁瑶には殊更甘えてくるせいかもしれない。
「哥哥と飲もうと思って、桜桃酒を用意してあるんだよ。今日は一緒に夕餉を食べよう? 新しい画巻も見せたいし、久しぶりに哥哥と過ごしたい」
「それは楽しみです。私も久しぶりに帝君と酒を酌み交わせたらと思っていたところでした」
「本当に? 嬉しいな。すぐに奏上を片づけるから、待っていてね」
 にこやかに話す永宵に軽く頷いてやると、異母弟は喜色で頬を染めた。
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