人魚は歌詞の意味を知らない

寄紡チタン

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最終話

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 悲し気な歌声を聞いたトランス・リベルタ号は、一瞬にして静まり返る。

 一曲歌い終えたセレナは、人魚のような妖艶な微笑みをリュカに向けた。



 二人の間に再び訪れた沈黙を破ったのは、誰かの悲鳴だった。



「うわあぁあああああああ!!!」

「な、なんだ!?」

 声のする方へと向かうリュカ。そこはさっきまで腹を出して眠っていた船乗り達がいた場所。

「おい、何してる、危ないぞ・・・船長?」

 広い船の中、リュカが目にしたのは月明かりにギラリと照らされた大きな刃。まるで三日月のようにしなった形はキャプテン・ロベルトの愛用する剣の特徴。その刃先は船員の一人に向けられていた。

「なにするつもりだ・・・」



 船長だけではない、眠っていた筈の船員は一人ずつ目を覚まし、その場に立ち上がったかと思うとそれぞれの腰にかけられた剣を構えた。月明かりと足元の消えかけのランタンが照らす薄暗い船上には、既に血の匂いが混じっている。



「なにやってるんだお前ら、おい、さっきの悲鳴は・・・」



 リュカが悲鳴の主を見つける代わりに、その原因を最悪の方法で知る事となる。



ーーーザシュッ!!ーーー



 空を切る音と同時に繰り出された心地よく肉が切れる音。リュカの目の前に突然上がった血飛沫が、頬を汚す。



「グラシ!」



 咄嗟に目の前で倒れた男の名を呼んだ。あっけなく床に倒れこんだ男の向かいには、三日月型にしなる大きな剣を構えた男。



 トランス・リベルタ号の船長、キャプテン・ロベルトだった。



「・・・仲間殺し」

 ロベルトの黒く濁った瞳と、船員グラシの血液がたっぷりと滴った剣が、この船の秩序が失われたことを証明した。それはこの海とリベルタ号で最も禁忌とされる行為。海賊ですら簡単には破る事のない船上の結束を保つための当たり前のルール。



 放心するリュカにかかる声は無く、リュカの背後から小さく唸る声が響いた。



 慌てて振り返ると、船員同士が剣を掲げ、互いを切りつけ合っていた。一人、また一人と仲間の刃を胸にくらいその場に倒れる。目の前の相手が死んだらまたべつの者の元へ行き切りつける。



 グシャ、グシャ、という音を立てて下手な剣さばきが空を切り、肉を断つ。



 グシャ、グシャ、ズシャ、グシャ。時々聞こえるひと際美しい断ち音はロベルトのものだ。



「な、なんてことして・・・待て、急に何を、おい、船長!船長やめろ!」

 状況に混乱しつつもロベルトの右腕にしがみつく。

「馬鹿なことすんな、みんなも!なんで急に殺し合うんだ、やめてくれよ!船長、あんた船長なんだからふざけたことしてないで他の奴等を止めろよ!なにやってんだよ!」

 武器を持つ腕を封じられたロベルトは虚無のうつる瞳でリュカを睨みつけた。

 その表情はいつもの豪快で温かく、少々調子乗りで親しみやすいキャプテン・ロベルトのものではない。すべてを失い、ただ目の前の人間を切ることしか考えていない者の顔をしている。

 彼だけではない、その場にいる倒れた船員を含め、全ての船員が何かを失い、ただ無心に手当たり次第に切りつけ、そして切りつけられていく。



「辞めろ船長!キャプテン!キャプテン・ロベルト!何考えてるんだ、あんたはこんなことする奴じゃないだろ、仲間を疑ったり裏切ったりするのは一番駄目なことだって言ってたじゃねぇか!!目を覚ませ!!」



 一発殴って目を覚ませたい気持ちだったが、対格差のあるロベルトに対しては剣を持つ腕を妨害することで精いっぱいだった。その代わりにぶつけるありったけの怒鳴り声は、その場にいる誰にも届かない。



「なぁ、酔ってるのか、やめろ、やめてくれ、嘘だろ」



 ロベルトが腕を大きく払うと、リュカはその場に投げ出された。船員を守るために鍛え上げられた彼の筋肉質な身体は、再び目の前の船乗りたちを切りつけた。



 船上中から小さなうめき声、悲鳴、痛みに苦しむ嘆きが聞こえる。そして足元で必死に痛みを堪えていた者も、いつの間にか声をあげなくなる。



 自分と、仲間と、この船を守るための力が互いを殺し合い、船はどんどん静かになっていく。



「なんでだよ・・・なぁ、何が起こってるんだよ」



 リュカはボロボロと泣きながら船員の武器を奪おうとした、床に倒れた仲間の止血をした、殴ってでも止めようとした。

 しかし、誰一人として助けることは出来なかった。



 ぐちゃぐちゃに踏み荒らされた脳内に浮かぶのはいつものリベルタ号の風景。笑い声と怒鳴り声の絶えない、にぎやかで荒々しく、下品だけど純粋な、そんな馬鹿な海の男達との何でもない日々。



 がさ、と静かな船内に響く足音。



「・・・キャプテン、あんたが最後か」

 豪快で単純で、誰よりも海と仲間とリベルタ号を愛していた男、キャプテン・ロベルト。彼の愛用する剣は船員たちの血にまみれて赤い三日月と化していた。彼の周囲、トランス・リベルタ号の床は男たちの死体に埋め尽くされていた。



「いや、俺とあんたが最後か」

 きっともうこの船に生き残りはいない、リュカは感じていた。

「なぁキャプテン、俺を殺すのか?」

 ロベルトは答えない。

「俺を殺して、あんただけになったこの船をどうするつもりだよ」

 ロベルトは表情すら変えなかった。

「最後の一人になって、この船と心中する気か?だってそうだろ、あんたの趣味で買ったこのバカでかい船は、いくらあんたでも一人じゃ支配できない」



 ロベルトは何も言わず、血の滴る剣を構える。



「俺も一緒に罪を被ってやるからさ、一緒にやり直すか、それともいっそのこと海賊にでもなるか。あぁ、その時は、副船長にしてくれるか?」




 大きな赤い三日月が貫いたのは、キャプテン・ロベルトの心臓だった。

「・・・・・・」

 地響きのような低いうめき声をあげ、ロベルトは自身の身体を愛用の剣で抉る。彼を守る分厚い筋肉からは勢いよく鮮血が噴き出し、そのうちに大きな体はぐしゃりと鈍い音を立てて床に倒れる。そのまま、置物のように動かなくなった。

「・・・あ、あっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 リュカは決壊する憎悪と苦痛と後悔に、声を上げる。船長すら失った広い船で一人、汚泥のように濁り切った困惑と絶望の中、ただ意味のない声を上げることしかできなかった。

 リュカは知っていた。この船には酒に酔っても気に狂ってもどれだけ怒りに支配されていても仲間を殺すような人間は誰一人いない。

 リュカはわかっていた。キャプテンは絶対に仲間を傷つけない。そして自害するような軟弱な男ではない。




 リュカは気付いていた。これはきっと、この船に乗せた悪魔の仕業だと。




「どうしたんですか、お腹がいたいの?」

 何処に隠れていたのか、悪魔は姿を現して少女の姿でほほ笑んだ。



 リュカの愛する、心の拠り所だった幼馴染によく似た美しい黒髪を靡かせて、彼女を思わせる優しく慈愛に満ちた笑顔で問いかける。



「リュカさんは、傷ついていない筈ですよ」



「やっぱり、お前のせいかよ。・・・なんで、なんでこんなことするんだ」



 人魚の歌声は人を惑わす。その言葉を今まで、もっと小さな、些細な絶望だと思っていた。



「あいつらが何をしたって言うんだ、みんなお前に優しかっただろ、船長はお前のこと気に入ってたし、誰もお前の嫌がることしなかっただろ。なんでこんなことするんだ!」

 見目麗しい悪魔はキョトンとした顔をしている。

「あいつらを、俺のリベルタ号を返してくれよ!俺はこの船が好きなんだ!」

 悪魔は黒い瞳をぱちぱちとさせて、無邪気に首を傾げた。

「死んだ者は生き返らない筈ですが、何をお返しすれば良いのでしょうか?」



「ふざけるな!!」



 思わず出た強い怒り。ただ、そんなリュカの姿を見ても彼女は嬉しそうにするばかりだ。



「なんで笑ってられるんだよ・・・化け物」

 化け物。人魚に魅入られたことのある海の男は皆、美しい人魚をそう呼んだ。



「どうです、リュカさん。もうこの船には二人きりになってしまいましたし、一緒にのんびりと船旅でもしましょうか」



「馬鹿にするな、船長達を殺した化け物人魚なんかと一緒にいるくらいなら俺は死ぬ。早く俺のことも殺せばいいだろ。くそ・・・なんで皆も巻き込むんだよ、恨んでるなら俺だけ殺せばいいだろ、大体どうして俺なんだよ、意味わかんねぇよ・・・」



「ふふっ、そんなリュカさんが好きです」

 悪魔は黒く濁った空色の瞳を開いて、全てに絶望したリュカの姿をしっかりと焼き付けた。



「あなたの愛を得られたなら、どれだけ幸せだったでしょう・・・でも、さようならです」



 そう言って俯くと、小さく『セレナ』を口ずさむ。



 まるで目の前にいるリュカにだけ聞こえればいいと思っているような、小さく、囁くような歌声。海のどこにも届かず、自分の耳を微かに撫でるような優しく穏やかで、全てを包み隠したような繊細な声。



 リュカにとって、それは呪いか滅びか、とにかく悪魔の歌声にしか思えなかった。



「や、やめ・・・」



 言い切る前に、リュカは自分の身体の異変に戦慄した。



 怒りと恐怖に支配されていた筈の身体は本人の意思とは無関係に立ち上がり、ゆっくりと腰に携えた剣を抜いた。その刃先は、自分ではなく目の前で妖艶に歌う悪魔の方を向いている。



「おい、まさか、俺に・・・」



 心の命令を無視して、一歩、一歩と前に出る。





 セレナは儚げにほほ笑んだ。




『これなら私の歌は、永遠にあなたを縛り付けることが出来る』




 リュカはゆっくりと、セレナに向かって剣を振り下ろした。

 





 Fin.



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