コオロギ

幻中六花

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鳴いて鳴いて、泣き続けた。

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 この姿で外に出ることは危険だ。しかし、家の中でじっとしていたって、やがて食べ物が底をつく。
 この姿になってみて、初めて自分の普段の生活のだらしなさに救われる気がした。
 たまに明日架が来ていた日は、食材をきちんと冷蔵庫にしまっていたけれど、昨日の友詞は自暴自棄になっていたため、買った野菜をそのままにしていたのだ。
 お腹いっぱいになるまで食べても、葉野菜1枚くらいしか食べられなかった。

 友詞は昔の記憶をたぐり寄せた。
 コオロギは昆虫の餌として扱われたりすることが多いはずだ。人間でも食べる人がいる。そういう人に捕まらないように、駅前で隠れていることはできるだろうか。
 
 ──2年前、明日架は俺の歌声を綺麗だねと言って、あの場所で立ち止まってくれた。コオロギの鳴き声も、日本人が聞けば綺麗で風情を感じるらしい。もう一度、明日架に振り向いてもらえるかもしれない。

 友詞は窓の隙間から外に出て、地下鉄の駅前を目指した。あの日、自分が歌っていた場所だ。明日架が立ち止まってくれた場所だ。
「リンリンリリリ」
 コオロギの声がいくら綺麗だといっても、外国の人からすると騒音でしかないらしい。潰されないように、友詞は日本人がたくさん歩いている瞬間を見計らって、鳴いた。

 多くの日本人は、
「あら。何の虫?」
「秋だから、コオロギとか?」
「スズムシだよ!」
「コオロギって、見た目グロいけど鳴き声綺麗だよね。あたし好き」
などと、そんな会話をして振り返りながら離れていく。

「あたしコオロギジャム作るの好きだよ」
 ……時にはこういうヤツもいる。やめておけ、男からの需要はないぞ。

「リンリンリリリ」
 日が暮れて、遅い時間になっても、次の日になっても、友詞は鳴き続けた。今日は絶対、明日架がここを通ると信じて。

「あ……」
「リンリ……」
 友詞は家に帰らず、その辺の草を食べて過ごしていたが、何日目かの夜、友詞の鳴き声を聞いて、立ち止まった女性がいる。ハイヒールの上を、ずーっと上を見上げると、それは紛れもない、明日架だった。明日架はあの日と同じように、
「コオロギ……? 綺麗な鳴き声……」
と言った。

 友詞にはそれだけで十分だった。何日もここで歌い続けたあの時のように、ここで鳴き続けてよかった。
「リンリンリリリ……リーリンリルラ……」
 友詞は明日架に向かって、最期のを届ける。しかし、まさか友詞がコオロギに転生しているなんて知る由もない明日架は、すぐにその場を離れてしまう。

 ──仕方ない。幸せになれよ……。

 友詞は、最期にまた『綺麗な声』と言われただけで嬉しかった。
 
 もうここに用はない。友詞は自分の家に戻り、また出しっぱなしにしてある葉野菜を食べようと思っていたら、どうやら家の周りが騒がしい。
 パトカーが停まっている。
「ここの人、孤独死しちゃったみたいよ」
「まだ若かったわよね? 持病かしら」
 そんな声が聞こえた。あれは上の階のおばさんだ。このマンションで亡くなった人がいるのか……。

 出る時にすり抜けた窓の隙間から家の中に入ると、警察は友詞の部屋にいた。

 ──おいおい、俺の部屋に勝手に……。

 友詞の部屋のベッドには、友詞の人間の身体が横たわっている。

 ──あぁ……明日架に振られて、俺は酒をたくさん飲んだんだ。ちょっと飲みすぎたか……。最期に明日架に会えてよかった。それにしても、飲み過ぎで死ぬとか、俺、カッコ悪すぎるわ……。

 友詞はテーブルの上の葉野菜を食べ始める。
「ん? なんだ? コオロギか?」
 現場検証をしていた警察が友詞を葉野菜ごと持ち上げ、マンションの外の草が生い茂った場所に置いた。

 ──できればまた、人間で会いたかったけどな。きっと、別れた理由を無理やり聞き出したら、明日架はこう言うだろう。
「幸せすぎて怖いから」
と。だから理由を言わなかったんだ。誰も悪くないから。

──さようなら、明日架。明日架は明日に架ける橋。何か辛いことがあっても、俺が橋を架けてあげるから、頑張るんだぞ……。
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