5 / 6
鳴いて鳴いて、泣き続けた。
しおりを挟む
この姿で外に出ることは危険だ。しかし、家の中でじっとしていたって、やがて食べ物が底をつく。
この姿になってみて、初めて自分の普段の生活のだらしなさに救われる気がした。
たまに明日架が来ていた日は、食材をきちんと冷蔵庫にしまっていたけれど、昨日の友詞は自暴自棄になっていたため、買った野菜をそのままにしていたのだ。
お腹いっぱいになるまで食べても、葉野菜1枚くらいしか食べられなかった。
友詞は昔の記憶をたぐり寄せた。
コオロギは昆虫の餌として扱われたりすることが多いはずだ。人間でも食べる人がいる。そういう人に捕まらないように、駅前で隠れていることはできるだろうか。
──2年前、明日架は俺の歌声を綺麗だねと言って、あの場所で立ち止まってくれた。コオロギの鳴き声も、日本人が聞けば綺麗で風情を感じるらしい。もう一度、明日架に振り向いてもらえるかもしれない。
友詞は窓の隙間から外に出て、地下鉄の駅前を目指した。あの日、自分が歌っていた場所だ。明日架が立ち止まってくれた場所だ。
「リンリンリリリ」
コオロギの声がいくら綺麗だといっても、外国の人からすると騒音でしかないらしい。潰されないように、友詞は日本人がたくさん歩いている瞬間を見計らって、鳴いた。
多くの日本人は、
「あら。何の虫?」
「秋だから、コオロギとか?」
「スズムシだよ!」
「コオロギって、見た目グロいけど鳴き声綺麗だよね。あたし好き」
などと、そんな会話をして振り返りながら離れていく。
「あたしコオロギジャム作るの好きだよ」
……時にはこういうヤツもいる。やめておけ、男からの需要はないぞ。
「リンリンリリリ」
日が暮れて、遅い時間になっても、次の日になっても、友詞は鳴き続けた。今日は絶対、明日架がここを通ると信じて。
「あ……」
「リンリ……」
友詞は家に帰らず、その辺の草を食べて過ごしていたが、何日目かの夜、友詞の鳴き声を聞いて、立ち止まった女性がいる。ハイヒールの上を、ずーっと上を見上げると、それは紛れもない、明日架だった。明日架はあの日と同じように、
「コオロギ……? 綺麗な鳴き声……」
と言った。
友詞にはそれだけで十分だった。何日もここで歌い続けたあの時のように、ここで鳴き続けてよかった。
「リンリンリリリ……リーリンリルラ……」
友詞は明日架に向かって、最期の泣き声を届ける。しかし、まさか友詞がコオロギに転生しているなんて知る由もない明日架は、すぐにその場を離れてしまう。
──仕方ない。幸せになれよ……。
友詞は、最期にまた『綺麗な声』と言われただけで嬉しかった。
もうここに用はない。友詞は自分の家に戻り、また出しっぱなしにしてある葉野菜を食べようと思っていたら、どうやら家の周りが騒がしい。
パトカーが停まっている。
「ここの人、孤独死しちゃったみたいよ」
「まだ若かったわよね? 持病かしら」
そんな声が聞こえた。あれは上の階のおばさんだ。このマンションで亡くなった人がいるのか……。
出る時にすり抜けた窓の隙間から家の中に入ると、警察は友詞の部屋にいた。
──おいおい、俺の部屋に勝手に……。
友詞の部屋のベッドには、友詞の人間の身体が横たわっている。
──あぁ……明日架に振られて、俺は酒をたくさん飲んだんだ。ちょっと飲みすぎたか……。最期に明日架に会えてよかった。それにしても、飲み過ぎで死ぬとか、俺、カッコ悪すぎるわ……。
友詞はテーブルの上の葉野菜を食べ始める。
「ん? なんだ? コオロギか?」
現場検証をしていた警察が友詞を葉野菜ごと持ち上げ、マンションの外の草が生い茂った場所に置いた。
──できればまた、人間で会いたかったけどな。きっと、別れた理由を無理やり聞き出したら、明日架はこう言うだろう。
「幸せすぎて怖いから」
と。だから理由を言わなかったんだ。誰も悪くないから。
──さようなら、明日架。明日架は明日に架ける橋。何か辛いことがあっても、俺が橋を架けてあげるから、頑張るんだぞ……。
この姿になってみて、初めて自分の普段の生活のだらしなさに救われる気がした。
たまに明日架が来ていた日は、食材をきちんと冷蔵庫にしまっていたけれど、昨日の友詞は自暴自棄になっていたため、買った野菜をそのままにしていたのだ。
お腹いっぱいになるまで食べても、葉野菜1枚くらいしか食べられなかった。
友詞は昔の記憶をたぐり寄せた。
コオロギは昆虫の餌として扱われたりすることが多いはずだ。人間でも食べる人がいる。そういう人に捕まらないように、駅前で隠れていることはできるだろうか。
──2年前、明日架は俺の歌声を綺麗だねと言って、あの場所で立ち止まってくれた。コオロギの鳴き声も、日本人が聞けば綺麗で風情を感じるらしい。もう一度、明日架に振り向いてもらえるかもしれない。
友詞は窓の隙間から外に出て、地下鉄の駅前を目指した。あの日、自分が歌っていた場所だ。明日架が立ち止まってくれた場所だ。
「リンリンリリリ」
コオロギの声がいくら綺麗だといっても、外国の人からすると騒音でしかないらしい。潰されないように、友詞は日本人がたくさん歩いている瞬間を見計らって、鳴いた。
多くの日本人は、
「あら。何の虫?」
「秋だから、コオロギとか?」
「スズムシだよ!」
「コオロギって、見た目グロいけど鳴き声綺麗だよね。あたし好き」
などと、そんな会話をして振り返りながら離れていく。
「あたしコオロギジャム作るの好きだよ」
……時にはこういうヤツもいる。やめておけ、男からの需要はないぞ。
「リンリンリリリ」
日が暮れて、遅い時間になっても、次の日になっても、友詞は鳴き続けた。今日は絶対、明日架がここを通ると信じて。
「あ……」
「リンリ……」
友詞は家に帰らず、その辺の草を食べて過ごしていたが、何日目かの夜、友詞の鳴き声を聞いて、立ち止まった女性がいる。ハイヒールの上を、ずーっと上を見上げると、それは紛れもない、明日架だった。明日架はあの日と同じように、
「コオロギ……? 綺麗な鳴き声……」
と言った。
友詞にはそれだけで十分だった。何日もここで歌い続けたあの時のように、ここで鳴き続けてよかった。
「リンリンリリリ……リーリンリルラ……」
友詞は明日架に向かって、最期の泣き声を届ける。しかし、まさか友詞がコオロギに転生しているなんて知る由もない明日架は、すぐにその場を離れてしまう。
──仕方ない。幸せになれよ……。
友詞は、最期にまた『綺麗な声』と言われただけで嬉しかった。
もうここに用はない。友詞は自分の家に戻り、また出しっぱなしにしてある葉野菜を食べようと思っていたら、どうやら家の周りが騒がしい。
パトカーが停まっている。
「ここの人、孤独死しちゃったみたいよ」
「まだ若かったわよね? 持病かしら」
そんな声が聞こえた。あれは上の階のおばさんだ。このマンションで亡くなった人がいるのか……。
出る時にすり抜けた窓の隙間から家の中に入ると、警察は友詞の部屋にいた。
──おいおい、俺の部屋に勝手に……。
友詞の部屋のベッドには、友詞の人間の身体が横たわっている。
──あぁ……明日架に振られて、俺は酒をたくさん飲んだんだ。ちょっと飲みすぎたか……。最期に明日架に会えてよかった。それにしても、飲み過ぎで死ぬとか、俺、カッコ悪すぎるわ……。
友詞はテーブルの上の葉野菜を食べ始める。
「ん? なんだ? コオロギか?」
現場検証をしていた警察が友詞を葉野菜ごと持ち上げ、マンションの外の草が生い茂った場所に置いた。
──できればまた、人間で会いたかったけどな。きっと、別れた理由を無理やり聞き出したら、明日架はこう言うだろう。
「幸せすぎて怖いから」
と。だから理由を言わなかったんだ。誰も悪くないから。
──さようなら、明日架。明日架は明日に架ける橋。何か辛いことがあっても、俺が橋を架けてあげるから、頑張るんだぞ……。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる