半人半馬の子供

シオ

文字の大きさ
上 下
4 / 20

4

しおりを挟む
 ある日、夕食の準備をしていた時だった。

 私の鼓膜を震わせる凛然とした音が響いた。ぴくりと耳が震える。しゃがみこんで火の様子を見ていた私は慌てて立ち上がり、窓を開けて空を流れる旋律を追った。

「急にどうしたんですか」

 私の突然の行動に人馬の子は驚いた様子だった。蹄を鳴らして私のそばにやってくる。

「同胞が近くにいるんだ」
「同胞……、貴方以外の森の隣人?」
「そう。同胞が竪琴を弾いている。私たちは竪琴の音色で、言葉のやりとりができるんだよ」
「僕には何も聞こえない」
「とても遠いところから弾いているからね」

 人族と同じ、丸い耳を持つ人馬にはこの音は拾えない。それでも私の耳は確かに彼らの音が象る言葉を受け取っていた。

「嗚呼、同胞がこのあたりを通るなんで、何十年ぶりだろう」

 この森に居を構えて百年近く。同胞が森の近くを通ることは無かった。長い長い孤独を味わっていたが、瑕疵となったその孤独を漂う音色が慰撫していく。

「旅をしている夫婦のようだ」

 若い夫婦が自己紹介をしている。私も竪琴を持ってきて返事を返した。一人息子と共にこの森で生きていると、告げる。人馬の子とは言っていない。私の子だと言ってしまった。弓が上手く足の早い、立派な息子だと。

 事情を知らぬ夫婦が手放しで褒めてくれる。素敵な息子さんですね、と。嬉しくて嬉しくて、堪らなかった。

「……とっても楽しそうですね」
「あぁ、楽しい」

 他の誰にも言えないことを言った。最愛の息子であると。誰よりも愛おしくて大切な息子なのだと。この子本人に伝えることすらできないのに、私の子だと盛んに奏でた。

 存分に竪琴での応酬を楽しんで、私は年若い夫婦に別れを告げた。人馬の子が退屈そうに私を眺め出したからだ。

「どうして貴方は一人なんですか? 群れはないですか?」

 竪琴を片付ける私の背に、彼がそんな言葉を投げかけた。

「そもそも私たちは、大きな群れを作らないんだ。血の繋がった家族で数十年を過ごしたら、一人で旅をし、最愛の者を見つけて定住の場所を探す。群れという概念はあまり持っていない」
「群れを作らないんですね……僕達とは全然違うんだ」

 群れ、という言葉を平気で使う人馬の子に、私がどきどきとしてしまう。敏感な話題だと思っていたのだ。この子は群れに見限られ、群を失ったのだから。敢えて使わないようにしてきた言葉だった。けれど、それであるのに、この子自身が平然とその言葉を口にする。群れというものに、本当に未練がないのだと改めて思い知った。

「私たちは、なんというか……他の種族から見ると見目麗しいように見えるらしく、連れ去られて嗜好品のように扱われてきた歴史があるんだ。群れていると一網打尽にされてしまうから、群れないようになっていったんだよ」

 昔は里を作り、まとまって生活していたそうだが、そのせいで異種族に狩られ、絶滅寸前まで追いやられたことがあるらしい。遠い過去の話だが。

「確かに貴方は綺麗です。でも、嗜好品のように扱われるってなんですか?」
「えっと……そうだな、宝石のように扱われるというか……。私の髪はとても高値で売れるし、瞳も法外の値段でやりとりされているらしい。牝鹿を捌くのと同じで、私達は価値のある体をしているから捌かれてしまうんだ」

 透き通る金色の髪は生まれ持ったものだが、これは異種族、特に人族から狙われている。髪を得るために飼い殺しにされた先祖の話を聞いたことがある。私も髪を伸ばしているが、それはいざと言う時の対価として使うためだった。ここ数ヶ月でいえば、人馬の子のために伸ばしている。なにか入用になれば、これを切り落として利用するのだ。

「そんな……っ、そんなのいやですっ! 捌かれるって、そんなの絶対許せません!」
「例え話だよ、大丈夫。そうならないように、私たちは野蛮な異種族……特に人族からは距離を置いてひっそりと生きているんだ」
「人族?」
「そう、貪欲なあの者達は我らだけでなく、森の賢者さえも狩ろうとするから気をつけて」

 頬を撫でる。私の両腕で抱き上げることのできた小さな子の顔は、今や私の頭と同じ位置にあった。手を伸ばして、ふっくらとした頬を数度撫でた。

「僕が、僕が貴方を守ります」

 この優しい子は、森の隣人が味わった最悪の出来事を聞いて泣いていた。己の境遇には嘆きも悲しみもしないのに。私の身を案じて怯えて、泣いていた。心の中にじわりじわりと愛おしさが増して、私はその額に口付けを落とす。

「ありがとう、とても心強いよ」

 日が暮れ、食事を済ませてから二人で一つの寝台に潜り込む。

 人馬の子と出会ってから、ずっと同じ寝台で眠っていた。もともと二人用の大きさであった寝台は、人馬の子の体が小さいうちは適した大きさだったのだが、それもたったの数ヶ月で窮屈になってきた。

「この寝台も随分と手狭になってきた。お前用の寝台を作ろうか」
「僕専用のはいらないので、二人で寝ても十分な大きさの寝台を作りたいです」
「二人でって……いつまでこうして寝るつもりなんだ」
「いつまでもです」

 以前は抱きしめて眠っていたのに、今ではその逆。この子に抱きしめられながら私は眠っている。大きな温もりに包まれて、とても安心するのだ。養育者である私が安堵を覚えていてはいけないのだろうけれど。

「……困った子だ」

 そう言いつつ、私の口元は緩む。それは仕方の無いことだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

異世界に転移したショタは森でスローライフ中

ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。 ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。 仲良しの二人のほのぼのストーリーです。

捨てられ子供は愛される

やらぎはら響
BL
奴隷のリッカはある日富豪のセルフィルトに出会い買われた。 リッカの愛され生活が始まる。 タイトルを【奴隷の子供は愛される】から改題しました。

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

没落貴族の愛され方

シオ
BL
魔法が衰退し、科学技術が躍進を続ける現代に似た世界観です。没落貴族のセナが、勝ち組貴族のラーフに溺愛されつつも、それに気付かない物語です。 ※攻めの女性との絡みが一話のみあります。苦手な方はご注意ください。

眠れぬ夜の召喚先は王子のベッドの中でした……抱き枕の俺は、今日も彼に愛されてます。

櫻坂 真紀
BL
眠れぬ夜、突然眩しい光に吸い込まれた俺。 次に目を開けたら、そこは誰かのベッドの上で……っていうか、男の腕の中!? 俺を抱き締めていた彼は、この国の王子だと名乗る。 そんな彼の願いは……俺に、夜の相手をして欲しい、というもので──? 【全10話で完結です。R18のお話には※を付けてます。】

【完結】マジで滅びるんで、俺の為に怒らないで下さい

白井のわ
BL
人外✕人間(人外攻め)体格差有り、人外溺愛もの、基本受け視点です。 村長一家に奴隷扱いされていた受けが、村の為に生贄に捧げられたのをきっかけに、双子の龍の神様に見初められ結婚するお話です。 攻めの二人はひたすら受けを可愛がり、受けは二人の為に立派なお嫁さんになろうと奮闘します。全編全年齢、少し受けが可哀想な描写がありますが基本的にはほのぼのイチャイチャしています。

俺をハーレムに組み込むな!!!!〜モテモテハーレムの勇者様が平凡ゴリラの俺に惚れているとか冗談だろ?〜

嶋紀之/サークル「黒薔薇。」
BL
無自覚モテモテ勇者×平凡地味顔ゴリラ系男子の、コメディー要素強めなラブコメBLのつもり。 勇者ユウリと共に旅する仲間の一人である青年、アレクには悩みがあった。それは自分を除くパーティーメンバーが勇者にベタ惚れかつ、鈍感な勇者がさっぱりそれに気づいていないことだ。イケメン勇者が女の子にチヤホヤされているさまは、相手がイケメンすぎて嫉妬の対象でこそないものの、モテない男子にとっては目に毒なのである。 しかしある日、アレクはユウリに二人きりで呼び出され、告白されてしまい……!? たまには健全な全年齢向けBLを書いてみたくてできた話です。一応、付き合い出す前の両片思いカップルコメディー仕立て……のつもり。他の仲間たちが勇者に言い寄る描写があります。

処理中です...