下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 奸計。それは、紫蘭兄上の言葉だった。その言葉は何を指すのか。富寧の行為だろうか。否、違う。兄上の目は真っ直ぐに第二皇子を見ている。私の隣に立つ柊弥兄上を見れば、穏やかに微笑んでいた。柊弥兄上にとって、紫蘭兄上のその発言は予想通りのものだったのだろう。

「素直に言ったらどうだ。全ては隆俱殿の描いた通りなのだろう?」
「え……? それって、どういう……」

 言葉の真意を紫蘭兄上に問おうとした瞬間、私の唇に柊弥兄上の白くてほっそりとした指先が当てられた。柊弥兄上は相変わらず微笑んでいる。今は静かに聞いておきなさい、と小声で注意された。私は押し黙り、紫蘭兄上の言葉の続きを待つ。

「富寧が吉乃の為に支払った対価は、当然こちらで把握している。いくら大国の皇太子であれ、あの額は異常だった。……隆俱殿。そなた、敢えて富寧が吉乃を拉致するよう仕掛けたな?」
「……流石は慧眼をお持ちの天瀬国王陛下だ」
「この状況が分かっていれば、誰だって気付く。三文芝居に過ぎたな」

 どうやら、この場において何もわかっていないのは私だけのようだ。狼狽えてしまう私に、柊弥兄上が耳元でそっと教えてくれた。

「隆俱殿はね、富寧が邪魔だったんだ。だから、大金を自由にさせ吉乃にどんどんと溺れさせた。その上で、手に入れたいと強く願わせ、吉乃を拉致するようけし掛けた。当然、隆俱殿がそう提案したわけじゃない。富寧が自ずからそう動くように、さりげなく状況を整えたんだよ。そして、吉乃が拉致され、それが明るみになって富寧は法のもと極刑となり、隆俱殿が皇太子位へと上がる。果ては、次代皇帝だ」

 告げられた言葉に、私は驚きすぎて何の言葉も出せなかった。つまりそれは、私は琳の第二皇子である隆倶殿に利用されたということだ。

「当然、我々の手で吉乃を奪還出来なかった場合は、隆俱殿が富寧の企てに気付き、吉乃を救い出して天瀬へ返還する、といった流れになっていたのだろうね」
「……私は、……彼らの帝位争いに巻き込まれた、ということですか」
「そういうことになるね」

 沸々と怒りが湧き上がってくる。隆倶殿を睨んでやろうと思った直後、跪いていたいた隆倶殿がさらに深く頭を下げて、額づいた。それは、土下座と呼ぶべき姿勢で、一国の皇子が取っていい姿勢ではなかった。

「誠に、申し訳ありませんでした。何度でもお詫びいたします。しかし、あの愚兄が皇帝になることを阻止するには、この手しかなかった。あの男が皇帝などになってしまえば、琳は終わる。愚兄を快く思わない者は多く、それと同時に愚兄に気に入られ贅の限りを尽くし甘い汁を啜るような連中がいるのも事実。……このままでは遅かれ早かれ二派に分断し、内乱が起きて、多くの民が苦しみ、数多の悲劇が生まれる。私は王族として、それだけは回避しなければならなかった」
「それは琳の事情だ。天瀬の吉乃を巻き込んだことに対する言い訳にはなり得ない。二度と吉乃に近付くな」

 紫蘭兄上の口調は随分と激しいものだった。それもそうだろう。隆倶殿の奸計を受け、富寧が私の拉致を企てた。それにより、多くの武官が戦場へ駆り出され、その場で命を落とした者もいるのだ。このような詫びだけで済ませる事は出来ない。それだけで、天瀬の怒りが収まるわけがなかった。

「……琳は、今より永劫に姫宮様に近付かぬと誓います。それと同時に、富寧以前と同額程度の朝貢は続けさせて頂きます」
「吉乃には触れないが、黒闢天の怒りに障らぬよう金だけは払って保身をしたいと。そういうことだな?」
「はい」

 富寧以前と同額程度、というのは富寧が私に支払う以前、琳がその当時の姫宮である朝水叔父上に支払っていた額ということだろう。富寧と同額出す、と隆倶殿が言えないのは、富寧が法外な額を支払っていたからだと思うが、その額を知るのが怖くなった。

「良いだろう。そこまで尽くせば、黒闢天の怒りもいずれは収ままるやもしれん。……さあ、掛けられよ」

 紫蘭兄上の表情から険しさが消える。つまり、隆倶殿に対する仕置きは終わりということなのだろう。ゆっくりと立ち上がった隆倶殿が椅子に腰掛ける。紫蘭兄上と隆倶殿の立ち位置が対等に近いものになった。

「ここまで手の込んだことをするとは……。それほどまでに富寧は厄介だったか」
「厄介の塊だった。……己は、目障りに思う者を次々と暗殺していくのに、こちらが少しでも暗殺を企てようものなら、謀叛の疑いをかけ徹底的に処罰していく。……猜疑心の塊で、情などという物を欠片持たぬ男だった」
「富寧は相当の金を吉乃に使い込んでいたが、大丈夫なのか?」
「相当な痛手ではあったが、あの男がこれから皇太子として生きていれば、国庫が尽きるまで使い込んでいた」
「なるほどな」

 永遠に続く苦しみよりは、一時の財政難の方がましだと、そういうことなのだろう。隆倶殿のおもてには、辛苦のあとが深く刻まれている。年頃は紫蘭兄上たちと大して変わらないと思うが、随分と老成した雰囲気を孕んでいた。

 ただ、のうのうと生きてきただけの皇子ではないようだ。すぐ上の兄が富寧であれば、あの男によって散々な目に遭いながら今日まで生きてきたのだろう。私に額づくことぐらいでは、きっと彼の自尊心は傷つかない。

「華蛇と琳の繋がりはどうするつもりだ」
「華蛇は、天瀬の一部になったと聞いたが?」
「情報が早いな。まあ、その通りだ。今後は、華蛇への手出しもやめてくれ」
「心得た。もとより、愚兄と個別の付き合いがあるだけで、琳そのものとは浅い関係しかない部族だ」

 それからは、随分と政治的な話が続いた。私にはもう分からなくなり、ぼうっとしてしまう。色々なことが明かされて、頭が混乱しきっていた。立ち尽くしていた私のもとに椅子が運ばれる。柊弥兄上の指示で、柊弥兄上付きの侍従長が持ってきてくれたのだ。私は感謝を述べてそこに座る。

「……姫宮様」

 椅子に座ってほっと一息ついた直後。隆倶殿が私の方を向いて起立していた。真っすぐな瞳。この人であれば、きっと琳は良い方向へ向くだろうと思わせる眼差しだった。

「愚兄や私のことで、琳を憎んでおられるかもしれませんが、琳という国自体はとても良い国なのです。風光明媚な景色に溢れ、人々は純朴だ。……無理な話であるとは重々承知ですが、琳という国をあまり、嫌わないで頂きたい」

 それは、隆倶殿の必死な懇願だった。きっと、私が琳を嫌ってしまえば、それが黒闢天にも通じ、黒闢天によって災いを齎されると思っているからだろう。そんなことあるわけがないのに随分と信心深いことだ。

 私の機嫌なんて伺わなくても大丈夫ですよ、と伝えたいがきっとそう告げても隆倶殿は喜ばない。私は考えて言葉を選んだ。

「いつか、琳の美しいところを見て回ってみたいです」

 いつになるか分からないけれど、私はいつか琳にも行ってみたい。オルドローズにも行きたい。色々な国に行ってみたいのだ。私の言葉に感極まった様子の隆倶殿は、また額づく姿勢を取った。

 隆倶殿が去り、部屋には兄弟とその侍従だけが残る。紫蘭兄上は己の席についたまま、私は用意された椅子に腰掛けている。柊弥兄上は立ったままで、侍従にお茶の準備をさせ、すぐに私たちのもとに適温の茶が差し出された。

 喉を潤す、少しだけ熱いお茶。茶器は美しい鶯色をしている。兄弟三人揃って、穏やかに茶を飲むなど随分と久しいことだった。

「吉乃。私はずっと、姫宮を姫宮という役目から解き放ちたいと思っていた」

 机の縁に軽くもたれて茶を飲んでいた柊弥兄上が、ふいに口を開いた。柊弥兄上の言葉には、紫蘭兄上も驚いているように見える。

「……けれど、姫宮という仕組みに匹敵するような代替策は、考えても考えても生まれてこなかった」
「柊弥兄上。そのようなことを考えて頂けただけで、私は幸せです」
「私はもっと、吉乃の背負う苦痛を和らげたいんだ」

 私の言葉は柊弥兄上にとって、なんの慰めにもならなかったようだ。首を左右に振って、柊弥兄上は続く言葉を口にする。

「全ての姫宮を救うことは出来ない。……けれど、黒髪の姫宮を、吉乃を救い得る可能性を見つけた」

 机の上に茶器を置き、柊弥兄上が一歩一歩を踏み出す。進んだ先にいたのは私だった。そして、その手が私の髪を少し掬って零していく。弄ばれた私の髪が波を打って揺れた。

「髪を切り、それを下賜する」

 この髪を切って、体を差し出す代わりに髪を与える。つまり、そういうことだ。そんなことを今までに考えた者はいるのだろうか。それほどまでに、突拍子のない案だった。

「髪を切るなどと、正気かお前。神聖な黒の髪なんだぞ」
「吉乃が苦痛を感じながら抱かれるのと、どちらが宜しいですか? 勿論それは、吉乃が決めることですが」

 柊弥兄上の発言に、紫蘭兄上は押し黙る。紫蘭兄上は、髪を切ることに対して良い感情を持っていないようだった。私には、そもそも髪の価値が分からなかった。

「私には……よく分かりません。他人の髪を欲しがる者がいるのですか? しかも、一応は褒賞として下賜する、ということなんですよね……」
「事実、華蛇の先代首長は吉乃が蛍星に与えた黒髪を見て、蛍星のことを信じ命を差し出した。天瀬の民も、吉乃の髪を下賜されたのであれば、家宝にするだろう」
「この髪が、家宝?」

 どうにも信じられないことだった。己の身の一部が、家宝になるなどと誰がそんな妄言に近いことを信じられるというのだろう。私の戸惑いをよそに、柊弥兄上が言葉を続けた。

「神聖で、触れることはもちろん、断ち切るなどもっての外。だからこそ、吉乃の髪は褒賞足り得る価値がある。……論功行賞で褒章の対象となった者に選ばせればいい。一夜を共にするか、それとも髪を受け取るか」

 体か髪か、下賜の対象に選ばせる。それは全くもって新しい試みだった。柊弥兄上は視線を私から紫蘭兄上へと移し、詰め寄る。

「今度の論功行賞で試してみるのは如何ですか、陛下」
「……そう、だな。吉乃の身体的、精神的苦痛が軽減されるのであれば……。畏れ多いことだが、髪を切り、それを与えるという手段を取るのも良いだろう。吉乃はどう思う?」
「私は……、にわかには信じられませんが、この髪に価値があり、体を提供するのと同等の扱いを受けるのであれば、髪を切りたいです。髪はほうっておいても伸びるので、切ったところでどうとも思いません」

 それでも、選ぶのは褒章対象者だ。彼らが私の体を望むのであれば、それに応えなければならない。どれだけの割合で髪が選ばれるのかは分からないが、少しでも体の負担が軽くなれば良いと思ってしまうのは仕方の無いことだった。

「一夜の夢か、手に残る黒か。受賞者たちは悩むだろうな」

 紫蘭兄上はその後に、俺でも悩む、と付け加えて私と柊弥兄上の笑いを誘った。こんな風に笑えている。姫宮の務めについて、兄上たちと笑いながら話せている。

 かつての自分から考えると、想像もつかないことだろう。だが、それが出来ている。人というのは、望むと望まざると変わっていくのだ。それを、成長と呼ぶ者もいるのだろう。


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