82 / 183
◆ 第一章 黒の姫宮
82
しおりを挟む
「だが、ひとつ。ここまでの戦いでお互いに血を流し過ぎた。この戦が、天瀬の勝利であることを確実にしなければならない。その証として、首長および各族長の死を命じる」
蛍星の声が冷徹に響き渡る。その台詞に、驚くような者は誰一人としてこの場にいなかった。皆、分かっているのだ。華蛇の首長ですら理解している。
この戦いは、和睦などで終わってはならないのだ。天瀬が、華蛇などという少数民族と長期の戦闘をして、その結果が有耶無耶になっては周辺国に示しがつかず、国としての沽券にも関わる。
天瀬は、華蛇に勝利し、その上で姫宮奪還のための情報を引き出さなければならなかった。蛍星の発言を、大将は何も言わずに聞いている。同じ気持ちなのだろう。
「お前や、他の部族長が命と情報を差し出し、その代償として華蛇は姫宮と顔を合わせる機会を得る。お前たちにとっては相当分が悪いだろう。……僕は、お前たちの覚悟が見たい。どれだけの対価を支払ってでも、姫宮に会いたいのだという証が見たいんだ」
「……我らの命で、黒の巫女へ近づけるというのなら、迷う余地もない。琳でも天瀬でも構わん。我ら一族に巫女の恩寵を」
華蛇は、いくつかの部族に分かれ、その部族長を束ねるのが首長なのだと右軍大将が俺たちに説明していた。それが正しいのであれば、指導者たちの命を差し出せという要求は過酷なものだった。だが、首長はそれを易々と受け入れる。
華蛇が抱く黒の巫女とやらへの感情は、とても強いものだった。あらゆる死を踏み台にしてここまでやって来たのだということを感じさせる。黒の巫女のおそばへ行けるのなら、死すら恐れない。女や子供が臆することなく立ち向かってきた理由を、察した。
「一度、この話を持ち帰り、部族内で話し合え。時がない。急いでくれよ」
「話し合うまでもない。すぐに戻ってくる」
蛍星は勝手に首長の拘束を解き、馬を与えて走らせた。これで、首長が裏切り、反撃の狼煙を上げれば最悪の事態となるが、そうはならないという確信が俺たちの中にあった。
あの首長は、本当に黒の巫女だけを願っていた。自分がそのお姿を目にすることが出来なくても、一族の悲願を叶えるために命を差し出すのだ。
俺たちの予想通り、数刻もしないうちに、各族長の息子たちが、族長の首を持って現われた。それを右軍大将及び、大将補たちが受け取り検める。
「父らの意思で死を選び、我らの意思で首をお持ちしました」
年若い青年たちが、大将や蛍星の前で膝を折り跪く。その先頭にいたのは、俺の腹部に怪我を負わせたあの赤毛の男だった。その男が声を張り上げ、辺り一帯に響くような声で宣誓する。
「華蛇にとって、黒の巫女に僅かでも近づくことは、一族の長きにわたる悲願。それを叶えられるのなら、数人の死はとても軽い。この首をもって、我らは黒の巫女に忠誠を誓います」
「その忠誠、姫宮の弟であるこの第七王子、蛍星が聞き届けた」
蛍星の承服を受けて、華蛇の一団が深々と頭を下げた。そんな蛍星の姿を見て、俺たちも呆気にとられてしまう。普段は軽い調子で飄々としているのに、今見せている姿はまさしく王族のそれだった。
「……蛍星って本当に王族だったんだな」
「なにそれ。いつも威厳たっぷりでしょ」
「なんていうか……凄いよ、お前は」
「なに、やめてよ。気持ち悪いよ、薫芙」
薫芙と蛍星がじゃれている横で、俺は華蛇の新しい首長と見られる男に近付いた。間違いない。あの戦場で対峙した戦士だ。向こうも俺に気が付いたのか、不敵な笑みを浮かべてこちらにやってくる。
「お前、生きてたんだな」
「……なんとかな」
「俺は親父のあとを継いで首長になった。ラオセンだ」
「俺の名は清玖だ。……自己紹介はもう十分だろう。吉乃はどこにいる」
「吉乃?」
「お前たちが黒の巫女と呼ぶその人の御名前だ」
そんなことも知らないで、こいつは吉乃を狙っていたというのか。抑えきれない怒りが沸々と湧いてくる。如何に、契約であったとしてもこの男を吉乃には会わせたくなかった。
「富寧は、天瀬国内を横断して琳へ戻るんじゃなくて、海岸沿いに停めた船で海を超えて琳へ行くつもりだ」
「海か……! なるほどな。それなら国境の警備隊と衝突せずに済む。天瀬が海上戦術にも弱いというは周辺国も知られていることだ。漁船や商船はあっても、戦いに耐えうる大型船なんて清玄にはない」
天瀬は極東の国で、海のある東側の以東に国はない。つまり、海を隔てて戦をする必要もなく、交易の相手も殆どが陸路で迎える相手ばかりなのだ。海という点において、天瀬は他国より一歩も二歩も遅れている。
「富寧の奴、船の手配は俺たち華蛇に押しつけやがったが、どこの海から出るのかは知らせなかった」
「それでも、逃走路が海と分かっただけでも手がかりになる」
目指すは、国境に近い海岸線。そこを虱潰しに確認していくしかない。吉乃の奪還作戦を任じられた隊は、少数精鋭で結成された。大勢で動いても機動力に駆けるという判断によるものだった。
部隊長は、右軍大将補の一人である天託。そして、俺と蛍星、薫芙。更には、華蛇の首長ラオセンと、その他の部族長。その面々が吉乃のもとへ向かう。
「行こう、兄上の奪還に!」
蛍星の声が冷徹に響き渡る。その台詞に、驚くような者は誰一人としてこの場にいなかった。皆、分かっているのだ。華蛇の首長ですら理解している。
この戦いは、和睦などで終わってはならないのだ。天瀬が、華蛇などという少数民族と長期の戦闘をして、その結果が有耶無耶になっては周辺国に示しがつかず、国としての沽券にも関わる。
天瀬は、華蛇に勝利し、その上で姫宮奪還のための情報を引き出さなければならなかった。蛍星の発言を、大将は何も言わずに聞いている。同じ気持ちなのだろう。
「お前や、他の部族長が命と情報を差し出し、その代償として華蛇は姫宮と顔を合わせる機会を得る。お前たちにとっては相当分が悪いだろう。……僕は、お前たちの覚悟が見たい。どれだけの対価を支払ってでも、姫宮に会いたいのだという証が見たいんだ」
「……我らの命で、黒の巫女へ近づけるというのなら、迷う余地もない。琳でも天瀬でも構わん。我ら一族に巫女の恩寵を」
華蛇は、いくつかの部族に分かれ、その部族長を束ねるのが首長なのだと右軍大将が俺たちに説明していた。それが正しいのであれば、指導者たちの命を差し出せという要求は過酷なものだった。だが、首長はそれを易々と受け入れる。
華蛇が抱く黒の巫女とやらへの感情は、とても強いものだった。あらゆる死を踏み台にしてここまでやって来たのだということを感じさせる。黒の巫女のおそばへ行けるのなら、死すら恐れない。女や子供が臆することなく立ち向かってきた理由を、察した。
「一度、この話を持ち帰り、部族内で話し合え。時がない。急いでくれよ」
「話し合うまでもない。すぐに戻ってくる」
蛍星は勝手に首長の拘束を解き、馬を与えて走らせた。これで、首長が裏切り、反撃の狼煙を上げれば最悪の事態となるが、そうはならないという確信が俺たちの中にあった。
あの首長は、本当に黒の巫女だけを願っていた。自分がそのお姿を目にすることが出来なくても、一族の悲願を叶えるために命を差し出すのだ。
俺たちの予想通り、数刻もしないうちに、各族長の息子たちが、族長の首を持って現われた。それを右軍大将及び、大将補たちが受け取り検める。
「父らの意思で死を選び、我らの意思で首をお持ちしました」
年若い青年たちが、大将や蛍星の前で膝を折り跪く。その先頭にいたのは、俺の腹部に怪我を負わせたあの赤毛の男だった。その男が声を張り上げ、辺り一帯に響くような声で宣誓する。
「華蛇にとって、黒の巫女に僅かでも近づくことは、一族の長きにわたる悲願。それを叶えられるのなら、数人の死はとても軽い。この首をもって、我らは黒の巫女に忠誠を誓います」
「その忠誠、姫宮の弟であるこの第七王子、蛍星が聞き届けた」
蛍星の承服を受けて、華蛇の一団が深々と頭を下げた。そんな蛍星の姿を見て、俺たちも呆気にとられてしまう。普段は軽い調子で飄々としているのに、今見せている姿はまさしく王族のそれだった。
「……蛍星って本当に王族だったんだな」
「なにそれ。いつも威厳たっぷりでしょ」
「なんていうか……凄いよ、お前は」
「なに、やめてよ。気持ち悪いよ、薫芙」
薫芙と蛍星がじゃれている横で、俺は華蛇の新しい首長と見られる男に近付いた。間違いない。あの戦場で対峙した戦士だ。向こうも俺に気が付いたのか、不敵な笑みを浮かべてこちらにやってくる。
「お前、生きてたんだな」
「……なんとかな」
「俺は親父のあとを継いで首長になった。ラオセンだ」
「俺の名は清玖だ。……自己紹介はもう十分だろう。吉乃はどこにいる」
「吉乃?」
「お前たちが黒の巫女と呼ぶその人の御名前だ」
そんなことも知らないで、こいつは吉乃を狙っていたというのか。抑えきれない怒りが沸々と湧いてくる。如何に、契約であったとしてもこの男を吉乃には会わせたくなかった。
「富寧は、天瀬国内を横断して琳へ戻るんじゃなくて、海岸沿いに停めた船で海を超えて琳へ行くつもりだ」
「海か……! なるほどな。それなら国境の警備隊と衝突せずに済む。天瀬が海上戦術にも弱いというは周辺国も知られていることだ。漁船や商船はあっても、戦いに耐えうる大型船なんて清玄にはない」
天瀬は極東の国で、海のある東側の以東に国はない。つまり、海を隔てて戦をする必要もなく、交易の相手も殆どが陸路で迎える相手ばかりなのだ。海という点において、天瀬は他国より一歩も二歩も遅れている。
「富寧の奴、船の手配は俺たち華蛇に押しつけやがったが、どこの海から出るのかは知らせなかった」
「それでも、逃走路が海と分かっただけでも手がかりになる」
目指すは、国境に近い海岸線。そこを虱潰しに確認していくしかない。吉乃の奪還作戦を任じられた隊は、少数精鋭で結成された。大勢で動いても機動力に駆けるという判断によるものだった。
部隊長は、右軍大将補の一人である天託。そして、俺と蛍星、薫芙。更には、華蛇の首長ラオセンと、その他の部族長。その面々が吉乃のもとへ向かう。
「行こう、兄上の奪還に!」
16
あなたにおすすめの小説
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
もう一度言って欲しいオレと思わず言ってしまったあいつの話する?
藍音
BL
ある日、親友の壮介はおれたちの友情をぶち壊すようなことを言い出したんだ。
なんで?どうして?
そんな二人の出会いから、二人の想いを綴るラブストーリーです。
片想い進行中の方、失恋経験のある方に是非読んでもらいたい、切ないお話です。
勇太と壮介の視点が交互に入れ替わりながら進みます。
お話の重複は可能な限り避けながら、ストーリーは進行していきます。
少しでもお楽しみいただけたら、嬉しいです。
(R4.11.3 全体に手を入れました)
【ちょこっとネタバレ】
番外編にて二人の想いが通じた後日譚を進行中。
BL大賞期間内に番外編も完結予定です。
帝に囲われていることなど知らない俺は今日も一人草を刈る。
志子
BL
ノリと勢いで書いたBL転生中華ファンタジー。
美形×平凡。
乱文失礼します。誤字脱字あったらすみません。
崖から落ちて顔に大傷を負い高熱で三日三晩魘された俺は前世を思い出した。どうやら農村の子どもに転生したようだ。
転生小説のようにチート能力で無双したり、前世の知識を使ってバンバン改革を起こしたり……なんてことはない。
そんな平々凡々の俺は今、帝の花園と呼ばれる後宮で下っ端として働いてる。
え? 男の俺が後宮に? って思ったろ? 実はこの後宮、ちょーーと変わっていて…‥。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる