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◆ 第一章 黒の姫宮
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国境警備大隊は、主に二つの中隊に分かれて任務についている。第一中隊は、警邏及び哨戒。常に国境沿いに控え、敵勢力の侵入に備える。国境警備隊の任務は、一般的にこの第一中隊の印象が強く、国境警備大隊の所属だと言えば、いつも国境近くで待機して大変だな、といった具合に声をかけられる。
確かに、俺の所属する第二中隊よりは倍以上に人員を割かれているが、それでも第一中隊が全てではない。第二中隊は、撃退及び撃滅を任務としていた。
第一中隊から、敵勢力に動きありと報らせを受ければ、どこにいても国境へ駆けつけ、武力を持って敵を打ち砕く。一年中国境沿いに控えている第一中隊に比べれば、時間的拘束は少ないが、死傷者が多く出るのは圧倒的に第二中隊だった。その分、武功は上げやすい。
第二中隊の中に、さらに複数の小隊が存在し、その部隊が順番に任務に当たっている。長期間任務に当たった者は、定められた期間休まねばならず、丁度俺の所属する庚隊が今、その休息期間に入っているのだ。
国境を離れ、王都たる清玄に戻って休息期間に入ったとしても、武官たちは特にやることもなく、自主鍛錬に勤しむのが大半だ。
それでは体が休まらないという右軍大将の命で、俺たちには非番というものが設けられている。その非番の日は、鍛錬場に入ることを許されないのだ。のんびり過ごせ、というそういう日が非番だった。
だが、そんな日を作られてしまうと、俺のような人間は何をすれば良いのか分からなくなってしまうのだ。趣味もないし、行きたい場所もない。こういった機会に地方へ帰省する者もいるが、俺の実家はこの清玄にある。帰る必要性も特に感じない。
会いたい人ならばいる。
けれど、その御方はおいそれと会える方ではないのだ。許されることならば、あの方を今すぐ腕に抱き締めて、穏やかに時を過ごしたい。けれど今、俺の手の内にあるのは、使い慣れた俺の剣だけだった。手入れの途中でぼうっとしていた。無意識の中でも俺が考えていたのは、吉乃様のことだった。
ふいに、どんどんと、部屋の扉が叩かれる。兵舎の部屋の扉は、板厚が薄く、軽く叩くだけでも随分と大きい音がするのだ。俺は剣を机の上に置き、扉を開けた。
そこには、衛兵の制服に身を包む兵士が。軽く目礼をした彼は、普段であれば王城の城門前に立っている人物だった。何か用なのだろうか。
「おやすみ中失礼します、庚中将補。門前に人が訪ねてきているのですが」
「人? 誰かが訪ねてくる予定はないが……」
「如何致しましょうか」
「……とりあえず行ってみよう」
俺を訪ねてくる人など、殆どいない。数年前に、親族が亡くなったと母が連絡に来たことはあったが、後にも先にもあれきりだ。こんなところで考えていても仕方のないことだ。ともかく行ってみなければ何も分からない。俺は、置いていた剣を腰に佩いて部屋を出る。
黒珠宮と黒烈殿、右殿や左殿、その他の国の重要施設を擁するこの天瀬王城の城門。入城する者の身分によってくぐることの許される門が異なっている。
俺を呼びに来た衛兵によって、俺は一般市民が通ることを許された門へ導かれる。そこで、美しい佇まいの女性を見つける。彼女がどうやら、来訪者のようであった。
「この方が、庚中将補の清玖様ですよ」
「ありがとうございます。御足労をおかけ致しました」
衛兵は俺に会いに来たという女性にそう言って、去っていく。その女性は衛兵にゆっくりとお辞儀をして見送った。その流れるような所作に、気高さを感じた。
その女性は妙齢の艶麗な人だった。白い髪を一つに結いあげ、穏やかに微笑んでいる。肌に刻まれた年輪でさえ、彼女の魅力のひとつになっている。惹きつけられるような瀟洒な女性だが、俺はこの人に見覚えがなかった。
「……貴女は?」
「私は、昨晩ご利用頂きました宿の主に御座います」
「宿……、宿って……えっ」
宿。つまりは、あの連れ込み宿のことだ。あの宿の主人がこんなに美しい女性であることには驚くが、そんな人が一体何故俺を尋ねてくるのかが、甚だ疑問だった。
「……そ、そうですか……それで、一体どのような御用で私のもとへ?」
「実は……、御二方が宿を出られたあと、こちらで清掃をしていまして。その時に、これらを見つけてしまったのです」
「……これは」
女主人は懐から懐紙を抜き出す。そして、それをそっと開いて見せた。そこには、黒い髪がある程度の本数束ねられている状態で挟まれていた。どこからどうみても吉乃様の黒髪だった。一晩泊まっただけで、これほどまでに髪は抜け落ちるものなのかと驚く量だった。
「これほどまでに尊いものを持っているのも畏れ多く、全てを集められたかは分かりませんが、こちらで確認出来たものは全てお持ちしました」
「それは、わざわざ有難うございます」
「いえいえ、礼には及びません。三の宮様に私どもの宿をお使い頂けたこと、身に余る光栄です。……今後も、何か御座いましたらご利用下さい」
穏やかに微笑んでその女性はそう言うが、何かあったら、というのは、俺と吉乃様が睦みあうことがあれば、というそういう意味だ。俺なんかでは臆して言葉にすら出来ないことを、彼女はさらりと言ってのけた。
「……貴女は俺を不敬とは思われないですか? 俺は、その……宮様と……」
最後まではっきりと言うことが出来なかった。悪辣な罵声を浴びせられることをしているという自覚はあるくせに、実際には罵られることを恐れている。そんな自分の情けない一面に気づいて嫌になる。
「私はしっかりと宮様を拝見した訳では御座いませんが、宿に来られた時の宮様はどこか幸せそうに見えました。……御当人同士が幸福でいらっしゃるのなら、どのような愛であっても寛容に受け入れられるべきだと、私はそう思います」
寛大な台詞に驚いてしまう。ともすれば、吉乃様の怖い侍従長殿に俺は目の敵にされていて、常に悪いことをしているのだという気持ちが付きまとっていた。
そんな中で、思いがけず優しい言葉に巡り合った。驚きを孕んだまま彼女を見つめていると、再びその薄い唇が言葉を紡ぎ始める。
「私の母は、三代前の五の宮様の御寵愛を賜り、私を産みました」
「え……? ……ということは、貴女は」
「血筋で言えば、かつての五の宮様の娘ということになります。しかし、ご存知の通り、天瀬王家では一の宮様以外から生まれた子は王族とは認められませんし、私は父である五の宮様にお会いしたこともありません」
この国の制度が異なれば、庶子の王女になっていたかもしれない婦人が、今俺の目の前に立っていた。驚いていいのやら、戸惑っていいのやら、俺は挙動が不自然になる。
「娼妓であった母のために建てたというあの宿が、私にとっては父の全てなのです」
「そうだったのですね」
「……そんな経緯もありますので、私は貴方様と三の宮様の逢瀬に対して、悪印象は抱きませんよ。七の宮様もそれを分かって、あの夜お二人を私どもの宿へお連れしたのではないでしょうか」
「蛍星もあの宿を利用するんですか?」
「まぁ……そうですね、ちょこちょこ、と。貴方様のお名前も、七の宮様に伺っておりましたので、今日こうして参ることが叶いました」
蛍星は、連れ込み宿に一体何をしに来ているのだろう。否、そんなことを敢えて考えるまでもない。あそこは連れ込み宿なのだ。そういうことだろう。いたいけな少年と思っていたが、それはどうやら俺の思い過ごしらしい。
「二人きりになりたい時がありましたら、どうぞ私どもの宿へお越しくださいね」
そんな言葉だけを残して、美しい婦人は去っていった。きっと、あんな風に市井に置かれている王の血筋を持つ者は何人かいるのだろう。一の宮様の子は皆男しか生まれないが、他の宮様であればその限りではない、とどこかで聞いた噂話が正しかったことを思いがけず知ることとなった。
「……さて、これをどうしたものか」
手に持たされた懐紙を見て、俺は思案する。これを返す相手は、間違いなくあの侍従長殿だろう。だが、俺はあまり彼が得意ではない。なんとか、直接渡さずに済む方法はないだろうか。
城門から右殿へ戻る帰途の上で、歩きながら俺はぼんやりと考える。不意に、俺はひどく好戦的な気配を感じ取った。
厳しい視線を送ってくる見慣れない黄金色の髪を持つ男が、こちらに向かって歩いてくる。何故そんなに殺意の籠った目なのかと訝しく思うと同時に、この殺意には身に覚えがあった。そして合点がいく。
「葉桜……?」
吉乃様付きの近衛である葉桜だ。今まで会うときには、葉桜は近衛の装束をまとっていて姿はよく分からなかったが、その殺意で気付いた。
「……気安く名を呼ぶな」
お互いに一定の距離を取った状態で向き合う。俺は、葉桜が怒りのままに俺に刃を向けることを警戒してのこの距離だ。だが、葉桜にとっても、これは抜刀しやすい位置になっていた。
「今日は宮様のお側にいなくてもいいのか」
「一応近衛にも非番というものは存在する。別に、好んで宮様から離れているわけではない。休息も任務の内だ。……そういう貴様こそ、さっさと国境へ戻ったらどうだ」
「あいにく、俺の所属は第二中隊だ」
「ならばさっさと戦場で討ち死にすることだな」
どうやら葉桜も強制非番で時間を潰しているようだった。吉乃様のそばにいられないことに苛立っているのか、普段よりも殺意の度が強い。まったくもって物騒な奴ではあるが、丁度いい時に俺の側を通りがかってくれた。これ幸いと、俺は懐紙を葉桜に向けて差し出す。
「これを、侍従長殿に渡してもらいたい。俺にはこれをどうすれば良いか分からないんだ」
懐紙を受け取り、中を検めた葉桜は一瞬、驚いたように目を見開いて、そしてそっと懐紙を懐にしまった。
「……何故尊いものがこんなところにあるんだ」
「いや……、それは……昨日……」
「そういうことか、分かった。それ以上喋るな。理解した。昨日、俺は宮様の護衛についていた。貴様が宮様をあのような下賎な宿に連れて行ったことは承知している」
「そ、そうか」
一体、近衛というのはどこまで把握しているのだ。俺と吉乃様が何をしたのかも全て知られているのだろうか。嫌な汗が身体中から噴出している。俺は今すぐこの場所を離れたい。
「貴様には、どこまでの覚悟があるのだ」
葉桜の声には苛立ちと、そして歯痒さが含まれているように感じた。何よりも強いのは、俺に対する明確な殺意。葉桜は、俺のことが気に食わなくて仕方ないのだろう。己の手で触れられない吉乃様に、俺の手が触れる。それが何よりも許せないのだ。
「姫宮となられる宮様をお守り出来るのか」
確かに、俺の所属する第二中隊よりは倍以上に人員を割かれているが、それでも第一中隊が全てではない。第二中隊は、撃退及び撃滅を任務としていた。
第一中隊から、敵勢力に動きありと報らせを受ければ、どこにいても国境へ駆けつけ、武力を持って敵を打ち砕く。一年中国境沿いに控えている第一中隊に比べれば、時間的拘束は少ないが、死傷者が多く出るのは圧倒的に第二中隊だった。その分、武功は上げやすい。
第二中隊の中に、さらに複数の小隊が存在し、その部隊が順番に任務に当たっている。長期間任務に当たった者は、定められた期間休まねばならず、丁度俺の所属する庚隊が今、その休息期間に入っているのだ。
国境を離れ、王都たる清玄に戻って休息期間に入ったとしても、武官たちは特にやることもなく、自主鍛錬に勤しむのが大半だ。
それでは体が休まらないという右軍大将の命で、俺たちには非番というものが設けられている。その非番の日は、鍛錬場に入ることを許されないのだ。のんびり過ごせ、というそういう日が非番だった。
だが、そんな日を作られてしまうと、俺のような人間は何をすれば良いのか分からなくなってしまうのだ。趣味もないし、行きたい場所もない。こういった機会に地方へ帰省する者もいるが、俺の実家はこの清玄にある。帰る必要性も特に感じない。
会いたい人ならばいる。
けれど、その御方はおいそれと会える方ではないのだ。許されることならば、あの方を今すぐ腕に抱き締めて、穏やかに時を過ごしたい。けれど今、俺の手の内にあるのは、使い慣れた俺の剣だけだった。手入れの途中でぼうっとしていた。無意識の中でも俺が考えていたのは、吉乃様のことだった。
ふいに、どんどんと、部屋の扉が叩かれる。兵舎の部屋の扉は、板厚が薄く、軽く叩くだけでも随分と大きい音がするのだ。俺は剣を机の上に置き、扉を開けた。
そこには、衛兵の制服に身を包む兵士が。軽く目礼をした彼は、普段であれば王城の城門前に立っている人物だった。何か用なのだろうか。
「おやすみ中失礼します、庚中将補。門前に人が訪ねてきているのですが」
「人? 誰かが訪ねてくる予定はないが……」
「如何致しましょうか」
「……とりあえず行ってみよう」
俺を訪ねてくる人など、殆どいない。数年前に、親族が亡くなったと母が連絡に来たことはあったが、後にも先にもあれきりだ。こんなところで考えていても仕方のないことだ。ともかく行ってみなければ何も分からない。俺は、置いていた剣を腰に佩いて部屋を出る。
黒珠宮と黒烈殿、右殿や左殿、その他の国の重要施設を擁するこの天瀬王城の城門。入城する者の身分によってくぐることの許される門が異なっている。
俺を呼びに来た衛兵によって、俺は一般市民が通ることを許された門へ導かれる。そこで、美しい佇まいの女性を見つける。彼女がどうやら、来訪者のようであった。
「この方が、庚中将補の清玖様ですよ」
「ありがとうございます。御足労をおかけ致しました」
衛兵は俺に会いに来たという女性にそう言って、去っていく。その女性は衛兵にゆっくりとお辞儀をして見送った。その流れるような所作に、気高さを感じた。
その女性は妙齢の艶麗な人だった。白い髪を一つに結いあげ、穏やかに微笑んでいる。肌に刻まれた年輪でさえ、彼女の魅力のひとつになっている。惹きつけられるような瀟洒な女性だが、俺はこの人に見覚えがなかった。
「……貴女は?」
「私は、昨晩ご利用頂きました宿の主に御座います」
「宿……、宿って……えっ」
宿。つまりは、あの連れ込み宿のことだ。あの宿の主人がこんなに美しい女性であることには驚くが、そんな人が一体何故俺を尋ねてくるのかが、甚だ疑問だった。
「……そ、そうですか……それで、一体どのような御用で私のもとへ?」
「実は……、御二方が宿を出られたあと、こちらで清掃をしていまして。その時に、これらを見つけてしまったのです」
「……これは」
女主人は懐から懐紙を抜き出す。そして、それをそっと開いて見せた。そこには、黒い髪がある程度の本数束ねられている状態で挟まれていた。どこからどうみても吉乃様の黒髪だった。一晩泊まっただけで、これほどまでに髪は抜け落ちるものなのかと驚く量だった。
「これほどまでに尊いものを持っているのも畏れ多く、全てを集められたかは分かりませんが、こちらで確認出来たものは全てお持ちしました」
「それは、わざわざ有難うございます」
「いえいえ、礼には及びません。三の宮様に私どもの宿をお使い頂けたこと、身に余る光栄です。……今後も、何か御座いましたらご利用下さい」
穏やかに微笑んでその女性はそう言うが、何かあったら、というのは、俺と吉乃様が睦みあうことがあれば、というそういう意味だ。俺なんかでは臆して言葉にすら出来ないことを、彼女はさらりと言ってのけた。
「……貴女は俺を不敬とは思われないですか? 俺は、その……宮様と……」
最後まではっきりと言うことが出来なかった。悪辣な罵声を浴びせられることをしているという自覚はあるくせに、実際には罵られることを恐れている。そんな自分の情けない一面に気づいて嫌になる。
「私はしっかりと宮様を拝見した訳では御座いませんが、宿に来られた時の宮様はどこか幸せそうに見えました。……御当人同士が幸福でいらっしゃるのなら、どのような愛であっても寛容に受け入れられるべきだと、私はそう思います」
寛大な台詞に驚いてしまう。ともすれば、吉乃様の怖い侍従長殿に俺は目の敵にされていて、常に悪いことをしているのだという気持ちが付きまとっていた。
そんな中で、思いがけず優しい言葉に巡り合った。驚きを孕んだまま彼女を見つめていると、再びその薄い唇が言葉を紡ぎ始める。
「私の母は、三代前の五の宮様の御寵愛を賜り、私を産みました」
「え……? ……ということは、貴女は」
「血筋で言えば、かつての五の宮様の娘ということになります。しかし、ご存知の通り、天瀬王家では一の宮様以外から生まれた子は王族とは認められませんし、私は父である五の宮様にお会いしたこともありません」
この国の制度が異なれば、庶子の王女になっていたかもしれない婦人が、今俺の目の前に立っていた。驚いていいのやら、戸惑っていいのやら、俺は挙動が不自然になる。
「娼妓であった母のために建てたというあの宿が、私にとっては父の全てなのです」
「そうだったのですね」
「……そんな経緯もありますので、私は貴方様と三の宮様の逢瀬に対して、悪印象は抱きませんよ。七の宮様もそれを分かって、あの夜お二人を私どもの宿へお連れしたのではないでしょうか」
「蛍星もあの宿を利用するんですか?」
「まぁ……そうですね、ちょこちょこ、と。貴方様のお名前も、七の宮様に伺っておりましたので、今日こうして参ることが叶いました」
蛍星は、連れ込み宿に一体何をしに来ているのだろう。否、そんなことを敢えて考えるまでもない。あそこは連れ込み宿なのだ。そういうことだろう。いたいけな少年と思っていたが、それはどうやら俺の思い過ごしらしい。
「二人きりになりたい時がありましたら、どうぞ私どもの宿へお越しくださいね」
そんな言葉だけを残して、美しい婦人は去っていった。きっと、あんな風に市井に置かれている王の血筋を持つ者は何人かいるのだろう。一の宮様の子は皆男しか生まれないが、他の宮様であればその限りではない、とどこかで聞いた噂話が正しかったことを思いがけず知ることとなった。
「……さて、これをどうしたものか」
手に持たされた懐紙を見て、俺は思案する。これを返す相手は、間違いなくあの侍従長殿だろう。だが、俺はあまり彼が得意ではない。なんとか、直接渡さずに済む方法はないだろうか。
城門から右殿へ戻る帰途の上で、歩きながら俺はぼんやりと考える。不意に、俺はひどく好戦的な気配を感じ取った。
厳しい視線を送ってくる見慣れない黄金色の髪を持つ男が、こちらに向かって歩いてくる。何故そんなに殺意の籠った目なのかと訝しく思うと同時に、この殺意には身に覚えがあった。そして合点がいく。
「葉桜……?」
吉乃様付きの近衛である葉桜だ。今まで会うときには、葉桜は近衛の装束をまとっていて姿はよく分からなかったが、その殺意で気付いた。
「……気安く名を呼ぶな」
お互いに一定の距離を取った状態で向き合う。俺は、葉桜が怒りのままに俺に刃を向けることを警戒してのこの距離だ。だが、葉桜にとっても、これは抜刀しやすい位置になっていた。
「今日は宮様のお側にいなくてもいいのか」
「一応近衛にも非番というものは存在する。別に、好んで宮様から離れているわけではない。休息も任務の内だ。……そういう貴様こそ、さっさと国境へ戻ったらどうだ」
「あいにく、俺の所属は第二中隊だ」
「ならばさっさと戦場で討ち死にすることだな」
どうやら葉桜も強制非番で時間を潰しているようだった。吉乃様のそばにいられないことに苛立っているのか、普段よりも殺意の度が強い。まったくもって物騒な奴ではあるが、丁度いい時に俺の側を通りがかってくれた。これ幸いと、俺は懐紙を葉桜に向けて差し出す。
「これを、侍従長殿に渡してもらいたい。俺にはこれをどうすれば良いか分からないんだ」
懐紙を受け取り、中を検めた葉桜は一瞬、驚いたように目を見開いて、そしてそっと懐紙を懐にしまった。
「……何故尊いものがこんなところにあるんだ」
「いや……、それは……昨日……」
「そういうことか、分かった。それ以上喋るな。理解した。昨日、俺は宮様の護衛についていた。貴様が宮様をあのような下賎な宿に連れて行ったことは承知している」
「そ、そうか」
一体、近衛というのはどこまで把握しているのだ。俺と吉乃様が何をしたのかも全て知られているのだろうか。嫌な汗が身体中から噴出している。俺は今すぐこの場所を離れたい。
「貴様には、どこまでの覚悟があるのだ」
葉桜の声には苛立ちと、そして歯痒さが含まれているように感じた。何よりも強いのは、俺に対する明確な殺意。葉桜は、俺のことが気に食わなくて仕方ないのだろう。己の手で触れられない吉乃様に、俺の手が触れる。それが何よりも許せないのだ。
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