下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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「宮様! 宮様、お気を確かに!」

 侍従長殿のそんな悲鳴にも似た声が響き渡り、俺も蛍星も剣を止めた。そして自然と視線は声のした方へ。そこには崩れ落ち己の侍従に支えられている三の宮様が。その光景に俺たちは言葉を無くし、全身の血の気が引くのを感じた。慌てて剣を収め、宮様に駆け寄る。

「え、兄上どうしちゃったの!?」
「それが……卒倒なされたようで」
「そっとうって何、病気!?」
「いえ、そうではなく……七の宮様の手合せが宮様には刺激が強かったようで」
「え!? この程度で!?」

 蛍星の驚きは、武官である俺たちとしては尤もなものだった。けれど、よくよく考えれば、三の宮様は武術や剣術とは程遠いところにおられる方だ。俺の首筋から流れている血や、蛍星の腹を伝う血に卒倒されても不思議はなかった。

 これくらいの怪我は日常茶飯事だし、手合わせの時でも当然、死に至らぬよう手加減はする。お互いの怪我は放っておけば勝手に治る程度のものだった。だがその判断を三の宮様が出来るわけがない。

「とりあえずどこか、宮様を休ませられるところへ」
「医務室は右殿にもあるが、少々遠い」

 侍従長殿の傍らでそう助言したのは右軍大将の鴻凱様だった。大将の言う通り、医務室はどちらかといえば右殿の正門に近く、運べないこともないが、ここからでは最も距離がある。

「じゃあ、兵舎の僕の部屋……は、ちょっと駄目だ……今は、兄上を寝かせられる状況じゃ……」
「蛍星、お前また片付けしてないのか」
「う、うるさいな! そこそこ綺麗だけど、兄上をお招きできる状態じゃないってこと! こうなったらもう、清玖の部屋にしよう!」
「おい! なんで俺の部屋なんだ!?」
「どこだろうと、誰の部屋だろうと構いませんので、一刻も早く一寸でも近く、宮様を寝かせられる場所を御提供願います」

 俺と蛍星の言い争いを終わらせたのは、侍従長殿の突き刺さるような一言だった。侍従長殿としても早く宮様を寝かせて差し上げたいのだろう。それを俺たちがぐだぐだと時間を浪費したために冷ややかに腹を立てていらっしゃるのだ。

「……俺の部屋で良ければ、御使用下さい」

 そう言う以外、俺に選択肢はあったのだろうか。かくして、宮様を俺の部屋にお連れすることになった。宮様は蛍星の強い希望で、蛍星が抱えてお運びした。横抱きにされ、軽々と弟に抱き上げられている光景を、宮様が見ずに済んだのは不幸中の幸いかもしれない。

 後は頼んだ、といって大将は去ってしまう。このような事態が一の宮様のお耳に入ったら大将を咎めるのでは、とも思ったが一の宮様がそのようなお人柄ではないことは俺でも分かった。

 昨夜、そのお人柄に触れ、一の宮様のことが少しだけ分かったように思う。きっと一の宮様は、それくらいで情けないぞ吉乃、とそんな調子で豪快に笑われるのだろう。

 天瀬の王族の方々は他国でよくある王族のように、過剰な尊大さを見せたりはしない。民と近い心で、とても自然な空気を纏い接して下さる。勿論、王族としての威厳を持たれているが、それは人心を圧迫するようなものではないのだ。

 俺の部屋へ宮様をお連れして、質素な寝台に横たえる。兵舎にいる時は、日々小まめに掃除をしていたのだ。そんな自分の習慣を心の底から褒めたいと思った。

 侍従長殿が厳しい目で部屋の隅々を確認されている。少しでも汚ければ、きっとこの方は別の場所を、と仰るのだろう。なんとか侍従長殿から及第点が貰えたようで、彼は水を貰ってくると部屋を出て行った。

 本来であれば宮様のお側にいたいのだろうけれど、宮様が口にされる水を他人に用意させるなどという不用心なことも出来ないのだ。それに、ここには三の宮様の弟君である七の宮様もいらっしゃる。この状況であれば、自分が場を離れても大丈夫だろうという判断で、侍従長殿が部屋を辞した。

 だというのに、今度は蛍星が、血が付いてて目覚めた宮様が驚くといけないからと言い出す。そして、服を着替えに行ってくると去ってしまったのだ。

 着替えの服くらい俺が取りに行くというのに。俺が止める間もなく行ってしまった。出来れば蛍星には、侍従長殿が帰ってくる前に帰ってきてほしい。あの人と二人きりになるのが怖かった。

 普段、自分が横になっている寝台の上に宮様がいらっしゃる。その光景があまりにも現実から乖離していて、俺は亡羊と化してしまった。寝台の側に椅子を持ち寄り、宮様の安眠を見守る。

「……ぅ、ん」

 鼻から抜ける微かな声。宮様のそんな声に俺は驚いて、慌てて椅子から立ち上がった。ガタ、という大きな音を出してしまい、尚のこと慌ててしまう。静かにしていようと思ったのに、随分と無様な音を生んでしまった。

「……宮様、気が付かれましたか……?」

 薄く目を開いた宮様がゆっくりと俺を見る。戸惑いながらも、俺は静かに声をかけて見る。宮様の黒い双眸に己の姿が映っているのがくっきりと見えた。そしてゆっくりと、その薄い瞼がゆるやかに弧を描く。美しい笑みだった。

「……吉乃だと、言っただろう……」

 いつまでも宮様と呼んでしまう俺を、宮様が優しく窘める。そして、ゆっくりと宮様の手が俺の方に伸ばされた。その御手にどのように対処すれば良いのか分からず俺は戸惑う。戸惑いを抱いたまま、その手に触れ、両の手で華奢な手を包んだ。

「申し訳御座いません。……吉乃様」
「あぁ……それで良い、そう呼んでくれ」

 嬉しそうに吉乃様が微笑んだ。名を呼ぶ。たったそれだけのことで、これほどまでに喜んでもらえるなんて。これから、というものが俺と吉乃様の間に存在するのかは分からないが、今後は何度でも名を呼んで差し上げようと思った。

「御気分は如何ですか?」
「……大丈夫。少し……お前たちの手合わせに驚いてしまった」
「やりすぎました。申し訳ありません」
「怪我は、大丈夫なのか?」
「ええ、これしき。何ということはありません」
「武人というのはそういうものなのだな……これでまたひとつ、私の世界が広がった」

 穏やかにそう呟いた吉乃様の表情は、微かに興奮しているようだった。世界が広がるというその言葉に、俺は改めてこの御方が宮様方の中でも特異なお立場にあるのだと理解する。

「ところで、ここはどこだ?」
「私の部屋です。汚らしい場所で申し訳ありません」
「いや、汚いとは思わないが……そうか、ここが清玖の……」

 嬉々とした目で、宮様の目が室内を隈なく探る。衣装箪笥や文机、武具やら何やら。面白みのあるものは皆無で、ひとつとして吉乃様の瞳に映すに値しないものばかりだ。

 けれど、吉乃様にとっては真新しいものばかりなのだろう。好奇心を隠さない吉乃様の瞳に私物をじろじろと見られ、少々恥ずかしさを抱く。だが、吉乃様の好きなようにして頂こうと思った。身を起こそうとする吉乃様の背を支える。

「蛍星もこのような部屋に住んでいるのか?」
「構造的には同じような部屋ですね。ただ、少々物が多いといいますか……」
「ああ、蛍星は部屋を汚くする天才だからな。どのような有様になっているかは、想像に難くない」
「黒珠宮にいた頃もそんな調子だったのですね」
「侍従たちを困らせる才に溢れていたよ」

 二人して、小さく声を漏らし笑った。侍従たちが手を焼く光景が容易く想像できた。そして、はっと驚く。俺はとても自然に宮様と笑い合っていた。まさか、こんな僥倖が己の人生に訪れるとは。

「清玖、こちらへ」

 そう言って吉乃様のがぽんぽんと叩いたのは、吉野様の隣だった。寝台に、二人で並んで座ろうと、そう言う提案だった。流石にその申し出には即答出来ず、どうしたもの尻込みする。だが、その隙に手首を掴まれてしまった。そして引かれ、結局は吉乃様の望んだ形に帰結する。

「今日、実はここに来るまで、自分の選択が正しかったのか分からなかった」
「選択……ですか?」
「あぁ。右殿の正門前では足が竦んだし、緊張もした。二人の手合わせを見て、結果、このような無様を晒してしまった」
「無様などということは……」
「いや、情けない王子だと、そう思った者もいるだろう」

 そんなことを思った者はあの場には存在しないと俺は断言出来る。むしろ、これほどまでに繊細な宮様なのだから我々がお守りせねば、と決意を新たにした者の方が圧倒的に多いはずだ。

 けれど、どれほど言葉を尽くして説明を重ねても吉乃様には信じて頂けなさそうだと判断し、俺は余計な言葉で吉乃様の話の腰を折らないよう口を閉ざした。

「でも……やはり、ここに来て良かった。私は今、こんなにも楽しい」


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