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「ノウェ、起きてるか?」
胸に掛かる温もりを感じて、その名前を呼んだ。朝食をベッドの上で食べる習慣は随分と前から始まったが、いつからか、ノウェはベッドに腰掛ける俺の足の間に入って、俺の胸に背中を預けるような姿勢になっていた。
「……ノウェ?」
なかなか、すっきりと目覚めることの出来ないノウェは、その体勢でうつらうつらと舟を漕ぎ始める。俺の足の間に入ってくるのは、もっと寝ていたいという気持ちの表れなのかもしれない。
まだ半分夢の中にいるノウェだが、ポリッジの乗ったスプーンを口元に近づければ口を開いて咀嚼するのだ。そんな状態のノウェは、悶絶してしまうほどに可愛い。俺にとって、朝の癒しだった。
「……起きてる」
声を掛けてから随分と間があってから、返事が帰ってきた。あくびを噛み砕きながら、ノウェは目をこする。起きていると言いながらも、また再び眠りに落ちてしまいそうだ。
「本当にノウェはよく寝るな」
「だって……ほら、冬眠の時期だから」
「なるほど」
よく分からない言い訳を口にするノウェも可愛らしい。二度寝をしてしまいそうなノウェだが、ポリッジを向ければきちんと食べる。俺は面白くて、ノウェにばかりスプーンを差し向けた。
長く赤い髪がベッドにまで流れ落ちている。美しい夕日の色。俺だけの太陽。そんなことを言えば、気障なことを言いやがって、とノウェに睥睨されることだろう。だけれど、本当に美しいのだ。
「ヴィル、もうお腹いっぱい」
「もう? いつもはもう少し食べてるだろ」
「そんなことない。今日のヴィルは俺にばっかり食べさせてる。もういらない」
ついつい多くノウェの口元に朝食を運び過ぎていたようだ。ノウェがふい、と顔を反らす。どこか、とげとげとした態度と言葉ではあるけれど、それがノウェの甘えだということを俺はよく知っているのだ。
ノウェは、きちんとした態度を取ることも当然出来る。先帝であるアリウス様の前では、立派な皇妃としてふるまっている。侍従イェルマの前では、兄を慕う弟のような無邪気な表情を見せる。親しくなったアナスタシアには、友のような対等な姿勢を示す。
つまり、対する相手によって態度が違うのだ。意図しているわけではないのだろう。無意識であることは、ノウェの様子を見ていれば分かる。ノウェは自然と、そのような切り替えをしているようだった。
そして俺に対する時は、素直じゃないところがあるにせよ、甘えた態度を見せる。何を言っても、何をしてもこいつは怒ったり叱ったりしないんだ、という絶対的な信頼の上に立つ甘えを見せるのだ。イェルマがどれだけノウェを甘やかそうとも、イェルマに食事を食べさせろ、などと命じてる姿は見たことが無い。
敬愛する兄であるイェルマの前では、一人前の男であるように振舞わなければ、というノウェの努力が見える。だが、俺にはそれがない。甘えられるだけ甘えて、頼るだけ頼ってくる。けれど、気分が乗らなければ袖にする。まるで気まぐれな猫だった。俺だけの、可愛い猫だ。
「今日も雪降ってる。……つまらないなぁ」
「雪が降り始めた頃は、楽しそうだったじゃないか。もう雪だるまは作らないのか?」
「雪だるまはもう良い。手が痒くなって大変だった」
「手袋を着けないからだろう」
リオライネンの帝都、リオネルはクユセンに比べれば積雪が多い。日によっては膝下まで雪が積もることもある。一方で、クユセンは雪が降ること自体も少なく、降ったとしてもさほど積もらないのだそうだ。
朝、目が覚めて積雪に気が付いた時の、目を輝かせて驚くノウェの姿は今でも俺の脳裏に刻み込まれている。あの姿を永遠にしたくて、絵師に描かせたいと一瞬思ったが、その可愛らしい姿を絵師にも、他の誰にも見られたくは無かったので断念した。
「とにかく、もう雪だるまは作らない。……早く暖かくならないかなぁ」
「暖かくなるまでには、もう暫く掛かるだろうな」
「馬に乗りたい」
「もう少し辛抱してくれ」
馬は、暑さよりは寒さに強い。だから馬たちの状態として言えば、今の季節だって走り出せるのだろう。だが、開発局の草地は水はけが悪く、一度雪が積もって、それが溶け出すと一帯がぬかるみになってしまうのだ。そんな場所ではノウェを走らせることなど出来ない。
乗馬の許可を下ろさない俺を憎むことなく、仕方ないか、と納得してくれるノウェに感謝を伝える。何かノウェの退屈を紛らわせられるものがあれば良いのだけれど。未だにアナスタシアが貸す本は読んでいるようで、一日の大半をノウェは読書に費やしていた。
「陛下、宜しいでしょうか」
扉を軽く叩く音。それはイーヴァンの声だった。この時間帯が、夫婦の朝の時間であることをよく理解しているイーヴは、通常であれば扉をノックなどしない。重要な案件があったとしても、火急の用でなければ俺の執務の時間まで待ってくれる。
だが、待てない事案が発生したのだろう。足の間に収まっているノウェも、扉を叩く音は聞こえていたようだ。一体何なのか、と疑問符を掲げながら俺を見上げてくる。
「……すまない、ノウェ」
「別に、謝ることじゃないだろ」
ノウェは、務めをしっかりと果たさない者が嫌いだ。皇帝なんだからしっかりしろ、とよく檄を飛ばされる。だからこそ、皇帝としての務めを果たそうとする俺を責めたりはしない。そもそも、夫婦の時間を邪魔されたとしても、きっとノウェは不満など抱かないのだ。
そのあたりを、俺はちゃんと弁えている。俺がノウェへ向ける感情と同じものを、ノウェが俺に返してくれているわけではない。ノウェは俺の重い慕情を受け止めてくれているだけ。一方通行なのだ。履き違えてなどいない。俺は正しく現状を理解している。
離れがたい思いでノウェから離れ、ガウンを羽織って廊下へと出る。すでに身支度を整えた姿のイーヴァンが廊下に立っていた。
「どうした」
「夫婦水入らずのところ悪いな」
「その時間を邪魔するに値する事態なんだろ」
「あぁ」
軽薄な表情を浮かべることの多いイーヴだったが、その時は少しばかり青ざめたおもてをしていた。ここ最近は穏やかな日々が続いていたのだが、どうやら穏やかとは対極に位置する事案が発生したようだ。
「旧フェルカー邸が全焼した」
「……何故だ。あの邸宅は、すでに別の貴族の管理下じゃなかったか」
「あぁ、そうだ。だが、今は無人だった。無人のはずの屋敷が勝手に燃えて、そこから……ルイーゼ・フェルカーの遺体が発見された」
ルイーゼ・フェルカー。俺とイーヴァン、そして先帝のアリウス様が持てる情報網全てを使って追跡していた女。ずっと見つからないとは思っていたが、まさか死体として発見されるとは。
「自殺か?」
「可能性はある。……だが、遺体は随分と燃えていて、体格と性別くらいでしか、識別が出来ない」
「身代わりの可能性は?」
「もちろんあるだろうな」
焼死は厄介なのだ。人の体はどうやら、激しい炎に包まれると炭のようなものになってしまう。そうなってしまえば、それが誰であったかを知ることは、非常に困難なものになるのだ。
「だが、屋敷が燃える数時間前に、ルイーゼが目撃されたという証言がいくつもあがっている。少なくとも、ルイーゼ・フェルカーはあの場にいたんだ。……焼死体の判別は、難しい。状況的に見て、ルイーゼ・フェルカーだろうと推測するしかない」
「つまり今、確実に真実だと言えるのは、旧フェルカー邸が燃えたということと、そこからルイーゼ・フェルカーらしき女の焼死体が上がったということだけなんだな」
「そういうことになる」
ルイーゼ・フェルカーの身柄を押さえ、企てがあれば適切に罰し、その後でノウェの帰郷の願いを叶えようと思っていたのだ。だが、このような状況になってしまうと判断が難しくなる。
「燃えた死体をなんとか判別する方法は無いのか」
「ない。いつかは、丸焦げで炭になったような遺体でも、どこの誰なのかを知る手段が見つかるのかもしれないが、今はどの国の技術でも分からない」
「……そうか」
どれだけ科学が進歩しても、手が届かない領域がある。歯痒いが、どうにもならないものは、どうにもならないのだ。小さく溜息を漏らした俺の肩を、イーヴァンがぽんと軽く叩いた。
「とりあえず伝えておいた方がいいと思って来ただけだ。詳しい話は、またあとにしよう。千眼から集めた情報をまとめておく」
「あぁ、そうしてくれ」
何故、ルイーゼは命を絶ったのだろか。姉ゾフィーの証言では、妹は無関係ということだった。その言葉を信じるのであれば、ルイーゼが死ぬ必要はない。父や姉の大罪によって家が取り潰され、絶望しての自死なのだろうか。だが、そんな殊勝な人格ではなかったように思える。
「ヴィル?」
ノウェの声が聞こえて、意識が現へと戻った。はっとして周囲を見れば、隣には不思議そうな顔で俺を見上げるノウェがいる。どうやら俺は廊下から再び寝室に戻って、ベッドの上に腰を下ろしていたようだ。全く気付かなかったことに驚く。
「何かあったのか」
「いや……、なんでもない。大丈夫だよ」
ノウェには、伝えたくない。毒殺未遂事件の首魁であるゾフィー・フェルカーのことは軽く話したけれど、フェルカー侯爵のことは告げていないし、知って欲しくない。それと同様に、ルイーゼのことも黙っておくつもりだった。ノウェの穏やかな時間を壊すような事案を、敢えて伝える意味はないと思うからだ。
「本当に大丈夫か? また怖い顔になってたけど」
「怖い顔? すまない……、そんな顔をしているつもりではなかった。怖がらせただろうか」
「お前の顔なんかで俺が怖がるわけないだろ」
憤慨したノウェが、乱暴にスプーンを向けてくる。湯気がわずかに立つポリッジが乗ったスプーンだ。俺がノウェの口元にポリッジを運ぶことはあったけれど、その逆は今まで無かった。心の中が喜びで染まる。
「しっかり食べて、今日も頑張れ」
ノウェが差し出してくれるスプーンのポリッジを、有難く口に入れながら、俺は多幸感に満たされていた。ノウェに応援してもらえるのであれば、何時間でも働き続けることが出来る。
知らず知らずのうちに、ノウェは皇妃としての務めを果たしている。それは、皇帝を支えるということ。俺はノウェの一言があればどれだけでも頑張れる。ノウェに褒められたい、認めて欲しい。そんな気持ちが、いつも俺の中には潜んでいるのだ。
「ありがとう、頑張ってくるよ」
胸に掛かる温もりを感じて、その名前を呼んだ。朝食をベッドの上で食べる習慣は随分と前から始まったが、いつからか、ノウェはベッドに腰掛ける俺の足の間に入って、俺の胸に背中を預けるような姿勢になっていた。
「……ノウェ?」
なかなか、すっきりと目覚めることの出来ないノウェは、その体勢でうつらうつらと舟を漕ぎ始める。俺の足の間に入ってくるのは、もっと寝ていたいという気持ちの表れなのかもしれない。
まだ半分夢の中にいるノウェだが、ポリッジの乗ったスプーンを口元に近づければ口を開いて咀嚼するのだ。そんな状態のノウェは、悶絶してしまうほどに可愛い。俺にとって、朝の癒しだった。
「……起きてる」
声を掛けてから随分と間があってから、返事が帰ってきた。あくびを噛み砕きながら、ノウェは目をこする。起きていると言いながらも、また再び眠りに落ちてしまいそうだ。
「本当にノウェはよく寝るな」
「だって……ほら、冬眠の時期だから」
「なるほど」
よく分からない言い訳を口にするノウェも可愛らしい。二度寝をしてしまいそうなノウェだが、ポリッジを向ければきちんと食べる。俺は面白くて、ノウェにばかりスプーンを差し向けた。
長く赤い髪がベッドにまで流れ落ちている。美しい夕日の色。俺だけの太陽。そんなことを言えば、気障なことを言いやがって、とノウェに睥睨されることだろう。だけれど、本当に美しいのだ。
「ヴィル、もうお腹いっぱい」
「もう? いつもはもう少し食べてるだろ」
「そんなことない。今日のヴィルは俺にばっかり食べさせてる。もういらない」
ついつい多くノウェの口元に朝食を運び過ぎていたようだ。ノウェがふい、と顔を反らす。どこか、とげとげとした態度と言葉ではあるけれど、それがノウェの甘えだということを俺はよく知っているのだ。
ノウェは、きちんとした態度を取ることも当然出来る。先帝であるアリウス様の前では、立派な皇妃としてふるまっている。侍従イェルマの前では、兄を慕う弟のような無邪気な表情を見せる。親しくなったアナスタシアには、友のような対等な姿勢を示す。
つまり、対する相手によって態度が違うのだ。意図しているわけではないのだろう。無意識であることは、ノウェの様子を見ていれば分かる。ノウェは自然と、そのような切り替えをしているようだった。
そして俺に対する時は、素直じゃないところがあるにせよ、甘えた態度を見せる。何を言っても、何をしてもこいつは怒ったり叱ったりしないんだ、という絶対的な信頼の上に立つ甘えを見せるのだ。イェルマがどれだけノウェを甘やかそうとも、イェルマに食事を食べさせろ、などと命じてる姿は見たことが無い。
敬愛する兄であるイェルマの前では、一人前の男であるように振舞わなければ、というノウェの努力が見える。だが、俺にはそれがない。甘えられるだけ甘えて、頼るだけ頼ってくる。けれど、気分が乗らなければ袖にする。まるで気まぐれな猫だった。俺だけの、可愛い猫だ。
「今日も雪降ってる。……つまらないなぁ」
「雪が降り始めた頃は、楽しそうだったじゃないか。もう雪だるまは作らないのか?」
「雪だるまはもう良い。手が痒くなって大変だった」
「手袋を着けないからだろう」
リオライネンの帝都、リオネルはクユセンに比べれば積雪が多い。日によっては膝下まで雪が積もることもある。一方で、クユセンは雪が降ること自体も少なく、降ったとしてもさほど積もらないのだそうだ。
朝、目が覚めて積雪に気が付いた時の、目を輝かせて驚くノウェの姿は今でも俺の脳裏に刻み込まれている。あの姿を永遠にしたくて、絵師に描かせたいと一瞬思ったが、その可愛らしい姿を絵師にも、他の誰にも見られたくは無かったので断念した。
「とにかく、もう雪だるまは作らない。……早く暖かくならないかなぁ」
「暖かくなるまでには、もう暫く掛かるだろうな」
「馬に乗りたい」
「もう少し辛抱してくれ」
馬は、暑さよりは寒さに強い。だから馬たちの状態として言えば、今の季節だって走り出せるのだろう。だが、開発局の草地は水はけが悪く、一度雪が積もって、それが溶け出すと一帯がぬかるみになってしまうのだ。そんな場所ではノウェを走らせることなど出来ない。
乗馬の許可を下ろさない俺を憎むことなく、仕方ないか、と納得してくれるノウェに感謝を伝える。何かノウェの退屈を紛らわせられるものがあれば良いのだけれど。未だにアナスタシアが貸す本は読んでいるようで、一日の大半をノウェは読書に費やしていた。
「陛下、宜しいでしょうか」
扉を軽く叩く音。それはイーヴァンの声だった。この時間帯が、夫婦の朝の時間であることをよく理解しているイーヴは、通常であれば扉をノックなどしない。重要な案件があったとしても、火急の用でなければ俺の執務の時間まで待ってくれる。
だが、待てない事案が発生したのだろう。足の間に収まっているノウェも、扉を叩く音は聞こえていたようだ。一体何なのか、と疑問符を掲げながら俺を見上げてくる。
「……すまない、ノウェ」
「別に、謝ることじゃないだろ」
ノウェは、務めをしっかりと果たさない者が嫌いだ。皇帝なんだからしっかりしろ、とよく檄を飛ばされる。だからこそ、皇帝としての務めを果たそうとする俺を責めたりはしない。そもそも、夫婦の時間を邪魔されたとしても、きっとノウェは不満など抱かないのだ。
そのあたりを、俺はちゃんと弁えている。俺がノウェへ向ける感情と同じものを、ノウェが俺に返してくれているわけではない。ノウェは俺の重い慕情を受け止めてくれているだけ。一方通行なのだ。履き違えてなどいない。俺は正しく現状を理解している。
離れがたい思いでノウェから離れ、ガウンを羽織って廊下へと出る。すでに身支度を整えた姿のイーヴァンが廊下に立っていた。
「どうした」
「夫婦水入らずのところ悪いな」
「その時間を邪魔するに値する事態なんだろ」
「あぁ」
軽薄な表情を浮かべることの多いイーヴだったが、その時は少しばかり青ざめたおもてをしていた。ここ最近は穏やかな日々が続いていたのだが、どうやら穏やかとは対極に位置する事案が発生したようだ。
「旧フェルカー邸が全焼した」
「……何故だ。あの邸宅は、すでに別の貴族の管理下じゃなかったか」
「あぁ、そうだ。だが、今は無人だった。無人のはずの屋敷が勝手に燃えて、そこから……ルイーゼ・フェルカーの遺体が発見された」
ルイーゼ・フェルカー。俺とイーヴァン、そして先帝のアリウス様が持てる情報網全てを使って追跡していた女。ずっと見つからないとは思っていたが、まさか死体として発見されるとは。
「自殺か?」
「可能性はある。……だが、遺体は随分と燃えていて、体格と性別くらいでしか、識別が出来ない」
「身代わりの可能性は?」
「もちろんあるだろうな」
焼死は厄介なのだ。人の体はどうやら、激しい炎に包まれると炭のようなものになってしまう。そうなってしまえば、それが誰であったかを知ることは、非常に困難なものになるのだ。
「だが、屋敷が燃える数時間前に、ルイーゼが目撃されたという証言がいくつもあがっている。少なくとも、ルイーゼ・フェルカーはあの場にいたんだ。……焼死体の判別は、難しい。状況的に見て、ルイーゼ・フェルカーだろうと推測するしかない」
「つまり今、確実に真実だと言えるのは、旧フェルカー邸が燃えたということと、そこからルイーゼ・フェルカーらしき女の焼死体が上がったということだけなんだな」
「そういうことになる」
ルイーゼ・フェルカーの身柄を押さえ、企てがあれば適切に罰し、その後でノウェの帰郷の願いを叶えようと思っていたのだ。だが、このような状況になってしまうと判断が難しくなる。
「燃えた死体をなんとか判別する方法は無いのか」
「ない。いつかは、丸焦げで炭になったような遺体でも、どこの誰なのかを知る手段が見つかるのかもしれないが、今はどの国の技術でも分からない」
「……そうか」
どれだけ科学が進歩しても、手が届かない領域がある。歯痒いが、どうにもならないものは、どうにもならないのだ。小さく溜息を漏らした俺の肩を、イーヴァンがぽんと軽く叩いた。
「とりあえず伝えておいた方がいいと思って来ただけだ。詳しい話は、またあとにしよう。千眼から集めた情報をまとめておく」
「あぁ、そうしてくれ」
何故、ルイーゼは命を絶ったのだろか。姉ゾフィーの証言では、妹は無関係ということだった。その言葉を信じるのであれば、ルイーゼが死ぬ必要はない。父や姉の大罪によって家が取り潰され、絶望しての自死なのだろうか。だが、そんな殊勝な人格ではなかったように思える。
「ヴィル?」
ノウェの声が聞こえて、意識が現へと戻った。はっとして周囲を見れば、隣には不思議そうな顔で俺を見上げるノウェがいる。どうやら俺は廊下から再び寝室に戻って、ベッドの上に腰を下ろしていたようだ。全く気付かなかったことに驚く。
「何かあったのか」
「いや……、なんでもない。大丈夫だよ」
ノウェには、伝えたくない。毒殺未遂事件の首魁であるゾフィー・フェルカーのことは軽く話したけれど、フェルカー侯爵のことは告げていないし、知って欲しくない。それと同様に、ルイーゼのことも黙っておくつもりだった。ノウェの穏やかな時間を壊すような事案を、敢えて伝える意味はないと思うからだ。
「本当に大丈夫か? また怖い顔になってたけど」
「怖い顔? すまない……、そんな顔をしているつもりではなかった。怖がらせただろうか」
「お前の顔なんかで俺が怖がるわけないだろ」
憤慨したノウェが、乱暴にスプーンを向けてくる。湯気がわずかに立つポリッジが乗ったスプーンだ。俺がノウェの口元にポリッジを運ぶことはあったけれど、その逆は今まで無かった。心の中が喜びで染まる。
「しっかり食べて、今日も頑張れ」
ノウェが差し出してくれるスプーンのポリッジを、有難く口に入れながら、俺は多幸感に満たされていた。ノウェに応援してもらえるのであれば、何時間でも働き続けることが出来る。
知らず知らずのうちに、ノウェは皇妃としての務めを果たしている。それは、皇帝を支えるということ。俺はノウェの一言があればどれだけでも頑張れる。ノウェに褒められたい、認めて欲しい。そんな気持ちが、いつも俺の中には潜んでいるのだ。
「ありがとう、頑張ってくるよ」
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