五番目の婚約者

シオ

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 リオライネンの帝室はお金が掛からないことで有名だった。

 ミルティアディスとして生きる日々の中で、質素倹約を学ばされるために、豪華なものや華美なものを好まない人間が皇帝になる事が多いからだ。放蕩三昧な王室に手を焼く近隣諸国の財務大臣たちは、リオライネンを羨望の眼差しで見ていると言う。

 とは言え、リオライネン帝国の国格を落とす訳には行かないため、晩餐会の会場や、ダンスホールなど、他国の人間を招くような場所にはしっかりと金を注ぎ込んでいる。逆に、主人の部屋の側に置かれる侍従の部屋などは、とても簡素な作りをしていた。

「……さて、と」

 リオライネン皇帝としてヴィルが即位した日に、内務卿に任じられた俺は今、主人の寝所の横にある侍従部屋にいた。侍従が使う簡素な木製の椅子に腰を下ろし、目の前の男を見ていた。

「そんなに睨まないでくださいよ」

 俺の目の前には、荒縄によって手首を後ろで結ばれている男が、跪かされた状態で俺を睨みつけていた。手首を縛り、この姿勢にするために、俺が連れてきた警備兵五人が満身創痍になる必要があった。眼前の男の名は、イェルマ=ヴィラ・ロア。ノウェ様の侍従だった。

「貴方がずっと守ってきた大切な宝物を、勝手に暴かれたのであれば怒りも当然ですが、その怒りを私に向けられても困るんですよね」

 侍従の部屋は、壁が薄い。隣室の主人が、どのように過ごしているかを把握する必要があるからだ。だからこそ、この男はつい先ほどまで隣の部屋で何が起こっていたかを全て聞く事が出来た。どうやってノウェ様が抱かれ、どんな悲鳴を上げていたのかも聞いていたのだ。

「ノウェ様のもとへ行かせろ」
「今は駄目ですよ。夫婦仲睦まじくしておられるのですから」
「仲睦まじく……? ノウェ様の声から察するに、どう考えてもただ暴力を振るわれていただけだと思うが?」
「まぁ、考えようによってはそうなるかもしれませんね」

 肩を竦めて笑う。この男が言う通り、あれは確かに暴力だった。市井であんな振る舞いをすれば、間違いなく警察を呼ばれるであろう酷い振る舞いだったと思う。だが、主人であるヴィルを非難することに繋がるため、それを素直に認めるわけにはいかない。

「率直に言いますが、陛下は貴方の存在を好ましく思っていないんですよね」
「だろうな。殺意を込めた目をよく向けられていた」
「あぁ、気付いていたんですか。貴方」
「気付かない方が可笑しいだろう。あの男はあからさまだった。ノウェ様と直接視線を交わすことはないくせに、ノウェ様の視線が向いていない時は熱心にノウェ様を見つめて、俺のことは邪魔者だと言わんばかりに睨みつけてきていた」
「……全く、陛下はそう言ったところが下手ですねぇ。なんでもそつなくこなす方なんですが、どうもノウェ様が絡むと愚鈍になるようで」

 こんなにも極端に人は愚かになるのだな、と言うことをヴィルを見て学んだ。優秀で、英邁で、公平で、文句の付けようがない人格ではあるのだけれど、どうにもノウェ様絡みだと普段の優秀さが失われて、ただの一人の愚かな男に成り果てるのだ。

「あの男は、何故ノウェ様を望む。帝国にとって、ロア族など歯牙にも掛けない存在だろう。あの方はずっと故郷に戻りたがっていた。今すぐ解放しろ」
「そんなことをすれば、怒り狂った陛下が何をするか分かりませんよ。ノウェ様を取り戻すために、ロア族と全面戦争……なんてことになるかも」
「……狂ってる」
「ノウェ様に対する異常な執着を除けば、良い執政者なんですけどね」

 ロア族との友好関係を強固なものにする、と言うだけの目的のためにヴィルがお嬢さんを欲していたのだとしたら、話は至極単純だったのだ。現実は、そんな高尚な目的ではなく、ただただヴィルがノウェ様を欲しがっているという、ただそれだけのことだった。

「ノウェ様をロア族の地、クユセンに返すわけには行きません」
「それをヌアド様はご承知なのか?」
「勿論。ロア族の族長の承諾も得ずに、こんなことはしませんよ。ロア族と全面戦争になったとしても勝つのは我々でしょうが、とは言え無傷での勝利は難しい。我々とて、無用な争いは避けたいのです」
「……信じられない。ヌアド様は、ノウェ様をとても大切にしていらっしゃった」
「父としての判断と、族長としての判断は異なる。ということだと思いますが?」

 約十年ほど前、俺は自分の主にするのなら、ヴィルが良いと狙いを定めた。俺は調略や諜報で国を支配することに快感を覚えるが、皇帝としてのカリスマ性は持っていないと自覚していたし、なりたい訳でもなかった。

 だからこそ、自分にとって適格な皇帝候補を探して、それをヴィルにしたのだ。そうして、ヴィルの願いを確かめ、それがロア族の少年だと分かると、秘密裏にロア族との接触を始める。

 普通の子供であれば、何を勝手に、と国の政を司る大人たちに叱責されただろうが、俺はミルティアディスだった。大人たちは、好きにやってみろ、と高みの見物を決め込んでいた。そうして俺は、ロア族の族長に、ノウェ様をヴィルの婚約者とすることを承諾させたのだ。

 望み通りに物事が動いたあの時の快感が忘れられない。俺よりも四つ年下のヴィルには、当時、俺のような調略を重ねるだけの頭がまだなかった。幸運にも俺はヴィルに恩を売る事が出来、俺の主として皇帝の座を狙うよう契約する事が出来たのだ。

「ノウェ様はここにいてもらわなければなりませんが、貴方は帰って頂いても結構ですよ」
「むしろ、追い出したいというのが本音だろう」
「まあ、ね。陛下が毛嫌いしている人をノウェ様のそばに置いておくのはちょっと。陛下の機嫌が悪くなると、私も仕事がしにくいもので」
「俺はノウェ様と共にいる」
「強制的に退去願うことになるかもしれませんが?」
「武力を持って抗う」

 このイェルマと言う男は、単純に強かった。弓を主な武器とするロア族だが、格闘術も強く、剣技も警備兵を軽く圧倒することだろう。銃火器でも用いない限り、大人しくさせるのは困難だった。

 そんな事態に陥ったら面倒であるし、そこまでの騒動になればノウェ様に隠し通すこともできなくなる。こう言ったことは秘密裏に行わなければならないのだ。

「……まぁ、この件はしばらく保留ということにしておきましょうか。傷心のノウェ様を癒せるのは、貴方だけでしょうし」

 宮殿の中の人間がノウェ様に興味を持つことを極度に恐れていたヴィルは、ノウェ様に関わる人間を徹底的に制限していた。侍従はイェルマ一人で、身の回りの世話をする者を付けたりはしなかったのだ。元々、傅かれる生活を送っていなかったために、ノウェ様たちも身の回りの世話をする者など欲しなかったので丁度良かったが。

「一つ、確認させて頂きたいんですけど、貴方はノウェ様に慕情を抱いているんですか?」

 この男が、ノウェ様を大切だと思っている気持ちは、確認するまでもなく分かっている。だが、その心にある感情の内容までは推し量れない。

「……お慕いする気持ちはある」
「それはどのような? 乳兄弟だったんですよね。弟を思うような気持ちですか? それとも、族長の息子に対する尊崇の念? ……もしくは、陛下が抱かれるものと同等の?」

 瞬間、今まで以上に鋭い眼光で男が俺を見た。目の力で人を殺せるのであれば、俺は死んでいたことだろう。怒りで体を固くするたびに、手首の荒縄が皮膚を傷つけているようだった。

「怖い顔だ」

 不謹慎であることは承知しているが、どうしても愉快で笑ってしまう。人が強い感情を晒し出すところが好きだ。それが怒りだったり、憎しみであったりすれば、なお快感だった。こう言ったところが、俺が帝位に相応しくないところなのだろう。

「私の記憶が正しければ、ロア族では同性愛を嫌悪されているのでは? まぁ、嫌悪されているからと言って、同性を愛するものが一人もいないというのは不条理な話だと思いますから、一人くらいいても可笑しくはないのだと思いますけれど」
「……ノウェ様以外の男を、愛しいと思ったことはない」

 やはり、陛下に近い感情か。陛下もそうだった。同性愛者と言うわけではなく、男で惹かれるのはノウェ様だけ。俺には理解の出来ない感情だった。

「ノウェ様は、俺の、唯一だ」

 ノウェ様は、確かに綺麗な顔立ちをしているとは思う。美しい赤い髪も特徴的だ。だが、女性的と言うわけでもなく、性別を見間違えるようなこともない。そんなノウェ様のことを、ヴィルはよく可愛いと言っていた。

「あの方は、俺が生きる意味であり、俺の全てだ。幼い頃よりお守りしてきた。あの方が、健やかにお過ごし下さる事が、何よりもの喜びだった」
「それはもう、立派な愛ですよ」
「だが俺は、お前の色狂いの主人のように、ノウェ様を無理に抱きたいなどと思ったことはない」
「訂正させてもらうと、陛下は色狂いなどではありません。あの方の性事情も私はしっかり把握していますが、とても淡白で、必要に迫られなければ、誰も寝所には呼びつけない。あんなに激しく誰かを抱いているを見るのは、私も初めてです。本当に、ノウェ様だけが大切なんですよ、陛下は」
「大切であるなら、あのような無理強いはしないはずだ。しっかりとノウェ様の合意を得てからすべきだった。間違っても、あんな泣き叫ぶような悲痛な声を上げさせるべきではなかった」
「許してやってくださいよ。どうしても、皇帝となった者は即位日に初夜を完遂しなければならないんです」
「だとしても、事前にもう少し事情を話す事だって出来たはずだ。その努力を怠ったあの男を、俺は許す気になど生涯なれない」
「貴方はただ単に、ノウェ様の初めてを奪われて怒っているだけでは?」
「貴様……!」

 少し意地悪なことを言って怒らせてしまった。とは言え、この男とはどれだけ話していても平行線にしかならない。不毛で、無意味だった。ここまでだな、と自分の中で区切りをつけて椅子から立ち上がる。

「先ほども言った通り、貴方の件はしばらく保留にします。明日、目が覚めたノウェ様を優しく介抱して上げてください」

 必要性がある限りは、置いておくしかない。どれだけヴィルが嫌がったとしても、そのほうが円滑に進むのなら俺はそちらを選ぶ。イェルマを他の警備兵に託し、俺は侍従部屋を出た。

「陛下、入りますよ」

 廊下を少しばかり歩いて、そして再び寝所の扉を開けた。ノックなどしても承諾される気がしなかったので、了承も無く俺は部屋に入り込む。

「何の用だ」
「様子を見にきただけです。お嬢さんは、息してますか?」
「物騒なことを言うな。しっかりとした呼吸をしている」

 ベッドの上には、入浴を済ませて来たのであろうノウェ様とヴィルがいた。バスローブに包まれたノウェ様の髪を、ヴィルが甲斐甲斐しくタオルで拭いている。この男はこんな献身的な事が出来たのか、と俺は驚いてしまった。

「あの侍従と話をしてきた」

 ノウェ様を見つめていた柔和で、溶けそうな視線が、一瞬で剣呑なものに変わり俺に鋭い一瞥をくれる。イェルマといい、ヴィルといい、俺を睨まないで欲しいものだ。

「大人しくクユセンへ帰りそうか?」
「いや、あれは帰らないだろうね」
「では強制的に送り届けるまでだな」
「待て待て。暫くはお嬢さんのそばに置くべきだ。……そんな嫌そうな顔をするなよ」
「嫌だから、自然とそう言う顔になる」
「お前にとっては業腹だろうが、お嬢さんにとってはリオライネンでのただ一人の同族だ。心穏やかにいてもらうためには、必要な存在だろ。お前だって、それは分かってるんだよな?」

 それが分からないような昏君であれば、俺の見込み違いということになる。だが当然、ヴィルだって分かっているのだ。少なくとも、今のノウェ様にとってイェルマの存在は精神安定に必要だと。

「お前がロア族の視察に随行して、お嬢さんに一目惚れをしたのが十三とか十四の時の頃だろ。あれから今日までずっと我慢して来れたじゃないか。……今ここで焦ってあの侍従を追い出せば、永遠にお嬢さんの心は手に入らないぞ」
「……分かってる」
「さすが聡明な我が陛下」
「うるさい」

 俺に悪口を吐いて、すぐにノウェ様へと向き直った。自分は簡素な寝着のズボンだけをはいて、上半身はまだ裸で、髪からは水滴がポタポタと落ちている状態だと言うのに、ノウェ様の体は隅々まで拭かれ、整えられている。優しい目で、ノウェ様を見つめていた。

「ノウェは、俺を許してくれるだろうか」
「許してくれなくても良いって言う覚悟で始めたことだろ?」
「……そうだな」

 一方的な慕情だった。激しい片思いを温めすぎて、酷い執着へと変貌してしまっている。同じ気持ちを向けてもらえなくても、一生憎まれても良いから、どうしてもノウェが欲しいと、かつてのヴィルは泣いていた。覚悟はしていたことではあるが、許してもらえるのなら、許して欲しいのだろう。

「まぁ、お前の態度次第じゃないか? 何もかも、お嬢さん次第ではあるけど」

 俺としては、ヴィルが執政者として正しく在ってくれさえすれば、別にどうでもいいのだ。結婚生活が上手くいかなくとも、愛する人に一生憎まれようとも、関係はない。ただ、幼少期から共に過ごした幼馴染みとしては、少しばかり、報われて欲しいなと言う気持ちもあった。




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