五番目の婚約者

シオ

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「殿下、殿下……っ! どういうことですか! 説明して下さい!」

 頭の中はぐちゃぐちゃで、俺は何一つとして現状を理解出来ていなかった。混乱している間に即位式が終わり、何故か殿下は俺の手首を掴んで宮殿の中を歩いていた。

 よくよく考えれば、もう殿下ではなく陛下と呼んだ方が良いのだろうか。そんな無駄なことに思考が及ぶというのに、状況の把握は一向に出来なかった。

「ノウェは俺の配偶者になった。それだけのことだよ」
「配偶者って……なんで、そんな……っ」
「ノウェは俺の婚約者だったんだ。そんなノウェが俺と結婚するのに、可笑しな事はないだろう」
「だって、俺は、五番目で……結婚するわけないって」
「確かに、ノウェの周囲はそう言っていただろう。おそらく、ほとんどの人間がノウェが俺の配偶者になるとは思っていなかったはずだ」

 慌ただしい足音が大理石の廊下の上に響き渡る。おそらくは、俺たちの背後に付いて歩く陛下の侍従たちの発する音だろう。彼らは全てを承知しているようで、俺の手を引いて進む陛下に異議を申し立てる者は誰一人としていなかった。

「そう思うように、印象を操作した」

 印象を、操作した。
 その言葉を理解出来なかった。俺の混迷は度合いを深めるばかりで、何一つとして明瞭にならない。

「ノウェは、他の婚約者たちと違って後ろ盾もなく、宮殿内の立場はとても弱かった。陰湿ないじめを受けるかもしれない。他の婚約者たちから邪険に思われて、暗殺されるかもしれない。……そう考えて、五番目という低い順番を与え、俺がノウェに興味がないと思わせることにした」
「何を……言って……」
「効果は覿面だった。ノウェはこの城の中で存在感を薄くし、他の婚約者たちの醜い争いに巻き込まれることもなかった。ノウェは、城の中で穏やかに過ごせただろう?」

 ここでの生活は、退屈だった。だが、それは裏を返して言えば、平穏だったということ。決まった時間に起き、食事を済ませ、最低限の学習を家庭教師から施され、馬に触れて一日を終える。その繰り返し。穏やかな、日々だった。

「……なんで、そんなことを」

 背筋が凍る。声が震えた。今まで、ヴィルヘルム・レンダールという人に対して、俺は大した感慨を抱いて来なかった。無の感情だったのだ。それが一気に、恐怖へと変わる。

「なんで? 当然、ノウェが大切だったからだ。ノウェを守りたかったんだよ。こんな国にいたくないと逃げ出さないよう、平穏な日々を過ごせるようにしたんだ」
「どうして……、そこまでして」

 恐ろしい。この場から一刻も早く逃げ出したいのに、俺の手首を掴む手は硬く、力の入らない足は彼の進む方向にしか動かなかった。怖い。怖い。何が起こっているのかを上手く理解出来ていないのに、恐怖だけは湧き上がってくる。

「ノウェを愛してるから」

 世界で一番幸せだといわんばかりの表情で、溶け出すような笑みで、その男はそんな言葉を口にした。それと同時に足が止まる。厳かな細工が施された白い両開きの扉。金色に塗られたドアノブを彼の侍従が握り、開けた。

 そこは大きな部屋だった。俺に割り当てられた一室の倍ほどの大きさだ。広々としているのに、その部屋に大きな天蓋付きの寝台と、背の低い戸棚と椅子が二脚、机が一つと、最低限のものが置いてあるだけだった。

「ここは……」
「俺たちの寝所だよ」
「俺たち……?」
「あぁ。夫婦は一緒に眠るものだろう?」

 何を言っているんだ、この男は。吐き気を感じた瞬間に、侍従の手によって扉が閉ざされる。部屋には俺たちだけが残された。その場に立ち尽くす。だが、己の足で立っている感覚は無かった。

「今夜は初夜だ。じっくりと愛し合おう」
「……愛し合うって、……なにを言ってるんですか」
「愛してる。俺は、ノウェだけを愛してるんだ。ずっとずっと、この日を夢に見ていた」

 会話にならない。俺が欲しい回答が一向にやってこない。俺はちゃんとこの国の言葉を習得して、この男が理解出来る言語で話しているはずなのに、何も伝わっていないようだった。悪寒は激しくなり、咄嗟に俺は目の前の男を突き飛ばした。

「イェルマ! 助けて、イェルマ……!」

 男から距離を取り、閉ざされた扉に駆け寄る。ドアノブを握っても開かず、外から鍵がかけられていることを察した。おそらく、この男の指示なのだろう。堪らず、俺は唯一信頼しているイェルマの名を叫んだ。

「夫婦の空間で、他の男の名前を呼ぶのはマナー違反だよ」

 後ろから抱きつかれ、扉を叩く手も封じられる。俺よりも頭一つ分以上に上背のある男の腕の中に、俺は容易く収まってしまった。

「夫婦じゃない!」
「夫婦だよ。今日、みんなの前で宣言しただろう?」
「でも……! あんなの俺、聞いてない……っ」
「ずっと黙っていてごめんね。きっと、すんなりと受け入れてはくれないと思ったから内緒にしてたんだ」

 涙が溢れる。混乱しながらも、分かってきた。この男は、何故か俺を愛し、そして配偶者にしたかったのだ。そのために、色々と小細工をしていたようだけれど、何故そんなことをするのかを俺は真に理解出来ない。

「……ひどい」
「どれだけでも、詰ってくれていいよ」

 誰が皇帝の配偶者になりたいだなんて言ったんだ。誰が了承したんだ。全くもって合意のない婚姻だった。そもそも俺たちは男同士なんだ。結婚なんて可笑しい。

 この国の人間は、性別を問わず婚姻を結ぶけれど、そんなものに何の意味があるのか。結婚とは、子を生み育て、一族を繋いでいく行為なのに。少なくとも俺はそう教わり、ロア族ではそれが普通のことだった。

「今からもっと酷いことをするけど、少しだけ我慢していてね」

 不安定に感じていた足元が、ついに揺らいだ。気付いた時には、俺は男の手によって抱き上げられ、そのまま大きな寝台へと下されていた。ふかふかとしたマットレスと、たっぷりとしたシーツの上に座り込む。体がぶるぶると震えていた。

「いやだ……、いやだ……っ!」

 震える手足で後ずさるが、すぐに男によって手首を掴まれてしまった。強く引っ張られ、男の腕の中に飛び込んでしまう。大きな両腕に抱きしめられる。それは温かい抱擁などではなく、単なる拘束だった。

「皇帝である俺が、配偶者となったノウェを支配下においたと示さなくちゃいけないんだ。俺が上で、ノウェが下だという証明が必要なんだよ。皇帝が下だと、格好がつかないからね」

 俺の耳元で男が囁きながら、小さく笑った。何も笑えない。これから何が起こるのかを理解出来ないほど、俺は初心では無かった。そうして、男の手が俺が纏うデールの留め具を外す。

 この国の服装はボタンがたくさんあり、面倒臭くて嫌いだった。だがこの時ばかりは、右肩と右脇にある留め具を外すだけで脱げてしまうロア族の伝統衣装を恨んだ。簡単にデールを取り払われ、体が寒くなる。震えはさらに増していった。

「いやだ……っ! イェルマ、イェルマ……っ! 助けて!」

 デールの下に着ていた前掛けのような形の肌着も、背中にある蝶々結びをして留めていた紐を解かれてしまい、俺は上半身を男の前に晒す。恥ずかしくて、怖くて、再びイェルマの名を呼んだ。

 いつも俺のそばにいてくれるのに、どうして今、俺の近くにいないんだ。助けて、助けて、イェルマ。泣き叫んで、ここにはいないイェルマに縋る俺の顎を、男の手が捕えた。

「……っ!」

 口を塞がれる。これはなんだ。どうしてこんなに男の顔が近いんだ。青い瞳が、至近距離で俺を見ている。そうか、俺は今、口付けられているんだ。これが、俺の初めての経験だった。最悪な出来事だった。

「俺を罵る言葉なら、どれだけでも許すから。だから、その名前だけは口にしないで」

 押し付けられていた唇が離れ、苦しそうに男がそう言った。どうしてお前がそんな顔をするんだ。苦しいのも、悲しいのも、嘆くのも、俺にしか許されないはずなのに。

 もう一度口付けられそうになって、顔を背ける。けれど、大きく開いた片手で両頬を掴まれ、無理やり男の方を向くように動かされた。男は真っ直ぐに俺を見ている。けれど、俺はその目に見つめられたくなかった。

「口を開いて」

 唇を付けるだけの口付けが、本当の口付けでないことは知っていた。口を開いて、お互いの舌を絡め合わせる。貪るように首の角度を変えて、何度も何度も求め合う。それが愛し合う者たちの口付けだと、ここに来て俺に付けられた家庭教師から房中術も教えられていた。

 当時は、どうして俺にそんなことを教えるのだろうと思っていた。五番目の婚約者に施したとしても、役に立たない可能性の方が高いのにな、と冷静に考えていたのだ。将来、自分が嫁をもらった時には参考にさせてもらおう、という程度に受け止めていた。まさか、こんなことになるなんて。

「ノウェ、いい子だから。……まったく。仕方がないな」

 諦めてくれただろうか、と思った直後。俺の口の両端を男の手が掴んだかと思うとその指を、俺が閉ざす歯と歯の間に押し込んで来たのだ。驚いて、閉ざしていた口が少しばかり開いてしまう。

 その隙に、さらに指が入ってきて俺の舌を強く指が押し込んだ。押し込まれたことによって、えずき、さらに口を開いてしまう。直後、男が顔を寄せ、強引に唇を合わせてきた。そして、男の舌先が入ってくる。

「……んっ、……ぅ、ん……!」

 ぬるぬるとしたものが、俺の口の中で蠢いている。俺の舌と絡まったかと思えば、今度は歯列をなぞった。気持ち悪くて、怖くて、俺の目からは涙が止まらない。もうやめてくれ。もう許してくれ。

 逃げられない口付けに翻弄されている間に、男の手が勝手にズボンを俺の足から抜き取っていた。褌だけになった俺の臀部を、男が揉みしだく。

 この国の男たちは短いズボンのような下着を着けるけれど、俺はあれに慣れることが出来ず、故郷で穿かれている臀部が丸出しになった形の下着をずっと使っていた。それが今はあだになっている。この男にこんな風に尻を揉まれるなんて、最悪だ。

「ノウェ、やっとノウェに触れられる。……夢みたいだ」

 口付けから解放された時には、意識が朦朧としていた。酸欠になっていたのかもしれないが、おそらくはこの現実から逃れたいという気持ちが、俺の意識を鈍らせていたのだろう。

 男は幸せそうに笑っている。彼には、泣いている俺が見えないのだろうか。俺の両手首は自分の頭の左右辺りで、男の手によってベッドに縫い付けられている。自由に動くことが出来なかった。そもそも、動く気力さえ湧いてこなかった。

 そうして、悪夢としか言いようがない夜が、始まる。


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