月と裏切りの温度

シオ

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 安い娼館では、その日にすぐウェテを抱くことが許されるが、ロファジメアンのような格式があり、上流階級を顧客層としている娼館にはたくさんの作法があるのだ。

 まずは、馴染みの客にならなければならない。

 そのためには、初会というものに五回出席する必要がある。複数のウェテと、複数の客で開催される初会で参加した客が、好みのウェテを見つけるのだ。

 そして、五度の初会を経てウェテが了承すれば中部屋に案内される。中部屋では一対一で食事や、会話を楽しむ。中部屋のあと、すぐに行為を許される本部屋に通されるか、中部屋で数回留め置かれるかは、それぞれウェテによる。

 ウェザリテとなった僕も、その手順は変わらない。ただ、ウェテよりも我が儘が通りやすいという点はある。あのお客は嫌だ、このお客は嫌だなどとウェテの身で過度に我が儘を言っていれば世話役からの折檻が待っている。けれど、僕はそれが許される。その程度の違いだ。

「そういえば、初会を頼んでも良いか?」
「えぇ、もちろん。ウェテたちも喜びます。軍の方々ですか?」

 初会は、ウェテたちが客と出会う機会だ。稼ぐ必要があるウェテたちは、上客探しに熱心になっている。初会を開くと言えば、皆が参加したいと挙手するほどだった。

「そう。今回の遠征中、ずっとリュシラのこと話してたら、ぜひ見てみたいって部下たちが言い出してな。月の女神も裸足で逃げ出す美人って言っといた」
「あまりにも過ぎた賛辞です」
「褒め過ぎどころか、言葉が足りないほどだ。でも、銀の髪に金の瞳ってことは言ってないんだ。びっくりさせたくてな」

 悪戯な笑みを浮かべてラギードが笑っていた。そんな彼の手を引いて、中部屋から続く本部屋に案内する。そこには大きなベッドと、たくさんの香油が。そういう気分になるといわれる香を薫きしめた空間に入り、僕はいきなりベッドに押し倒された。

「リュシラ……っ、リュシラ……!」

 もともと裸のような格好ではあるけれど、薄布を剥がされるとどうしても羞恥が湧く。胸に舌を這わされて、胸の先端を舐められる。口で咥えられている方と、手で弄られている方と。その感覚が、下腹部へと伝わって腰が僅かに浮いた。

 ベッドの側に置かれたサイドテーブルの上に、香油が置いてあることなど馴染みのラギードは言わなくても分かっている。目で確認することもなく、手を伸ばして香油の瓶を開け、そこに己の指を突っ込んだ。滑りを持った指を今度は僕の孔にゆっくりと押し込んでいく。

 痛みはない。悔しいことに、快感はある。ひくひくとしてラギードの指を飲み込んでいく。男の反りたったものが、僕の臀部の割れ目を撫でる。すでにその先端からは汁が垂れており、もう我慢が効かないようだった。

 撫でていたものが、ぐぐ、と僕の中に入ってくる。この感覚だけはいつまで経っても慣れることがない。口からは悲鳴が漏れていた。唇を噛み締めても押し殺すことのできない、喘ぎに似た悲鳴だ。

「嗚呼、お前は最高だっ、締まりが良くて……! 分かるか、リュシラっ、お前が俺をきゅうきゅうと締め付けて離さないんだっ!」

 ラギードが何かを叫んでいる。足を思い切り開かされて、僕は秘されるべき場所を晒していた。僕は、こんな風に男に抱かれている。ヨルハ、君は一体どうやって人を抱くんだろうね。

 男を抱くのだろうか、女を抱くのだろうか。もしかしたら、もう結婚しているかも。子がいても可笑しくはない年齢なのだ。

「ぁ……っ、あ、あっ、うぁ……っ、あぁっ、ラギードさまぁっ……!」

 昔は、客のことをヨルハと呼んでしまって幾度となく折檻を受けた。ある時、ふと、こんな僕に想われているヨルハを哀れに思ってその悪癖は消えた。

 こんな汚れた僕に、最中に名を呼ばれるヨルハが不憫だった。ヨルハのような格好良くて、真っ直ぐな心を持つ人には、綺麗な人が似合う。純潔で、清潔で。僕とは真逆の人が似合う。

「遠征中に、戯れで女を抱いたが、それよりもお前の方が良いっ、リュシラ……っ、出すぞっ!」

 このテシィダバルという国は、不思議なことに娼婦よりも男娼が多い。避妊という概念が浸透していないので、孕まない男の方が便がいいということなのだろう。だからこそ、僕たちも稼いでいけるのだけれど変な文化だと思わずにはいられなかった。

「はぁ……、はぁ……っ」

 ラギードが僕の隣に倒れこんで、荒い呼吸を繰り返していた。僕の孔から彼自身を引き抜いた瞬間、ずるりという気味の悪い感触が体を走る。孔から溢れ出るのはラギードの子種。早く、体の外に出したかった。

「お前をイかせることは出来なかったか、残念だ」
「申し訳……ありません、ラギード様」
「いやいや、気にするな。お前は月の女神。人の熱では感じないのだろうさ」

 そんな冗談でかれは流してくれたが、僕が達することは殆どない。どうしても僕をイかせないと満足出来ない客がたまにいるが、そういうときでも追い詰められて追い詰められて、そうしてやっとイけるという感じだ。

 心の奥底ではイきたくないと思っているのかもしれない。ヨルハ以外の人の手で果てたくないと、思っているのかも。

 ラギードと過ごす時間が終わり、湯浴みを済ませ自室へ戻る。常にレジテが付き添って、僕の手伝いをしてくれた。髪を乾かし、髪を梳いて、肌に良い香油を揉み込んでくれる。

「ウェザリテ、お疲れ様です」

 ノックと共に入ってきたのは、ウォドスだった。彼は全てのウェテやレジテの動きを把握している。僕が仕事を終えて部屋に戻ってきたことも、レジテたちの動きを見て察していたのだろう。絶妙な間で彼は僕の部屋に入ってきた。そういえば、と思い出して僕は唇を開く。

「ラギード様より、初会の申し出がありました」
「そうですか。承りました、私から支配人に伝えておきます」

 初会は、新規の客を獲得出来る場であり、ウェテたちが馴染みを得る機会でもある。娼館にとっては良いこと尽くめだ。僕はこれ以上馴染みを作る気はないので、少々面倒臭いなと思ってしまう。

 僕は、この娼館に売られたわけではないので、この娼館に対する借金はない。むしろ、大金を出してロファジメアンが僕を買ったのだ。

 けれど、ここにいる大抵のウェテやレジテたちは、金銭と引き換えに売られてきた、つまりは借金の形に売られた子たちだった。彼らは、買い取られた金額と同等以上の金を払えば自分の自由を得ることが出来る。

 自分を自由にするための金額、僕はそれを最初の娼館、ミファロストで支払い、借金を完済していた。けれど、自由の身にはならなかった。行く場所もなく、どう生きていけばいいのかも分からない。

 一人で生きていくことが、怖かった。生きていく気もないのに、世界に放り出されるのが怖かったのだ。僕は結局、この世界を出て行くことが出来ずにいた。

 何故生きているのだろう、とふいに思うことがある。

 僕は何のために生きて、何のために抱かれているのだろう。どうして死んでしまわないのだろう。

 何か後悔があるのだろうか。悔やむことなんて、ひとつしかない。ヨルハだ。僕は、もう一度だけ、一目でいいから彼の元気な姿を見たい。そうして、謝りたい。彼を裏切ったことを、詫びたい。そう考える反面、僕は彼の人生に関与すべきでないと思う自分もいる。

 ヨルハ。
 もう一度だけでいいから、君に会いたい。
 でも僕は、二度と君に会いたくない。

 相反する感情に揺り動かされて、僕は無明を彷徨う。進むことも戻ることも出来ない。帰る場所も、僕を待つ人も、愛して欲しい人もどこにもいない。僕は、何のためにここにいるのだろう。死んでいないだけで、生きてはいない。ただの肉細工だ。
 
「それにしても、あの方は本当に羽振りが良いですね」

 泥濘に落ちて行く僕の思考を絶ったのはウォドスの声だった。彼が言っているのは、先ほどまで同衾していたラギードのことだ。

「……軍の、要職の方なのですか」
「確か、中将の地位にいらっしゃったと思いますよ。夷狄討伐を専門に行う部隊だったような。ダバル人ではない人ばかりの部隊だとかで、気苦労も多いのでしょうね」
「……そうですか」

 ダバル人、というのは純潔なテシィダバル国民を指す。そういう意味でいえば、僕だって恐らくはダバル人ではない。育ったのは商業都市同盟の一角を成すメーリアだし、そこで生まれたのかどうかもよく分からない。

「ウェザリテ。今夜はあと御二方がお待ちです」

 椅子に座ったままぼうっとしていた僕に、ウォドスはそんな言葉をかける。優しい言い方ではあるが、それは催促だ。早く動け、という意味。一晩に何人もの相手をしなければならない。まだ一人が終わっただけだ。僕の仕事は続く。

「中部屋でウェテに繋がせておりますので」
「……分かりました」

 中部屋にいるウェテに、客の気が乗って二人が本部屋に行くことがある。そうして、ウェザリテから客を奪うことが許されていた。

 むしろ、ウェザリテ目当てでやって来た客の気を誘うようなウェテでなければならないと思われているほどだ。どんどんと、客を奪っていって欲しいと思う。そうすれば、誰にも触れられずに穏やかに眠れるから。

 触れて欲しい人には、永遠に触れてもらえない。であるならば、誰にも触れて欲しくない。こんな場所で生きる僕が思うには、あまりにも滑稽な言葉だった。

「……ヨルハ、僕は君に……」


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