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足の感覚が遠かった。
いつからか雨が降って、傘を持っていないため雨ざらしとなる。服は水気を吸って重たくなる一方だった。周りを見渡してやっと、俺の体が駅にあることに気付く。ホームには人がまばらで、どの路線も最終列車が出発する時間だった。俺の体からはぽたぽたと水が落ち、屋根のある駅の中で水溜りを作っている。
駅に来て、何をしたいんだったか。
少し考えて、思い出す。エリアス城へ行きたいのだった。ユギラ行きの特急列車なら、途中でエリアス城の近くの駅を通るのだ。あの城へ行きたかった。父母との思い出、ラーフとの思い出、温かい日々の記憶、優しい時間。今俺が欲しているもの全てがあそこにはある。
券売機に立って、気付いた。財布を持っていない。そもそも、特急券を買えるお金は財布の中にも入っていない。個人的な財産は何も持っていないのだ。俺の財布の中には、父さんと俺の生活を支えるためのお金しか入っていない。
「……お金なんて、ないんだった」
可笑しくて笑えた。悲しく涙が出た。ユギラ行きの最終列車が音を立てて出発する。あれに乗りたかった。あれに乗って、誰にも傷つけられない場所に行きたかった。改札の手前から、出発する電車を見送る。どうしてこんなにも空しい気持ちになるのだろう。
駅を出る。ここにいても、もう意味は無い。雨は降り続けていたけど、今更だった。もう全身ずぶ濡れだ。下着まで濡れきっている。まるで、服を着たまま海に飛び込んだかのようだ。
駅の周りを少しうろついて、表通りを歩く。人はまばらだ。そこから裏路地に入って、ゴミ箱を漁る猫に出会った。猫に別れを告げて、小さな公園に辿り着く。ここで非魔法使いの子供たちが遊んでいるのをよく見かけていた。ブランコに滑り台。何もかもが明るい色合いで塗られている。
公園の横に作られたハイキングコース。そこを意味も無く歩いて、疲れたから丁度良いところに置かれていた木製のベンチに腰かけた。俺は一体何をやっているのだろう。
そういえば、父さんになにも言っていなかった。心配しているだろうか。今は一体何時何だろう。心配かけるような時間じゃないと良いけど。ポケットの中のスマホを出す。時間を見るだけなら、Wi-Fiが無くても見れるのだ。電源を入れるが、画面は暗いまま。一体どうしたのだろう。
「……動かない」
ふいに、このスマホという機械は水が駄目だったことを思い出す。水に濡れると壊れてしまうのだとロキに説明を受けたことがあった。壊れてしまった。否、俺が壊してしまったのだ。
「せっかくロキがくれたのに」
ロキに謝らなければ。でも、もうシェイナ邸には行けない。また偶然モールで会えたりしないだろうか。ラーフにはもう会わない。もう、会えない。大学校のことも謝らなければ。一緒には暮らせない。寮を探さなければ。寮が開いてなかったら、どうしよう。
「ねぇ、君。そんなところにいたら、風邪ひくよ」
その瞬間、急に頭がぼうっとした。魔術の気配を感じたけれど、抗うことが出来ない。気力と体力の低下が著しく、それに応じて抗魔力も低くなっているのだ。思考が鈍くなる。頭が泥のように重たかった。
俺に声をかけてきたのは、痩身の男。年は俺と同じくらいか、少し上。にやにやとして、俺の体を見ている。嫌な視線だ。男は俺の隣に腰をかけて、足を組みながらこちらを向く。
「……放っておいて」
「家に帰らないの?」
家に、帰りたい。でも、父さんにどんな顔をすればいいのだろう。誕生日会で酷い仕打ちをうけたことは、出来れば黙っていたい。でも、進学に関して方向性が変わったことを説明しなければならない。ラーフと一緒に住めなくなったことを、どうやって説明すれば良いのだろう。
「駅をうろうろしてたよね。電車に乗りたかったの?」
「……乗りたかった」
「どうして乗らなかったの?」
「お金が……なくて」
「お金が欲しいの?」
頷く。お金があれば、俺が抱えている問題の大半が片付く。家も建て直せるし、税金をたくさん納めれば爵位だって元の公爵に戻る。大学だって好きな所に行けるし、住む場所だって気にしなくていい。
「じゃあ、お金あげるよ」
「なんで……お金くれるの?」
「俺が欲しいものをくれたら、お金をあげる」
男の手が俺に向かって伸びた。喉に触れられる。気持ち悪い。指先で俺の鎖骨をなぞっていた。距離を取ろうとするが、体が上手く動かない。神経系に乱れが起こっている。そこまでは分かるが、どうすればこの状況を打破出来るかを考えることが出来なかった。
「体を差し出してくれたらいいよ」
「……からだ?」
「そう、今夜は寒いだろ? 裸になって、一緒のベッドで眠って温めあってくれたらお金をあげるよ。悪い条件じゃないだろう?」
裸になって、一緒のベッドで眠るだけ。それだけでお金がもらえるなら、簡単かもしれない。一晩この男を温めれば、明日にはエリアス城へ行ける。エリアス城に行けば、全てが好転するのだと根拠も無く信じていた。
頷きかけたその時。轟音が響いて、ベンチが中央で両断された。俺の腕を強く引く手があって、その手に抱きしめられる。自分の足で立っていられず、全てをその腕に託した。温かい。太陽のようだ。ずっと、この腕の中にいたいとすら思った。
「セナ」
耳元で聞こえた声。体を包むような、優しい声だった。顔を上げる。そこには、俺の太陽がいた。その太陽の名前を、俺は知っている。
「……ラーフ」
ラーフの手が俺の頬に当てられて、近い距離で見つめ合う。ラーフは俺の目をじっと見つめていた。その手はとても熱くて、燃えているようにすら思えた。ラーフの焔になら焼き尽くされても良いなんて、そんな愚かなことを本気で考える。
「瞳孔が開き切ってる……神経を混濁させる違法魔術をかけられてるな。セナ、自分で治せるか?」
なるほど、だからこんなに頭が重たいのか。確かに、魔術の気配は感じ取っていた。こんな初歩的な術に抗えなくなっているとは、情けない。体はどんどん自分の意思から離れて行って、手足ですら思うように動かせない。雨が体を打つ感覚だけが妙に強く感じ取れた。
「セナ、セナ、聞こえてる?」
ラーフが何度も俺の名を呼んでいる。聞こえているし、返事がしたいのに口が動かない。変な感覚だった。俺はラーフに名を呼ばれるのが好きだった。セ、ナ。たった二文字の簡単な名前。この二つの音を紡ぐラーフの声がいつも優しくて、大好きだった。
「ロキ、この男をリストで見たことがある」
「こっちも今確認した。今までに違法魔術を使用してからの強制猥褻で七件だ」
「殺した方が世の為だな」
腰に差した剣を抜くラーフを、ロキが止めた。ロキはいつからここにいたのだろう。ベンチが真っ二つになっているのは、ラーフのこの剣が切ったのだろうか。すっぱりと切れていて見事だった。
「こいつ程度なら俺でも捕まえられる。お前はセナ様をなんとかしてやれ」
「……痛めつけておけよ」
「分かってるって」
ラーフは俺を抱きしめながら、俺にラーフのコートをかけた。温かい。痛いほどに温かくて、泣きたくなるほどに優しい。ラーフの匂いに包まれて、この上ない安心感がある。
「セナ、分かるか。迎えに来た。ラーフだ」
「……ラーフ」
「そうだ。遅くなってすまない。すっかり冷え切ってるな、ごめん、俺のせいだ」
ラーフが、俺の唇を口付けで塞いだ。それが嬉しくて、俺もラーフの口付けに応える。舌先が絡み合って、妙に腰がくすぐったい。とても幸せな気分だった。そうしているうちに、口を介してラーフの魔力が注がれていることに気付く。頭にかかった靄を、焔が包んで晴らしていくようだった。急激に、全ての物ごとが鮮明になる。
「……ラーフ?」
「あぁ、セナ、良かった。戻ってきた」
何もかもが理解出来なかった。何故俺はこんなところでずぶ濡れになって、ラーフに抱きしめられているのか。見たところ公園のような場所にいるが、自分の意思でこんなところまで来たのだろうか。記憶が混濁している。良くない状態だ。
「なんで……俺」
額に手を当てて、ゆっくりと頭の中を整理する。記憶をたどって、己の行動を思い出そうとした。家に戻ろうとして、でも父さんにどう説明したらいいのか分からなくて、こっそりと自分の部屋に戻ったんだ。そして、手早く着替えを済ませて雪の降る街へ意味も無く歩き出した。
その途中で雨が降り始めた。バケツをひっくり返したような雨で、傘を持っていなかった俺は簡単にずぶ濡れになった。冷えた体は、どんどんと思考力を失って言って、そうして俺は駅に辿り着いた。
「エリアス城に……行こうとしたんだ」
「エリアス城? どうして?」
「……分からない」
どうしてそんなことを願ったのか、己の感情が思い出せない。ただ何故か、猛烈に救いを求めていたような気がする。現実逃避を願った俺の精神が、安心できる場所として選んだ先がエリアス城だったのかもしれない。
「でも、お金が足りなくて、どうしようって思ってたら、あの人がお金をくれるって」
「お金?」
「体を差し出せば、くれるって言ったんだ」
体を温めあって一晩眠れば、対価としてお金をくれると言っていたんだ。それくらいなら良いか、と酷く投げやりな気持ちでそんなことを考えてしまっていた。頭がろくに働いていなかったとはいえ、非常に危ない思考だ。
「そんなのは絶対駄目だ」
ラーフは怒っていた。俺は、自分の馬鹿げた行動に呆れるしかないのだが、ラーフはそんな俺に怒っていた。その怒りはとても明白で、彼が非常に怒っているのだと言うことが一見して分かる。その様相に俺が驚いてしまうほどだった。
「絶対に許さない」
少し、ほっとした。こんな馬鹿な俺を、怒ってくれるラーフの存在が嬉しかったのだ。不相応な現実に耐えられなくて、周囲の目ばかり気にして、一緒にいられないと遠ざけたのは俺なのに。そんな俺がラーフを求めるなんて間違っているのに。それなのに、嬉しくて仕方がない。
「さよならなんて、俺はしない」
ラーフの腕が、強く強く俺を抱きしめる。骨が軋むほどで、痛い。でも、今はその痛みですら俺を喜ばせる。どれだけ遠ざけたって、俺はラーフから離れられない。心の奥底では、離れたくないと願ってしまっているからだ。
「どうして……俺なんかを」
俺にとって、ラーフは大切で、かけがえのない存在で、離れ難い人だ。でも、ラーフにとっての俺は何なのだろう。どうして、いつも俺を助けてくれるのだろう。今まで、知ろうともしなかったラーフの心が、知りたくなった。
「セナを、愛してるからだよ」
その時のラーフのおもてには、とても優しい笑みが浮かんでいた。
いつからか雨が降って、傘を持っていないため雨ざらしとなる。服は水気を吸って重たくなる一方だった。周りを見渡してやっと、俺の体が駅にあることに気付く。ホームには人がまばらで、どの路線も最終列車が出発する時間だった。俺の体からはぽたぽたと水が落ち、屋根のある駅の中で水溜りを作っている。
駅に来て、何をしたいんだったか。
少し考えて、思い出す。エリアス城へ行きたいのだった。ユギラ行きの特急列車なら、途中でエリアス城の近くの駅を通るのだ。あの城へ行きたかった。父母との思い出、ラーフとの思い出、温かい日々の記憶、優しい時間。今俺が欲しているもの全てがあそこにはある。
券売機に立って、気付いた。財布を持っていない。そもそも、特急券を買えるお金は財布の中にも入っていない。個人的な財産は何も持っていないのだ。俺の財布の中には、父さんと俺の生活を支えるためのお金しか入っていない。
「……お金なんて、ないんだった」
可笑しくて笑えた。悲しく涙が出た。ユギラ行きの最終列車が音を立てて出発する。あれに乗りたかった。あれに乗って、誰にも傷つけられない場所に行きたかった。改札の手前から、出発する電車を見送る。どうしてこんなにも空しい気持ちになるのだろう。
駅を出る。ここにいても、もう意味は無い。雨は降り続けていたけど、今更だった。もう全身ずぶ濡れだ。下着まで濡れきっている。まるで、服を着たまま海に飛び込んだかのようだ。
駅の周りを少しうろついて、表通りを歩く。人はまばらだ。そこから裏路地に入って、ゴミ箱を漁る猫に出会った。猫に別れを告げて、小さな公園に辿り着く。ここで非魔法使いの子供たちが遊んでいるのをよく見かけていた。ブランコに滑り台。何もかもが明るい色合いで塗られている。
公園の横に作られたハイキングコース。そこを意味も無く歩いて、疲れたから丁度良いところに置かれていた木製のベンチに腰かけた。俺は一体何をやっているのだろう。
そういえば、父さんになにも言っていなかった。心配しているだろうか。今は一体何時何だろう。心配かけるような時間じゃないと良いけど。ポケットの中のスマホを出す。時間を見るだけなら、Wi-Fiが無くても見れるのだ。電源を入れるが、画面は暗いまま。一体どうしたのだろう。
「……動かない」
ふいに、このスマホという機械は水が駄目だったことを思い出す。水に濡れると壊れてしまうのだとロキに説明を受けたことがあった。壊れてしまった。否、俺が壊してしまったのだ。
「せっかくロキがくれたのに」
ロキに謝らなければ。でも、もうシェイナ邸には行けない。また偶然モールで会えたりしないだろうか。ラーフにはもう会わない。もう、会えない。大学校のことも謝らなければ。一緒には暮らせない。寮を探さなければ。寮が開いてなかったら、どうしよう。
「ねぇ、君。そんなところにいたら、風邪ひくよ」
その瞬間、急に頭がぼうっとした。魔術の気配を感じたけれど、抗うことが出来ない。気力と体力の低下が著しく、それに応じて抗魔力も低くなっているのだ。思考が鈍くなる。頭が泥のように重たかった。
俺に声をかけてきたのは、痩身の男。年は俺と同じくらいか、少し上。にやにやとして、俺の体を見ている。嫌な視線だ。男は俺の隣に腰をかけて、足を組みながらこちらを向く。
「……放っておいて」
「家に帰らないの?」
家に、帰りたい。でも、父さんにどんな顔をすればいいのだろう。誕生日会で酷い仕打ちをうけたことは、出来れば黙っていたい。でも、進学に関して方向性が変わったことを説明しなければならない。ラーフと一緒に住めなくなったことを、どうやって説明すれば良いのだろう。
「駅をうろうろしてたよね。電車に乗りたかったの?」
「……乗りたかった」
「どうして乗らなかったの?」
「お金が……なくて」
「お金が欲しいの?」
頷く。お金があれば、俺が抱えている問題の大半が片付く。家も建て直せるし、税金をたくさん納めれば爵位だって元の公爵に戻る。大学だって好きな所に行けるし、住む場所だって気にしなくていい。
「じゃあ、お金あげるよ」
「なんで……お金くれるの?」
「俺が欲しいものをくれたら、お金をあげる」
男の手が俺に向かって伸びた。喉に触れられる。気持ち悪い。指先で俺の鎖骨をなぞっていた。距離を取ろうとするが、体が上手く動かない。神経系に乱れが起こっている。そこまでは分かるが、どうすればこの状況を打破出来るかを考えることが出来なかった。
「体を差し出してくれたらいいよ」
「……からだ?」
「そう、今夜は寒いだろ? 裸になって、一緒のベッドで眠って温めあってくれたらお金をあげるよ。悪い条件じゃないだろう?」
裸になって、一緒のベッドで眠るだけ。それだけでお金がもらえるなら、簡単かもしれない。一晩この男を温めれば、明日にはエリアス城へ行ける。エリアス城に行けば、全てが好転するのだと根拠も無く信じていた。
頷きかけたその時。轟音が響いて、ベンチが中央で両断された。俺の腕を強く引く手があって、その手に抱きしめられる。自分の足で立っていられず、全てをその腕に託した。温かい。太陽のようだ。ずっと、この腕の中にいたいとすら思った。
「セナ」
耳元で聞こえた声。体を包むような、優しい声だった。顔を上げる。そこには、俺の太陽がいた。その太陽の名前を、俺は知っている。
「……ラーフ」
ラーフの手が俺の頬に当てられて、近い距離で見つめ合う。ラーフは俺の目をじっと見つめていた。その手はとても熱くて、燃えているようにすら思えた。ラーフの焔になら焼き尽くされても良いなんて、そんな愚かなことを本気で考える。
「瞳孔が開き切ってる……神経を混濁させる違法魔術をかけられてるな。セナ、自分で治せるか?」
なるほど、だからこんなに頭が重たいのか。確かに、魔術の気配は感じ取っていた。こんな初歩的な術に抗えなくなっているとは、情けない。体はどんどん自分の意思から離れて行って、手足ですら思うように動かせない。雨が体を打つ感覚だけが妙に強く感じ取れた。
「セナ、セナ、聞こえてる?」
ラーフが何度も俺の名を呼んでいる。聞こえているし、返事がしたいのに口が動かない。変な感覚だった。俺はラーフに名を呼ばれるのが好きだった。セ、ナ。たった二文字の簡単な名前。この二つの音を紡ぐラーフの声がいつも優しくて、大好きだった。
「ロキ、この男をリストで見たことがある」
「こっちも今確認した。今までに違法魔術を使用してからの強制猥褻で七件だ」
「殺した方が世の為だな」
腰に差した剣を抜くラーフを、ロキが止めた。ロキはいつからここにいたのだろう。ベンチが真っ二つになっているのは、ラーフのこの剣が切ったのだろうか。すっぱりと切れていて見事だった。
「こいつ程度なら俺でも捕まえられる。お前はセナ様をなんとかしてやれ」
「……痛めつけておけよ」
「分かってるって」
ラーフは俺を抱きしめながら、俺にラーフのコートをかけた。温かい。痛いほどに温かくて、泣きたくなるほどに優しい。ラーフの匂いに包まれて、この上ない安心感がある。
「セナ、分かるか。迎えに来た。ラーフだ」
「……ラーフ」
「そうだ。遅くなってすまない。すっかり冷え切ってるな、ごめん、俺のせいだ」
ラーフが、俺の唇を口付けで塞いだ。それが嬉しくて、俺もラーフの口付けに応える。舌先が絡み合って、妙に腰がくすぐったい。とても幸せな気分だった。そうしているうちに、口を介してラーフの魔力が注がれていることに気付く。頭にかかった靄を、焔が包んで晴らしていくようだった。急激に、全ての物ごとが鮮明になる。
「……ラーフ?」
「あぁ、セナ、良かった。戻ってきた」
何もかもが理解出来なかった。何故俺はこんなところでずぶ濡れになって、ラーフに抱きしめられているのか。見たところ公園のような場所にいるが、自分の意思でこんなところまで来たのだろうか。記憶が混濁している。良くない状態だ。
「なんで……俺」
額に手を当てて、ゆっくりと頭の中を整理する。記憶をたどって、己の行動を思い出そうとした。家に戻ろうとして、でも父さんにどう説明したらいいのか分からなくて、こっそりと自分の部屋に戻ったんだ。そして、手早く着替えを済ませて雪の降る街へ意味も無く歩き出した。
その途中で雨が降り始めた。バケツをひっくり返したような雨で、傘を持っていなかった俺は簡単にずぶ濡れになった。冷えた体は、どんどんと思考力を失って言って、そうして俺は駅に辿り着いた。
「エリアス城に……行こうとしたんだ」
「エリアス城? どうして?」
「……分からない」
どうしてそんなことを願ったのか、己の感情が思い出せない。ただ何故か、猛烈に救いを求めていたような気がする。現実逃避を願った俺の精神が、安心できる場所として選んだ先がエリアス城だったのかもしれない。
「でも、お金が足りなくて、どうしようって思ってたら、あの人がお金をくれるって」
「お金?」
「体を差し出せば、くれるって言ったんだ」
体を温めあって一晩眠れば、対価としてお金をくれると言っていたんだ。それくらいなら良いか、と酷く投げやりな気持ちでそんなことを考えてしまっていた。頭がろくに働いていなかったとはいえ、非常に危ない思考だ。
「そんなのは絶対駄目だ」
ラーフは怒っていた。俺は、自分の馬鹿げた行動に呆れるしかないのだが、ラーフはそんな俺に怒っていた。その怒りはとても明白で、彼が非常に怒っているのだと言うことが一見して分かる。その様相に俺が驚いてしまうほどだった。
「絶対に許さない」
少し、ほっとした。こんな馬鹿な俺を、怒ってくれるラーフの存在が嬉しかったのだ。不相応な現実に耐えられなくて、周囲の目ばかり気にして、一緒にいられないと遠ざけたのは俺なのに。そんな俺がラーフを求めるなんて間違っているのに。それなのに、嬉しくて仕方がない。
「さよならなんて、俺はしない」
ラーフの腕が、強く強く俺を抱きしめる。骨が軋むほどで、痛い。でも、今はその痛みですら俺を喜ばせる。どれだけ遠ざけたって、俺はラーフから離れられない。心の奥底では、離れたくないと願ってしまっているからだ。
「どうして……俺なんかを」
俺にとって、ラーフは大切で、かけがえのない存在で、離れ難い人だ。でも、ラーフにとっての俺は何なのだろう。どうして、いつも俺を助けてくれるのだろう。今まで、知ろうともしなかったラーフの心が、知りたくなった。
「セナを、愛してるからだよ」
その時のラーフのおもてには、とても優しい笑みが浮かんでいた。
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