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学校生活の一週間の中に休暇は二日あり、ラーフの従者として学校への送迎などを行う俺にとっても、その二日間は休暇に等しいものだった。
休暇であっても、一日の殆どを外出することなく邸宅で過ごし鍛練に励むラーフは、俺がそばにいると邪魔だというので、そういった時間は好きに過ごさせてもらっている。
邸宅から単車で貴族街を抜け、庶民的な街に向かう。非魔法使いたちが作り上げた街は、電気的な光に満ちていて常に騒々しい。この喧騒が嫌いではなかった。
色々な店が集まるモールに入る。ここに来れば、大抵のものは買いそろえることが出来た。俺はもともと予約していた新作のスマホを受け取りを終えて、その興奮から足取りが軽い。
非魔法使いたちが作り出す製品はなにもかもが面白くて、気付いたときにはラーフから新しいもの好きと称されるほど、新作の電子製品に敏感になっていた。
スキップでもしてしまいそうな足取りの俺が、視線の先にひとつの姿を見つけて足を止めた。本来ならばこんなところにいてはいけない方がいる。フィルリア家のセナ様だ。
どうしよう、と俺は困惑する。気付かないふりをしてやり過ごすか、礼に則り挨拶をしていくか。その逡巡の間に、セナ様が俺に気付いてしまった。
「こんにちは、ロキ」
爵位を持つ方から先に挨拶をするなど、他ではありえないことだった。そもそも、たくさんの品物を詰め込んだ紙袋を抱えた貴族など、そうそういないだろう。俺は慌てて頭を下げる。体を折り曲げ、片腕を体の前に出す。従者として体に叩き込まれた作法だった。
「ご無沙汰しております、セナ様」
「そんな畏まった挨拶をされたのは久しぶりだ」
憐れむ気持ちが湧いてくる。かつては、シェイナ家以上の大貴族であったというのに、今では一人でモールで買い物をしているなんて。従者は全て解任したと以前聞いたことがある。身の回りのこと全てを、御自身でなさっているようだった。
「お買いものですか?」
「あぁ、うん」
「御自身で家事もこなされると伺ったことがあります。ご立派ですね。情けないことに、ラーフ様は、御自身ではトーストひとつ焼けないんですよ」
「シェイナ家の次期当主が家事が得意では貫禄に欠けるし、それでいいんじゃないかな」
くすくすと笑うセナ様は、とても可愛らしかった。艶のある黒髪は、肩にかかるかかからないか、というところまで伸びていて、ユニセックスな印象を与える。ラーフがアメシストの至宝と称賛する紫の瞳は、とても大きくて小動物を思わせた。
その目には、眼鏡がかけられている。普段は眼鏡をしていなかったと記憶しているが、視力でも悪いのだろうか。
「休日は眼鏡をかけられるんですか?」
「あー……、そうだね、でもこれは伊達眼鏡なんだ。変装というか、なんというか。俺は没落貴族の筆頭みたいなものだから、……よく写真を撮られるんだ」
「あぁ、ああいった連中は無遠慮で無礼ですからね。心中お察しします」
「ありがとう」
落ちていく貴族など、格好のゴシップネタだった。セナ様はしばしばその餌食になるが、記事になる前に大抵のものはラーフが握りつぶしている。セナの姿が雑誌に載って、セナに惹かれる連中が増えるのは不愉快だとラーフは言っていた。
大きな黒縁の眼鏡は野暮ったさがあるが、セナ様の大きな瞳には丁度いいくらいに見えて、可愛らしさが増しているような気がする。これはこれで、人の目を惹きそうだ。
「ロキも買い物?」
「あ、はい。新しいスマホを買いに」
「……すまほ」
随分とたどたどしい言い方だった。言い慣れていない感じがある。そういえば、ラーフも昨日、セナがスマホでどうのこうの、と言っていた気がする。あまりにもどうでもいい報告で半分以上聞いていなかった。
「新しいものを買ったのか?」
「はい、今買ってきました」
「ちょっとだけ……見せてもらってもいいだろうか」
「はい、構いませんよ」
どうやらセナ様はスマホに興味があるようだ。古典的な魔法使い生活を送っているセナ様が、最先端機器に興味を持つなんて珍しいなと思いながら、軽く了承してしまった。
立ち話もなんだから、とセナ様が喫茶店に入ろうと誘って来た瞬間に、これはまずいと直感する。けれど、断ることが出来ずセナ様に従った。この事態をラーフに知られたら大変なことになるな、と覚悟しながら。
喫茶店に入り、セナ様が温かい紅茶を買ってくれた。少額ではあるが、奢ってもらって大丈夫なのかと心配になる。金銭的な意味で。
けれど、これを断ってもセナ様の自尊心を傷付けるような気がして、俺はその好意を頂戴することにした。
買ってきたばかりのスマホを箱から開け、電源を入れる。初期設定が始まった。これには少しばかり時間がかかりそうだ。
「スマホに興味がおありですか?」
「えっ、あ、いや……丁度昨日、学校の教授に少し使い方を教えてもらって、便利なものがあるんだなと思っていたんだ。……興味があるというか……少し触ってみたいというか」
少し恥ずかしそうに言うセナ様は可愛らしく、ラーフが悶絶する気持ちが分からなくもない。どうしてこれだけの愛らしさを持っていて女性ではないのか。
世の中には同性愛を育むものもいるが、貴族において、特に当主となるものにおいては皆無に等しい。これからもラーフがセナ様を愛し続ければ、周囲からは奇異の目で見られる。それだけは回避したい。
俺は、初期設定を続けている新作スマホではなく、今さっきまで使っていた旧型のスマホをセナ様の前に差し出した。
「お好きなだけどうぞ」
「触ってもいいのか?」
「えぇ」
中のデータは全て、自分のパソコンにバックアップ済でこの端末内にはほぼデータがない。アプリだけはそのまま残っているが、セナ様に見られて恥ずかしいようなアプリはそもそも入れていないはずだ。
人差し指でちょんちょんと触るその姿を、思わず写真で撮りたくなった。ラーフに見せればさぞ羨ましがるだろう。
「それ、お古で申し訳ないのですが、宜しければ差し上げましょうか」
「えっ、いいのか……?」
「御覧の通り、新しいものを購入済みですし、それはもう破壊して捨てようと思っていたところなんです」
「でも、使用料というものがかかるんだろう?」
「このモールにはフリーのWi-Fiがあるので、ここでなら使用料のようなものも発生せず使用することが可能ですよ」
「……わいふぁい?」
謎の呪文を口にするように、恐る恐るセナ様がその言葉を発した。きっとご存知ないのだろう。Wi-Fiについて軽く説明をするが、セナ様が理解出来ているのかは微妙なところだった。とにかく、モール内であればお金がかからずネットが出来る、ということだけを強調する。
「この機械ではもう電話は出来ませんが、通話アプリで会話することが出来ます。ためしにやってみましょうか」
セナ様の手にあるスマホを操作し、通話アプリを起動してカメラでの通話モードにする。そして呼び出す人をラーフにした。不思議そうな顔でセナ様がスマホ画面を覗いている。すると、そこにはラーフが映った。庭園で鍛練中だったのか、随分と汗をかいている。
「……あっ、ラーフが映った」
突然のセナ様に、ラーフは硬直していた。まったくもって状況が理解出来ない、といった表情だ。人は突然、予想外の出来事に出くわすと、このような反応を見せるのだな、と俺は学ぶ。あまりにも間抜けなラーフの姿に、俺は笑いを必死になって堪えた。
「姿を映しながら電話が出来るアプリなので、このように相手の顔を見て会話することが出来ます。ラーフ様、セナ様ですよ」
「ど……どういうことだ、これは」
「今、これでラーフと繋がっているのか?」
「はい。ラーフ様が驚きすぎて固まっているので、少々分かりづらですが、リアルタイムで繋がっています。セナ様、手でも振ってあげて頂けませんか?」
俺の言葉に従順になっているセナ様が楽しそうにラーフに手を振る。その笑顔を見て、一瞬でラーフの顔はふにゃふにゃになった。嬉しそうに手を振りかえす。笑顔で手を振り合うのは、はたから見ていると奇妙な光景だった。
それにセナ様も気付いたのか、はっとして、切るボタンを押す。画面に映っていたラーフが消えた。そして、その直後、ラーフからのコールバックが。
切るボタンが分かっている以上、セナ様は電話を取るボタンも直感的に理解しておられる。けれど、出ない。出たくないのだろう。俺はそっとしておくことにした。
「これが、電話がかかってきている状態です」
「なるほど」
ラーフには申し訳ないが、セナ様が応答しない以上、電話がかかり続ける画面を眺めることしか出来なかった。それどころか、セナ様は無慈悲にも切るボタンを押す。ラーフから連絡は受け取られることなく、切断された。
「確かにこれは便利だな。皆が使う理由がよく分かった」
何度か頷いて、セナ様はスマホの有用性を理解する。その時丁度、俺の新しいスマホの初期設定が終わり起動した。充電は極めて少ない状態だが、使えないことはない。俺は新しいスマホを片手で操作しつつ、セナ様と向き合う。
「スマホにはこういった機能もありますしね」
カシャ、という機械音。完全なる不意打ちに、セナ様は目を丸くして驚いていた。写真を撮ったのだ。今まさに撮った写真を、セナ様に見せる。
「今のは……、写真を撮ったのか?」
「はい。ばっちり撮れました」
「カメラにもなるんだな」
「はい、その通りです。ちなみに、カメラはこのモールじゃなくても使えるので、どこでも使うことが出来ますよ」
それは便利だ、と喜んでいるセナ様を見ると俺も嬉しくなる。セナ様の喜ぶ顔は、人を幸福にさせる力があると思うのだ。俺ですらこんな感情になるのだから、ラーフなどは悶絶するしかないのだろう。
「あ、セナ様。フィルリア邸にコンセントは御座いますか?」
「……こん、せんと?」
小首をかしげて疑問符を掲げる。古典的な魔法使い生活を送っているセナ様は、本当に電気というものに触れていないのだ。ネット環境が整っていなくてもスマホは使えるが、充電がないとさすがに使用はできない。どうしたものか、と俺は頭を抱える。
「おい、ロキ。お前どういうことだ」
帰宅した俺を、ラーフが仁王立ちで待っていた。まだ単車を車庫にしまってすらいない。従者用の、裏口で次期当主が怒り顔で立っている。そんな光景を他の使用人たちが不思議そうに眺めていた。
単車を車庫にしまいつつ、俺は事情を説明した。偶然セナ様と遭遇したこと、スマホに興味がありそうだったこと、丁度持っていた古いスマホをあげたこと。
「カメラ電話越しとはいえ、セナ様に手を振ってもらえて、役得だっただろ」
「……それは……まぁ、そうだが。いやでも! 俺の使ったものをセナにあげたかった!」
「今から、お前のやつと交換して来ればいいだろうが」
「いや、絶対にセナは、もう持ってるからいらない、とか言うんだ」
「あー……、確かに」
セナ様はそういったところが酷く合理的だ。不要なものは受け取らない。そこに含まれるラーフの感情など、気付きもしないし、理解しようともしない。良く言えば鈍感、悪く言うなら冷淡。そんな感じだろうか。
「お前の使用済のものをセナが持ってると思うだけで腹が立つ」
「器が小さすぎるにも程がある」
ほら、中に入るぞ、といってラーフの背中を押す。二人で裏口から入る。こんなところを使用人を束ねる筆頭執事に見られたら俺は雷を落とされるだろう。
「どうせお前が怒り狂うだろうと思ったから、俺は怒りを鎮めるためのものをゲットしてきた」
室内に入って、俺は購入したばかりのスマホを手にした。スタイリッシュな薄型で、画面が今までのものより少し大きい。カメラの画素数も上がり、最新機に相応しいスペックを有するそれ。その中の画像データを展開する。
「これだ」
画面いっぱいに映るのは、セナ様の顔。先ほど撮ったものだった。このために、不意打ちなどをしてセナ様の写真を激写したのだ。ラーフは俺からスマホを奪い取り、食い入るようにその画面を見た。
「おっ、お前っ、これは……!」
「超至近距離なセナ様のきょとん顔だ」
「早く俺のスマホに送れよ……!」
「はいはい、分かってるよ」
「め、眼鏡をかけてるじゃないか、なんだこれは! 可愛いにも程がある! こんな姿で外をうろついているのか!? 自殺行為に等しい! こんな……こんな愛らしい存在を、世の中のケダモノたちが放っておくわけがない!」
何事かを喚いているラーフだったが、こういった時は聞き流すのが一番だった。右耳から入れて、左耳から出す。スマホを操作して、ラーフのスマホへ画像を送信する。己のスマホでセナ様の写真を見ているラーフは、完全に顔がとろけきっていた。
「ポスターサイズに印刷して、部屋に貼るしかない」
「それだけはやめてくれ」
休暇であっても、一日の殆どを外出することなく邸宅で過ごし鍛練に励むラーフは、俺がそばにいると邪魔だというので、そういった時間は好きに過ごさせてもらっている。
邸宅から単車で貴族街を抜け、庶民的な街に向かう。非魔法使いたちが作り上げた街は、電気的な光に満ちていて常に騒々しい。この喧騒が嫌いではなかった。
色々な店が集まるモールに入る。ここに来れば、大抵のものは買いそろえることが出来た。俺はもともと予約していた新作のスマホを受け取りを終えて、その興奮から足取りが軽い。
非魔法使いたちが作り出す製品はなにもかもが面白くて、気付いたときにはラーフから新しいもの好きと称されるほど、新作の電子製品に敏感になっていた。
スキップでもしてしまいそうな足取りの俺が、視線の先にひとつの姿を見つけて足を止めた。本来ならばこんなところにいてはいけない方がいる。フィルリア家のセナ様だ。
どうしよう、と俺は困惑する。気付かないふりをしてやり過ごすか、礼に則り挨拶をしていくか。その逡巡の間に、セナ様が俺に気付いてしまった。
「こんにちは、ロキ」
爵位を持つ方から先に挨拶をするなど、他ではありえないことだった。そもそも、たくさんの品物を詰め込んだ紙袋を抱えた貴族など、そうそういないだろう。俺は慌てて頭を下げる。体を折り曲げ、片腕を体の前に出す。従者として体に叩き込まれた作法だった。
「ご無沙汰しております、セナ様」
「そんな畏まった挨拶をされたのは久しぶりだ」
憐れむ気持ちが湧いてくる。かつては、シェイナ家以上の大貴族であったというのに、今では一人でモールで買い物をしているなんて。従者は全て解任したと以前聞いたことがある。身の回りのこと全てを、御自身でなさっているようだった。
「お買いものですか?」
「あぁ、うん」
「御自身で家事もこなされると伺ったことがあります。ご立派ですね。情けないことに、ラーフ様は、御自身ではトーストひとつ焼けないんですよ」
「シェイナ家の次期当主が家事が得意では貫禄に欠けるし、それでいいんじゃないかな」
くすくすと笑うセナ様は、とても可愛らしかった。艶のある黒髪は、肩にかかるかかからないか、というところまで伸びていて、ユニセックスな印象を与える。ラーフがアメシストの至宝と称賛する紫の瞳は、とても大きくて小動物を思わせた。
その目には、眼鏡がかけられている。普段は眼鏡をしていなかったと記憶しているが、視力でも悪いのだろうか。
「休日は眼鏡をかけられるんですか?」
「あー……、そうだね、でもこれは伊達眼鏡なんだ。変装というか、なんというか。俺は没落貴族の筆頭みたいなものだから、……よく写真を撮られるんだ」
「あぁ、ああいった連中は無遠慮で無礼ですからね。心中お察しします」
「ありがとう」
落ちていく貴族など、格好のゴシップネタだった。セナ様はしばしばその餌食になるが、記事になる前に大抵のものはラーフが握りつぶしている。セナの姿が雑誌に載って、セナに惹かれる連中が増えるのは不愉快だとラーフは言っていた。
大きな黒縁の眼鏡は野暮ったさがあるが、セナ様の大きな瞳には丁度いいくらいに見えて、可愛らしさが増しているような気がする。これはこれで、人の目を惹きそうだ。
「ロキも買い物?」
「あ、はい。新しいスマホを買いに」
「……すまほ」
随分とたどたどしい言い方だった。言い慣れていない感じがある。そういえば、ラーフも昨日、セナがスマホでどうのこうの、と言っていた気がする。あまりにもどうでもいい報告で半分以上聞いていなかった。
「新しいものを買ったのか?」
「はい、今買ってきました」
「ちょっとだけ……見せてもらってもいいだろうか」
「はい、構いませんよ」
どうやらセナ様はスマホに興味があるようだ。古典的な魔法使い生活を送っているセナ様が、最先端機器に興味を持つなんて珍しいなと思いながら、軽く了承してしまった。
立ち話もなんだから、とセナ様が喫茶店に入ろうと誘って来た瞬間に、これはまずいと直感する。けれど、断ることが出来ずセナ様に従った。この事態をラーフに知られたら大変なことになるな、と覚悟しながら。
喫茶店に入り、セナ様が温かい紅茶を買ってくれた。少額ではあるが、奢ってもらって大丈夫なのかと心配になる。金銭的な意味で。
けれど、これを断ってもセナ様の自尊心を傷付けるような気がして、俺はその好意を頂戴することにした。
買ってきたばかりのスマホを箱から開け、電源を入れる。初期設定が始まった。これには少しばかり時間がかかりそうだ。
「スマホに興味がおありですか?」
「えっ、あ、いや……丁度昨日、学校の教授に少し使い方を教えてもらって、便利なものがあるんだなと思っていたんだ。……興味があるというか……少し触ってみたいというか」
少し恥ずかしそうに言うセナ様は可愛らしく、ラーフが悶絶する気持ちが分からなくもない。どうしてこれだけの愛らしさを持っていて女性ではないのか。
世の中には同性愛を育むものもいるが、貴族において、特に当主となるものにおいては皆無に等しい。これからもラーフがセナ様を愛し続ければ、周囲からは奇異の目で見られる。それだけは回避したい。
俺は、初期設定を続けている新作スマホではなく、今さっきまで使っていた旧型のスマホをセナ様の前に差し出した。
「お好きなだけどうぞ」
「触ってもいいのか?」
「えぇ」
中のデータは全て、自分のパソコンにバックアップ済でこの端末内にはほぼデータがない。アプリだけはそのまま残っているが、セナ様に見られて恥ずかしいようなアプリはそもそも入れていないはずだ。
人差し指でちょんちょんと触るその姿を、思わず写真で撮りたくなった。ラーフに見せればさぞ羨ましがるだろう。
「それ、お古で申し訳ないのですが、宜しければ差し上げましょうか」
「えっ、いいのか……?」
「御覧の通り、新しいものを購入済みですし、それはもう破壊して捨てようと思っていたところなんです」
「でも、使用料というものがかかるんだろう?」
「このモールにはフリーのWi-Fiがあるので、ここでなら使用料のようなものも発生せず使用することが可能ですよ」
「……わいふぁい?」
謎の呪文を口にするように、恐る恐るセナ様がその言葉を発した。きっとご存知ないのだろう。Wi-Fiについて軽く説明をするが、セナ様が理解出来ているのかは微妙なところだった。とにかく、モール内であればお金がかからずネットが出来る、ということだけを強調する。
「この機械ではもう電話は出来ませんが、通話アプリで会話することが出来ます。ためしにやってみましょうか」
セナ様の手にあるスマホを操作し、通話アプリを起動してカメラでの通話モードにする。そして呼び出す人をラーフにした。不思議そうな顔でセナ様がスマホ画面を覗いている。すると、そこにはラーフが映った。庭園で鍛練中だったのか、随分と汗をかいている。
「……あっ、ラーフが映った」
突然のセナ様に、ラーフは硬直していた。まったくもって状況が理解出来ない、といった表情だ。人は突然、予想外の出来事に出くわすと、このような反応を見せるのだな、と俺は学ぶ。あまりにも間抜けなラーフの姿に、俺は笑いを必死になって堪えた。
「姿を映しながら電話が出来るアプリなので、このように相手の顔を見て会話することが出来ます。ラーフ様、セナ様ですよ」
「ど……どういうことだ、これは」
「今、これでラーフと繋がっているのか?」
「はい。ラーフ様が驚きすぎて固まっているので、少々分かりづらですが、リアルタイムで繋がっています。セナ様、手でも振ってあげて頂けませんか?」
俺の言葉に従順になっているセナ様が楽しそうにラーフに手を振る。その笑顔を見て、一瞬でラーフの顔はふにゃふにゃになった。嬉しそうに手を振りかえす。笑顔で手を振り合うのは、はたから見ていると奇妙な光景だった。
それにセナ様も気付いたのか、はっとして、切るボタンを押す。画面に映っていたラーフが消えた。そして、その直後、ラーフからのコールバックが。
切るボタンが分かっている以上、セナ様は電話を取るボタンも直感的に理解しておられる。けれど、出ない。出たくないのだろう。俺はそっとしておくことにした。
「これが、電話がかかってきている状態です」
「なるほど」
ラーフには申し訳ないが、セナ様が応答しない以上、電話がかかり続ける画面を眺めることしか出来なかった。それどころか、セナ様は無慈悲にも切るボタンを押す。ラーフから連絡は受け取られることなく、切断された。
「確かにこれは便利だな。皆が使う理由がよく分かった」
何度か頷いて、セナ様はスマホの有用性を理解する。その時丁度、俺の新しいスマホの初期設定が終わり起動した。充電は極めて少ない状態だが、使えないことはない。俺は新しいスマホを片手で操作しつつ、セナ様と向き合う。
「スマホにはこういった機能もありますしね」
カシャ、という機械音。完全なる不意打ちに、セナ様は目を丸くして驚いていた。写真を撮ったのだ。今まさに撮った写真を、セナ様に見せる。
「今のは……、写真を撮ったのか?」
「はい。ばっちり撮れました」
「カメラにもなるんだな」
「はい、その通りです。ちなみに、カメラはこのモールじゃなくても使えるので、どこでも使うことが出来ますよ」
それは便利だ、と喜んでいるセナ様を見ると俺も嬉しくなる。セナ様の喜ぶ顔は、人を幸福にさせる力があると思うのだ。俺ですらこんな感情になるのだから、ラーフなどは悶絶するしかないのだろう。
「あ、セナ様。フィルリア邸にコンセントは御座いますか?」
「……こん、せんと?」
小首をかしげて疑問符を掲げる。古典的な魔法使い生活を送っているセナ様は、本当に電気というものに触れていないのだ。ネット環境が整っていなくてもスマホは使えるが、充電がないとさすがに使用はできない。どうしたものか、と俺は頭を抱える。
「おい、ロキ。お前どういうことだ」
帰宅した俺を、ラーフが仁王立ちで待っていた。まだ単車を車庫にしまってすらいない。従者用の、裏口で次期当主が怒り顔で立っている。そんな光景を他の使用人たちが不思議そうに眺めていた。
単車を車庫にしまいつつ、俺は事情を説明した。偶然セナ様と遭遇したこと、スマホに興味がありそうだったこと、丁度持っていた古いスマホをあげたこと。
「カメラ電話越しとはいえ、セナ様に手を振ってもらえて、役得だっただろ」
「……それは……まぁ、そうだが。いやでも! 俺の使ったものをセナにあげたかった!」
「今から、お前のやつと交換して来ればいいだろうが」
「いや、絶対にセナは、もう持ってるからいらない、とか言うんだ」
「あー……、確かに」
セナ様はそういったところが酷く合理的だ。不要なものは受け取らない。そこに含まれるラーフの感情など、気付きもしないし、理解しようともしない。良く言えば鈍感、悪く言うなら冷淡。そんな感じだろうか。
「お前の使用済のものをセナが持ってると思うだけで腹が立つ」
「器が小さすぎるにも程がある」
ほら、中に入るぞ、といってラーフの背中を押す。二人で裏口から入る。こんなところを使用人を束ねる筆頭執事に見られたら俺は雷を落とされるだろう。
「どうせお前が怒り狂うだろうと思ったから、俺は怒りを鎮めるためのものをゲットしてきた」
室内に入って、俺は購入したばかりのスマホを手にした。スタイリッシュな薄型で、画面が今までのものより少し大きい。カメラの画素数も上がり、最新機に相応しいスペックを有するそれ。その中の画像データを展開する。
「これだ」
画面いっぱいに映るのは、セナ様の顔。先ほど撮ったものだった。このために、不意打ちなどをしてセナ様の写真を激写したのだ。ラーフは俺からスマホを奪い取り、食い入るようにその画面を見た。
「おっ、お前っ、これは……!」
「超至近距離なセナ様のきょとん顔だ」
「早く俺のスマホに送れよ……!」
「はいはい、分かってるよ」
「め、眼鏡をかけてるじゃないか、なんだこれは! 可愛いにも程がある! こんな姿で外をうろついているのか!? 自殺行為に等しい! こんな……こんな愛らしい存在を、世の中のケダモノたちが放っておくわけがない!」
何事かを喚いているラーフだったが、こういった時は聞き流すのが一番だった。右耳から入れて、左耳から出す。スマホを操作して、ラーフのスマホへ画像を送信する。己のスマホでセナ様の写真を見ているラーフは、完全に顔がとろけきっていた。
「ポスターサイズに印刷して、部屋に貼るしかない」
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