五番目の婚約者(番外編)

シオ

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「ノウェ様は、今度の祝祭の日に、何か陛下に贈り物をされるんですか?」

 それは、アナが俺に向けた言葉だった。恒例となった読書会の終わりに、ふと言われたのだ。アナスタシアが言いたいことが分からない。何もピンと来ないのだ。俺は戸惑いながら、ゆっくりと首を傾げる。

「……祝祭の日って?」
「婚姻の女神、ユノの祭日ですよ」
「ユノの、祭日」
「まぁ、最近では婚姻の女神であることを無視して、周囲の人々に感謝を伝える日に変容している節がありますが」

 ユノの祭日。どこかで聞いた覚えがあるような。どこだっただろうか、と頭を捻って、そして答えが導き出せた。正しくは、聖人ユノ=ルティアの祝祭日、というやつだ。俺はその知識を読書の習慣の中で得ていた。

「えっ、あれって……本当にある祝日なのか?」
「えっ、ど、どういうことでしょう……?」

 驚いた俺と同様に、アナスタシアも驚いていた。お互いに混乱している。俺の知る聖人ユノ=ルティアの祝祭日は、恋愛が禁じられていた戦時下でも、結婚の承認を行ったユノという人物を讃える日で、それに合わせて恋人や意中の人に贈り物をしたり、愛の告白をしたりする日だ。本の中でよく見る設定だから知っている。

「本の中でよく見るから……、そういう設定がリオライネンでは流行ってるのかなって思って……」
「あ、そ……そうだったんですね。でも、仕方ないですよ。ノウェ様には馴染みのない文化ですし」

 現実に存在する設定だったとは。否、設定ではないのだ。実際に祝われている日だ。しかも、ユノが女性であったことから、女性から行動を起こすことが多い。俺は女性ではないけれど、伴侶であるヴィルヘルムを思えば、女性的な立場だった。

「……ヴィル、期待してると思うか?」
「そう、ですね……ご成婚後、初めてのユノの日ですし……」
「どうしよう、俺、何も用意してない」
「この際、急拵えでも良いのではないでしょうか」
「で、でも……あれって数ヶ月かけて育てた花とか、丹精込めて縫った刺繍とか、そういうのが多いよな?」
「物語の中ではそういったものが多いですが、実際にそこまで手間暇かけている人なんて殆どいませんよ。皆、手早く買って済ませるものです」
「そうなのか」

 それはそれでなんだかな、と思ってしまった。物語の中ではよく、主人公となる女性が必死になって用意したもののお陰で結ばれたりするのだ。そんな重要な小道具が、現実世界では手早く購入することで済まされているという。

「本の中だと、よくビスケットを贈ってるのを読む気がする」
「言われてみれば、確かに。ビスケットのようなお菓子は定番かもしれません」
「俺でも作れるかな?」
「簡単……だとは思うんですけど、私も……料理は苦手で、なんとも」

 アナスタシアは素晴らしい女性だけれど、家庭的ではない側面がある。とはいえ、このリオライネンでは女性だから家庭的でなければならない、などという考えは廃れる傾向があった。アナは国を守る武器を作れる。それだけで素晴らしいのだ。

 アナスタシアに頼り切っていては駄目だ。何か自分でも考えないと。お菓子作りも、有効な手段だろう。他には何が出来るだろうか。俺は色々と考えてみるけれど、具体的な案はなかなか浮かんでこなかった。

「アナ、明日、一緒に城下へ行けないかな」
「明日ですか? 仕事の後でしたら、構いませんが……それでも大丈夫ですか?」
「大丈夫、全然それでいい。……忙しいのに、ごめん」
「気にしないでください。ノウェ様とたくさんお出かけ出来て楽しいです」

 ここで二人で頭を抱えていても駄目だと思うのだ。城下に出て何か作戦を考えなければ。無策なまま街へ繰り出すのも愚かしい行いかもしれないが、足掻けるだけ足掻いてみよう。とりあえず、城下へ行って何をするのか、それを明日アナスタシアと合流するまでに考えなければ。

 明日の約束を取り付けて、アナスタシアとは別れた。彼女は貴族街へ戻り、俺は寝室に向かう。軽く食事を済ませて、入浴をする。髪をイェルマにしっかり拭いてもらって、俺は寝台に潜り込んだ。頭の中にはずっと、ユノの日のことが渦巻いていた。

「イェルマ、明日、アナが仕事を終えたあとに一緒に城下町に行きたいんだ」
「分かりました。そのように準備を整えておきます」

 寝台の中から腕を伸ばし、イェルマの服の裾を掴んだ。俺の引き留めに応じてくれたイェルマが膝をついて、俺の顔に近づける。俺の願いをイェルマは聞き届けてくれた。イェルマならば、抜かりなく準備をしてくれることだろう。

「ノウェ様、考え事はほどほどに。夜はゆっくり休むべきです」
「……うん、そうだな」

 就寝前に考え事をし過ぎると、そのまま眠れなくなってしまうことがある。俺はイェルマの助言に従って、考え事を放棄するよう努めた。けれど、どうしても頭の中にはユノの日にことがぎゅうぎゅうに詰まっている。

「おやすみなさいませ、ノウェ様」
「おやすみ、イェルマ」

 挨拶を交わして、イェルマは部屋を出ていく。静かになった部屋の中で、再び思案が始まってしまった。考えないようにしても、頭から離れてくれない。今まで読んできた物語の登場人物たちも、こんな風に苦しみながらユノの日を迎えたのだろうか。

「……まだ起きてたのか」

 どれくらいの時間が過ぎたのか。政務を終えたヴィルヘルムが帰って来てしまった。寝台の中で目を開けて天井を睨んでいる俺を、訝し気な目で見てくる。ヴィルはそっと、俺の隣に入ってきた。

「うん、ちょっと考え事してて」
「考え事? どんな?」
「大したことじゃないよ」

 お前にユノの日、何を贈るか悩んでる。なんて言えるわけがない。何が欲しいのか聞いてしまえたら楽なのに、それはやってはいけない禁じ手なのだ。俺は数々の恋愛小説からそれを学んだ。もはや教書と言うに値する恋愛小説たちが言うには、こうやって悩んだ時間さえもが、贈り物になるということだった。

「なぁ、ヴィル。明日、アナと出かけてきていい? アナが仕事終わったあとで」
「アナスタシアの職務後だと、時間が随分遅くないか? 明日、アナの仕事を休みにしてもらえばいい」
「そんな迷惑かけたくない。……そんなに長く時間が掛かる用事じゃないから」
「どこへ行くんだ?」
「えっと……、その、本屋に行きたくて」
「本当に本が好きだな。いいよ、行っておいで。でも、なるべく早くに帰ってくるんだよ」

 どこに行くかは決めていなかった。適当に本屋だと答える。俺とアナスタシアが読書家であることを理解しているヴィルヘルムは疑うことなく、頷いた。俺を抱きよせて、額に口付けをくれる。今日はそこにしか触れないようだ。

 俺を抱く日は、額のあとに唇に口付けをするのだ。それが合図になっている。俺が口への口付けを嫌がって、寝たいのだと訴えれば、ヴィルも引き下がってくれるのだ。今日はヴィルにその気がないらしい。疲れているように見える。俺はもっと触れて欲しかったけど、今夜は我慢だ。

「おやすみ、ヴィル」
「うん。おやすみ、ノウェ」

 俺もヴィルの額に口付けをして目を閉じた。口から勢いで出た本屋という行先だが、意外に妙案かもしれない。俺に足りていないのは知識だ。一体どんな贈り物が良いのかという知識。そして、知識の源は書物だ。きっと俺が探し求める答えは、本屋にあるはず。そう信じて、俺も目を閉じた。

 今度は穏やかに眠れるような気がした。その予感の通り、俺はすぐに夢の中へと旅立つ。夢の中で、俺はヴィルヘルムに何かの贈り物をしていた。それが何なのかは分からない。何故か、そこだけ見ることが出来ないのだ。

 でも、ヴィルヘルムの嬉しそうな顔は見えた。俺からの贈り物を受け取って、嬉しそうに微笑んでいる。深い湖の色の双眸が、細められて目尻が下がった。こんなに嬉しそうなヴィルヘルムは滅多に見ることが出来ない。

 一体何を贈ったらそんな笑顔を見せてくれるのだろう。贈り物の正体が見えたら良かったのに。結局、夢の中の俺が何を贈ったのかが分からないまま、ヴィルヘルムの笑顔だけを見続けた。俺もこんな笑顔を見せる贈り物がしたい、と爪を噛みながら。

 朝食の習慣は相変わらずだ。ヴィルヘルムの足の間に入って、一つの匙でポリッジを食べる。飽きがこないように、少しずつ味が変えられていた。俺にばかり食べさせようとするヴィルの口に、俺が匙を持ってポリッジを流し込む。

 身支度を終えて、ヴィルヘルムが仕事へ向かう時間が来た。いつも通り、朝早い時間からの政務だ。ヴィルに合わせて仕事をする書記官は、早起きじゃないとやってられないな、とぼんやり考える。

「ノウェ、外出するときに気を付けて」
「うん。分かってる。気を付けるよ」

 ある意味で、俺は前科持ちなのだ。乗るべき馬車を間違えた。その結果、大騒動に発展してしまったことがある。フェルカー姉妹の事件以降、あんな物騒なことは起きていないけれど、俺は二度と過ちを繰り返さないように細心の注意を払っていた。

「楽しんでくると良い。行ってらっしゃい」

 皇帝としての佇まいになったヴィルヘルムが、寝着のままの俺を抱きしめる。抱きしめながら俺の唇に口付けをした。朝からこんな熱烈な口付けをされるなんて思っていなかった俺は慌ててしまう。

「……行ってらっしゃい、なのはヴィルだろ」

 今から出かけるヴィルヘルムなのだ。俺はアナスタシアが仕事を終えたあとでなければ出発出来ない。だというのに、ヴィルは俺に行ってらっしゃいを言った。変なの、と思いながらも嬉しくて、ちょっとだけ笑ってしまう。

 口付けによって齎された熱が、体の中で疼いている。俺だけだろうか。ヴィルは平然としていて、それが俺の羞恥を駆り立てた。二日と置かず、俺たちは体を繋げていた。だというのに、もう三日もご無沙汰だ。

 ヴィルが連日忙殺されているせいなのだけれど、俺の体は我慢の限界に来ているように思う。抱いて欲しいと思う日が来るなんて、本当に信じられない事だった。今すぐにでもヴィルを寝台に引っ張って行って、馬乗りになって、ヴィルのものを俺の中に入れてしまいたい。

 そんな強欲な感情をなんとか抑え込んで、爽やかな朝の空気を死守した。もう一度だけ、ヴィルヘルムを抱きしめて。そのぬくもりを堪能する。夢の中のヴィルのように喜んでもらえる贈り物を選ぼうと、決意を新たにした。

「仕事、頑張って」
「あぁ、ありがとう。頑張ってくるよ」

 俺も頑張る。心の中でそう付け加えながら、俺は夫であるヴィルヘルム・レンダール・リオライネン皇帝陛下を見送った。


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