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「……オーリ様、どうか、私に手伝いをさせて頂けませんか」
湯殿の向こう、扉を一枚挟んだ脱衣所から声が聞こえる。テオドールの声だ。懇願するような悲しげな声音で、聞いていると胸が苦しくなる。
「一人で出来るから、大丈夫だよ」
「しかし……、滑って転ばれでもしたら」
「ゆっくりと動くから。心配しないで」
私は日課になっている湯浴みをするため、己一人の手で衣類を全て脱ぎ、杖をつきながらゆっくりと湯船に近付いている。服を脱いでいる最中も、ずっとテオドールの手伝わせてくれ、という声が聞こえていた。その全てを私は固辞している。
「……見守ることすら、お許し頂けませんか」
片足一本あれば、壁伝いに何とか進めるものなのだ。湯が張られ、白い湯気の立つ湯船にゆっくりと体を浸していく。テオドールが手伝ってくれるのであれば、あっという間に服が脱がされ、体は温かい湯の中に入っていたことだろう。
「ごめんね、テオ」
「……承知致しました」
私の頑なな意思を感じ取ったのか、テオドールは引き下がった。それでも、脱衣所から出ていく気配はない。いつだってそばにいてくれる彼の存在に救われながら、汚れのない彼の存在に苦しめられている。
水面にぼんやりと映る自分の輪郭は朧気で、まるで私ではないようだ。真っ白の長い髪が、水面に浮いている。こんな色ではなかったのに。どんな色だったかは忘れてしまったけれど、こんなに真っ白ではなかった。それだけは覚えている。
ぽたぽたと、水面を打つものがあった。それが自分の瞳から零れ落ちる涙であることに気付くのに少し時間がかかる。私は泣いていた。どうして涙が出るのかは、分からない。
ただ、思い通りにならない全ての事象に心を乱されていた。愛したいのに。愛されたいのに。それを拒む心が胸に埋め込まれている。この心を壊せば、テオドールに触れることが出来るのだろうか。心に詰まる澱を封じ込めれば、テオドールを心から愛することが出来るのだろうか。
「オーリ様、問題はございませんか」
俯いて涙を流す私へ、テオドールが声を掛けてくれる。本当に心配性だなぁ、と何だか笑えてしまって、涙が止まった。
「大丈夫だよ、テオ」
テオドールが心配しないように、手早く体を洗っていく。湯殿の中に用意してもらった椅子に腰を下ろして、身体中を綺麗にしていく。どれだけ強く擦っても、痣は消えてくれないけれど。
「そろそろ出るから、脱衣所の外へ行ってもらっても良いかな」
「……お体を拭く手助けも、いけませんか」
「自分で出来ることは、自分の手でやりたいんだ」
その気持ちは嘘じゃない。何もかもテオドールにやってもらうのは間違っていると思うのだ。私は幼児ではない。体に不自由はあれど、自分で出来ることはするべきだと思ってた。
そしてなによりも、私の体に触れて欲しくなかった。その気持ちが一番強い。醜い痣にテオドールの指が触れるたび、叫びたくなる。局部へ付けられた火傷の跡をテオドールの目が悲しげに見つめるたび、逃げ出したくなるのだ。
「……私は何か、オーリ様の不興を買うようなことを致しましたか」
驚いたことに、テオドールがそんなことを口にした。自分に何か不手際があり、私がテオドールを遠ざけているとでも思っているようだった。そんなこと、あるわけがないのに。
「そんなことはないよ。テオは私によくしてくれている」
「……では、何故突然……昨日までは、お手伝いすることをお許しくださっていました」
確かに、テオドールの言う通りではある。昨日までは、テオドールに甘え切っていた。何をするにもテオドールの手を借りて、彼なしでは何も出来ないと言った様子だったのだ。
「ブレンダンが、何かオーリ様に申しましたか?」
どきりとしてしまう。核心を突かれた。あの男が現れ、あの男が私に向けた言葉と視線が、私を追い詰めた。そんな汚れた身でテオドールに触れるのかと、私自身を叱責する私が、心の中に現れたのだ。
私を責める私は、随分前から私の胸の中に住んでいた。それでも、見て見ぬふりが出来たのだ。テオドールが優しく私に触れるたびに、そんな私が心の奥底へ沈んでいっていた。
だが、ブレンダンの言葉と視線が、そんな私を汚泥の底から呼び起こした。お前なんかが触れたらテオドールが汚れる、と盛んに泣き叫ぶ私の言葉は、とても正しく聞こえた。
「何も言われていない」
「ですが……。あの男が現れてから、オーリ様のご様子が可笑しいのでは、と」
「……ごめん、テオ。出て行って」
上手く誤魔化すことが私には出来なかった。私がどれだけ言葉を尽くして糊塗したとしても、テオドールには全て見透かされているように思えるほどだったのだ。
「……御命令のままに」
少し強い言葉で、テオドールを脱衣所から追い出す。扉が開き、そして閉じる音が聞こえた。彼が近くにいないことに不安を抱く反面、安堵もあった。相反する感情が私の中に渦巻いて、酷く翻弄されている。
湯から上がり、杖をつきながらゆっくりと進む。そして脱衣所に戻り、そこに置かれた椅子に腰をおろして全身を拭いていった。随分と時間をかけて寝間着を纏う。
濡れた杖もしっかりと拭いて、そうして杖をつきながら脱衣所を出る。そこでは、テオドールが私を待っていた。随分と心配そうな顔をしていて、私は少し笑ってしまう。
「ほら、一人でもちゃんと出来ただろう?」
「はい。……ご立派です」
不服だ、と言う気持ちがありありと伝わってくる声音だった。本当は手伝いたかったのだと、言葉以上に彼の表情が物語っている。私はそんなテオドールに、どう納得してもらえばいいのかが分からなかった。
「深く考えないでくれ。自分のことくらい自分で出来なければ、これから困るだろうと思っただけなんだ」
言い訳じみた言葉を重ねる。けれど、間違ったことは言っていないと思うのだ。私だって、成人を迎えた一端の男だ。身の回りのことを、他人に委ねてばかりいると言うのは褒められたことではないと思う。
「ご自身で全て為されて、それでどうするのです? このテオドールを置いて、どこかへ行かれるのですか?」
眼前に影が差した。テオドールの手が私の顔の横を通って、背後の扉に付けられている。私の体は、テオドールと脱衣所の扉の間に挟まれて身動きが取れない。
「……何も出来なくて良いのです。私が全て……、オーリ様が必要と思うこと全てを私が致します」
顔と顔が触れてしまいそうなほど近くまで、テオドールが距離を詰めた。赤い瞳が、真っ直ぐに私だけを見ている。彼の体は私に一切触れていない。けれど、触れられている時以上に鼓動が早鐘を打った。
「勝手を申しました。どうか、お許し下さい」
ぱっと、影が引いていく。テオドールは一歩後退し、頭を下げた。私は何の言葉も出せず、小さく頷くことしか出来ない。触れてはいけないと自縛しながらも、彼が近づいてくれたことが嬉しかったのだ。
いまだに早く脈打つ体を携えながら、自室へと戻る。部屋の中にはいくつもの燭台が置かれ、ぼんやりと薄闇を照らしていた。温かい体のままベッドへと潜り、私は目を閉じる。
相変わらずテオドールはソファで眠っている。かつては同じベッドで寝て欲しいなどと強請ったが、今となっては別々の場所で眠る現状に助けられている。とはいえ、テオドールにも大きなベッドで眠って欲しい。代わりに、私がソファで寝ればいいのだ。
眠気は全くやって来ない。私はテオドールの寝息を感じて、ベッドから出た。そしていつものように、床を這いながらソファへと向かう。
毎夜の恒例となっていた、彼への口付け。額にそっと触れるだけのもの。そのささやかな接触を私は楽しんでいた。今夜も、ゆっくりとテオドールへと近づく。
汚い体でテオに触れるな。
私の中で、私の怒声が響き渡った。体が震える。後退りながら、テオドールから離れていった。震える両手で己の口を覆う。汚れた唇で彼に触れようだなんて、私は一体何を考えていたのか。
「……今夜は、口付けを下さらないのですか」
肩がびくりと震える。目を閉ざしたまま、テオドールが口を開いたのだ。ぐっすり眠っていると思っていたのに、どうやら彼は眠ってなどいなかったらしい。私の震えは増していく。
「お、起きて……、もしかして、ずっと気付いていたのか?」
「騙すような真似をして、申し訳ありません。ですが、起きていると知られてしまえば、オーリ様が私に触れて下さらないと思ったので……」
なんということだ。テオドールは、ずっと起きていた。私が夜、ベッドから這い出て彼に口付けすることを知っていたのだ。恥ずかしくて、顔が熱い。それと同時に、己の悪事を知られたようで焦燥が体を駆け抜ける。
「どうして、今夜は触れて下さらないのですか」
「……私は、汚いから」
「汚くなどありません」
テオドールの否定は、即座に飛んできた。いつだってそうだ。テオドールは私を汚くない、と言ってくれる。美しい、だなんて的外れな評価をくれるのだ。ぐつぐつと、私の奥底に潜む汚泥が煮立っていく。
「テオは、……テオは、あの時の私を見ていないじゃないか」
惨めだった。苦しかった。痛かった。尊厳を踏みにじられて、生きていく気力全てを奪われた。私は本当に汚かったんだ。男の精を全身に掛けられ、汚いものを咥えさせられて。本当に、本当に、穢れてしまったんだ。
「私が何をされたかも知らないで、汚れていないなんて軽々しく言うな!」
煮立ったものが、勢いよく爆発した。身を起こし、ソファに座っていたテオドールが酷く驚いたような顔をして私を見ていた。床に座り込み、私はそんな彼を見上げる。戸惑いを隠せない赤い双眸を見て私は、しまった、と焦った。
「……すまない。そんなことを言いたいわけじゃないんだ……テオ、ごめん……ごめんなさい」
「謝る必要などありません。どうぞ、私を詰ってください。貴方様をお救い出来なかった、愚かな私をどうか」
床へ降りて、私と同じ高さでテオドールが私に懇願した。どうして私が彼を詰ることなど出来るだろう。彼は何も悪くないのだ。私にはもう、自分がどうしたいのかが分からなかった。頭が疲れ果てて、俯く。
「もう、……眠る」
「お手伝いをさせてください」
「大丈夫だよ」
「しかし」
座りながら床の上を進む。私はテオドールの申し出を断り続けた。そうすることで、彼を傷つけていることは分かっていたのに。テオドールから見える私の背中は、何と惨めで小さいことだろう。
「テオ。……お願いだから、私に触れないで」
湯殿の向こう、扉を一枚挟んだ脱衣所から声が聞こえる。テオドールの声だ。懇願するような悲しげな声音で、聞いていると胸が苦しくなる。
「一人で出来るから、大丈夫だよ」
「しかし……、滑って転ばれでもしたら」
「ゆっくりと動くから。心配しないで」
私は日課になっている湯浴みをするため、己一人の手で衣類を全て脱ぎ、杖をつきながらゆっくりと湯船に近付いている。服を脱いでいる最中も、ずっとテオドールの手伝わせてくれ、という声が聞こえていた。その全てを私は固辞している。
「……見守ることすら、お許し頂けませんか」
片足一本あれば、壁伝いに何とか進めるものなのだ。湯が張られ、白い湯気の立つ湯船にゆっくりと体を浸していく。テオドールが手伝ってくれるのであれば、あっという間に服が脱がされ、体は温かい湯の中に入っていたことだろう。
「ごめんね、テオ」
「……承知致しました」
私の頑なな意思を感じ取ったのか、テオドールは引き下がった。それでも、脱衣所から出ていく気配はない。いつだってそばにいてくれる彼の存在に救われながら、汚れのない彼の存在に苦しめられている。
水面にぼんやりと映る自分の輪郭は朧気で、まるで私ではないようだ。真っ白の長い髪が、水面に浮いている。こんな色ではなかったのに。どんな色だったかは忘れてしまったけれど、こんなに真っ白ではなかった。それだけは覚えている。
ぽたぽたと、水面を打つものがあった。それが自分の瞳から零れ落ちる涙であることに気付くのに少し時間がかかる。私は泣いていた。どうして涙が出るのかは、分からない。
ただ、思い通りにならない全ての事象に心を乱されていた。愛したいのに。愛されたいのに。それを拒む心が胸に埋め込まれている。この心を壊せば、テオドールに触れることが出来るのだろうか。心に詰まる澱を封じ込めれば、テオドールを心から愛することが出来るのだろうか。
「オーリ様、問題はございませんか」
俯いて涙を流す私へ、テオドールが声を掛けてくれる。本当に心配性だなぁ、と何だか笑えてしまって、涙が止まった。
「大丈夫だよ、テオ」
テオドールが心配しないように、手早く体を洗っていく。湯殿の中に用意してもらった椅子に腰を下ろして、身体中を綺麗にしていく。どれだけ強く擦っても、痣は消えてくれないけれど。
「そろそろ出るから、脱衣所の外へ行ってもらっても良いかな」
「……お体を拭く手助けも、いけませんか」
「自分で出来ることは、自分の手でやりたいんだ」
その気持ちは嘘じゃない。何もかもテオドールにやってもらうのは間違っていると思うのだ。私は幼児ではない。体に不自由はあれど、自分で出来ることはするべきだと思ってた。
そしてなによりも、私の体に触れて欲しくなかった。その気持ちが一番強い。醜い痣にテオドールの指が触れるたび、叫びたくなる。局部へ付けられた火傷の跡をテオドールの目が悲しげに見つめるたび、逃げ出したくなるのだ。
「……私は何か、オーリ様の不興を買うようなことを致しましたか」
驚いたことに、テオドールがそんなことを口にした。自分に何か不手際があり、私がテオドールを遠ざけているとでも思っているようだった。そんなこと、あるわけがないのに。
「そんなことはないよ。テオは私によくしてくれている」
「……では、何故突然……昨日までは、お手伝いすることをお許しくださっていました」
確かに、テオドールの言う通りではある。昨日までは、テオドールに甘え切っていた。何をするにもテオドールの手を借りて、彼なしでは何も出来ないと言った様子だったのだ。
「ブレンダンが、何かオーリ様に申しましたか?」
どきりとしてしまう。核心を突かれた。あの男が現れ、あの男が私に向けた言葉と視線が、私を追い詰めた。そんな汚れた身でテオドールに触れるのかと、私自身を叱責する私が、心の中に現れたのだ。
私を責める私は、随分前から私の胸の中に住んでいた。それでも、見て見ぬふりが出来たのだ。テオドールが優しく私に触れるたびに、そんな私が心の奥底へ沈んでいっていた。
だが、ブレンダンの言葉と視線が、そんな私を汚泥の底から呼び起こした。お前なんかが触れたらテオドールが汚れる、と盛んに泣き叫ぶ私の言葉は、とても正しく聞こえた。
「何も言われていない」
「ですが……。あの男が現れてから、オーリ様のご様子が可笑しいのでは、と」
「……ごめん、テオ。出て行って」
上手く誤魔化すことが私には出来なかった。私がどれだけ言葉を尽くして糊塗したとしても、テオドールには全て見透かされているように思えるほどだったのだ。
「……御命令のままに」
少し強い言葉で、テオドールを脱衣所から追い出す。扉が開き、そして閉じる音が聞こえた。彼が近くにいないことに不安を抱く反面、安堵もあった。相反する感情が私の中に渦巻いて、酷く翻弄されている。
湯から上がり、杖をつきながらゆっくりと進む。そして脱衣所に戻り、そこに置かれた椅子に腰をおろして全身を拭いていった。随分と時間をかけて寝間着を纏う。
濡れた杖もしっかりと拭いて、そうして杖をつきながら脱衣所を出る。そこでは、テオドールが私を待っていた。随分と心配そうな顔をしていて、私は少し笑ってしまう。
「ほら、一人でもちゃんと出来ただろう?」
「はい。……ご立派です」
不服だ、と言う気持ちがありありと伝わってくる声音だった。本当は手伝いたかったのだと、言葉以上に彼の表情が物語っている。私はそんなテオドールに、どう納得してもらえばいいのかが分からなかった。
「深く考えないでくれ。自分のことくらい自分で出来なければ、これから困るだろうと思っただけなんだ」
言い訳じみた言葉を重ねる。けれど、間違ったことは言っていないと思うのだ。私だって、成人を迎えた一端の男だ。身の回りのことを、他人に委ねてばかりいると言うのは褒められたことではないと思う。
「ご自身で全て為されて、それでどうするのです? このテオドールを置いて、どこかへ行かれるのですか?」
眼前に影が差した。テオドールの手が私の顔の横を通って、背後の扉に付けられている。私の体は、テオドールと脱衣所の扉の間に挟まれて身動きが取れない。
「……何も出来なくて良いのです。私が全て……、オーリ様が必要と思うこと全てを私が致します」
顔と顔が触れてしまいそうなほど近くまで、テオドールが距離を詰めた。赤い瞳が、真っ直ぐに私だけを見ている。彼の体は私に一切触れていない。けれど、触れられている時以上に鼓動が早鐘を打った。
「勝手を申しました。どうか、お許し下さい」
ぱっと、影が引いていく。テオドールは一歩後退し、頭を下げた。私は何の言葉も出せず、小さく頷くことしか出来ない。触れてはいけないと自縛しながらも、彼が近づいてくれたことが嬉しかったのだ。
いまだに早く脈打つ体を携えながら、自室へと戻る。部屋の中にはいくつもの燭台が置かれ、ぼんやりと薄闇を照らしていた。温かい体のままベッドへと潜り、私は目を閉じる。
相変わらずテオドールはソファで眠っている。かつては同じベッドで寝て欲しいなどと強請ったが、今となっては別々の場所で眠る現状に助けられている。とはいえ、テオドールにも大きなベッドで眠って欲しい。代わりに、私がソファで寝ればいいのだ。
眠気は全くやって来ない。私はテオドールの寝息を感じて、ベッドから出た。そしていつものように、床を這いながらソファへと向かう。
毎夜の恒例となっていた、彼への口付け。額にそっと触れるだけのもの。そのささやかな接触を私は楽しんでいた。今夜も、ゆっくりとテオドールへと近づく。
汚い体でテオに触れるな。
私の中で、私の怒声が響き渡った。体が震える。後退りながら、テオドールから離れていった。震える両手で己の口を覆う。汚れた唇で彼に触れようだなんて、私は一体何を考えていたのか。
「……今夜は、口付けを下さらないのですか」
肩がびくりと震える。目を閉ざしたまま、テオドールが口を開いたのだ。ぐっすり眠っていると思っていたのに、どうやら彼は眠ってなどいなかったらしい。私の震えは増していく。
「お、起きて……、もしかして、ずっと気付いていたのか?」
「騙すような真似をして、申し訳ありません。ですが、起きていると知られてしまえば、オーリ様が私に触れて下さらないと思ったので……」
なんということだ。テオドールは、ずっと起きていた。私が夜、ベッドから這い出て彼に口付けすることを知っていたのだ。恥ずかしくて、顔が熱い。それと同時に、己の悪事を知られたようで焦燥が体を駆け抜ける。
「どうして、今夜は触れて下さらないのですか」
「……私は、汚いから」
「汚くなどありません」
テオドールの否定は、即座に飛んできた。いつだってそうだ。テオドールは私を汚くない、と言ってくれる。美しい、だなんて的外れな評価をくれるのだ。ぐつぐつと、私の奥底に潜む汚泥が煮立っていく。
「テオは、……テオは、あの時の私を見ていないじゃないか」
惨めだった。苦しかった。痛かった。尊厳を踏みにじられて、生きていく気力全てを奪われた。私は本当に汚かったんだ。男の精を全身に掛けられ、汚いものを咥えさせられて。本当に、本当に、穢れてしまったんだ。
「私が何をされたかも知らないで、汚れていないなんて軽々しく言うな!」
煮立ったものが、勢いよく爆発した。身を起こし、ソファに座っていたテオドールが酷く驚いたような顔をして私を見ていた。床に座り込み、私はそんな彼を見上げる。戸惑いを隠せない赤い双眸を見て私は、しまった、と焦った。
「……すまない。そんなことを言いたいわけじゃないんだ……テオ、ごめん……ごめんなさい」
「謝る必要などありません。どうぞ、私を詰ってください。貴方様をお救い出来なかった、愚かな私をどうか」
床へ降りて、私と同じ高さでテオドールが私に懇願した。どうして私が彼を詰ることなど出来るだろう。彼は何も悪くないのだ。私にはもう、自分がどうしたいのかが分からなかった。頭が疲れ果てて、俯く。
「もう、……眠る」
「お手伝いをさせてください」
「大丈夫だよ」
「しかし」
座りながら床の上を進む。私はテオドールの申し出を断り続けた。そうすることで、彼を傷つけていることは分かっていたのに。テオドールから見える私の背中は、何と惨めで小さいことだろう。
「テオ。……お願いだから、私に触れないで」
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