オーリの純心

シオ

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 眠りに落ちたオーリ様の体を、そっとベッドへと下ろす。あどけなさの残る寝顔が愛らしく、その額に口付けを落とした。

 どれだけ肌を重ねても、満足するということがなかった。もっと、もっと、と求め続けてしまう。今夜もたっぷりと愛し合い、湯殿の中で眠りに落ちてしまったオーリ様の身の回りの対処を全て俺一人でこなした。

 体の隅々まで洗い、俺がオーリ様の中に吐き出してしまったものを取り除く。そして、風邪など召されぬように手早く体を拭いて、髪もしっかりと乾かすのだ。

 ベッドの上で穏やかな寝息を立てるオーリ様の足に触れる。寝間着をたくしあげ、傷だらけの足を眺めた。医者から処方されている薬をしっかりと塗り込む。オーリ様に起きる気配はなかった。行為の後は大抵ぐっすりと眠られ、朝まで起きることはないのだ。

 美しい白い肌の上に、無数の傷が走っている。切りつけたもの。殴りつけたもの。それら一つ一つが、少しでも癒えますようにと祈りながら薬を塗り込む。

 筋肉量の差から、足の太さが異なる右足と左足。少しずつその差は埋まってきてはいるが、それでも右足の細さは同年代の男と比べると異常だった。

 右足の踵に触れる。おそらく、ここが一番酷い傷跡だ。大きく踵を抉る切りつけられた痕と、その傷を覆うようにつけられた凄惨な火傷。どうしてこんなことが出来るのかと、毎度薬を塗るたびに心の底から思う。

「……こうなる前に、救えていたら」

 悔恨は、いつだって胸の中にあった。今、オーリ様と幸福な日々を過ごしていても常に俺の中には後悔が残り続けている。オリヴィエ様を救えなかった。それは俺が生涯背負うべき咎なのだ。

 あの日々に記憶が戻る。俺は、オリヴィエ様の生存という一縷の望みだけを頼りに動き出していた。きっと生きておられる。逃げおおせて、どこかで助けを待っているのだ。きっとそうだ。そう信じて、俺は必死に駆け回っていた。

 焦燥を抱えながらオリヴィエ様の目撃情報などを必死にかき集めていた。だが、市街の暴徒たちに捕まっていたという情報までは収集できても、その先が全く見えてこないのだ。

「テオドール様、ブレンダン・ウィンパーという方がいらっしゃっておりますが」

 軍属ではなくなった俺は自邸を活動拠点とし、そこから各地へと情報収集に赴いていた。そんな俺のもとへ、かつての同僚が訪れたと家令のモルガンが伝える。門前払いしても良かったのだが、一体どんな用向きで訪れて来たのかにも興味があり、屋敷内へと通す。

「何の用だ」
「随分とやつれているな。人相が変わった」
「何の用かと聞いている」

 無駄な会話をする気はなかった。一応、応接間へと案内させたが、それは最低限の礼を示すためであって、愉快な世間話に花を咲かせるためではない。そんな俺の気持ちが伝わったのか、ブレンダンは核心に触れる話題を持ち出した。

「お前はオリヴィエ様を探しているんだろう? それも、相当熱心に捜索していると耳にした」
「だからなんだ」
「俺もオリヴィエ様を探している。協力し合わないか」

 ブレンダンの言葉に嘘はないのだろう。だが、俺と同じ志であるとは思わなかった。軍人であった時よりも身綺麗になった全身を、俺は侮蔑を込めた目で見た。

「ブレンダン、お前は軍人を辞めて政治家になったらしいな。オリヴィエ様を探すのはそのためか?」
「それもある。この国にはやはり、正当な血筋を持つ方が必要だ。神から与えられた王権を持つ方が治めなければ、この国は永遠にまとまらない。国のため、俺はオリヴィエ様を見つけ出さなければならないのだ」
「国のため? お前はそんなに高潔で、崇高な人間だったろうか。……随分と俺の印象と異なる」
「何だと」

 俺もブレンダンも、共に軍属ではない。だが、ただの一般人になった俺とは異なり、この男は政治家になったそうだ。国王軍の所属であった者は親国王派と見做されることが多い。そんな軍人が、国王亡き今、軍に属していたとしてもそれ以上の展望は抱けないだろう。

 今の議会を牛耳る反国王派を一掃し、親国王派で国の舵取りをしたい。そうして、ゆくゆくは安定した強い権力を得たいと言うのが、この男の野望なのだ。王家の方々のためではなく、己の出世欲のためにしか尽力していない。

 野望を抱くこと自体を悪し様に貶すつもりは毛頭ない。何かしらの欲で人は動くものだ。だがそこに、オリヴィエ様が絡むとなれば話は別だ。

「国王としてオリヴィエ様を擁立し、その後見役でも務める気か?」

 オリヴィエ様がそれを望まれるのならば、良い。王家の方々を葬った連中を地獄へ送りこめと俺に命じられるのであれば、喜んでそうしよう。だが、あの方はきっとそんなことは望まない。玉座だって、欲したりはしないだろう。

「……まぁ良い。俺は、あの方が生きてさえいてくれれば何だって良い」

 ブレンダンの野望など、俺にはどうでも良かった。この男が血眼になってオリヴィエ様を探し、その居場所を俺に教えてくれるのなら、どんな野望を抱いていようとも気に留めることはない。

「少なくとも、市街地にはもうオリヴィエ様はおられない」

 そんな分かり切ったことを俺に伝えるために、わざわざやって来たのか。鼻で笑ってしまいそうになる。だが、しばらくは協力関係を結ぶ相手だ。あまり虚仮にしてしまっては哀れだと思い、その笑いはぐっと押し込めた。

 どこにいるか分からない人を、当てもなく探す。それが一体どれだけ無謀で、果てしない行動なのかを俺は痛いほどに理解した。

 そんなオリヴィエ様を探す旅の中で出会ったのが、ジグムントだった。森の中でぼうっとしていた俺のもとへ、大きな黒犬のアルフレドがやって来たのが始まりだった。

 狼にしては小さく、ただの犬というには大きいアルフレドは人懐こい顔をして俺に食べ物をせがんできた。オリヴィエ様のいない世界で、投げやりに生きていた俺は求められるままに食料を与えたのだ。

 そこに飼い主のジグムントがやって来た。ジグムントは単純に良いやつだった。無学であっても、愚鈍ではない。強く生きる姿に俺は励まされたりもした。

 ジグムントが住む村を通過して遠方へ行くことが多かった俺は、次第にジグムントやアルフレドと打ち解けて親しい間柄になっていく。

「探し物はまだ見つからねぇのか?」

 人探しだと何度説明してもジグムントは、探し物、と言う。彼にとって、探すという行動は物にしか結びつかないのかもしれない。俺はいちいち訂正するのも面倒になって、そのままで放っておいた。

「……見つからない」

 ジグムントの住む小屋は、質素な作りで掃除も行き届いておらず不衛生なところがあるが、それでも居心地はとても良かった。俺は頻繁にジグムントのもとへ向かい、愚痴を聞いてもらったりしていたのだ。

「それでも、諦めるつもりはないんだろう?」
「あぁ、それだけは絶対にない」
「じゃあ、頑張んなきゃだな」

 そう言って俺の背中をバシンと叩くジグムント。ジグムントは厳しい。一切の甘えを許してはくれない。諦めるな。頑張れ。辛くても進め。そう言って、俺を鼓舞してくれる。きっと俺は、励まして欲しくてジグムントのもとへ行くのだ。

「ま、今日はゆっくり休め。何にも、もてなしたりは出来ねぇけど。村にも顔を出してくれると嬉しい。みんなが喜ぶ」
「……あぁ、ありがとう。そうするよ」

 無垢なジグムントと接していると癒やされる。この村の人々も、革命だの暴動だのと言うものをよく理解しておらず、王都で何か起こってるんだなぁと言う程度だ。そんな人々に囲まれていると、気が休まるのだ。

「ジグムントはどうなんだ? 商売は上手くいってるのか」
「まぁ、そこそこって感じだな。でも近々、大富豪の家に大規模な強盗が入るって噂があって。俺もそのおこぼれに預かろうと思ってんだ」
「強盗か……、物騒だな」
「今の世の中、どこだって物騒だろ。穏やかなのはこの村くらいだ」

 確かに、と頷く。王都では盗みや殺人、強姦などが日常茶飯事と化している。どう考えても、陛下が治めておられた時の方が穏やかで静かだった。貧しい者が富める者から奪い、強いものが弱いものを虐げる。そこかしこに地獄が広がっていた。

「武器を持っている者もきっと多い。気をつけるんだぞ」
「分かってる分かってる」
「お前が怪我でも負えばアルフレドが悲しむ。無事を祈ってるよ」
「ありがとな。テオドールの宝物が、ちゃんとお前の手元に戻ってくることを俺も祈ってるよ」

 気休めではなく、心の底から祈ってくれていることが分かる声音だった。そんなジグムントに俺は、ありがとう、と返す。村の人々に騎士様などと持て囃され、優しい人たちの空気に包まれながらその日を過ごし、俺は自邸へと戻った。

「確定情報ではないが、お姿が大きく変わられた可能性がある」

 ブレンダンがそんなことを口にした。ブレンダンは、自分のかつての部下たちを呼び寄せ、己の駒として利用しているようだった。人海戦術が行えるブレンダンは、多くの情報を集めてくる。だがそれらは、玉石混交といった有様であった。吟味して耳を傾けなければならない。

「お姿が……? どういうことだ」
「オリヴィエ様のような人物を見つけたがどうにも風貌が違った、というような情報がいくつか集まってきたんだ。推測の範疇を出ないが、もしかすると以前と全く同じお姿ではないのかもしれない」

 その発言には、納得出来るところもあった。これだけの時間と人数を使って、その姿の片鱗すら掴むことが出来ない。これは、姿形にお変わりがあったことを想定に入れるべきだった。

 ブレンダンのその発言を頭に入れて、オリヴィエ様探しを続ける。お姿が変わっている可能性も考慮して、捜索の幅を広げ始めた頃。とある酒場で、偶然席が近くなった男にオリヴィエ様のことを尋ねたのだ。

 もちろん、素性は隠す。十代後半であること、榛色の髪か、薄灰の双眸を持っていること。そういった、断片的な情報を出して何かの情報が引っ掛かることを祈るのだ。

「年齢はよく分からないけれど、薄い灰色の瞳をした男娼を見たことがあるよ」

 薄灰色の瞳は、あまりこの国の中で存在しない色合いだと思う。俺が知る限りでは、王妃様の血筋以外にその色の瞳を持つものはいなかった。

 それは他国から嫁いで来られた王妃様だけが持っている色だったのだ。王妃様とそのお子様だけが有するその色に合致する人が現れた、と喜ぶ前に、俺は驚愕で喉を詰まらせる。

「男、娼……?」
「あぁ。俺が庭師として雇われてるところの旦那が、大層気に入って囲ってるんだ。でも榛色の髪ではなかったなぁ。あれは何色って言うんだ? よくわかんねぇな」

 男娼。それは、春をひさぐ男のことだ。そんな存在が薄灰色の瞳を持っていた。ただ、それだけのこと。それがオリヴィエ様なわけがない。そんなことがあってたまるか。

「旦那の執心が酷いらしくて、その男娼が少し俺を見ていただけで色目を使っただの何だのと言って折檻したらしいんだ。俺はそこの家令に、その男娼を一切見るなって言われちまってよ。別に見たくて見たわけじゃねぇんだ。偶然目があっただけなんだよ。確かに綺麗な顔してたけど、男ってのはなぁ。俺、そっちの気はねぇんだ」

 酒を呷る男の口はよく回った。考えたくもないのに、その男娼の姿が何故かオリヴィエ様と重なる。そんなこと、あるわけがない。否定をする。何度も否定を重ねた。それでも、気になってしまう。

「それは……どこの家の屋敷なんだ?」
「ここらで一番の金持ち、アントンさんのとこだよ」
「アントン?」
「何だよ、あんた知らねぇの? 今、飛ぶ鳥を落とす勢いの弁護士さんだよ。この革命だって、アントンさんが指揮したって噂だ」

 革命という名の暴動を指揮したのは貴族の連中だと言われているが、確かに彼らが新聞屋を利用するなど俗っぽいことをするだろうか。入れ知恵があったと考えるべきだ。その弁護士だという男が、貴族たちに指示を出し、貴族が指揮しているように見せた。それなら辻褄が合う。

「……アントン」

 拭っても、拭っても、どうして男娼の存在が頭から離れない。アントンとやらの邸宅を一度調べてみる必要があるな、と考えていたその日の夜に、どうやらアントン邸が強盗被害にあったらしかった。

 まさか、それがジグムントが言っていた富豪への強盗だとは。この時の俺にはそれを知る術がなかった。この当時、邸宅への強盗などいくつもあり、珍しいものではなくなっていたのだ。

 だが、この時、ジグムント共にアントン邸へ行っていれば俺はもっと早くにオリヴィエ様と再会出来たのだろう。そうして俺は、オリヴィエ様の影すら掴めないまま、無為に日々を過ごしたのだ。


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