オーリの純心

シオ

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 一度、大きく息を吸って、そして吐く。震える手で、寝間着のボタンを外していった。震えているのは、恐怖と緊張があるからだ。それらを受け止めて、私は前へ進む。

「オーリ様……、一体何をされるのですか」

 何が始まるのか、とテオドールは困惑した声を出した。見守るとは言ったものの、何を見守ればいいのか。そんな狼狽を感じられる声音だった。

「……私の傷を、見て欲しい」

 上半身に纏う寝間着のボタンは全て外した。そうして、私はそれを脱ぎ捨てベッドの上に放り投げる。体の半分を晒し、冷たい空気が体を撫でていった。けれど、体の奥が熱い。それは、羞恥による熱だった。

「テオに……私が、何をされてこの傷を負ったのか、知って欲しいんだ」

 ぼんやりとした燭台の灯の中でも、はっきりと私の体に散る痣や傷跡は見て取れる。見られたくなかったし、触れてほしくなかった。けれど、そうやっていつまでも隠していては進めないのだ。

「ずっと、怖かった。テオに、私の体を見られるのが……触れられるのが、怖かった。……でも、私はテオに触れたいし……触れて欲しい」

 怖がる心と、願う心がいつだってぶつかり合って争っていた。その間に立ち、私は翻弄されるばかりだったのだ。だが、それを乗り越える時が来た。それが、今なのだ。

「だから、乗り越えたいんだ。テオに、私の全てを知ってもらって……そうして、受け入れてもらいたいと、思って……」

 下に穿くものにもいくつかボタンがついており、それも外していく。不自由な右足のために、脱ぎ着がしやすい構造になったズボンを外して脱いだ。最後には、局部を隠すだけの腰布一つが残される。

「分かりました、貴方から目を逸らしません。見届けさせて頂きます」

 テオドールは、しっかりと私の目を見てそう言ってくれた。怖くない。大丈夫、何も怖くない。自分にそう言い聞かせ、腰布も取り去った。ついに私は、一糸纏わぬ姿のまま、テオドールの前に腰をかける状態になる。

 裸を見られるのは、かつても何度かあった。入浴を手伝ってもらっていた頃などは、当たり前のように晒していたのだ。だが、ここ最近は随分とテオドールに素肌を晒していない。だからこそ、羞恥が強く湧いてきた。

 恥ずかしさをぐっと堪え、見られている恐怖と向き合いながら、私は自分の首元に色濃く残る、黒々とした痣に触れた。

「首の……この痣は、よく首を締められていて、その鬱血痕が痣になってしまったんだ。首を締められながら、……何度も、抱かれていた」

 革命軍などと自称していた暴徒たちの集会場で、私は最も多く暴力を受けていた。後ろに男のものを突っ込まれている時によく首を締められ、そうするとよく締まるのだと言って、何度も何度も首を強く掴まれた。

「胸のあたりの切り傷は、このあたりを切って、流れる血を吸いたがる男がいて……その男が何度も傷をつけるせいで、瘡蓋が盛り上がってミミズが這うような痕が残ってしまった」

 胸からの出血を、まるで赤子が母乳を吸うかのごとく吸い上げる変質者がいた。気味が悪く、一切理解できない行為だったが、執拗にそれを繰り返され、消えない瘡蓋になってしまったのだ。

「……このあたりは、その……戯れに、下の毛を燃やされて、その時の火傷が癒えないまま痕になって……」

 自分の下腹部へ手をやって、焼けついてしまった皮膚を撫でる。もともと体毛は薄い方だったが、下の毛を焼かれ、皮膚が硬くなったことで、もう二度と毛は生えてこなかった。

 火で炙られるのは、怖かった。痛くて、苦しくて。そんな私を見てげらげらと笑う男たちの声が蘇る。呼吸が荒くなり、涙がぽろぽろと瞳から零れ落ちた。

「オーリ様、大丈夫ですか」
「……大丈夫。向き合うって、決めたんだ。……もう逃げない。私は、前へ進みたいんだ」

 あんな暴力には、二度と遭わない。テオドールが私のそばにいてくれるのだ。あんなことは、二度と私の身には起こらない。過ぎたものとして、乗り越えるんだ。終わったことだ。もう、怖くない。

「初めて……、抱かれた時、痛くて、苦しくて、泣き喚いたせいで、背中に激しく鞭を打たれてしまった。……自分ではよく見えないけれど、背中にもたくさん傷跡があると思う」

 きっとあれは、拷問用か何かの鞭だった。尖ったものがたくさんついていて、傷をつけるためのような構造をしていたように思う。背中の皮が剥がれ落ち、傷口が膿んで、発熱まで引き起こしたのだ。その傷跡も、随所に残っていることだろう。

「足の腱は、逃げようとして……逃げられなくて。二度と逃げないようにと腱を切られて……、傷跡を塞ぐために暖炉に入っていた火掻き棒で焼かれたんだ」

 傷の程度として、一番尾を引いているのがこの右足だろう。一度切られた腱は、二度と元には戻らない。私は一生、この不便な右足と共に生きていかなければならないのだ。

 ドン、という強い音が響いた。何事かと驚いて見れば、テオドールが床を殴りつけていたのだ。今までじっと聞いてくれていたテオドールが、怒りをぶつけるように拳を振り下ろした。

「テオ……、聞くに耐えないか?」
「いいえ……、いいえ、そうではありません。己に腹を立てているのです。……どうして、オーリ様を地獄からお救い出来なかったのかと」

 悔しそうに唇を噛み締めるテオドールに、なんと言葉をかけて良いのかが分からなかった。仕方なかった、としか言いようがない。私たち家族が襲撃に遭った日、テオドールは近くにはいなかった。私たちを助けることなど、不可能だったのだ。

 助けて欲しいとは、思っていた。心の底から、テオドールの救いを求めていた。けれど、今では冷静な頭で、仕方のなかったことだったと流すことが出来る。一度起こってしまったことを、変えることなど誰にも出来ないのだから。

「暴力には、慣れていったんだ。……痛いだけだったから、何とかなった。……辛かったのは、体を汚されることだった」

 早い段階で、痛みを遮断することが出来るようになっていた。痛いのも、苦しいのも、全部遠いところで起こっていることで、自分には関係がないのだと。そう思い込んだのだ。そうして逃げることで、自分を守ることが出来た。

「男たちの気が向いた時には、いつでも抱かれていた。一日の中で、抱かれていない時間の方が少なかったと思う。……眠っていても、殴り起こされ、体を……使われた」

 性交渉の経験など、皆無だった。いつか、婚約者と結ばれるような時が来たらその女性を抱いて、子供をなすのが王族としての務めだった。だが、そんな将来を思い描いていた私が、抱かれる側に回るとは。

 女性を抱いたこともないくせに、男には何度も抱かれた。抱かれる前に何をすればいいのかも知っているし、どうすれば男が喜ぶのかも教え込まれた。こんな体になってしまうなど、在りし日の私は、考えもしないだろう。

「後ろの孔でも、口でも……両方同時ということも多かったし……、二本入れられるということもあった。……男の精ばかり、飲まされていた」

 臭くて、汚いものを、嚥下させられた。私が精を飲み下すと、暴徒たちは歓声を上げて笑いながら喜んでいたのだ。よく分からない光景だった。私には理解の及ばないことが、何度も何度も起こった。

 体に残る傷について説明をしながら、少しずつ己を縛り上げる縄が解かれていくような感覚があった。自由になるような、そんな感覚が。

 どれくらい時間が掛かっただろう。時間の経過がわからなくなるほどにたっぷりと、時間を使ったように思う。私は、全てをテオドールに打ち明けた。

 知られたくないこともたくさんあった。でも、全てを彼に曝け出すことが出来たのだ。晴れやかな気持ちになっていた。不思議だ。もっと、苦しくて、羞恥が残る結果になるかと思っていたのに。爽快感すら、今の私にはある。

「……どうして私は、オーリ様を救えなかったんだ」

 テオドールは、苦しそうにそう言葉を漏らした。清々しいおもての私とは対照的に、テオドールは辛酸を舐め尽くしたかのような表情になっていた。救えなかった、という後悔が彼を苦しめている。

「救って」

 静かに、私の唇はその言葉を象った。救って欲しかった。助けて、という言葉をあの地獄で何度も呟いていた。だが、そうじゃない。今、願うのだ。過去を悔やむような気持ちで、救って欲しかった、などと不可能なことを願うのではなく。

「今、救って」

 テオドールに向かって、両手を伸ばす。彼はすぐに私の願いを察して、立ち上がり、そっと抱きしめてくれた。震えたのは、一瞬だけ。そのあとは、一度も震えなかった。

「オーリ様は、多くの傷を負われた。確かに、御身に刻まれた傷跡は美しくはないのかもしれない。……けれど、貴方の心は美しいままだ」

 耳元で、テオドールがそう囁いた。私は、目頭が熱くなるのを感じ取っていた。視界が潤む。止まっていた涙が、再び溢れ出そうとしていた。

「美しく、気高い。傷付きながらも、前へ進もうとなされるその御姿を、私は美しいとしか形容出来ません。……貴方の心は、昔から何一つ変わらず、美しいままだ」

 心は、変わらないと、そう言ってくれた。体はたくさんの傷を負って、たくさんの汚れを孕んでしまった。それでも、心は美しいままだとテオドールが私に言って聞かせる。

「そんな貴方を、傷跡だらけの貴方を、心の底から愛しています」

 テオドールを抱きしめる私の腕に、力が籠る。目一杯の力で、彼を抱きしめた。遠ざけていたはずの彼の温もりを、今は貪欲に欲しがっている。もっと、彼の熱に触れていたかった。

「汚れた私で……良いって言って」

 そう懇願した。汚れてない、などと言わないで。汚れた私を受け止めて欲しい。汚れてしまった事実から、私はもう逃げないし、目を背けたりしない。そんな私を、テオドールに受け止めて欲しかった。

「貴方の全てが愛おしい。御身が汚れているのだと思うのであれば、私も汚して頂きたい。……汚れてもなお美しい貴方を、オーリ様だけを、愛しているのです」

 長い長い洞窟から抜け出たような。高い高い峠を乗り越えたような。そんな感覚が体の内側に湧いていた。涙が止まらない。少しだけ体を離して、テオドールの顔を両手で包んだ。

 嗚呼、やっとだ。やっと、こうしてテオドールに触れることが出来る。嬉しくて、涙が溢れた。私は少しずつ彼に近づいて、その唇に己の唇を重ねた。

 テオドールも、私の後頭部を片手で掴みながら、もう片方の手で私の腰元を支え、口付けを求めてくる。一度唇を離し、口を開いて再び重ね合った。何度も角度を変え、互いに噛み付くように、貪るように求め合う。

 呼吸が苦しくなって、唇を離すと、私とテオドールの間に銀の糸が伸びており、少しだけ恥ずかしくなった。それでもやはり、喜びの方が上回る。すぐに私はまた、テオドールに口付けをせがむ。

 額と額をつけて、触れるだけの優しいキスをした。幸せで、涙が止まらない。今まで味わった苦しみの対価がこの幸福であるというのなら、釣り合いが取れていると思ってしまうほどだった。

 己の傷を見つめて、それを曝け出し、テオドールに受け止めてもらった。言葉にすればただそれだけのことだけれど、そう出来るような心持ちになるまでには、多くの時間を要した。テオドールは、ゆっくりしか進めない私を、いつでも見守ってくれていたのだ。

「……ありがとう、テオ」


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