オーリの純心

シオ

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 テオドールに与えられた穏やかな日々。地獄で過ごした加虐の月日が、まるで幻であったかのように思わせてくれる優しい毎日だった。けれど、その優しさを以ってしてもこの身に刻まれた穢れと傷は消えない。

「オーリ様、お茶のおかわりは如何ですか?」

 温かい日差しの差し込む部屋の中で、家令のモルガンが淹れてくれた紅茶を飲んでいた。良い茶葉のお茶なんて、随分と飲んでいなかったのに、とても口に馴染む味だった。

「もう十分だよ、ありがとう」

 すでに、一度おかわりをしている。これ以上飲んでは、お茶で腹が一杯になってしまいそうだった。美味しそうな菓子も用意されていたけれど、あまり食べることが出来なかった。いつまでも食の細さが改善されず、テオドールを心配させてしまっている。

 いつも私の一挙手一投足を優しい眼差しで見つめてくれるテオの姿が、今は私のそばになかった。少し外します、とだけ私に告げて何処かへ行ってしまったのだ。ちょっとした好奇心から、テオドールについてモルガンに問いかけた。

「テオは、よく外出を?」
「いいえ。オーリ様を探しに行かれる以外では、殆ど外へ出ることはありませんでした。今日は、ちょっとした所用があるようで」
「なるほど」

 きっと、モルガンはその所用というものが何なのかを把握していることだろう。けれど、私に言わない。テオドールも詳しくは言わずに行った。つまりは、私が知らない方が良いことなのだろう。

「書庫にでも向かわれますか? それとも、庭へ?」
「庭へ出ようかな」
「お供いたします」
「大丈夫だよ。……少し、一人で散歩がしたいんだ」
「承知いたしました。……ですが、オーリ様。決して、外へは出ぬように願います」
「分かっているよ」

 行ってらっしゃいませ、と言って丁寧に頭を下げてモルガンは私を見送る。とても遅い歩みではあるけれど、杖があれば一人でどこへでも行けるのだ。

 庭先には、たくさんの椅子が置かれており、私がどこでも腰を下ろすことが出来るようになっていた。テオドールがそのようにしてくれたのだ。

 本当に、良くしてもらっていると思う。優しくされるたびに、心の奥底に罪悪感が芽生えていた。私は、こんなにしてもらっても良いのだろうか。何も返せないのに。こんな好待遇を受ける資格なんて、ないのに。

「……綺麗な庭だ」

 塀が無く、遠くの景色が良く見える一画もあるが、私は庭の中でも木々に囲まれた場所を好んでいた。高い生垣に囲われたそこは、世界から隔絶された場所のようで、テオドールの優しい鳥籠に思えた。

 椅子に腰掛け、控えめな花々の香りと、木々が生み出す新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。穏やかで、温かい時間。テオドールが、私にそれを与えてくれたのだ。

「テオドール!」

 突然聞こえた声に、体がびくりと震える。それは、生垣の向こう側から聞こえる。声の主の姿は見えないけれど、テオドールの名を呼ぶということはテオの知り合いなのだろう。そしてきっと、この生垣の向こうにはテオもいるのだ。

「オリヴィエ様の捜索をやめたと聞いたぞ、それは本当か」

 生垣の向こうは、テオドールの邸宅外になる。私が行ってはならない領域だ。けれど、そこでなされている会話の話題は私にまつわることのようで、どうしても関心を抱いてしまう。

「お前ほどにオリヴィエ様を熱心に探していた者もいないというのに」

 この声に聞き覚えはない。しかし、どうやら声の主は私のことを知っているようだ。国に支えてくれていた者なのだろうか。ずっと押し黙っていたテオドールが、口を開く。

「逆に問うが、何故それほどまでにオリヴィエ様を探し続ける」
「テオドール……、お前、何を言ってるんだ。そんなの、オリヴィエ様をお救いするために、」
「王党派の勢力を盛り返すための道具として、オリヴィエ様を欲しているだけではないのか」

 私には、会話の意味が分からなかった。ただ一つ。私が生きていることを知っているテオドールが、知らないふりをしているということだけは察することができた。

「俺は、天へ帰られたあの方が、安らかにお過ごし下さることだけを祈っている」

 私は、死んだことになっているようだった。テオドールがどうしてそんな嘘を吐いているのかはよく分からない。私は息を潜めて、その会話の行く末を見守るのみだった。

「諦めるんだな、お前は」
「どう取ってもらっても構わない」

 盗み聞きなど、本当はしてはいけないことだと分かっている。それでも、その場から立ち去ることが出来なかった。姿は一切見えないが、二人の間に険悪な空気が流れ始めていることには気付いた。

「帰れ。俺の屋敷に足を踏み入れることは許さない」
「おい、テオドール!」

 靴音が響く。どうやらテオドールが一方的に会話を打ち切り、歩き出したようだった。この生垣は門から近く、邸内へ入ってきたテオドールはすぐに私の姿を認めるだろう。

「また来る」
「何度来たとしても、俺の回答は変わらない」

 急いで立ち去らないと、盗み聞きなどという無作法をしたことがテオドールにバレてしまう。慌てて立ち上がろうとするも、上手く杖が扱えず、なかなか立ち上がることが出来なかった。

「……オーリ様」

 そうして、庭に入ってきたテオドールに見つかってしまった。ばつが悪い私は、目を泳がせて意味のない言葉をしどろもどろになりながら吐き捨てた後、素直に謝ることにした。

「勝手に聞いてしまって、すまない」
「いえ、大きな声で騒ぎ立てるあの男が悪いのです」
「彼は誰なんだ?」
「王家へ仕えていた軍人の一人です。今の、議会を重視する政府と反目していて、王家の復活を願っているんですよ」
「それで私を探している、というわけか」
「自分本意な男です」

 王家を廃し、民衆が国の舵取りをしているという話は何となく知っている。だが、王冠を戴く王なしに、国がまとまるのだろうか。私には分からなかった。王は、国家統一の象徴だ。それを無くして、この国はどこへ行こうというのだろう。

「オーリ様。貴方様は、尊い血筋のお方。王位を望むことも可能です」

 椅子に座ったままの私の前に、テオは片膝をついて身を低くする。テオドールはこの角度で私を見上げることがとても多い。傅くような姿勢だ。この角度は私に、王族であった日々を思い出させた。

「……オリヴィエ・アインハルトは死んだ。私はオーリだよ、テオ。ただのオーリ。テオが許してくれるのなら、ずっとここでテオと過ごしたい」

 家族と共に、王子だった私は死んだ。加虐の日々を経て生まれたのは、白い髪と、動かない右足を持ったただのオーリなのだ。何の役にも立たない私で良いと、テオドールが言ってくれるのなら、ずっとここにいたい。

「ずっと、ここで過ごしましょう」

 テオドールの赤い双眸が、嬉しそうに細められた。彼の手が差し出される。その手の上に、私が手を重ねるのを待っているのだ。人に触れることを、いまだに無意識的に怖がってしまうことがある。だが、テオドールは大丈夫。大丈夫だと、己に言い聞かせる。

「私は、世界から貴方を隠している。生きていることを知っているのに、それを誰にも伝えていない。……これは、独占欲なのです。貴方を手放したくない。誰にも見せたくない。そう願う醜い我欲ゆえなのです」

 醜い独占欲だと、テオドールは言った。けれど、私はそれが嬉しい。独占欲を抱いてもらえることが、私にとっての幸福だった。こんな穢れ切った私を、欲してもらえることがとても、とても嬉しい。

「貴方を、私の手の内に閉じ込めたかった。……こんな私を、お許しいただけますか」

 彼の手に、己の手を重ねる。ゆっくりと、手を握られる。小枝のような華奢でみっともない私の手とは違って、テオドールの手指は男らしく、節くれ立って力強かった。

「……嬉しい」

 テオドールが好きだった。愛していた。体を重ね、思いっきり愛されたいし、愛したかった。それが出来ないことが、歯痒くて、苦しい。それでも想ってもらえることがひたすらに嬉しくて。私の心はまとまりを得ず、好き勝手な方向へと動き出す。

「テオに求めてもらえて……嬉しい」

 己の体の使い方を知っている。加虐の日々の中で教え込まれた。どうすれば男が喜ぶのかも分かっている。私の体を使って、テオドールに喜んで欲しかった。そう思う気持ちが確かにあるのに、それでも脳裏には強烈な恐怖が根付いている。

 苦しかった。
 苦しくて、苦しくて、涙が出た。
 どうすれば、この苦しさを己の体から取り除けるのだろう。

 夜中、泣きながら目を覚ます。暴力を振るわれていた夢を見ていたわけではない。テオドールと熱を交わせないことが苦しくて、切なくて、静かに涙が溢れたのだ。

 ベッドから降り、杖を使わずに床を這ってソファで眠るテオドールに近づいた。ぐっすりと眠っている。穏やかに上下する胸を確認して、そっと距離を詰める。額へ、口付けをした。

 これは、問題なく出来る。優しく額に口付けをしてくれたのは、私の家族だけだからだ。私に暴力を振るった連中は、こんなことをしなかった。だから、この口付けには、嫌な記憶はついていない。

 視線を彼の体の下の方へ向ける。ゆったりとした寝衣だから、彼のものの形ははっきりとは分からない。それでも、股の間にあるものを想像することは容易かった。

 それを口で咥えれば、テオドールは気持ち良いと言ってくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。そうしたいのに、どうしても体が強張る。無理やりに口に突っ込まれた記憶が蘇って、体が震えた。

「……テオ……、苦しい」

 愛したい。愛されたい。尽くしたい。抱かれたい。そんなどうしようもない情欲が私の体を駆け巡る。だというのに、その全てに悪夢が付き纏う。頭の中を駆け巡る悪夢を追い払いたくて、こめかみを拳で何度も殴りつけた。

 テオドールは、こんな私で良いのだろうか。体を許さない私などで、満足できるのだろうか。男である以上、溜まった熱を発散したくなることもあるのだろう。そういう時は、私ではない誰かを使うのだろうか。

 嫌だ。
 そんなのは嫌だ。
 愛しているのに。
 愛してくれているのに。

「私は……どうしたら」

 私は雁字搦めにされ、袋小路へ追い詰められた。やっと地獄から救い出されたのに、いつまでも悪夢が私を苦しめる。体で尽くすことしか、私は知らない。尽くし方なら、たくさん覚えてたのに。


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