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「……言わなくても、分かるだろう。私がどんな目に遭っていたのか」
私が言葉にしなくても、知られたくないと願っても、きっと彼には伝わっているのだ。家族から引き離されて、私がどんな日々を送っていたか。察しの良い彼であるならば、容易く想像出来るはずだ。
震える唇で打ち明ける。私は、被害者だ。それなのに、どうしてこんなにも後ろめたい気持ちになるのだろう。私は何も悪くない。ただ一方的に加虐の日々に突き落とされた。それなのに、穢れてしまったのが己のせいであるかのような罪悪感に苛まれてしまう。苦しい。ただただ、苦しい。誰に救いを求めれば良いのか分からず、なお苦しむ。
「振るわれたのは……ただの暴力だけじゃなかった。もちろん、たくさん殴られたし、蹴られたし、切られたけど、本当に辛かったのはそんなことじゃない、……わ、私は奴らに」
「仰って頂かなくても、承知しております」
人の温もりは恐ろしい。それなのに、テオの熱は心地よくて、離れがたい。抱きしめられることに喜びを感じるのに、それが罰せられるべき感情のように思える。
「……テオに、こんな風に抱きしめてもらう価値が、私にはない」
何も知らぬ無知な子供であったなら、純粋に彼の腕に抱かれその喜びを享受していたことだろう。だが、今の私はそんな存在から程遠い。犯され、辱められ、どうすれば男が喜ぶのかを体に叩きこまれた。体の奥での奉仕の仕方も、口での尽くし方も、何もかもが体に染みついてしまった。こんな私は、彼の腕に抱かれるべき存在ではないのだ。
「お慕い申し上げております」
私の告白に対し、彼はそんな言葉を告げてきた。意味が分からず、ぽかんとしてしまう。じわりじわりと、言われた言葉が頭に沁みてきた。悲しくなる。喜ぶべき言葉を言われて、こんなにも悲しくなるなんて。彼の言葉は、私の告白にはあまりにも不釣り合いで、会話が成り立っていないようにすら聞こえた。
「私の話を聞いていなかったのか?」
「勿論聞いておりました。一言一句聞き逃すことなく」
「……では、なぜ」
穢れきった私が、どれほどテオドールに相応しくないかを語ったつもりだった。だが、彼はそれを聞き届けてなお、そんな言葉を私に向けたのだ。
人生経験の少ない私でも分かる。己が愛する人には、純潔であって欲しいと願うのは当然のことだ。であるのに、私は純潔を奪われ、思い出すだけで吐き気がするほどの精を浴びせられた。
「殿下が浴びた暴力は許し難く、その者たちを八つ裂きにしてやりたい気持ちは当然あります。しかし、だからといって殿下の価値に傷がつくことなど有り得ません」
テオドールの指先が私の頬を流れるそれを拭った。そうして私はやっと、己が涙を流していることに気付いた。この涙は、恐怖によって流れているものではない。心が震えているのだ。喜びなのか、戸惑いなのかはよく分からない。ただただ、心の臓が震えて仕方がない。
歯はがちがちと音を鳴らして、歯の根が合わずにいる。震える体を、テオドールの腕がしっかりと抱きしめてくれた。私は彼の胸に額を押し付ける。こんな涙でぐしゃぐしゃに歪む己の顔を見られたくなかったのだ。それなのに、テオは私の頬に手を当てて、そっと優しく上を向かせた。彼の手に私は抗えない。
「貴方様の剣術指導に当たる前から、ずっとお慕いしておりました。随分と年下の幼い殿下に惹かれるなど、己は異常なのかと思った時期もありますが、どうしてもその気持ちは変えられませんでした」
暁よりも眩く輝く、そんな美しさを秘めた二つの瞳が私を見下ろしている。その双眸に、間抜けな己の顔が映っていた。真っ白な髪も見える。彼は、こんな変わり果てた私でも良いと言ってくれるのか。穢れ、掠れ、歪み、堕ちたこんな私を。
「両陛下、兄君様、姉君様、妹君様、全てのお命を御救い出来ず、申し訳ありませんでした」
「……テオは、何も悪くない」
「いいえ、私が悪いのです。私の罪とさせてください。……何より、最愛の貴方様を救い出せなかったこと、このテオドール、一生悔やんで生きることでしょう」
私からそっと離れていくテオドール。離れていく温もりに、思わず手を伸ばしそうになった。まだ、その覚悟も定まっていないのに。テオドールは私の前で跪き、頭を垂れた。
「お迎えが遅くなりまして、大変申し訳ありませんでした」
「ずっと、私を探してくれていたのか……?」
「我々が革命の報せを受けて王都へ戻った時、すでに殿下以外の方々は処刑されておられました。貴方様の処刑が無かったこと、貴方様の御遺体が発見されていない事。それだけを希望と思い、ずっと探しておりました。……やっと、……やっと貴方を取り戻すことが出来た。オリヴィエ殿下」
ずっと、テオドールは私を探していてくれた。生きているという確証すらない私を。
「……私はもう、殿下ではない。オリヴィエという名の王子は死んだ。あの革命で、家族と共に死んだんだ」
処刑台で首を切り取られた家族のように、首を吊るされた家族のように。オリヴィエという王子はあの日、死んだ。王子ではない私には、テオドールに殿下と呼ばれる資格はない。
「では私は、かつてご家族が貴方様を愛おしく呼んだように、オーリと。そう呼ばせて頂けませんか」
逡巡の末、一度だけ頷く。私は、オリヴィエでもなく、まっしろでもなく、オーリ。家族に愛され、家族を愛したたった一人の人間。そうして生きることを、私はこの瞬間に受け入れた。
「……探してくれてありがとう、テオ」
感謝を告げれば、テオドールが優しく微笑み返してくれた。未だに震えている私の体に、テオドールが丁寧に触れた。脱がされた衣類を手に取り、私に着せてくれる。その瞬間に、テオドールが私の足に口付けをした。傷だらけの足の甲に、触れるだけの口付けを。驚いて頭が真っ白になる。驚いて口を手でふさぎ、足元の彼を凝視した。
「貴方のブルーグレーの美しい瞳に見つめられると、愛おしくて苦しくなります」
「な……っ、そ、そんなわけ……っ」
「私は嘘は申しません」
私に杖を手渡しながら、テオドールが私の体を支えた。私がテオの紅玉の瞳に胸をときめかせるように、彼も私の双眸に翻弄されているというのか。そんなことあるわけがない、と否定を口にすればテオドールは緩く首を左右に振った。
「……さて。もうそろそろ入ってきたらどうだ、ジグムント」
テオドールが、閉じられた扉に向かって声をかけた。ジグムント、という名に私はびくりと肩が跳ねる。まさか、扉一枚向こう側には彼がいるのか。こんな、私自身の頭が追いついていない色々なことが起こった現場に、彼がいるのかとはらはらした気持ちになった。
ゆっくりと扉が開き、ばつが悪そうな顔をしたジグムントが現れる。そろりとアルフレドも入ってきた。人間同士の会話など分かるはずもないだろうに、人の機微に敏感なアルフレドは耳を垂らして戸惑っているように見える。
「……なんか、とんでもない話を聞かされたっぽいな」
「ジグムント、一体どこから聞いてたの?」
「たぶん最初から、だな。頭から血を流したやつが家の方から走って来て、そいつをアルフレドが追いかけ回して、それを見届けて家に戻ってきたんだ。そしたら、二人が真面目そうな話をしてたから家に入れなくて」
頭から血を流した男、というのは私に襲い掛かったあの男だろう。テオドールが家の外へ連れ去ってから何事かしていたようだが、私に見えないところで彼に罰を下していたようだ。私にあの男を擁護する気持ちは微塵もないが、有能な軍人であるテオドールからの懲罰には少々同情してしまう。
「……まっしろ、オーリって言うんだな」
ジグムントが肩をすくめて、少し茶化すような口ぶりでそう言った。彼に私の名を呼ばれるのは、不思議な感覚だった。
「オリヴィエ・アインハルト様。この国の第四王子でいらっしゃる」
私の代わりに、テオドールが私の名を告げた。オリヴィエ・アインハルト。生まれた時に父に与えられた名を、父の死と共に手放した。テオドールの言葉に、私は首を左右に振る。
「もう王子でも何でも無い。ただのオーリだよ」
「オーリ……か。まっしろ、ってのも合ってるけど、オーリって名前もぴったりだな」
「ありがとう」
オーリ、オーリ、と何度かジグムントが私の名を繰り返し呟いた。その名を、口に馴染ませるように。そんな様子が微笑ましくて、笑ってしまう。暴漢によって与えられた恐怖で震えた体が、テオドールの告白によって与えられた歓喜で震えた心が、少しずつ少しずつ平静を取り戻していった。
「さっそくだが、ジグムント。オーリ様を、俺の屋敷へ連れて行こうと思う」
落ち着き始めていた心を、再び騒乱に戻すような言葉をテオドールが発した。あらゆることが同時に起こり過ぎて、私の頭と心は置いてけぼりになっている。目を白黒させながら、私はテオを見つめた。
私が言葉にしなくても、知られたくないと願っても、きっと彼には伝わっているのだ。家族から引き離されて、私がどんな日々を送っていたか。察しの良い彼であるならば、容易く想像出来るはずだ。
震える唇で打ち明ける。私は、被害者だ。それなのに、どうしてこんなにも後ろめたい気持ちになるのだろう。私は何も悪くない。ただ一方的に加虐の日々に突き落とされた。それなのに、穢れてしまったのが己のせいであるかのような罪悪感に苛まれてしまう。苦しい。ただただ、苦しい。誰に救いを求めれば良いのか分からず、なお苦しむ。
「振るわれたのは……ただの暴力だけじゃなかった。もちろん、たくさん殴られたし、蹴られたし、切られたけど、本当に辛かったのはそんなことじゃない、……わ、私は奴らに」
「仰って頂かなくても、承知しております」
人の温もりは恐ろしい。それなのに、テオの熱は心地よくて、離れがたい。抱きしめられることに喜びを感じるのに、それが罰せられるべき感情のように思える。
「……テオに、こんな風に抱きしめてもらう価値が、私にはない」
何も知らぬ無知な子供であったなら、純粋に彼の腕に抱かれその喜びを享受していたことだろう。だが、今の私はそんな存在から程遠い。犯され、辱められ、どうすれば男が喜ぶのかを体に叩きこまれた。体の奥での奉仕の仕方も、口での尽くし方も、何もかもが体に染みついてしまった。こんな私は、彼の腕に抱かれるべき存在ではないのだ。
「お慕い申し上げております」
私の告白に対し、彼はそんな言葉を告げてきた。意味が分からず、ぽかんとしてしまう。じわりじわりと、言われた言葉が頭に沁みてきた。悲しくなる。喜ぶべき言葉を言われて、こんなにも悲しくなるなんて。彼の言葉は、私の告白にはあまりにも不釣り合いで、会話が成り立っていないようにすら聞こえた。
「私の話を聞いていなかったのか?」
「勿論聞いておりました。一言一句聞き逃すことなく」
「……では、なぜ」
穢れきった私が、どれほどテオドールに相応しくないかを語ったつもりだった。だが、彼はそれを聞き届けてなお、そんな言葉を私に向けたのだ。
人生経験の少ない私でも分かる。己が愛する人には、純潔であって欲しいと願うのは当然のことだ。であるのに、私は純潔を奪われ、思い出すだけで吐き気がするほどの精を浴びせられた。
「殿下が浴びた暴力は許し難く、その者たちを八つ裂きにしてやりたい気持ちは当然あります。しかし、だからといって殿下の価値に傷がつくことなど有り得ません」
テオドールの指先が私の頬を流れるそれを拭った。そうして私はやっと、己が涙を流していることに気付いた。この涙は、恐怖によって流れているものではない。心が震えているのだ。喜びなのか、戸惑いなのかはよく分からない。ただただ、心の臓が震えて仕方がない。
歯はがちがちと音を鳴らして、歯の根が合わずにいる。震える体を、テオドールの腕がしっかりと抱きしめてくれた。私は彼の胸に額を押し付ける。こんな涙でぐしゃぐしゃに歪む己の顔を見られたくなかったのだ。それなのに、テオは私の頬に手を当てて、そっと優しく上を向かせた。彼の手に私は抗えない。
「貴方様の剣術指導に当たる前から、ずっとお慕いしておりました。随分と年下の幼い殿下に惹かれるなど、己は異常なのかと思った時期もありますが、どうしてもその気持ちは変えられませんでした」
暁よりも眩く輝く、そんな美しさを秘めた二つの瞳が私を見下ろしている。その双眸に、間抜けな己の顔が映っていた。真っ白な髪も見える。彼は、こんな変わり果てた私でも良いと言ってくれるのか。穢れ、掠れ、歪み、堕ちたこんな私を。
「両陛下、兄君様、姉君様、妹君様、全てのお命を御救い出来ず、申し訳ありませんでした」
「……テオは、何も悪くない」
「いいえ、私が悪いのです。私の罪とさせてください。……何より、最愛の貴方様を救い出せなかったこと、このテオドール、一生悔やんで生きることでしょう」
私からそっと離れていくテオドール。離れていく温もりに、思わず手を伸ばしそうになった。まだ、その覚悟も定まっていないのに。テオドールは私の前で跪き、頭を垂れた。
「お迎えが遅くなりまして、大変申し訳ありませんでした」
「ずっと、私を探してくれていたのか……?」
「我々が革命の報せを受けて王都へ戻った時、すでに殿下以外の方々は処刑されておられました。貴方様の処刑が無かったこと、貴方様の御遺体が発見されていない事。それだけを希望と思い、ずっと探しておりました。……やっと、……やっと貴方を取り戻すことが出来た。オリヴィエ殿下」
ずっと、テオドールは私を探していてくれた。生きているという確証すらない私を。
「……私はもう、殿下ではない。オリヴィエという名の王子は死んだ。あの革命で、家族と共に死んだんだ」
処刑台で首を切り取られた家族のように、首を吊るされた家族のように。オリヴィエという王子はあの日、死んだ。王子ではない私には、テオドールに殿下と呼ばれる資格はない。
「では私は、かつてご家族が貴方様を愛おしく呼んだように、オーリと。そう呼ばせて頂けませんか」
逡巡の末、一度だけ頷く。私は、オリヴィエでもなく、まっしろでもなく、オーリ。家族に愛され、家族を愛したたった一人の人間。そうして生きることを、私はこの瞬間に受け入れた。
「……探してくれてありがとう、テオ」
感謝を告げれば、テオドールが優しく微笑み返してくれた。未だに震えている私の体に、テオドールが丁寧に触れた。脱がされた衣類を手に取り、私に着せてくれる。その瞬間に、テオドールが私の足に口付けをした。傷だらけの足の甲に、触れるだけの口付けを。驚いて頭が真っ白になる。驚いて口を手でふさぎ、足元の彼を凝視した。
「貴方のブルーグレーの美しい瞳に見つめられると、愛おしくて苦しくなります」
「な……っ、そ、そんなわけ……っ」
「私は嘘は申しません」
私に杖を手渡しながら、テオドールが私の体を支えた。私がテオの紅玉の瞳に胸をときめかせるように、彼も私の双眸に翻弄されているというのか。そんなことあるわけがない、と否定を口にすればテオドールは緩く首を左右に振った。
「……さて。もうそろそろ入ってきたらどうだ、ジグムント」
テオドールが、閉じられた扉に向かって声をかけた。ジグムント、という名に私はびくりと肩が跳ねる。まさか、扉一枚向こう側には彼がいるのか。こんな、私自身の頭が追いついていない色々なことが起こった現場に、彼がいるのかとはらはらした気持ちになった。
ゆっくりと扉が開き、ばつが悪そうな顔をしたジグムントが現れる。そろりとアルフレドも入ってきた。人間同士の会話など分かるはずもないだろうに、人の機微に敏感なアルフレドは耳を垂らして戸惑っているように見える。
「……なんか、とんでもない話を聞かされたっぽいな」
「ジグムント、一体どこから聞いてたの?」
「たぶん最初から、だな。頭から血を流したやつが家の方から走って来て、そいつをアルフレドが追いかけ回して、それを見届けて家に戻ってきたんだ。そしたら、二人が真面目そうな話をしてたから家に入れなくて」
頭から血を流した男、というのは私に襲い掛かったあの男だろう。テオドールが家の外へ連れ去ってから何事かしていたようだが、私に見えないところで彼に罰を下していたようだ。私にあの男を擁護する気持ちは微塵もないが、有能な軍人であるテオドールからの懲罰には少々同情してしまう。
「……まっしろ、オーリって言うんだな」
ジグムントが肩をすくめて、少し茶化すような口ぶりでそう言った。彼に私の名を呼ばれるのは、不思議な感覚だった。
「オリヴィエ・アインハルト様。この国の第四王子でいらっしゃる」
私の代わりに、テオドールが私の名を告げた。オリヴィエ・アインハルト。生まれた時に父に与えられた名を、父の死と共に手放した。テオドールの言葉に、私は首を左右に振る。
「もう王子でも何でも無い。ただのオーリだよ」
「オーリ……か。まっしろ、ってのも合ってるけど、オーリって名前もぴったりだな」
「ありがとう」
オーリ、オーリ、と何度かジグムントが私の名を繰り返し呟いた。その名を、口に馴染ませるように。そんな様子が微笑ましくて、笑ってしまう。暴漢によって与えられた恐怖で震えた体が、テオドールの告白によって与えられた歓喜で震えた心が、少しずつ少しずつ平静を取り戻していった。
「さっそくだが、ジグムント。オーリ様を、俺の屋敷へ連れて行こうと思う」
落ち着き始めていた心を、再び騒乱に戻すような言葉をテオドールが発した。あらゆることが同時に起こり過ぎて、私の頭と心は置いてけぼりになっている。目を白黒させながら、私はテオを見つめた。
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