オーリの純心

シオ

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「おかえり、ジグムント」

 私が家へ着く前に、ジグムントが帰って来ていた。丘から降りて私の前にやってくると、アルフレドから洗濯籠を受け取って歩き出す。アルフレドは、三日ぶりの主人が嬉しいのか、ジグムントの足下から離れようとしなかった。

「早かったね。帰りは夜かと思ってた」
「売れる物が無くなったからな。真っ直ぐ帰って来た」

 洗濯籠を庭先に置いたジグムントが、しゃがみこんでアルフレドと同じ目線になる。そしてわしゃわしゃとその頭を撫でていた。アルフレドの大きな尻尾がぶんぶんと横に振られて、そよ風が生まれている。

「アル、ちゃんとまっしろを守ってたか? そうかそうか!」

 ジグムントはアルフレドと会話をしているようだった。二人の通じ合う感じが、私には羨ましい。私にまだ、アルフレドの考えていることを理解することが出来ないでいた。

 二人の出会いは、約五年ほど前まで遡るらしい。子供だったアルフレドが、森の中で怪我をして倒れていたのだそうだ。狩人の放った銃弾が掠ったのか腹部に傷が出来、そこから血が流れていた。アルフレドの親はいなかった。動けなくなった子を見捨てたのか、親も狩人の手で命を奪われていたのか。それは分からない。ただ、怪我をした子供が、ジグムントの前に落ちていた。

 その姿が己に重なったのだ、と彼は打ち明けてくれた。

 ジグムントは、口減らしに捨てられた子供だったと打ち明けてくれた。私には俄かには信じられないが、育てられずに子を捨てる親がこの世には存在するという。ジグムントと、その弟が捨てられ、森の中に置き去りにされた。森を彷徨い歩いた二人だったが、先に弟が命を落とす。飢え死にだったとジグムントは言っていた。そして、己もそうやって死ぬのだと悟ったそうだ。

 だが、そうはならなかった。

 闇雲に森を歩き回って、この村に辿り着いたのだ。ここで、村人たちに救われた。誰かの子になることはなかったが、皆がジグムントを支え、育て、守ったのだと言う。救われた己のように、死にかけている小さな命を救いたかったのだそうだ。そうして、懸命な看病の結果、アルフレドが一命を取り留めた。

 アルフレドという名は、ジグムントと共に捨てられ、死んでしまった弟の名だった。

 村人たちは優しくジグムントに接し、その恩返しのためにジグムントは村人たちのために懸命に働いた。困った人たちにはすぐに手を差し伸べ、近くで貴族の屋敷の襲撃があると聞けば赴いて、そこで得た金品を村人たちにも分け与えた。そういった行為のおかげで、私はジグムントに拾われたわけだ。

「そうだ、それ。安い布を見つけたから買ってきた。これでまた服でも作れよ」
「ありがとう」

 私を庭先のベンチに座らせて、ジグムントが洗濯紐に洗いたての洗濯物をかけている。ベンチの隣に、ぴょんとアルフレドが飛び乗って座った。ジグムントがそれ、と指差したのはベンチのそばに置かれた籠の中に置かれた生地だった。

 すでに私はある程度の裁縫術を身に着けていた。売り物などには到底ならないが、自分の下着や服を繕うくらいは出来る。

 ズボンも己が楽になるように、工夫して作っている。生地を筒状に縫い合わせたものをスカートのように履いて、あとから股の部分をボタンで留めていくズボンを考案したのだ。この構造であれば、細いズボンに無理やり自由の利かない右足を突っ込む必要がない。

「でも、ちょっと多すぎるよ。……そうだ。メアリさんにあげてもいい? 赤ちゃんが生まれたみたいで、肌着に使うための布が足りないって言ってたんだ」
「どうぞどうぞ」

 必要な分だけ貰って、あとは年の近い村人に譲ることにした。ジグムントは軽く返事をしている。買って来た物を他人に譲渡することに抵抗がないのだ。恐らく、この村の人々に対しては。

「明日からまたどこかに行くの?」
「ちょっと遠い街に買い出しに行ってくる」
「何日くらいで帰ってこられる?」
「んー。さっぱり分かんねぇなぁ」

 買い出しに行くときは、良いものに出会えればすぐ帰って来るし、なかなか逸品に出会えなければ方々巡って遅くなるのだ。そういう時が一番困る。食事を二人分用意しなければいけないのと、己一人分とでは何もかも勝手が違うのだ。だが、そんなことを言っても仕方のないことなので、私は黙っておく。

「水浴びするか?」
「する」

 私は即答した。ジグムントが家にいるときだけ、私は家の真横にある湖で水浴びをしていた。本当は毎日でもしたいのだけれど、湖から引き揚げてもらわなければならない。濡れた体を杖一本で岸辺に上げるのは、とても困難なことだったのだ。

「本当に水浴び好きだよな。女みたい」
「……前は、毎日湯浴みをしてたんだ。染みついた習慣はなかなか抜けない」
「絶対お姫様だったろ、お前」

 拗ねたようにそう言えば、ジグムントが笑って返す。御姫様。あながち外れではない。姫ではないが、王子だった。昔は温められた湯に浸かって湯浴みをしていたが、今では冷たい水で水浴びをするのが精一杯だ。だが、文句は言っていられない。かつて、湯浴みのために必死に湯を温めてくれていた者たちに感謝しつつ、私はジグムントに抱えられて湖に向かった。

 岸辺に降ろされて、服を脱いでいく。ジグムントは私に背を向けてくれていた。私が己の裸を見られたくないということを察してくれているのだ。裸を見られること自体は、もうどうでもいい。裸体を見られることに対する羞恥など、もはや私にはない。着衣を許されない時だってあったのだ。

 だが、体に残る無残な傷跡を見られるのが嫌だった。火掻き棒を押し付けられた火傷の痕、意味もなく私を嬲るためだけに走ったナイフの切り痕。殴られて痣になり、そのまま黒ずんでしまった箇所は全身に及ぶ。下の毛は戯れに燃やされ、生えていないし、少し火傷を負っている。こんな汚い体を、見られたくなかった。

 湖の中に進んでいく。座り込んで、そのまま前進した。水の中では、片足が不自由でも地上より歩きやすかった。体中が水に包まれて、ひんやりとする。こうしていると、体が清浄なものに作り変わるような感覚を抱くのだ。ざぶん、と音を立ててアルフレドも湖に入ってくる。私のそばまで、器用に犬掻きをしてやってきた。

「まっしろ、気持ち良いか?」

 こちらに背を向けたまま、大きな声で問いかけるジグムント。律儀に背を向け続けている姿が、好ましかった。ジグムントに出会えなければ、私はきっと死んでいただろう。命を自らで絶っていたかもしれないし、飢えで死んでいたかもしれない。本当に、ジグムントには感謝をしてもしきれなかった。

「うん、凄く」


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