オーリの純心

シオ

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 近くに村があるらしく、ジグムントはそこで食糧と服を調達してきてくれた。片足の自由が利かないため、ズボンを履くのに酷く苦労したが、なんとか服を着ることが出来た。

「足がそんなだとズボン履くの大変だな」
「……仕方ない。なんとか慣れなくては」
「それか、自分で履きやすいズボンを繕ったらどうだ?」
「自分で……?」

 御針子でもあるまいし、服を己で仕立てるなど考えたこともなかった。けれどもうここは城ではないのだ。そして私も王子ではない。自分のことは、なんでも自分でやっていくしかないのだ。

「そうだな、色々と落ち着いたら挑戦してみるよ」
「おう、頑張れ」

 服を着て、まずは温かいスープが差し出された。空腹など疾うの昔に感じなくなったと思っていたが、今になってそれを思いだした。腹が鳴ったのだ。スープは薄味で、野菜屑のようなものしか浮いていなかったが、とても美味しかった。涙を流して食べたので、ジグムントはまた驚く。

「お前、相当悲惨なところにいたんだな。こんな飯で泣くなんて」
「……本当に美味しいからだよ。こんなに温かくて、身に染みる食事は久しぶりだ」
「そんなに褒められると、なんか照れるな」

 垢抜けない顔でジグムントが気恥ずかしそうに笑った。この人は悪い人ではない。そう信じかけている。だが、ひとつだけ気掛かりなことがあった。

「……ジグムントは、人からものを盗むことを生業にしてるのか?」
「生業っつーか、そういう幸運があればあやかるってだけだ。俺は金持ちからしか盗らねぇぞ。俺の仕事は泥棒じゃない。俺は商人だ。村と村の間を渡り歩いて、そこで物を売りながら、ちょっとずつ稼いでる」
「商人……」
「そう。ここは俺の家だけど、頻繁に家を留守にするから留守番してくれる奴が欲しかったんだよな」
「留守番って、私のことか?」
「当たり前だろ」

 いつの間にかそういうことになっていたらしい。ジグムントの庇護下にある以上、それに従うべきなのだろう。そもそも、留守番を務めること自体、私に不満や文句はない。

「お前は、あんな贅沢な杖を簡単に俺に渡した。だから、金目の物が欲しいってやつじゃない。俺の家から何かを盗むって感じはしない。だから、留守を頼むには最適だ」
「留守番って、何をすれば良いのだろう。……恥ずかしいことに、私は働いたことがない。勉強と剣術の稽古は必死にやってきたけれど……どう活かせばいいのか分からない」
「勉強に……剣の稽古? なんだよ、お前、良い所の坊ちゃんなのか? ……っと、そうだ。詮索はしないって決めたんだった。悪いな、まっしろ」

 私が口を滑らせて、己の素性を少し明かしてしまったというのに、ジグムントは私に詫びて頭を撫でた。私は、そんなジグムントを信じることにした。

「勉強が出来るってんなら、字が読めるのか?」
「字? 読めるが……それがどうかしたのか」
「読めるってことは、書けるってことだよな。なら、写本を頼みたい」
「写本?」
「そうだ。本をそのまま書き写して、複製するんだ。それを俺が売ってくる。最近はこういう商売が流行ってるんだ。でも字を読めて、しかも書けるやつなんてそうそういないし、いたとしても結構な金額を要求されるから厄介だったんだ。まっしろが字が書ける奴で助かった!」

 ジグムントが字が読めないということを聞いて驚いた。そういう人間が世の中には多いようだ。とにかく私は、ジグムントが不在の間、写本をして商品を作り、客人が来れば伝言を聞いておくという役目をもらった。

「まっしろ一人じゃ不安かもしれないけど、ここには番犬がいるんだ。会わせてやる」

 そういって、ジグムントは私を抱えて外へと出た。外に置かれた椅子に私を座らせて、指笛を吹く。高らかに鳴り響いた音が、木々を微かに揺らした。すると、一頭の大きな黒い犬が現われた。否、犬と呼べる大きさではない。これは狼だ。

「ジ、ジグムント……! これはっ」
「立派な犬だろ、アルフレドだ。アル、久しぶりだな」

 アルフレドと呼ばれた黒い生き物が、犬なのか狼なのかは分からない。もしかすると、その中間の種族なのかもしれない。だが、狼のように大きな体を持ち、それでいて犬のように尻尾を振ってジグムントに頭を撫でられていた。

「アル、こいつはまっしろだ。俺たちの群の一員になる。守ってやってくれ」

 大きな足で一歩一歩踏み出しながら、アルフレドがこちらにやってくる。私はその大きさにおののいて、体を硬直させてしまった。アルフレドの鼻先がフンフン音を立てながら私の体中の匂いを嗅いだ。そして最後には私の脇の間に顔を突っ込んで、頭を撫でろと主張してくる。

「アルは頭が良い。敵か味方か、家族かそれ以外かを理解出来るんだ。まっしろ、お前はもうアルの家族だぞ」
「……家族」

 亡くした家族のことが、一瞬で蘇った。切り落とされた四つの首。吊るされた三つの体。諦観の面持ち、無念のおもて。忘れられない。否、忘れてはならない光景だった。苦しくて俯けば、アルフレドが私の顔を舐めた。

「私の家族になってくれるの? ……ありがとう、アル」

 大きな首に抱き着いて、硬い質の毛に顔をつけた。温かくて、とても安心する。まっしろと呼ばれる私が、真っ黒なアルフレドに抱き着く。正反対の色彩を私たちは持っていた。

「アルはこんなに良い奴なんだけど、やっぱり村に連れて行くと怖がられるから、家のまわりより遠くへは行かないように教えてあるんだ。あんまり遠くに出歩かせると、馬鹿な狩人に殺されるし」
「分かった。気を付ける。アルが遠くへ行ってしまわないように、見ておく」
「あぁ、そうしてくれ。アルも、この弱っちいまっしろのこと、守ってやってくれな」

 屈託なく笑うジグムントの頬には、そばかすが浮いている。じっくりとジグムントの顔を見た。その笑顔は、私に暴力を振るい続けてきた男たちの見せる笑い顔とは全く異なる物だった。

「……不思議だ」
「何がだ?」
「……その、私は……男が怖かったんだ。自分も男だけど、男の身でありながら……今まで男たちに散々な目に遭わされてきた。……もう、男になど近寄らず、人からも遠ざかって、誰もいないところでひっそりと生きていきたいと思っていた」

 そういう生き方が出来ないのなら、誰もいない場所で静かに死んでしまいたかった。この世への未練は、欠片も無かったのだ。だが、今はここでなら生き続けても良いとさえ思えている。

 垢抜けないジグムントは、人を傷付けて喜ぶような野蛮な人間ではない。私のそばで身を寄せてくるアルフレドは温かくて、そのおもてからは気高さと優しさを感じた。

「でも、ジグムントは怖くない。アルフレドも怖くない」
「なんか、そう言ってもらえると嬉しいな。……お前が大変な目に遭ったってのは、なんとなく分かる。水路から引き揚げた時に、お前の体が見えたけど、酷い有様だった。……でも俺は絶対にお前に酷いことはしない。自分より弱いやつを傷付けるのは、馬鹿のすることだ。俺は馬鹿じゃない。まっしろを泣かせる奴がいたら、俺が懲らしめてやるよ」

 その言葉で、涙が溢れだした。地獄の中で、最初はよく涙を流していたがそれも枯れた。涙などもう出ないのだと思っていたのに、今になってその存在を強く示している。まっしろは泣き虫だな、とジグムントが笑っていた。

「ありがとう、ジグムント」

 地獄が終わったのだと、心の底からそう思えた。


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