オーリの純心

シオ

文字の大きさ
上 下
5 / 35

5

しおりを挟む
 温かかったから、天国なのだと思った。

 光がきらきらと降り注いで、その眩しさで目が痛いほどだった。瞼の痛みを感じ取ると、別の痛みがどんどんとやって来た。腕、肩、背中、足。至る所に痛みがある。その痛みを受け取って、ここは天国などではないのだと理解した。

「ここは……」

 窓から差し込む光に包まれたこの部屋は、小さな小屋のようだった。木材を組み合わせて作られただけの簡素な家。扉があり、小さな机があり、そして私はベッドで横になっていた。状況が全く理解出来ない。私は一体、どうなったのだ。

 裸であったため、ベッドのシーツを引っ張って体に巻き付ける。あの下品な杖が見当たらず、壁に体重を掛け、全身に纏わりつく痛みに耐えながら少しずつ前へ進んだ。扉を開けようとした直後、私が触れるより前に扉が開く。

「お……っと、なんだ目ぇ覚めてたのか」

 扉の向こうには、見知らぬ男が立っていた。私より随分と大柄で、赤毛の男だ。何をされるのか分からず、体が硬直してしまう。祈るような思いで、シーツを掴んで立ち尽くした。

「これ、ちょっと持ってみろよ」

 そう言って目の前に突き出されたのは、木の棒だった。太い幹を削って研磨したのか、手触りがとても良い。恐る恐る言われた通りにそれを持った。

「そうじゃなくて、それを床につけるんだよ。足の支えになるかって話」

 どうやら、これは杖であったようだ。言われるままに床に杖をつけて、体を支える。とても安定感があり、あの下品な杖とは比べものにならないほど身の丈に合っていた。

「うーん、もうちょっと短くしなきゃダメか」

 椅子を引いて私をそこに座らせると男は私から杖を取り上げて、また扉から外へ出て行った。一体なんなのだ、と私はゆっくり椅子から立ち上がり、また壁伝いに扉の外へ出行く。

 外は、緑に囲まれていた。木々が多く、地面は草に覆われて、少し先には透き通った小川と泉が見える。とても美しい場所で、本当に天国なのかもしれないとそう思った。

 男は、家のすぐそばで工具を使って杖の長さを調整していた。素朴な背中には脅威の影がなく、私は緊張を少しばかり解く。

「あの……」
「ん?」
「貴方は……一体」

 振り返らない男の背中に声を掛ける。大きな背中だった。テオも立派な体躯をしていたが、テオはもう少し細身であったように思う。

「俺はジグムント。水路に落ちてたお前を拾った」

 ジグムントと名乗ったその男は、再び杖を持ってきて私の手に握らせた。驚くほどに丁度良い。まるで、新しい己の足のようだった。

「今度は丁度良いみたいだな」
「あの……この杖は……」
「お前にやるよ。その足じゃ大変だろ」

 その言葉に、胸が熱くなった。瞳も熱を持つ。気付いた時には涙が溢れていた。こんなふうに、私を気遣う言葉は一年ぶりだった。私を案じて優しい言葉をかけてくれる人など、もうどこにもいないのだと思っていた。

 顎が震えて、ガチガチと歯がぶつかり合う。今までずっと、耐えに耐えてきたものが一気に放出しているようだった。心が感じ取る。ここは、恐怖とは程遠い場所であると。

「……ありがとう」
「えっ、なんで泣くんだよ!」

 震える声で感謝を伝えれば、ジグムントは驚いた。体が痛いのか、と慌てて家の中から椅子を持ってきて私をそこに座らせる。体の痛みなど、とうの昔に感じなくなっていたのだが、ふいに与えられた優しさで具合が良くなったような気すらする。

「優しい人に……久しぶりに会ったから」
「別に俺は優しくなんてねぇよ。お前の持ってた杖はちゃっかりもらったし」

 杖。杖とはなんだろうか。そう思案して、答えはすぐに得た。アントンから与えられた、あの宝石が無駄につけられた下品な杖だ。たしかにあれを窓に投げつけて飛び降りたはずだったが、私の手元からなくなっている。

「……あんな杖はいらない。この杖をもらえて、私は嬉しい」
「あんな杖って……あれだけあれば、めちゃくちゃ贅沢して暮らせるんだぞ」
「そんなものはどうでもいい。あの杖は、もう二度と見たくないから、ジグムントに託したい」

 あの杖を持っていても、嫌な記憶しか呼び起こせない。どれほど高価なものであったにしても、あんなものにはもう二度と触れたくなかった。

「正直言うとな、水路を流れてたお前を拾ったのは、あの杖があったからだ。金持ちの家に夜襲があるって聞いて、おこぼれがもらえないかなってあの辺をうろついてたら、水の中になんかが落ちる音がして。見に行ったらお前がいた」
「夜襲……?」
「あぁ。なんか、よく分かんねぇけど、あいつは何かを隠し持ってたらしくて、それを奪い返しに来たやつらがいるとか、なんとか。……で、お前を見つけて、お前が持ってた杖が金になりそうだって思ったから、それを掴んでるお前ごと引っ張り上げたんだ」
「そういうことか……それでも、助けてもらったことには違いがない。ありがとう、ジグムント」

 私を助けたかったわけではないが、結果的に私の命はジグムントに救われた。感謝を伝えると、ジグムントは顔を赤くして目を逸らす。

「お前、なんなんだ? なんでそんなにぼろぼろで、あの屋敷にいて、しかも水路に飛び込んだんだよ」

 なんなんだ、と問われて、どう答えれば良いのだろう。素直に言うのであれば、私はオリヴィエ・アインハルト。アインハルト国の第三王子だった者だ。だが、そんな風に名乗り上げて革命を起こした連中に引き渡されたらどうしよう。ジグムントのことをまだ信じきれない私は、口を噤む。

「……言いたくないなら、聞かない」
「すまない……、ありがとう」
「でも、名前が無いのは困る。とりあえず、俺はお前のこと、まっしろって呼ぶからな」
「まっしろ?」
「そう。髪の毛がまっしろだから」

 安直な名づけに、私は笑ってしまった。なんで笑うんだ、とジグムントは少し怒っている。言われるまで忘れていた。私の髪は色を無くして、全て白くなってしまったのだった。瞳の色ももともと灰色がかっているから、余計に白い印象を与えてしまうのだろう。

「まっしろは、これから行くとこあるのか?」
「……ない」

 行くところなど、どこにもない。帰る場所すらなく、帰りを待っていてくれる人もいない。これではもう、オリヴィエという人間がこの世から消え去ったも同然だった。

「じゃあ、暫くここにいればいい。お前のおかげで俺は大金を手に入れたわけだし、ちゃんと三食食わせてやるよ」

 ジグムントから齎されたのは、思いがけない提案だった。身に染みた猜疑心から、彼を信じきれないものの、この一年のなかで出会った人間の中では一番信頼が置ける。そんなジグムントの庇護下に入れるのは、とても有難いことだった。

 宜しく頼むと告げようとした直後、私はくしゃみをしてしまった。よくよく考えれば、私は裸にシーツを一枚羽織っただけの状態だったのだ。温かいところから抜け出て、そんな状態で外にいれば体が冷えるのも当然のことだった。くしゃみをした私を見て、ジグムントは笑っていた。

「服も買ってやるよ」


しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

ヤンデレ執着系イケメンのターゲットな訳ですが

街の頑張り屋さん
BL
執着系イケメンのターゲットな僕がなんとか逃げようとするも逃げられない そんなお話です

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

要らないオメガは従者を望む

雪紫
BL
伯爵家次男、オメガのリオ・アイリーンは発情期の度に従者であるシルヴェスター・ダニングに抱かれている。 アルファの従者×オメガの主の話。 他サイトでも掲載しています。

「優秀で美青年な友人の精液を飲むと頭が良くなってイケメンになれるらしい」ので、友人にお願いしてみた。

和泉奏
BL
頭も良くて美青年な完璧男な友人から液を搾取する話。

愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる

彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。 国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。 王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。 (誤字脱字報告は不要)

上司と俺のSM関係

雫@3日更新予定あり
BL
タイトルの通りです。

処理中です...