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病魔
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予想していたけれどレギアスが間抜けな声を出した。
「回復系は使えないっていうけどレギアスなら治せるわ」
「どうやって……」
「病原体を殺せばいいのよ。簡単でしょう?」
普通の人間の目には見えない微小な物体だけれど、分子を操れるとかうそぶくレギアスなら容易に認識して排除できるはずだ。
「あのスライムの気配、この人たちの中にあるでしょう?」
転移術を使い、少年の母親の体から病原体の組織をレギアスが持つガラス瓶に移す。
拳大にまとめても核が発生する気配はなく、スライムになって蠢いたりはしなかった。すぐにどろりとした液状に広がる。
「これ、周りの細胞を傷つけずに全部殺しておいてね」
「マジか……」
「大丈夫。レギアスの魔術の腕は素晴らしいわ。あんな繊細なコントロールができるのならこの人たちを助けるのもわけないはずよ」
「お、おう……」
気後れしたような表情で息を呑んでいるけれど、私に頼られてレギアスがやれないわけがない。
「サラは私の手を握りながらレギアスの補助をして。様子を見ながら治癒術と回復術を頼むわ」
「わ、わかったよ」
サラはさすが大神官というか、種類の多い治癒術のほとんどを使えると聞いている。任せておけば安心だ。
とりあえず、まずは回復特化の祝福を街全体に施した。かからない人間もいるだろうけれど、祝福なら回復術よりも上手く体の調整をし続けてくれる。かなり時間を稼げるはずだ。
30分ほどかかっただろうか。治癒術を更新することに成功し目を開ける。
本来、神聖術を新しく得るには仕えている神に奏上し神官か巫女を通じて術式の託宣を得る。いまの時代、応えてくれるのはセレスティアだけだけれど。下手をすれば数日を要する儀式も、奏上する神が私自身らしいから自分で術式を組み上げるだけでいい。
日が落ちて明かりの灯された部屋には患者と付き添いが何組か増えていた。開いた玄関ドアの向こうにもびっしりと人がいるようだ。彼らの注目を一身に浴びながらレギアスが必死で治療に当たっている。
最初の親子は無事治ったようだ。ベッドを他の患者に譲って脇に座り、治療の様子を興味深そうに眺めている。はたからは手をかざしているだけにしか見えないと思うけれど。
レギアスは珍しく汗を浮かべながら集中していて、真剣な表情が新鮮で少しときめいてしまった。いつまでも見ていたくなってしまう。
「レギアス、サラ、ありがとう。あとは私に任せて」
「レティシア! 助かった……」
いかにもほっとしたという顔で笑うレギアスが可愛い。
サラも苦笑いしながら大きく息をついた。
面倒だから一気にやってしまおう。
組み直したばかりの治癒術に回復術を合わせ、最大の範囲に展開した。
私の足元から金色の光輪が広がり、建物を通過して地面をどこまでも淡く輝かせる。実際は果てはあるけれど、半径50km程度は範囲に入ったはずだ。
足元の光が人々に触れるなり、彼らの体も淡く輝いて小さな光の球が周囲に立ち上るとともに元通り消えていく。
体がほんのりと温かく感じたあと、ほとんど全ての体の不調は消えているだろう。神の奇跡によって。
「一帯から病魔を消し去ったわ。抗体も作られているし、人体の中に限らずスライムの残骸を殺せる術にしたからもう安心よ」
先程まで肩に担がれたりして苦しそうにしていた人も付き添いの人たちも、自分の体や窓の外などを見て不思議そうにしている。
「すっかり瘴気が消えたな。さすがレティシア。残骸の処理までできるのか?」
「意思のない小さな生物は病魔と設定することで殺せるのよ。後でまた調べるけれど討ち漏らしがいたらレギアス頼むわね」
「お、おう」
口々にお礼を言う人たちを置いて家の外に出る。
騎士団長をはじめとした数人の騎士たちが玄関前に並んで待機していたから、移動制限を解いて明朝には国に帰るようにと指示を出した。継続治療の必要な者たちを集めて特別な印を施し、彼らが入国できるように結界の設定も変更しておく。
「感染がどこまで拡がっているか分からないから、北方の小国郡は全てカバーしておくわ。わたくしたちは転移して各国を回ってくるから、あとはお願いね。シャリーアとヴァルグは国々の被害状況を調べておいてくれると助かるわ」
「レティシア、もう暗いよ? 目処はついたし一旦帰って明日また来よう」
臣下たちに指示しているというのに、レギアスが後ろから抱きついてきて締まらない。慣れない治療でよほど気疲れしたみたいだけれど、私はこれからまだまだ大変なのだ。自重してほしい。
「レギアス、頑張ったのはわかったからまとわりつかないで!」
振りほどこうとしても離れないレギアスを諦め、サラも連れて各地に転移し治癒術を施していく。
一番効率がいいように考えて移動したけれど、12箇所目でようやく終わりだ。
まばらに針葉樹が立ち並ぶ山の中、地面はもう雪に覆われ、頭上では星が瞬く藍色の空にぶ厚い雲が流れていた。
急いで治癒術と回復術を一帯に施していく。最後に討ち漏らしたスライムがいないか空間認識術で確かめて仕上げだ。以前の失敗を踏まえきちんと条件付けをして負担を減らしたけれど、最大範囲でこれらの術を連発するのはさすがに無理があったのかもしれない。
「レティシア!」
術を展開したあと、突如として暗くなった視界がぐらりと傾いた。
咄嗟にレギアスが体を支えてくれて、そのまま抱き上げられる。
「レギアス、どうしよう。暗くて、ほとんど何も見えない」
見えないだけじゃなく、体から力が抜けて上手く動かせないような、いままでに感じたことのない心もとなさ。
不意に狼の遠吠えが耳に飛び込んできて心臓が跳ね上がった。四方から次々と遠吠えが響いて、不気味な鳥の鳴き声や動物の動くような葉擦れの音がそこらじゅうから聞こえてくる。私はもうレギアスの腕の中で震えて縮こまっていた。
「こ、こわい……」
「大丈夫だよ。俺がついてるだろ?」
「うん……」
優しく抱きしめてくれるレギアスの上着を思わずぎゅっと掴む。良かった。ちゃんと体に力は入れられる。
「レティ、神聖力切れかい?」
「あ、そうか……そう言われれば……」
今まで途切れることなく湧き出ていた神聖力。そのどこからともなくあった供給が断たれている。繋いでいた手は離れてしまったけれど、サラがすぐそばにいるのに聖印の効果も完全に切れているようだ。こんなことは初めてで、急激に胸に不安が押し寄せる。
「いや、神聖力切れってほどじゃないぞ。それなりに残ってる」
「えっと……?」
あらためて自分の状態を把握しようとつとめてみる。どうやら普通に術を使える神聖力は残っているようだ。先ほどの治癒術も最大範囲で使えるし、今すぐ影の術師との戦いになっても特に問題は無い。ように思える。
でもなぜそう確信しているのか根拠が不明だし、いつもと比べてどの程度の神聖力量なのかもよく分からない。気持ちはちっとも落ち着かず、今にも泣きそうな気分。
「ははっ、涙目になって。そんなに不安か? 休んだらすぐにまたいつも通りに戻るよ」
「レギアスは、魔力、切れたことあるの?」
「あー…………、無いな」
「…………」
「いや大丈夫、大丈夫だから! そもそも切れてないしっ」
ひどく情緒不安定で自分を抑えられず、涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。レギアスの胸がすぐそこにあるからいけないのだ。きっとそう。
「あ、ほら、レティシアが泣くから雪まで降り出したじゃないか」
顔を上げて涙をぬぐうとふわふわと雪が舞い落ちてきて頬に落ち、また肌を濡らした。木々のシルエットの向こうにはまだ少しだけ明るさを残した空に色とりどりの星が瞬き、真上には真っ黒な雲が流れている。とても幻想的で美しいけれど、周囲の木々の奥に広がる暗闇がなんとも恐ろしい。私はまたすぐにレギアスの胸に顔をうずめた。
「レティシア。ほら、早く帰って休もう? 転移はできそうか?」
私の不安を察したように、魔術で周りの空気を暖めながらレギアスが優しい声を出す。
「えっと……たぶん」
「待ってくれ!」
珍しく、サラが鋭い声を上げた。見ると通信用の魔道具を耳に当て、小声で誰かと話している。
先ほどの言葉は私たちに向けたもののようだ。レギアスと顔を見合わせ、通信が終わるのを待ってみる。
「……そうか、わかった。他に何かあれば逐一連絡してくれ」
「サラ?」
「レティはしばらく術を使わない方がいい」
「回復系は使えないっていうけどレギアスなら治せるわ」
「どうやって……」
「病原体を殺せばいいのよ。簡単でしょう?」
普通の人間の目には見えない微小な物体だけれど、分子を操れるとかうそぶくレギアスなら容易に認識して排除できるはずだ。
「あのスライムの気配、この人たちの中にあるでしょう?」
転移術を使い、少年の母親の体から病原体の組織をレギアスが持つガラス瓶に移す。
拳大にまとめても核が発生する気配はなく、スライムになって蠢いたりはしなかった。すぐにどろりとした液状に広がる。
「これ、周りの細胞を傷つけずに全部殺しておいてね」
「マジか……」
「大丈夫。レギアスの魔術の腕は素晴らしいわ。あんな繊細なコントロールができるのならこの人たちを助けるのもわけないはずよ」
「お、おう……」
気後れしたような表情で息を呑んでいるけれど、私に頼られてレギアスがやれないわけがない。
「サラは私の手を握りながらレギアスの補助をして。様子を見ながら治癒術と回復術を頼むわ」
「わ、わかったよ」
サラはさすが大神官というか、種類の多い治癒術のほとんどを使えると聞いている。任せておけば安心だ。
とりあえず、まずは回復特化の祝福を街全体に施した。かからない人間もいるだろうけれど、祝福なら回復術よりも上手く体の調整をし続けてくれる。かなり時間を稼げるはずだ。
30分ほどかかっただろうか。治癒術を更新することに成功し目を開ける。
本来、神聖術を新しく得るには仕えている神に奏上し神官か巫女を通じて術式の託宣を得る。いまの時代、応えてくれるのはセレスティアだけだけれど。下手をすれば数日を要する儀式も、奏上する神が私自身らしいから自分で術式を組み上げるだけでいい。
日が落ちて明かりの灯された部屋には患者と付き添いが何組か増えていた。開いた玄関ドアの向こうにもびっしりと人がいるようだ。彼らの注目を一身に浴びながらレギアスが必死で治療に当たっている。
最初の親子は無事治ったようだ。ベッドを他の患者に譲って脇に座り、治療の様子を興味深そうに眺めている。はたからは手をかざしているだけにしか見えないと思うけれど。
レギアスは珍しく汗を浮かべながら集中していて、真剣な表情が新鮮で少しときめいてしまった。いつまでも見ていたくなってしまう。
「レギアス、サラ、ありがとう。あとは私に任せて」
「レティシア! 助かった……」
いかにもほっとしたという顔で笑うレギアスが可愛い。
サラも苦笑いしながら大きく息をついた。
面倒だから一気にやってしまおう。
組み直したばかりの治癒術に回復術を合わせ、最大の範囲に展開した。
私の足元から金色の光輪が広がり、建物を通過して地面をどこまでも淡く輝かせる。実際は果てはあるけれど、半径50km程度は範囲に入ったはずだ。
足元の光が人々に触れるなり、彼らの体も淡く輝いて小さな光の球が周囲に立ち上るとともに元通り消えていく。
体がほんのりと温かく感じたあと、ほとんど全ての体の不調は消えているだろう。神の奇跡によって。
「一帯から病魔を消し去ったわ。抗体も作られているし、人体の中に限らずスライムの残骸を殺せる術にしたからもう安心よ」
先程まで肩に担がれたりして苦しそうにしていた人も付き添いの人たちも、自分の体や窓の外などを見て不思議そうにしている。
「すっかり瘴気が消えたな。さすがレティシア。残骸の処理までできるのか?」
「意思のない小さな生物は病魔と設定することで殺せるのよ。後でまた調べるけれど討ち漏らしがいたらレギアス頼むわね」
「お、おう」
口々にお礼を言う人たちを置いて家の外に出る。
騎士団長をはじめとした数人の騎士たちが玄関前に並んで待機していたから、移動制限を解いて明朝には国に帰るようにと指示を出した。継続治療の必要な者たちを集めて特別な印を施し、彼らが入国できるように結界の設定も変更しておく。
「感染がどこまで拡がっているか分からないから、北方の小国郡は全てカバーしておくわ。わたくしたちは転移して各国を回ってくるから、あとはお願いね。シャリーアとヴァルグは国々の被害状況を調べておいてくれると助かるわ」
「レティシア、もう暗いよ? 目処はついたし一旦帰って明日また来よう」
臣下たちに指示しているというのに、レギアスが後ろから抱きついてきて締まらない。慣れない治療でよほど気疲れしたみたいだけれど、私はこれからまだまだ大変なのだ。自重してほしい。
「レギアス、頑張ったのはわかったからまとわりつかないで!」
振りほどこうとしても離れないレギアスを諦め、サラも連れて各地に転移し治癒術を施していく。
一番効率がいいように考えて移動したけれど、12箇所目でようやく終わりだ。
まばらに針葉樹が立ち並ぶ山の中、地面はもう雪に覆われ、頭上では星が瞬く藍色の空にぶ厚い雲が流れていた。
急いで治癒術と回復術を一帯に施していく。最後に討ち漏らしたスライムがいないか空間認識術で確かめて仕上げだ。以前の失敗を踏まえきちんと条件付けをして負担を減らしたけれど、最大範囲でこれらの術を連発するのはさすがに無理があったのかもしれない。
「レティシア!」
術を展開したあと、突如として暗くなった視界がぐらりと傾いた。
咄嗟にレギアスが体を支えてくれて、そのまま抱き上げられる。
「レギアス、どうしよう。暗くて、ほとんど何も見えない」
見えないだけじゃなく、体から力が抜けて上手く動かせないような、いままでに感じたことのない心もとなさ。
不意に狼の遠吠えが耳に飛び込んできて心臓が跳ね上がった。四方から次々と遠吠えが響いて、不気味な鳥の鳴き声や動物の動くような葉擦れの音がそこらじゅうから聞こえてくる。私はもうレギアスの腕の中で震えて縮こまっていた。
「こ、こわい……」
「大丈夫だよ。俺がついてるだろ?」
「うん……」
優しく抱きしめてくれるレギアスの上着を思わずぎゅっと掴む。良かった。ちゃんと体に力は入れられる。
「レティ、神聖力切れかい?」
「あ、そうか……そう言われれば……」
今まで途切れることなく湧き出ていた神聖力。そのどこからともなくあった供給が断たれている。繋いでいた手は離れてしまったけれど、サラがすぐそばにいるのに聖印の効果も完全に切れているようだ。こんなことは初めてで、急激に胸に不安が押し寄せる。
「いや、神聖力切れってほどじゃないぞ。それなりに残ってる」
「えっと……?」
あらためて自分の状態を把握しようとつとめてみる。どうやら普通に術を使える神聖力は残っているようだ。先ほどの治癒術も最大範囲で使えるし、今すぐ影の術師との戦いになっても特に問題は無い。ように思える。
でもなぜそう確信しているのか根拠が不明だし、いつもと比べてどの程度の神聖力量なのかもよく分からない。気持ちはちっとも落ち着かず、今にも泣きそうな気分。
「ははっ、涙目になって。そんなに不安か? 休んだらすぐにまたいつも通りに戻るよ」
「レギアスは、魔力、切れたことあるの?」
「あー…………、無いな」
「…………」
「いや大丈夫、大丈夫だから! そもそも切れてないしっ」
ひどく情緒不安定で自分を抑えられず、涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。レギアスの胸がすぐそこにあるからいけないのだ。きっとそう。
「あ、ほら、レティシアが泣くから雪まで降り出したじゃないか」
顔を上げて涙をぬぐうとふわふわと雪が舞い落ちてきて頬に落ち、また肌を濡らした。木々のシルエットの向こうにはまだ少しだけ明るさを残した空に色とりどりの星が瞬き、真上には真っ黒な雲が流れている。とても幻想的で美しいけれど、周囲の木々の奥に広がる暗闇がなんとも恐ろしい。私はまたすぐにレギアスの胸に顔をうずめた。
「レティシア。ほら、早く帰って休もう? 転移はできそうか?」
私の不安を察したように、魔術で周りの空気を暖めながらレギアスが優しい声を出す。
「えっと……たぶん」
「待ってくれ!」
珍しく、サラが鋭い声を上げた。見ると通信用の魔道具を耳に当て、小声で誰かと話している。
先ほどの言葉は私たちに向けたもののようだ。レギアスと顔を見合わせ、通信が終わるのを待ってみる。
「……そうか、わかった。他に何かあれば逐一連絡してくれ」
「サラ?」
「レティはしばらく術を使わない方がいい」
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