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第三章 我、太陽の如き愛の伯(おさ)とならん
第五十話 愛は、血の縁よりも強く(1)
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柘律殿の伯陽の部屋に、子どもの声が響いている。きゃいきゃいと賑やかしい声の正体は双子の幽鬼だと、伯陽の世話を任された者たちは知っていた。昨日の朝突如として主である伯陽の寝台に現れたのだ。今までどこにいたと問いただす伯陽と朱昂に向かって、少年らは寝ぼけ眼を瞬かせながら「月鳴様の影の中で寝ていた」と答えた。
子静と子躍は、昼過ぎに伯陽の部屋に持ち込まれた荷物をほどいていた。送り主は白火。湛礼台に残していたものが届いたのだ。
「あ、胡蝶がありましたよ、月鳴様!」
荷物の大半は装飾品と、袖をほとんど通していない着物類だった。鏡台だけが目立って大きい荷物だが、客から贈られたものであったため、取捨の判断がつきかねて送ってきたのだろう。
子躍に呼ばれて伯陽が向かうと、黒い箱に入れられた胡弓があった。中を見てうなずき、蓋を閉める。
「これだけは手元に戻らないかと思っていたんだ。ありがたい」
「良かった~」
「後で聞かせてください」
「いいよ」
歓声をあげる双子に目を細めていた伯陽は、荷ほどきした箱の中に、封筒が入っているのを見つけた。
一枚きりの書簡箋を開くと「うまくやっているから気に病まないように。健康を祈る」という旨が短く書いてあった。白火とは娼妓と持ち主という関係とはいえ、長い付き合いで、恩義を感じる部分も多い。短い手紙は下手に手紙がないより心を引きずらなくていい。万事そつのない男だと伯陽はそれを封筒に戻しながら思った。
「さ、中身は分かったから片づけよう。手伝って」
ぽんぽんと手を叩くと、装飾品を見ていた使い魔は手を止め、床に散らばった荷造り紐を拾ったり、着物を畳んだりと働き始めた。
-----
その晩の夜更け。
「白髪が増えたな」
双子を影の中に戻して、伯陽はひとり鏡台の前に座った。
覆い布を取ると、痩せて、髪もほとんど白くなってしまった男がいた。朱昂が言うには、白髪は一時的なもので養生すれば黒に戻る可能性が高いらしい。手櫛をしてもあっけないほど短く感じる髪を後ろになでつければ、なるほどこめかみの辺りなどは根元が黒っぽくなっている。だが、すべて元通りにはなるまいと目元をなでながら思った。全体的に皮膚が重たくなった印象がある。
背筋を伸ばして顎を引いた。男娼としての栄達を惜しむのかと、鏡を見るやつれた男を嘲笑する自分がいる。
「来たか」
力の塊が近づいてくる気配に、伯陽は鏡に布を被せて椅子を離れた。朱昂の気配に、伯陽は慣れてきている。主が立ち止まるよりも先に戸を開けると、朱昂が虚を突かれたような顔をした。
「まだ起きていたのか」
「眠った頃に布団にこそこそ入ってくる猫がいて困っている」
「猫ね」
朱昂がつぶやいて、部屋に入ってきた。伯陽が目覚めてから十日経つが、朱昂は毎日夜中にやってきては同衾する。抱きつかれていたり、足が絡んでいたり、寝相は日々奔放になっており毎朝目のやり場に困る。試されているのかと思うほどだ。
部屋に入って朱昂はすぐに荷物が増えていることに気づいた。白火からだと説明し、手紙を見せる。どうやら朱昂にも手紙が届いていたようで、ちらりと見ただけで、すぐに返してきた。
「もう使わないものばかりで、売っちまおうかなと思っているんだが」
「お前の持ち物だから何も言うつもりはないが、金に困っているわけでもなし、急に動くこともあるまい。時間が経てば、手元に置いておけばよかったという気持ちも出てくるものだ。……それも善し悪しだがな」
ぽつりと朱昂が言うことは、たまに聞き逃せない何かがこめられている。それでも、鏡台は大きすぎるから手放したいというと、朱昂はうなずいた。
「あれは何?」
「え? あぁ、胡蝶か。胡弓だよ」
淘乱にもらったと言いかけて危うく口を閉じる。箱を開けて、蝶の螺鈿細工が施された胡弓を取り出して朱昂に見せる。朱昂が椅子に座ったまま腕を伸ばし、胡蝶を抱くと弓を構えたので伯陽は驚いた。
「弾けるのか」
「弾く真似くらいしかできない」
言いながら弓を動かす。胡蝶は朱昂の手によってよく歌った。真面目な朱昂らしく、たどたどしいが実直な弾き方に、伯陽は深く息を吐く。朱昂は紅い目を伏せて、耳を澄ませながら弓を動かしている。棹に頬を寄せ、弦の上で白い指を動かす朱昂を見ている内に、伯陽はへその辺りを押さえた。
客が娼妓に胡弓を弾かせたがる気持ちが、本当の意味でようやく分かった。美人が胡弓を操る姿は、なかなか腰にくるものがある。
朱昂の手がすっと止まった。
「感想くらい言え」
「もっと前から、朱昂に胡弓持たせとけば良かった……」
「下手で悪かったな」
「いや違う。上手だったよ」
「もう遅い」
気分を害した様子の朱昂に胡蝶を返されて、月鳴は仕方なく受け取り、長年のならいで弓を構えた。胡弓の弦はいつも通り繊細に震えて、手が思い通りに動くことにほっとする。二曲ほど弾き、朱昂を見ると眠たげな眼でしもべを見ていた。目があった瞬間、ビン、と朱昂の背が伸びる。頬がさっと赤くなった。
「な、なんだよ」
「いや、そろそろ寝た方がいいかなと思って。俺はともかく、朱昂が」
「あ、あぁ。――ちょっと用足してくる」
「うん」
先寝てるぞと朱昂の背中に声をかけ、伯陽が冷たい布団の中に入る。しばらくして手を拭きながら朱昂が帰ってきた。場所を空けると、慣れた様子で隣に寝転ぶ。
枕もとの火だけを残して朱昂が明かりを消した。足元も見えないほどの暗闇の中、朱昂の巻き癖のある黒髪と、白い耳だけが浮かび上がって見える。
背中を見せている朱昂に伯陽は思い切って話しかけた。尋ねたいことがある。顔が見えない今しか、聞けないような気がした。
「朱昂。どうして毎晩一緒に寝るんだ」
「――伯陽の心臓が、俺の知らないところで止まっていそうで怖いから」
予想もしなかった答えに、伯陽は狼狽した。朱昂が枕に頭を置き直す。衣擦れの音にくすぐられるように、胸が切なく痺れた。
子静と子躍は、昼過ぎに伯陽の部屋に持ち込まれた荷物をほどいていた。送り主は白火。湛礼台に残していたものが届いたのだ。
「あ、胡蝶がありましたよ、月鳴様!」
荷物の大半は装飾品と、袖をほとんど通していない着物類だった。鏡台だけが目立って大きい荷物だが、客から贈られたものであったため、取捨の判断がつきかねて送ってきたのだろう。
子躍に呼ばれて伯陽が向かうと、黒い箱に入れられた胡弓があった。中を見てうなずき、蓋を閉める。
「これだけは手元に戻らないかと思っていたんだ。ありがたい」
「良かった~」
「後で聞かせてください」
「いいよ」
歓声をあげる双子に目を細めていた伯陽は、荷ほどきした箱の中に、封筒が入っているのを見つけた。
一枚きりの書簡箋を開くと「うまくやっているから気に病まないように。健康を祈る」という旨が短く書いてあった。白火とは娼妓と持ち主という関係とはいえ、長い付き合いで、恩義を感じる部分も多い。短い手紙は下手に手紙がないより心を引きずらなくていい。万事そつのない男だと伯陽はそれを封筒に戻しながら思った。
「さ、中身は分かったから片づけよう。手伝って」
ぽんぽんと手を叩くと、装飾品を見ていた使い魔は手を止め、床に散らばった荷造り紐を拾ったり、着物を畳んだりと働き始めた。
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その晩の夜更け。
「白髪が増えたな」
双子を影の中に戻して、伯陽はひとり鏡台の前に座った。
覆い布を取ると、痩せて、髪もほとんど白くなってしまった男がいた。朱昂が言うには、白髪は一時的なもので養生すれば黒に戻る可能性が高いらしい。手櫛をしてもあっけないほど短く感じる髪を後ろになでつければ、なるほどこめかみの辺りなどは根元が黒っぽくなっている。だが、すべて元通りにはなるまいと目元をなでながら思った。全体的に皮膚が重たくなった印象がある。
背筋を伸ばして顎を引いた。男娼としての栄達を惜しむのかと、鏡を見るやつれた男を嘲笑する自分がいる。
「来たか」
力の塊が近づいてくる気配に、伯陽は鏡に布を被せて椅子を離れた。朱昂の気配に、伯陽は慣れてきている。主が立ち止まるよりも先に戸を開けると、朱昂が虚を突かれたような顔をした。
「まだ起きていたのか」
「眠った頃に布団にこそこそ入ってくる猫がいて困っている」
「猫ね」
朱昂がつぶやいて、部屋に入ってきた。伯陽が目覚めてから十日経つが、朱昂は毎日夜中にやってきては同衾する。抱きつかれていたり、足が絡んでいたり、寝相は日々奔放になっており毎朝目のやり場に困る。試されているのかと思うほどだ。
部屋に入って朱昂はすぐに荷物が増えていることに気づいた。白火からだと説明し、手紙を見せる。どうやら朱昂にも手紙が届いていたようで、ちらりと見ただけで、すぐに返してきた。
「もう使わないものばかりで、売っちまおうかなと思っているんだが」
「お前の持ち物だから何も言うつもりはないが、金に困っているわけでもなし、急に動くこともあるまい。時間が経てば、手元に置いておけばよかったという気持ちも出てくるものだ。……それも善し悪しだがな」
ぽつりと朱昂が言うことは、たまに聞き逃せない何かがこめられている。それでも、鏡台は大きすぎるから手放したいというと、朱昂はうなずいた。
「あれは何?」
「え? あぁ、胡蝶か。胡弓だよ」
淘乱にもらったと言いかけて危うく口を閉じる。箱を開けて、蝶の螺鈿細工が施された胡弓を取り出して朱昂に見せる。朱昂が椅子に座ったまま腕を伸ばし、胡蝶を抱くと弓を構えたので伯陽は驚いた。
「弾けるのか」
「弾く真似くらいしかできない」
言いながら弓を動かす。胡蝶は朱昂の手によってよく歌った。真面目な朱昂らしく、たどたどしいが実直な弾き方に、伯陽は深く息を吐く。朱昂は紅い目を伏せて、耳を澄ませながら弓を動かしている。棹に頬を寄せ、弦の上で白い指を動かす朱昂を見ている内に、伯陽はへその辺りを押さえた。
客が娼妓に胡弓を弾かせたがる気持ちが、本当の意味でようやく分かった。美人が胡弓を操る姿は、なかなか腰にくるものがある。
朱昂の手がすっと止まった。
「感想くらい言え」
「もっと前から、朱昂に胡弓持たせとけば良かった……」
「下手で悪かったな」
「いや違う。上手だったよ」
「もう遅い」
気分を害した様子の朱昂に胡蝶を返されて、月鳴は仕方なく受け取り、長年のならいで弓を構えた。胡弓の弦はいつも通り繊細に震えて、手が思い通りに動くことにほっとする。二曲ほど弾き、朱昂を見ると眠たげな眼でしもべを見ていた。目があった瞬間、ビン、と朱昂の背が伸びる。頬がさっと赤くなった。
「な、なんだよ」
「いや、そろそろ寝た方がいいかなと思って。俺はともかく、朱昂が」
「あ、あぁ。――ちょっと用足してくる」
「うん」
先寝てるぞと朱昂の背中に声をかけ、伯陽が冷たい布団の中に入る。しばらくして手を拭きながら朱昂が帰ってきた。場所を空けると、慣れた様子で隣に寝転ぶ。
枕もとの火だけを残して朱昂が明かりを消した。足元も見えないほどの暗闇の中、朱昂の巻き癖のある黒髪と、白い耳だけが浮かび上がって見える。
背中を見せている朱昂に伯陽は思い切って話しかけた。尋ねたいことがある。顔が見えない今しか、聞けないような気がした。
「朱昂。どうして毎晩一緒に寝るんだ」
「――伯陽の心臓が、俺の知らないところで止まっていそうで怖いから」
予想もしなかった答えに、伯陽は狼狽した。朱昂が枕に頭を置き直す。衣擦れの音にくすぐられるように、胸が切なく痺れた。
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