上 下
87 / 106
第二章 月ニ鳴ク獣

第四十六話 商談(2)

しおりを挟む
「もし仮に花主がお亡くなりになっていたとしても、それを湛礼台たんれいだいで確認せぬうちに他の方へ娼妓を売ったとなれば、我々の商いは立ちゆきませぬ。――現在の月鳴の株を五割増しでお買い上げになれば、花主はなぬしとなることも可能でございますが、今お運び頂いた金ではそこまでには至らないかと」
「金の亡者め……」

 拳を握ると、カタカタカタ、と朱昂しゅこうの発する怒気で卓が揺れる。しかし、女は動じない。幻市げんしには秘蹟もいくつか裏で糸を引く者がいるらしい。湛礼台の楼主を屠り、戦争の口実を作るのは下の下策かと、朱昂は拳を開いた。
 椅子に深く座り、顔を覆う。避けたい方法ではあったが、と額の汗をぬぐう。前が見えづらい。

「湛礼台では、金払いの悪くなった娼妓を解体して金にすると噂を聞いた」
「噂……」

 かすかに、女が嘲るような声を出した。無礼を朱昂は見逃したふりをして、言葉を続ける。

「そのような話が出る以上、血肉を金に換える商いをするものがいるのだろう。両替屋とともに呼んでまいれ」

 部屋の壁に同化していた男たちが、一斉に楼主を取り囲んだ。朱昂に向けて殺気を放つ。

「残念ではございますが、商談は破れたということでよろしいですか?」

 楼主の声に朱昂はくつくつと笑う。殺気が皮膚を焼くようだ。それくらい警戒してもらわないでは面白くないと、朱昂は青白い顔を歪めて笑い続ける。

「早とちりをするな。楼主を解体しようというのではない、我が血を売る」

 楼主が目を見開いた。背後にざわめきが生じる。今度は、吸血鬼側が朱昂を取り囲む番だった。「なりません!」と悲鳴じみた声で、朱昂の膝に取りすがる。

「うるさい。呼べ、肉屋を」
「殿、おやめください。治療費ならばいざ知らず、真血自体に値をつけてはなりません!」
「うるさい!」

 怒鳴った瞬間、ぶつりと影の中にあったはずの月鳴の使い魔の気配が消えた。
 嫌な予感が腹の底から悪寒となって湧き上がる。

「真血の価値などどうでもいい! 早く肉屋を呼べ!!」

 朱昂の叫びで、目の前の卓がひび割れ、調度品が一度に割れ砕けた。部屋の中の者がバタバタと床に倒れる。破裂音と悲鳴とが折り重なる中、朱昂の背後の扉が開いた。

「お取込み中失礼いたします。私も月鳴の件でお話がしたいのですが、加わってよろしゅうございますか」

 しんと、一瞬の静寂が訪れる。倒れずに踏みとどまった楼主が、扉に顔を向け、一礼をした。

「お久しぶりでございます、老狐殿」

 老狐と聞いて、朱昂の膝が崩れかかった。周りに支えられている間に、白火は倒れていた椅子を起こし、朱昂に勧める。
 顔を合わせるのは、治療の時以来だった。流木の如き老いの風情を漂わせる白火が、朱昂の足元にひれ伏した。

「朱昂様、ご無沙汰しております。お顔を拝見し恐悦の極みでございます」
「あぁ、白火」

 うめき声がする部屋で、朱昂は白火に手を伸ばす。白火は朱昂の手を額に戴いてから、後ろを振り返った。手招くと、狐がもうひとり現れる。書類らしきものを持っているようだ。

「楼主。月鳴の株を買い上げたい。金は金雀屋に預けている。これが証文だ。確認してくれるか」

 白火がするりと言ってのけると、連れの男が楼主へ証文を渡す。楼主は白火の証文と、ぐしゃぐしゃになった書類とを突き合わせて何かを確認すると、うなずいた。
 この狐は何か重大なことを言わなかったかと、朱昂が呆然としている間に、楼主が何やら書類に書きつけて白火に見せた。

「たしかに受け取りました」
「ややうれしや。私もとうとう十五楼の花主よ。さあて、朱昂様」

 白火が朱昂へ手を差し出す。

「商談といきましょう」

 朱昂は差し出された白火の手を勢いよく握った。

「金は全部持ってきた。会計は任せたぞ」

 言い終わらぬ内に、部屋を出るために踵を返した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)

藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!? 手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

早く惚れてよ、怖がりナツ

ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。 このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。 そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。 一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて… 那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。 ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩 《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

俺たちの誓い

八月 美咲
BL
高校生の暖と琥珀は血の誓いを交わした幼なじみで親友だった。 二人にはある思い出があった。それは雪の日に見た二人の男たちの死で、男同士の友情に強い憧れを持つ琥珀は、二人は究極の血の誓いを交わしたのだと信じていた。 そんな琥珀は文化祭で走れメロスを演じることになる。 演技の勉強にと、暖と演劇を観に行った帰りに暖の彼女と間違えられた琥珀は、もっと男らしくなる! と周りに宣言し、暖に弟子入りするが......。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

処理中です...