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第二章 月ニ鳴ク獣
第四十三話 花主、交代(2)
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第十五楼。誰も渡らぬはずの廊下は磨き清められていた。第十五楼は湛礼台の最も高い階層。この階だけはたったひとりの娼妓のためにある。
「旦那様が中でお待ちでございます」
乱れた髪を指で整え、襟を正す。白火から株を強奪した相手、結果的に朱昂と自分のか細い絆を断ち切ろうとする相手だ。それなのに気づけば身づくろいをする自分が悲しい。油を差された蝶番は、軋むことなく開いた。
男衆に両手を取られ、俯き、腰を屈めて室内に入る。翠の裾から大きな銀色の沓先が見えている。ゆらりと足元で揺れるのは爬虫類に似た尾だ。建物の影に停まっていた龍族の車を思い出す。
「よい。月鳴を残して去ね」
静かな男の声。足音の後、扉が閉まる。たまらず月鳴は顔を上げた。聞き覚えがあるのだ。静かでありながら傲慢な色の残る声音に。視線の先にいたのは、やはり龍族であった。白い肌、編み上げられた黒髪は不思議に青みがかった光沢を放っている。額の上部から伸びる角は、複雑な文様が彫り込まれていた。外見は月鳴と変わらぬように見えるが、実際は若いだろう。人で例えるならば四十を迎える頃か。切れ長の瞳に嵌まった薄墨色の瞳が、冷徹な印象をより深めている。
どこで会ったのか、記憶があいまいだった。だが、会ったことはある。ぐらぐらと怒りに似た感情が全身を震わせる。
「覚えておるか。随分と印象が変わったものよ。言われなければ分からぬな」
男は大きな手でいきなり月鳴の髪を掴んだ。そのまま床を引きずり始める。悲鳴と抗議の声を男娼が放っても、かまう気配はない。
寝室に入ったところで、月鳴は息を呑んだ。男が三人立っている。どれも龍族と思われるが、精緻な模様を施した痕のある角が、根元から折られている者ばかりだ。これから行われることを予想して、月鳴の身がすくんだ。髪から手が離れたと思いきや、襟首を掴まれ寝台に放り投げられた。足輪がシャランシャランと美しく鳴る。
「何をする!」
「汝は娼妓であろう? やれ。娼妓を犯したところで姦淫には当たらぬからな」
角の折れた男たちが月鳴の体を押さえにかかる。姦淫と聞いて、ぞっとする。月鳴と男たちの体格は優に頭二つ分違う。しかも複数だ。ただの暴力と違いない。
暴れる月鳴から下着が剥がされる。まだ芯を持っただけのものが無理に挿入された。大きすぎるそれによって、粘膜は容易く裂け、出血する。血のぬめりを借りた雄が何度か往復すると、月鳴を穿つ雄がみちみちと膨張した。
叫ぶ月鳴を、何ら性の熱を帯びぬ龍王が見下ろしていた。
「生きていることを悔いよ。汝はあの時死ぬべきだった」
「ぐ、ぁっ……、おおっ!!」
「汝が死んでおれば寧の力が疑われることなどなかった。寧の心が龍から離れることはなかった」
ぼろぼろと涙をこぼし、暴力に抵抗する月鳴の叫びは、どこにも届かない。
「どこまでこの手を汚せば朱昂は汝を諦めるだろうな」
朱昂の名を聞いて、月鳴は絶叫する。力が入ったことで、挿入した男が必要以上に締められ、思い切り月鳴の尻をぶつ。月鳴は痛みで目がくらむ。それでも許せなかった。朱昂の泣き顔が頭をよぎる。朱昂の名前を口にするのが、どうしても我慢できなかった。
「絆は絶えぬ! 朱昂も俺も諦めない!!」
「黙れ、絆などもうない! よいわ……、いつまでもそうしているがいい。汝を失えば、朱昂は悟るだろう。父を殺すに飽き足らず、龍玉に逆らおうとした心が、しもべを殺したのだとな! 生き恥を曝しつくして死ね。どんな姿で月鳴が死んだか朱昂に教えてやろう」
「朱昂は、必ず迎えに来る、ぅ、うぅ……!」
「救えぬものよ」
瞳に初めて哀れみが浮かび、消えた。感情を断ち切るように龍王は袖をうち振るうと、血と精の匂いが漂う寝室を後にした。
-----
その日の夜、朱昂のもとに、白火が月鳴の株を失ったという報せが届いた。
『籍に書かれていた花主の名前はおそらく偽名でしょう。灰色の瞳を持った龍族の男です』
新しい花主は月鳴に血を与えるなと命じたようだと、白火は伝えた。
龍王を呪う朱昂の叫びは、暴風となって王城に吹き荒れた。
「旦那様が中でお待ちでございます」
乱れた髪を指で整え、襟を正す。白火から株を強奪した相手、結果的に朱昂と自分のか細い絆を断ち切ろうとする相手だ。それなのに気づけば身づくろいをする自分が悲しい。油を差された蝶番は、軋むことなく開いた。
男衆に両手を取られ、俯き、腰を屈めて室内に入る。翠の裾から大きな銀色の沓先が見えている。ゆらりと足元で揺れるのは爬虫類に似た尾だ。建物の影に停まっていた龍族の車を思い出す。
「よい。月鳴を残して去ね」
静かな男の声。足音の後、扉が閉まる。たまらず月鳴は顔を上げた。聞き覚えがあるのだ。静かでありながら傲慢な色の残る声音に。視線の先にいたのは、やはり龍族であった。白い肌、編み上げられた黒髪は不思議に青みがかった光沢を放っている。額の上部から伸びる角は、複雑な文様が彫り込まれていた。外見は月鳴と変わらぬように見えるが、実際は若いだろう。人で例えるならば四十を迎える頃か。切れ長の瞳に嵌まった薄墨色の瞳が、冷徹な印象をより深めている。
どこで会ったのか、記憶があいまいだった。だが、会ったことはある。ぐらぐらと怒りに似た感情が全身を震わせる。
「覚えておるか。随分と印象が変わったものよ。言われなければ分からぬな」
男は大きな手でいきなり月鳴の髪を掴んだ。そのまま床を引きずり始める。悲鳴と抗議の声を男娼が放っても、かまう気配はない。
寝室に入ったところで、月鳴は息を呑んだ。男が三人立っている。どれも龍族と思われるが、精緻な模様を施した痕のある角が、根元から折られている者ばかりだ。これから行われることを予想して、月鳴の身がすくんだ。髪から手が離れたと思いきや、襟首を掴まれ寝台に放り投げられた。足輪がシャランシャランと美しく鳴る。
「何をする!」
「汝は娼妓であろう? やれ。娼妓を犯したところで姦淫には当たらぬからな」
角の折れた男たちが月鳴の体を押さえにかかる。姦淫と聞いて、ぞっとする。月鳴と男たちの体格は優に頭二つ分違う。しかも複数だ。ただの暴力と違いない。
暴れる月鳴から下着が剥がされる。まだ芯を持っただけのものが無理に挿入された。大きすぎるそれによって、粘膜は容易く裂け、出血する。血のぬめりを借りた雄が何度か往復すると、月鳴を穿つ雄がみちみちと膨張した。
叫ぶ月鳴を、何ら性の熱を帯びぬ龍王が見下ろしていた。
「生きていることを悔いよ。汝はあの時死ぬべきだった」
「ぐ、ぁっ……、おおっ!!」
「汝が死んでおれば寧の力が疑われることなどなかった。寧の心が龍から離れることはなかった」
ぼろぼろと涙をこぼし、暴力に抵抗する月鳴の叫びは、どこにも届かない。
「どこまでこの手を汚せば朱昂は汝を諦めるだろうな」
朱昂の名を聞いて、月鳴は絶叫する。力が入ったことで、挿入した男が必要以上に締められ、思い切り月鳴の尻をぶつ。月鳴は痛みで目がくらむ。それでも許せなかった。朱昂の泣き顔が頭をよぎる。朱昂の名前を口にするのが、どうしても我慢できなかった。
「絆は絶えぬ! 朱昂も俺も諦めない!!」
「黙れ、絆などもうない! よいわ……、いつまでもそうしているがいい。汝を失えば、朱昂は悟るだろう。父を殺すに飽き足らず、龍玉に逆らおうとした心が、しもべを殺したのだとな! 生き恥を曝しつくして死ね。どんな姿で月鳴が死んだか朱昂に教えてやろう」
「朱昂は、必ず迎えに来る、ぅ、うぅ……!」
「救えぬものよ」
瞳に初めて哀れみが浮かび、消えた。感情を断ち切るように龍王は袖をうち振るうと、血と精の匂いが漂う寝室を後にした。
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その日の夜、朱昂のもとに、白火が月鳴の株を失ったという報せが届いた。
『籍に書かれていた花主の名前はおそらく偽名でしょう。灰色の瞳を持った龍族の男です』
新しい花主は月鳴に血を与えるなと命じたようだと、白火は伝えた。
龍王を呪う朱昂の叫びは、暴風となって王城に吹き荒れた。
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