王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第二章 月ニ鳴ク獣

第四十一話 厚い壁(2)

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 月鳴は、くらくらと陽炎を発しながら落ちていく太陽を見ていた。
 太陽を直接見たら目を焼くよと、朱昂しゅこうに注意したのははるか昔だ。

 目の前に、まるで自分を飲み込むように太陽があるのに、寒くて凍え死にしてしまいそうだ。背を丸め、己を抱くように腕を回す。太陽は沈む。沈んでしまったら本当に死ぬのではないかと思いながら、押しとどめる術がなかった。やがて、地平線に黄金色の半円が生まれ、球になり、太陽は沈んだ。空には、月も星もない。ただ塗りつぶしたような闇がある。

 寒い、寒いと足踏みをしながら月鳴は周りを見回すも、右も左も闇だ。光一つなくうっすらと浮かぶ影形もない。風すらない。なぜこれほど寒いのだろう。

 ――無明の冥府。

 そんな言葉を思い出して、月鳴はゾッと震えながら両手を見る。
 今はその輪郭を目でなぞることができるが、いつしか闇に消えるのかもしれない。死が訪れるとすれば、こうあっけないのかもしれないと思う。
 膝が崩れた。闇が足の皮膚を舐め、這い上ってくる。

 時の感覚もなく、闇を払うこともできずにいると、ぽとん、と足の甲に何かが落ちた。

「なんだ?」

 闇に慣れた目に、鮮やかな翠色が眩しい。目を細めてそれを見る。足の甲の上に、真っ白な花が風もないのに花弁を揺らしていた。花弁の香気を現すように、中心から外側へと翠と金の光がたなびいていた。花弁はゆっくりと外側に向かい、白い花はますます咲き誇る。月鳴の髪は揺れもしないのに、花はふわりふわりと揺れていた。まるで、水の中にでもあるように。目から熱いしずくが滑り落ちる。

「花茶……」

 つぶやく月鳴の耳に、落ち着いた声が届いた。

『涙が止まるまで泣くといい』

 声は、花から聞こえたような気がした。
 古い記憶が蘇る。埃っぽい壁外の街角で出会った、尾を持つ男。顔は覚えていなかった。だが、力強い腕と深い憂いに満ちた声は覚えていた。朱昂の名だけを残して、消えてしまったひと。

「どこ行っちまったんだよ」

 月鳴は花へと指を伸ばす。光はますます強くなる。両手でくるむように花を持つ。
 確信めいた声音で、花は告げた。

『絶対に迎えに来る』

 花が強く発光し、目がくらむ。また行ってしまう、と月鳴は両手を握った。だが、花の感触はない。いつの間にか月鳴の手の中から抜け出し、光をまき散らしながら闇を上っていく。手の届かないずっと上まで。

「待ってくれ!!」

 白滅した視界の中、懸命に伸ばした腕を、力強く握るものがあった。驚いて目を見開く。まばゆい光も、花もない。夕暮れに暗く沈んだ部屋に、白火はくびがいた。

「白火……」
「月鳴。良かった」

 寝台に横たわる月鳴の手を握った老狐は、深く深く息を吐いたのだった。

-----

 真血を飲み意識を失った月鳴は、数刻経っても意識が戻らず白火の別邸に運ばれたのだという。重湯をなんとか口にした月鳴は、その後差し出された血液をためらいながら飲む。何の抵抗もなく、生温かな血液は喉を通り抜けた。

「朱昂には……」
「すぐに連絡を取りたかったのだが、どうしてだか鳴蝶めいちょうが消えてしまって。書状は送ったから数日内には返事が来るだろう」
「いつまで休める?」
「あと二日休みを確保した。体調が戻らなければもう少し伸ばす。ゆっくり休みなさい」

 早く横になれと言う老狐が眉を寄せ、心配そうな顔をする。普段はさして動じた顔も見せない飄々とした男である。あまりに不安げな顔に、月鳴は思わず笑みを浮かべた。

「どうしたんだ、そんな顔して」
「どうしたって、月鳴……」

 まるで愛しい相手にするように、白火の指が月鳴の頬をなで下ろす。老いた手を掴んだ。いつの間にか、お互いに年を取ったとしみじみと思った。
 白い眉を下げた老狐が、身じろぎをする。たかが二日手入れをしなかっただけでも乾いた感じのする手で、老狐の頬をなでた。お互いの手でお互いの頬を包む。

「絶対に迎えが来るらしい」
「え?」
「いや……。俺は朱昂を信じる。自分で何もできないのが口惜しいよ。だが、信じるしかないならば信じて待とう。こんなことでおろおろしているようじゃ、信じているなんて言えないよな」

 はあ、と老狐が椅子に座りなおしながら首を軽く振った。

「そうは言うがお前、割り切れるもんじゃないだろうに」
「言うな。割り切れるわけがない。それは、その通りだ。でも今は――」

 分かったと、白火が寝台に仰向けになる月鳴の肩をそっと押さえた。

「言うは易し、行うは難し、か。……朱昂様のご連絡を待とう。めったにない休みだ。ゆっくりしろ」
「分かった」

 うなずいて瞳を閉じる。老狐が茶器を片づけたり、部屋の明かりをつけたりと働く音を聞いている間に、ゆっくりと眠りに落ちていた。
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