王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第二章 月ニ鳴ク獣

第四十話 龍玉の病(3)

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 ――愚か者。

 龍玉が話しかけてきたというのに、解決への糸口ひとつ見つけられなかった。帰路をひた走る車の中で朱昂しゅこうは顔を深くうつむき、苦い後悔を噛みしめていた。好機を逃したという感触が、龍宮を離れるにつれ強くなる。重く息をする朱昂の耳に窓を叩く音がした。馬車は疾走している。窓を開けると、鋭い風が入り込んでくる。仁波じんぱの緊張した顔があった。

「殿、空に龍が集まっています」

 聞くや否や朱昂は窓から顔を出し、空を見上げた。出発する際は一頭だった龍が、三、四、……五頭集まっている。その中の一頭だけ金色に鱗を光らせていた。

「龍王……! 謀ったか!」

 龍玉の治療は名目で、これが目的だったかと思うが、龍王が自分を攻撃する理由が見つからない。疑問が一挙に頭に押し寄せるのをかき分けて、仁波に叫ぶ。

「降下してきたら護衛は必ず馬車を離れよ。この数では太刀打ちできん」
「できません!」
「龍如きにやられる真血ではない! 必ず二騎以上で血領まで駆けて軍を率いて戻ってこい」

 首を横に振ろうとする仁波に朱昂は叫ぶ。

「まとめて怪我をすれば治療をするのは俺だろう! 頭を冷やせ! 王命だ、離れよ!――来るぞ」

 馬車を護衛していた龍騎兵も混乱しており攻撃してくる気配はない。金龍が空中で身をくねらせたのを見た朱昂は仁波の肩を押した。
 噛みしめた唇から血を流した仁波が馬車に背を向けた。部下に合図を出し、放射状に離散を始める。朱昂は王専用の濡れるような漆黒の馬車を渾身の力で蹴り、車体の前側の壁を破壊した。転げ落ちそうな御者の襟首をつかんで車の中に放り込む。

 前方に金龍の巨体が降下してくるのが見えた。風圧で飛び散る礫が朱昂の頬を打つ。龍の背から飛び降りる影があった。降下地点を予測し龍王の心音を拾うために意識を集中させる。だが、龍王は地上に降りてこなかった。

「何!?」

 空中を走っている。龍族にはそれぞれの個体ごとに特殊能力が現れることがある。飛行能力かと歯噛みする朱昂の前方で、主を下ろした金龍が馬車に立ちふさがるように巨体を地に伏せた。行く手に突如小山が現れたも同然。巻き上がる砂埃に視界を塞がれながら朱昂は必死で手綱を引いた。衝突すれば全身の骨が砕け、意識が消失するのは間違いない。飛び上がって回避行動をとるには、相手が巨大すぎた。

「止まれぇえええええ」

 硬い手綱。軋む車軸の音。前方に傾ぐ体を押しとどめようとする腰。高まる鼓動の音。
 突然、ザアっと風が前方から吹きつけたようだった。目を開けると、浮いた龍の腹の下に、朱昂はいた。衝突する直前でわずかに地面から離れたらしい。手綱を握ったまま立ち直れない朱昂の背後で、車体が軋む。車体の上に屈んだ龍王が腕を振ると、金龍はさらに上へと飛翔した。

「我が妹が無理を言ったそうだ。良い思い出もないだろうに、足を運んでくださったことは礼を言おう、血王陛下」

 荒い息で喉を塞がれ、声が出てこない。

「しかしな、父殺しの罰を掻いくぐろうとするのは見逃せない。罪は罪。罰は罰。何を思って今更我が秘蹟に近づいたかは知らぬが、龍玉が何者かに屈することはない。罪が許され罰がやむのをただひたすらに待て」

 トクン、トクンと、朱昂の耳が龍王の拍動をとらえた。握りつぶしてしまえばいい。この男は、秘蹟ではないのだから。龍王の血液を操ろうと朱昂が上げた右手を憲龍の手が握った。冷たい手。嫌悪感に意識をかき乱され、心音を逃がしてしまった。
 頭二つ以上体格差のある憲龍けんりゅうが朱昂の手を握ったまま後ろから覆いかぶさるようにした。囁き声が、朱昂の耳に直に注ぎ込まれる。

「これ以上月鳴に近づくのはやめろ。そなたが近づけば月鳴は苦しむ。苦しめてやらぬが主の慈悲では? ――せめて天寿は全うさせてやれ」

 見開かれる紅い目に、憲龍の頬にえくぼが刻まれる。ひと際大きく車軸が軋んだかと思うと、そこにはもう憲龍の姿はなく、龍の姿もまた星の一点の如き小ささになろうとしていた。

-----

 領地の境。陣を整える自軍の只中に、一頭の馬が走りこんできた。朱昂は馬を捨てると、囲む者たちに「器!」と荒い声を出した。

玄姫げんき!」

 影に向かって大声を出しつつ、手荒く腕にあてた刃を引く。用意された器に惜しげもなく血を注いだ朱昂は、姿を現した玄姫に「真血を湛礼台に届けよ」と命じた。

「王の目でも誰でもいいから、これを白火に渡して飲ませろと伝えよ。できるだけ早く。分かったな!」
「はい」

 朱昂が王の目と呼ぶ密偵に託すよう伝えると、玄姫はすぐに姿を消した。朱昂の手がブルブルと震え続けている。

 ――強引にでもしもべにしなければ、このままでは伯陽が殺される。

 手段を選んでいる場合ではない。龍王、龍騎兵から友を守るために、真血のもたらす奇跡にすがるしかない。龍王がなぜ月鳴を狙うのか不明だが、いつでも殺せるのだという脅しを聞いた以上、放っておくことはできない。
 龍玉の与えた罰を真血の力が上回るようにと、朱昂は震える手を組み、祈るしかなかった。
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