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第二章 月ニ鳴ク獣
第三十二話 罪の形(2)
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「否、月鳴だ。幻市は湛礼台の男娼で、淫乱で哀しい俺のかわいいオンナだよ。極めるといい声で天に昇るように鳴くんだ。ね、月鳴ちゃん」
いつの間にか元の姿に戻っていた淘乱の呼びかけに、それまで何も映していなかった瞳を瞬かせて男娼は背後を振り返った。あ、と小さくつぶやく。
「淘乱」
声を聞いた瞬間、朱昂はガンと後頭部を殴られた心地になった。なじんだものよりも幾分高く聞こえるそれが、自分以外の名を紡ぐのが信じられない。
「伯陽! 俺だ、朱昂だ!」
夢の中の出来事だ。目の前の男に呼びかけても霧に叫ぶに等しい。分かっていても朱昂は呼ばずにはいられなかった。しかし、男はまるで反応を示さない。
「伯陽!」
「月鳴だと言っているだろう」
言いながら夢王は男娼を抱き寄せると熱く唇を交す。唇を離した瞬間、淘乱よりも早く月鳴が淫らに微笑した。信じられない。朱昂は目を覆いたくても両手を戒められており、変わり果てた友の姿を見ることしかできない。
「真血公の腕を見込んで頼みがある」
淘乱は月鳴を抱き、見つめ合ったまま口を動かした。
「月鳴の持ち主である男が病を得て瀕死なのだ。若い頃から左目の視力がほぼなくてな。ただ生来見えぬと言うわけでもないらしい。ある日両目とも見えぬと騒いだかと思ったら、昏倒したのだとか。それから三月、目は開く時もあるが、意識は戻らない。この男を救って欲しいのだ。持ち主が死ねば妓楼にいられなくなると月鳴がひどく気を揉んでいる。――五日後の同じ時刻に、ここで待っているよ」
「待て、その者の種族は」
「獣族。狐だ。――次は直に会えるのを楽しみにしている」
邪魔をしたね、という夢王の一言の後、みしりと大きく建物が軋んだ。強風が壁を駆け上る音がする。床にうつ伏せに倒れる朱昂の周りには檻も鎖もない。ただ、燭台がひとつ卓の上に残されていた。
朱昂はあおむけに転がると、両頬を掻き破るように白い肌に爪を立てた。瞳孔が細く伸びる、がくがくと床に触れているはずの背が震えた。
「左目の失明。両目とも視力消失し、直後より意識消失。三月回復せず」
夢王が残した情報を繰り返す朱昂の脳内では、病と治療法の知識が渦潮の如く流れていた。
「月鳴、伯陽――」
朱昂のつぶやきは、燭台の油が尽きるまで途切れることはなかった。
いつの間にか元の姿に戻っていた淘乱の呼びかけに、それまで何も映していなかった瞳を瞬かせて男娼は背後を振り返った。あ、と小さくつぶやく。
「淘乱」
声を聞いた瞬間、朱昂はガンと後頭部を殴られた心地になった。なじんだものよりも幾分高く聞こえるそれが、自分以外の名を紡ぐのが信じられない。
「伯陽! 俺だ、朱昂だ!」
夢の中の出来事だ。目の前の男に呼びかけても霧に叫ぶに等しい。分かっていても朱昂は呼ばずにはいられなかった。しかし、男はまるで反応を示さない。
「伯陽!」
「月鳴だと言っているだろう」
言いながら夢王は男娼を抱き寄せると熱く唇を交す。唇を離した瞬間、淘乱よりも早く月鳴が淫らに微笑した。信じられない。朱昂は目を覆いたくても両手を戒められており、変わり果てた友の姿を見ることしかできない。
「真血公の腕を見込んで頼みがある」
淘乱は月鳴を抱き、見つめ合ったまま口を動かした。
「月鳴の持ち主である男が病を得て瀕死なのだ。若い頃から左目の視力がほぼなくてな。ただ生来見えぬと言うわけでもないらしい。ある日両目とも見えぬと騒いだかと思ったら、昏倒したのだとか。それから三月、目は開く時もあるが、意識は戻らない。この男を救って欲しいのだ。持ち主が死ねば妓楼にいられなくなると月鳴がひどく気を揉んでいる。――五日後の同じ時刻に、ここで待っているよ」
「待て、その者の種族は」
「獣族。狐だ。――次は直に会えるのを楽しみにしている」
邪魔をしたね、という夢王の一言の後、みしりと大きく建物が軋んだ。強風が壁を駆け上る音がする。床にうつ伏せに倒れる朱昂の周りには檻も鎖もない。ただ、燭台がひとつ卓の上に残されていた。
朱昂はあおむけに転がると、両頬を掻き破るように白い肌に爪を立てた。瞳孔が細く伸びる、がくがくと床に触れているはずの背が震えた。
「左目の失明。両目とも視力消失し、直後より意識消失。三月回復せず」
夢王が残した情報を繰り返す朱昂の脳内では、病と治療法の知識が渦潮の如く流れていた。
「月鳴、伯陽――」
朱昂のつぶやきは、燭台の油が尽きるまで途切れることはなかった。
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