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第二章 月ニ鳴ク獣
第三十話 初夜の宴(2)
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割れんばかりの拍手と歓声の中で、月鳴は客と部屋に向かう翼和を見送りつつ胡弓を奏で続けた。幻市ではよく知られた舞曲を立て続けに弾きまくり、見世にいる娼妓たちを舞台に上げて舞うようにと声をかける。
官能的に舞う美男美女は立て続けに指名が入った。許される時間いっぱい弾き倒した月鳴は、空席が目立つようになった見世に一礼し、舞台を降りたのだった。
白火の代理を務める青年が、舞台裏で月鳴を待っていた。他の奏者に挨拶をする月鳴を見つけるとすぐに駆け寄ってきて、一緒になって礼を言う。謝礼を払い、見送りしてからすぐに戻ってくる。
月鳴は汗をぬぐいながら水を飲んでいた。これから花主候補の接待だ。その前に風呂を浴びて化粧を整えたい。
花主候補の旦那たちが、翼和が消えると一斉に席を離れていたことには気づいていた。先に翼和が接待する手はずになっていた。翼和は初夜の客があるため、旦那たちは床入りはせず、月鳴と枕をともにする予定だ。準備をしに、早く戻らねばと腰を上げる。
「月鳴兄様……」
「旦那様方はまだ翼和のところか? お待たせしてはいないだろうな」
「はい」
「良かった。すぐに風呂に入らないと、さすがに汗をかいた。ふう。さ、行こう」
「兄様」
月鳴が愛器・胡蝶を抱えて立ち上がるが、誰もついてこない。振り返ると、青年は立ったまま青白い顔で月鳴を見ていた。
「どうした」
「旦那様方は、今日はお部屋にいらっしゃいません」
月鳴は苦笑を浮かべた。「どうして?」と笑いながら言う。胡弓を持つ手が震える。
「次、夢王様がいらっしゃった折に、詳しくお話を聞きたい、と」
「六名もいて、全員が?」
「――申し訳ございません! どうぞお部屋までいらっしゃってくださいとお願い申し上げたのですが、事を急ぐのは夢王様のご寵愛を失ったという噂が本当だからか、と言われてしまい。……まことに申し訳ございません!」
月鳴は、視界がドクンと脈動したようだった。
「結局、夢王の人形か……!」
月鳴は胡蝶を両手で握り、衝動に任せて床に叩きつけようとした。しかし、寸前で止まる。夢王からの贈り物とはいえ、一時の衝動で苦楽をともにした愛器を砕くことがどうしてもできなかった。
初めて、月鳴の荒々しい怒りを目の当たりにした若者が這いつくばり、床に額をこすりつける。一気に込み上げた怒りは、急激に抜け落ちた。
「翼和はどうなった。気に入られたようだったか」
低い声に、若者がびくりと背を震わせる。月鳴は青年の腕を引いて立ち上がらせた。
「五名の方が、ぜひにと」
「予想通りか。……翼和は片付いたが、月鳴は、終わりだな」
「なんということを言うのですか」
「明日、明後日はいい。だが未来はない。『寵愛』とやらに賭けてみたが、月鳴の負けだ」
夢王が嫌うと分かっていて、来訪を請う手紙を最近になって二度送っていた。しかし返信ひとつこない。捨てられたのだと、事実を突きつけられる結果になった。
胡蝶が月鳴の手から離れた。バタン、と音を立てるのに構わず、月鳴が帯の裏から朱色のごく小さい巾着を取り出す。中には、朱昂のことを書き留めた紙片が折りたたまれて入っていた。ここぞという勝負の時は、必ず身に着けるようにしていたお守りだ。
――男娼になったのは、他に生きる道がなかったからだ。
巾着の中から、細い紐を取り出し、首にかけた。痣がちりり、と痛んだ気がした。月鳴は見世に向かう通路を歩き始める。唐突に耳飾りを外して、床に放り投げた。青年の声は無視して、髪飾りを引き抜いていく。
――生きたかったのは、朱昂に会いたかったからだ。
見世に続く大扉を勢いよく開き、髪飾りを見世の床に叩きつけた。名を呼ばれて、月鳴は帯を強引に外した。袍を脱ぎ捨て、裙を腰から落とす。
突然現れ、脱ぎ始める月鳴を、何かの演出だと思い込んだ見世中から歓声が上がる。
薄い袖のひらつく上着を脱げば、裸の肩を見せた下着姿だ。沓を脱いだ足首に、金の輪が光っている。
外からはごとごとと車輪の音がする。今夜の湛礼台もいつもと変わらず千客万来だ。建物の入り口には、主を下ろすために、ずらりと馬車が並んでいることだろう。
もしも男娼として生きられないのであれば、男娼をやめる覚悟はできている。このまま玄関から出れば、外出の許可を得ていない月鳴の片足は失われるだろう。しかし、それが何だというのだ。片足失ったって、馬に乗ればいいのだ。
何よりも、生きたい。朱昂に会うために。
「片足くらい、くれてやるさ」
月鳴は大玄関に向かって走り出した。軽くなった体は月鳴の心に応え、速度を上げていく。卓の間を縫い、客の胸を押しながら一直線に駆けていく。
「月鳴様!」
気づいた男衆が叫び、追いかけてくる。月鳴は怯えた顔一つしなかった。先回りした男衆が、目の前で玄関の扉を閉める。だが、閉まる間際扉が異様な音を立ててたわんだかと思うと、周囲の男衆ごと吹き飛ばして大扉が開いた。避けられなかった月鳴も一緒になって床に倒れる。
しんと静まり返ったことを不思議に思いながら、体を起こした月鳴の腕を、不意につかみ上げた者がいる。とっさに殴ろうとした月鳴は、振り上げた腕をそのままに、あんぐりと口を開いた。明るいとび色の目が、愉快そうに見下ろしてくる。
「派手なお出迎えだねぇ、月鳴ちゃん。欲求不満だとそんな風になるんだ。面白い」
「淘乱……?」
「あら、見忘れちゃったの。それにしてもすごい顔だけど大丈夫? いくら知ってる仲でももうちょっとおしとやかにしてほしいなぁ」
もう二度と現れないと思っていた男の顔を見て、月鳴の頬が濡れそぼった。わあわあと泣く月鳴を夢王が横抱きにする。
「悪いけどうちの娘娘と一晩こもるから、よろしく」
「かしこまりました……」
男衆がうなずき、月鳴の衣を拾いつつ追いかけてきた青年が、夢王にひれ伏した。
月鳴はしゃくりあげながら淘乱の首にすがりつくことしか、できなかった。
官能的に舞う美男美女は立て続けに指名が入った。許される時間いっぱい弾き倒した月鳴は、空席が目立つようになった見世に一礼し、舞台を降りたのだった。
白火の代理を務める青年が、舞台裏で月鳴を待っていた。他の奏者に挨拶をする月鳴を見つけるとすぐに駆け寄ってきて、一緒になって礼を言う。謝礼を払い、見送りしてからすぐに戻ってくる。
月鳴は汗をぬぐいながら水を飲んでいた。これから花主候補の接待だ。その前に風呂を浴びて化粧を整えたい。
花主候補の旦那たちが、翼和が消えると一斉に席を離れていたことには気づいていた。先に翼和が接待する手はずになっていた。翼和は初夜の客があるため、旦那たちは床入りはせず、月鳴と枕をともにする予定だ。準備をしに、早く戻らねばと腰を上げる。
「月鳴兄様……」
「旦那様方はまだ翼和のところか? お待たせしてはいないだろうな」
「はい」
「良かった。すぐに風呂に入らないと、さすがに汗をかいた。ふう。さ、行こう」
「兄様」
月鳴が愛器・胡蝶を抱えて立ち上がるが、誰もついてこない。振り返ると、青年は立ったまま青白い顔で月鳴を見ていた。
「どうした」
「旦那様方は、今日はお部屋にいらっしゃいません」
月鳴は苦笑を浮かべた。「どうして?」と笑いながら言う。胡弓を持つ手が震える。
「次、夢王様がいらっしゃった折に、詳しくお話を聞きたい、と」
「六名もいて、全員が?」
「――申し訳ございません! どうぞお部屋までいらっしゃってくださいとお願い申し上げたのですが、事を急ぐのは夢王様のご寵愛を失ったという噂が本当だからか、と言われてしまい。……まことに申し訳ございません!」
月鳴は、視界がドクンと脈動したようだった。
「結局、夢王の人形か……!」
月鳴は胡蝶を両手で握り、衝動に任せて床に叩きつけようとした。しかし、寸前で止まる。夢王からの贈り物とはいえ、一時の衝動で苦楽をともにした愛器を砕くことがどうしてもできなかった。
初めて、月鳴の荒々しい怒りを目の当たりにした若者が這いつくばり、床に額をこすりつける。一気に込み上げた怒りは、急激に抜け落ちた。
「翼和はどうなった。気に入られたようだったか」
低い声に、若者がびくりと背を震わせる。月鳴は青年の腕を引いて立ち上がらせた。
「五名の方が、ぜひにと」
「予想通りか。……翼和は片付いたが、月鳴は、終わりだな」
「なんということを言うのですか」
「明日、明後日はいい。だが未来はない。『寵愛』とやらに賭けてみたが、月鳴の負けだ」
夢王が嫌うと分かっていて、来訪を請う手紙を最近になって二度送っていた。しかし返信ひとつこない。捨てられたのだと、事実を突きつけられる結果になった。
胡蝶が月鳴の手から離れた。バタン、と音を立てるのに構わず、月鳴が帯の裏から朱色のごく小さい巾着を取り出す。中には、朱昂のことを書き留めた紙片が折りたたまれて入っていた。ここぞという勝負の時は、必ず身に着けるようにしていたお守りだ。
――男娼になったのは、他に生きる道がなかったからだ。
巾着の中から、細い紐を取り出し、首にかけた。痣がちりり、と痛んだ気がした。月鳴は見世に向かう通路を歩き始める。唐突に耳飾りを外して、床に放り投げた。青年の声は無視して、髪飾りを引き抜いていく。
――生きたかったのは、朱昂に会いたかったからだ。
見世に続く大扉を勢いよく開き、髪飾りを見世の床に叩きつけた。名を呼ばれて、月鳴は帯を強引に外した。袍を脱ぎ捨て、裙を腰から落とす。
突然現れ、脱ぎ始める月鳴を、何かの演出だと思い込んだ見世中から歓声が上がる。
薄い袖のひらつく上着を脱げば、裸の肩を見せた下着姿だ。沓を脱いだ足首に、金の輪が光っている。
外からはごとごとと車輪の音がする。今夜の湛礼台もいつもと変わらず千客万来だ。建物の入り口には、主を下ろすために、ずらりと馬車が並んでいることだろう。
もしも男娼として生きられないのであれば、男娼をやめる覚悟はできている。このまま玄関から出れば、外出の許可を得ていない月鳴の片足は失われるだろう。しかし、それが何だというのだ。片足失ったって、馬に乗ればいいのだ。
何よりも、生きたい。朱昂に会うために。
「片足くらい、くれてやるさ」
月鳴は大玄関に向かって走り出した。軽くなった体は月鳴の心に応え、速度を上げていく。卓の間を縫い、客の胸を押しながら一直線に駆けていく。
「月鳴様!」
気づいた男衆が叫び、追いかけてくる。月鳴は怯えた顔一つしなかった。先回りした男衆が、目の前で玄関の扉を閉める。だが、閉まる間際扉が異様な音を立ててたわんだかと思うと、周囲の男衆ごと吹き飛ばして大扉が開いた。避けられなかった月鳴も一緒になって床に倒れる。
しんと静まり返ったことを不思議に思いながら、体を起こした月鳴の腕を、不意につかみ上げた者がいる。とっさに殴ろうとした月鳴は、振り上げた腕をそのままに、あんぐりと口を開いた。明るいとび色の目が、愉快そうに見下ろしてくる。
「派手なお出迎えだねぇ、月鳴ちゃん。欲求不満だとそんな風になるんだ。面白い」
「淘乱……?」
「あら、見忘れちゃったの。それにしてもすごい顔だけど大丈夫? いくら知ってる仲でももうちょっとおしとやかにしてほしいなぁ」
もう二度と現れないと思っていた男の顔を見て、月鳴の頬が濡れそぼった。わあわあと泣く月鳴を夢王が横抱きにする。
「悪いけどうちの娘娘と一晩こもるから、よろしく」
「かしこまりました……」
男衆がうなずき、月鳴の衣を拾いつつ追いかけてきた青年が、夢王にひれ伏した。
月鳴はしゃくりあげながら淘乱の首にすがりつくことしか、できなかった。
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