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第二章 月ニ鳴ク獣

第三十話 初夜の宴(1)

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 胡弓の音は一本の糸に似ている。これほど歌声に似た音を出せる楽器を月鳴は他に知らないと思っていた。高音になればなるほど女人の声に近くなるのが美しい。歌声と違うのは息継ぎがないところ、素早い音階の変更が可能なところだ。

 月鳴の弓にこすられた弦が、広い空間に一本の糸を放つ。
 月鳴は胡弓の名手で知られていた。荘厳さよりは演奏の爛漫さで客を微笑ませることが多い。足元から天井へ、天井から客の耳元へ。ぴょんぴょんくるくると月鳴の奏でる音が跳ね回る。新参者の初舞台に、客も品定めの風が強い。見世みせの広間に立ち込めた緊張感を、月鳴が解きほぐしていく。

 月鳴は舞台の縁に立って演奏していた。広間には卓が並び、客たちはそこで娼妓から酌を受けたり、気に入りの腰を抱いたりしながら演奏を聴いている。めったに見世に現れない湛礼台たんれいだいの看板男娼に、熱視線を送る者は多い。
 白い歯をこぼして月鳴がからかうように笑うと、目が合った者がぼうっとする。

 祝い事にふさわしく、月鳴の衣装は金を中心にしている。黒地のほうは胸の部分に太い金で鳳凰が飛ぶ姿が描かれ、立て襟も金。弓を引くたびに白い紗が舞うように揺れる。足元に広がるくんの模様は雲。頭上に結った髪を留めるのは金の冠に似た髪飾りだ。

 月鳴に限らず、湛礼台たんれいだいの男娼は女装を取ることが多いが、本日の装いは硬い雰囲気で全体的に男らしさが見え隠れする。胸から上だけをみれば、美丈夫と呼んでいい。主役の翼和の女性らしさを引き立てるようにと、月鳴が注意した結果だ。

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 月鳴が一曲弾き終えると、歓声が沸き起こった。月鳴が中央から舞台の下手に移動すると、琴や太鼓、笛の奏者が現れる。どれもこれも幻市でも高名な者ばかり。月鳴は己の威信をかけて奏者を選びに選び、元から白火が用意していた予算を超えた分は己の貯えも崩して金を積んだ。

 舞台にほど近い卓に、湛礼台の娼妓を抱える旦那たちが座っている。月鳴と翼和の花主候補だ。白火は一度だけ目を開き、朦朧としながら数語を話して再び昏睡した。それを聞いて月鳴は白火の死を覚悟し、翼和の初夜の準備に全力を傾けたのだ。

 ――月鳴の価値を証明しなければ。

『湛礼台最高の男娼』、『秘蹟を虜にした色香』との売り文句だけで、花主はなぬしが決まるほど娼妓の道は甘くない。必ずここで候補者の満足を超え、感動させなければならないと思っていた。

 ――上がり続けなければ、死ぬ。

 舞台の上手から、翼和が現れた。緋と橙が輝く羽、白い肌に憂いを含む美しい顔。白地の裙。腰からは羽衣のように薄く淡い色の衣が何色も重なって伸び、翼和の歩いた後に虹が残っているように見える。
 髪留めは金の羽に緋色の宝石があしらわれたもので、よく見ればその形が月鳴の冠と対になっているのが分かる。翼和が客の興味を引くのに成功したことは、すぐに分かった。

 翼和は舞台の中央で、燃えるような色の羽が見えるように少しだけ斜めになって立つと、淡い虹の羽衣を舞台に広げるように裾をさばいた。

 奏者用の細い椅子に腰かけた月鳴が少しだけ頬を上げると、翼和がうなずいて、観客に笑顔を見せた。早くも客から陽気な声がかかる。
 翼和と目配せした月鳴は弓を構えた。深呼吸して弓を引き始める。一本の糸が、気高く舞いながら天へとのぼり始めた。月鳴が奏でた主旋律を追いかけるように翼和が口を開く。何の抵抗も感じさせず羽ばたいた翼和の声に、月鳴はすべての細胞が開くような、とても言葉でも言い表されぬ心地がした。

 翼和は、天賦の才というものが実際にあることを、その日証明したのだった。
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