55 / 106
第二章 月ニ鳴ク獣
第二十九話 沈みゆく月(4)
しおりを挟む
「花主が、なに……?」
白火が使っている若者と、月鳴はようやく目を合わせた。
白火が倒れてから二十日。まだ意識は戻らない。連日、白火の周りにいる者がひっきりなしに月鳴に会いに来る。昼は白火の家の者から様子を聞き、夜は商売だ。
今日も目を覚まさない。今日はまばたきをした。あの医師はだめだ、と昼に聞けば、夜は夜で老狐殿の容体は? 医者を紹介しようと言われる。だが、好意の形をした罠が張られている可能性が常にある。話が芯に当たらないようにかわすのも一苦労だった。
心労がにじむ顔を上げた月鳴に、若者は一旦声を詰まらせてから口を開いた。
「兄様の花主候補を、探そうということになりました」
月鳴が向かいに座る若者の膝に目を落とし、まばたきを繰り返す。
「私の貯めている金と売り上げで、一年は十分経営できるという話だったではないか」
白火が倒れてすぐに、月鳴自身の貯蓄と必要経費の再計算を行っていた。娼妓は不意の出費で赤字の月が出たりもするが、月鳴は数十年間貯め続けた貯金をあてれば少なくとも一年は十二楼での娼妓としてやっていけるという結論が出た。
月鳴の売り上げは白火の収入の柱だ。月鳴の経営権だけはよそに売るわけにはいかないと、若者は同じ口で言ったのだ。方針が変わるにしても急すぎる。
月鳴の語気が強まる。若者が、燃え落ちる薪のごとくに項垂れた。膝の近くで、狐の耳が震えていた。
「もう、だめなのです」
「え?」
「呼吸をしているのが奇跡だと言われます。昨日の医師も、手の施しようがない、と。もう回復は絶望的です。亡くなってから探すのでは遅すぎるでしょう」
「なに……」
「周りもどんどんと辞めていきます。……翼和の初夜の宴に候補の方をお連れします。明日、仕立て師が衣装を持って参りますので、丈合わせをよろしくお願いいたします」
「……お前は辞めなくていいの?」
「私にとって、白火様は親同然ですので」
長い沈黙が降りた。傾いた日の色を見た若者が立ち上がる。意識は希薄ながら長年のならいで月鳴の体が動いた。若者を見送るために歩き出した月鳴の足が途中で力を失い尻もちをついた。驚いた顔で、若者が月鳴を抱き起そうとする。
「兄様、眠れていないのでは?」
「いや、平気だ」
表情の抜け落ちた顔で、月鳴がまた歩き出す。戸を開いた。
「また明日」
月鳴が唇を緩めて微笑む。どこか遠くへ気を飛ばしたまま美貌をほころばせる月鳴に、若者は頭を下げて、出て行った。
白火が使っている若者と、月鳴はようやく目を合わせた。
白火が倒れてから二十日。まだ意識は戻らない。連日、白火の周りにいる者がひっきりなしに月鳴に会いに来る。昼は白火の家の者から様子を聞き、夜は商売だ。
今日も目を覚まさない。今日はまばたきをした。あの医師はだめだ、と昼に聞けば、夜は夜で老狐殿の容体は? 医者を紹介しようと言われる。だが、好意の形をした罠が張られている可能性が常にある。話が芯に当たらないようにかわすのも一苦労だった。
心労がにじむ顔を上げた月鳴に、若者は一旦声を詰まらせてから口を開いた。
「兄様の花主候補を、探そうということになりました」
月鳴が向かいに座る若者の膝に目を落とし、まばたきを繰り返す。
「私の貯めている金と売り上げで、一年は十分経営できるという話だったではないか」
白火が倒れてすぐに、月鳴自身の貯蓄と必要経費の再計算を行っていた。娼妓は不意の出費で赤字の月が出たりもするが、月鳴は数十年間貯め続けた貯金をあてれば少なくとも一年は十二楼での娼妓としてやっていけるという結論が出た。
月鳴の売り上げは白火の収入の柱だ。月鳴の経営権だけはよそに売るわけにはいかないと、若者は同じ口で言ったのだ。方針が変わるにしても急すぎる。
月鳴の語気が強まる。若者が、燃え落ちる薪のごとくに項垂れた。膝の近くで、狐の耳が震えていた。
「もう、だめなのです」
「え?」
「呼吸をしているのが奇跡だと言われます。昨日の医師も、手の施しようがない、と。もう回復は絶望的です。亡くなってから探すのでは遅すぎるでしょう」
「なに……」
「周りもどんどんと辞めていきます。……翼和の初夜の宴に候補の方をお連れします。明日、仕立て師が衣装を持って参りますので、丈合わせをよろしくお願いいたします」
「……お前は辞めなくていいの?」
「私にとって、白火様は親同然ですので」
長い沈黙が降りた。傾いた日の色を見た若者が立ち上がる。意識は希薄ながら長年のならいで月鳴の体が動いた。若者を見送るために歩き出した月鳴の足が途中で力を失い尻もちをついた。驚いた顔で、若者が月鳴を抱き起そうとする。
「兄様、眠れていないのでは?」
「いや、平気だ」
表情の抜け落ちた顔で、月鳴がまた歩き出す。戸を開いた。
「また明日」
月鳴が唇を緩めて微笑む。どこか遠くへ気を飛ばしたまま美貌をほころばせる月鳴に、若者は頭を下げて、出て行った。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
あなたの隣で初めての恋を知る
ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる