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第二章 月ニ鳴ク獣
第二十九話 沈みゆく月(4)
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「花主が、なに……?」
白火が使っている若者と、月鳴はようやく目を合わせた。
白火が倒れてから二十日。まだ意識は戻らない。連日、白火の周りにいる者がひっきりなしに月鳴に会いに来る。昼は白火の家の者から様子を聞き、夜は商売だ。
今日も目を覚まさない。今日はまばたきをした。あの医師はだめだ、と昼に聞けば、夜は夜で老狐殿の容体は? 医者を紹介しようと言われる。だが、好意の形をした罠が張られている可能性が常にある。話が芯に当たらないようにかわすのも一苦労だった。
心労がにじむ顔を上げた月鳴に、若者は一旦声を詰まらせてから口を開いた。
「兄様の花主候補を、探そうということになりました」
月鳴が向かいに座る若者の膝に目を落とし、まばたきを繰り返す。
「私の貯めている金と売り上げで、一年は十分経営できるという話だったではないか」
白火が倒れてすぐに、月鳴自身の貯蓄と必要経費の再計算を行っていた。娼妓は不意の出費で赤字の月が出たりもするが、月鳴は数十年間貯め続けた貯金をあてれば少なくとも一年は十二楼での娼妓としてやっていけるという結論が出た。
月鳴の売り上げは白火の収入の柱だ。月鳴の経営権だけはよそに売るわけにはいかないと、若者は同じ口で言ったのだ。方針が変わるにしても急すぎる。
月鳴の語気が強まる。若者が、燃え落ちる薪のごとくに項垂れた。膝の近くで、狐の耳が震えていた。
「もう、だめなのです」
「え?」
「呼吸をしているのが奇跡だと言われます。昨日の医師も、手の施しようがない、と。もう回復は絶望的です。亡くなってから探すのでは遅すぎるでしょう」
「なに……」
「周りもどんどんと辞めていきます。……翼和の初夜の宴に候補の方をお連れします。明日、仕立て師が衣装を持って参りますので、丈合わせをよろしくお願いいたします」
「……お前は辞めなくていいの?」
「私にとって、白火様は親同然ですので」
長い沈黙が降りた。傾いた日の色を見た若者が立ち上がる。意識は希薄ながら長年のならいで月鳴の体が動いた。若者を見送るために歩き出した月鳴の足が途中で力を失い尻もちをついた。驚いた顔で、若者が月鳴を抱き起そうとする。
「兄様、眠れていないのでは?」
「いや、平気だ」
表情の抜け落ちた顔で、月鳴がまた歩き出す。戸を開いた。
「また明日」
月鳴が唇を緩めて微笑む。どこか遠くへ気を飛ばしたまま美貌をほころばせる月鳴に、若者は頭を下げて、出て行った。
白火が使っている若者と、月鳴はようやく目を合わせた。
白火が倒れてから二十日。まだ意識は戻らない。連日、白火の周りにいる者がひっきりなしに月鳴に会いに来る。昼は白火の家の者から様子を聞き、夜は商売だ。
今日も目を覚まさない。今日はまばたきをした。あの医師はだめだ、と昼に聞けば、夜は夜で老狐殿の容体は? 医者を紹介しようと言われる。だが、好意の形をした罠が張られている可能性が常にある。話が芯に当たらないようにかわすのも一苦労だった。
心労がにじむ顔を上げた月鳴に、若者は一旦声を詰まらせてから口を開いた。
「兄様の花主候補を、探そうということになりました」
月鳴が向かいに座る若者の膝に目を落とし、まばたきを繰り返す。
「私の貯めている金と売り上げで、一年は十分経営できるという話だったではないか」
白火が倒れてすぐに、月鳴自身の貯蓄と必要経費の再計算を行っていた。娼妓は不意の出費で赤字の月が出たりもするが、月鳴は数十年間貯め続けた貯金をあてれば少なくとも一年は十二楼での娼妓としてやっていけるという結論が出た。
月鳴の売り上げは白火の収入の柱だ。月鳴の経営権だけはよそに売るわけにはいかないと、若者は同じ口で言ったのだ。方針が変わるにしても急すぎる。
月鳴の語気が強まる。若者が、燃え落ちる薪のごとくに項垂れた。膝の近くで、狐の耳が震えていた。
「もう、だめなのです」
「え?」
「呼吸をしているのが奇跡だと言われます。昨日の医師も、手の施しようがない、と。もう回復は絶望的です。亡くなってから探すのでは遅すぎるでしょう」
「なに……」
「周りもどんどんと辞めていきます。……翼和の初夜の宴に候補の方をお連れします。明日、仕立て師が衣装を持って参りますので、丈合わせをよろしくお願いいたします」
「……お前は辞めなくていいの?」
「私にとって、白火様は親同然ですので」
長い沈黙が降りた。傾いた日の色を見た若者が立ち上がる。意識は希薄ながら長年のならいで月鳴の体が動いた。若者を見送るために歩き出した月鳴の足が途中で力を失い尻もちをついた。驚いた顔で、若者が月鳴を抱き起そうとする。
「兄様、眠れていないのでは?」
「いや、平気だ」
表情の抜け落ちた顔で、月鳴がまた歩き出す。戸を開いた。
「また明日」
月鳴が唇を緩めて微笑む。どこか遠くへ気を飛ばしたまま美貌をほころばせる月鳴に、若者は頭を下げて、出て行った。
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