王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第二章 月ニ鳴ク獣

第二十四話 慈母の奇貨(2)

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「月鳴ちゃん、牙はないけど吸血鬼なんだって? 探している子も吸血鬼なの?」
「そ、そうではないかと。私には記憶が、ほとんどないのですが、私は彼と長年一緒にいたようで。子どもの頃から、青年の姿になるまで。私は血を求める体で、吸血族も私の血を飲めなかったので、吸血族だろうと皆が言います。そんな私と一緒にいたのならば、吸血鬼ではないかと。目が紅い者は珍しいでしょう?」

 夢王が目を細める。

「容姿、もう少し詳しく教えてくれるかな。できるだけ詳しく」
「黒い髪に、透き通るような白い肌です。体も細くて、一目見ただけでは女に見えるかも。背は、人間並みだと思います。目が大きくて……」

 言いながら朱昂しゅこうの姿を思い浮かべる。できるだけ詳細に。髪の質感、表情。声が思い出せないのが口惜しい。まるで目の前にいるように脳裏に描き出す。すると、真面目な顔だった夢王がニイ、と笑った。

 大きな腕が迫ってきて、額を掴まれる。頭の中をむしり取られるような衝撃が走った。耐えきれず後ろに倒れこむ。

「ガハッ、な、何が……」
「ねえ、探してるのこの子ぉ?」

 夢王を見て、月鳴の息が止まった。夢王の腕の中に朱昂がいた。長い髪を振り乱し、夢王の足を蹴りながら必死に月鳴に向けて腕を伸ばしている。涙を含んだ目と出会った瞬間首に断ち切られるような痛みが走った。頭を抱える。

「あは、月鳴ちゃんの中に戻りたがってる。だめだよ、大人しくして。んーん、かわいい顔。声が出せないんだ。……ねえ、大丈夫?」

 荒く息を吐き、頭を抱えて悶える月鳴が必死で顔を上げる。朱昂は声もなく叫んでいた。じたばたと暴れる頬に涙が流れる。たまらなくなって突進しようとする月鳴に、夢王が軽く腕を振り下ろす。すると、見えない何かによって床に叩きつけられた。背を容赦なく押され、息ができなくなる。

 圧倒的な力量差。見れば夢王は、月鳴に向かって走ろうとする青年を腕の中に閉じ込めじゃれついている。

「ふうん、こんなに育ってるのにたしかに牙がないねえ。でも、他に魔族らしい特徴もなし、やっぱ例の子かなぁ。見た目は成魔なのに子どもで、しかも女の子みたいな顔しちゃって、とんでもなくやらしいね」
「あぁあああ!」
「そんなに怒りなさんな。ねえ、この子の名前なんて言ったっけ」

 月鳴は渾身の力で唇を噛んだ。絶対に教えてなどやらない。ここで死んだとしても、朱昂を卑しい目で見る輩に、これ以上何も教えてやるものか。

 夢王が呆れた表情で手を振る。体にかかる重みが増す。月鳴は目を見開き、夢王をにらみつけた。
 視界がかすんでくる。心臓の音がやけに大きく聞こえる。胸が膨らんではちきれそうだ。感覚が遠くなってきた。朱昂が泣いている。朱昂が――。

 夢王が、朱昂を放した。朱昂は怯えた表情で走ってくると、重みが失せて咳き込む月鳴に抱き着き、消えた。夢王はしっかりと抱いていたのに、月鳴の肌は朱昂の熱を感じることができなかった。ただ朱昂の残像を追うように、自分を抱きしめることしかできなかった。

「何か思い出した?」

 夢王が自分で注いだ白湯を飲みながら言った。月鳴は流れ出た涙をぬぐって、肩で息をしながら起き上がる。にらみつけると、夢王はつまらなそうに足を組む。

「ちょっと脅かせば何か思い出すかもしれないじゃない?」

 頭を抱える。首の痛みは、消えつつあった。怒りでどうにかなりそうな中、声を絞り出す。

「思い出せない、何も」

 嘘ではなかった。どれだけ探っても、朱昂のいくつかの姿が浮かぶだけだ。せめて朱昂が自分を何と呼んでいたか、それだけでも思い出したい。助けを求める朱昂の声は聞こえず、何もしてやれなかった。涙が床に落ちる音がする。拭う気力が残っていない。あまりにも、みじめだった。

「何も……思い出したとしても、絶対に言わない」
「そうした方がいいよ」

 夢王に抱え上げられる。身をよじろうとしたが、馬鹿馬鹿しくなってやめる。抵抗の隙もないほど圧倒された自分に、大事な朱昂の情報をおいそれと漏らしてきた自分に、月鳴は失望しきっていた。

「分かっただろう? 軽々しく秘蹟のことは口にしない方がいい。秘蹟の中でも真血しんけつは特に有用だ。たとえ一滴だってね、真血になら大金を積む輩だっているし、真血公を監禁したい奴なんて星の数ほどいるよ。真血の情報はみんな欲しがっている。紅い目の吸血鬼、探してるんです~なんて言ってごらん、こわーい目に遭うと思うよ、月鳴ちゃん。――いい子だから黙っていなさい、たとえ〝朱昂〟が生きていようといなかろうと、ね」

 念押しのように告げられた名に、指先まで冷えていく。
 夢魔の少年との会話が頭をよぎった。あの時、朱昂の名を漏らしていたのだ。
 沈黙する月鳴を抱えたまま、夢王が寝台に座った。

「うちの子のこと、恨まないでね。親にだって朱昂の名を簡単には言おうとしなかったんだから。お尻が真っ赤になるまでぶってようやく口を割ったんだ。泣きながら射精しちゃってね。ふ、ふ……」

 膝の間に座らされ、背中から抱きしめられる。人形のようにされるままの月鳴がつぶやいた。

「なぜ俺を構う。顔と名前以外何も覚えていない。空っぽだと分かっただろう。思い出したって教える気はない」
「――奇貨居きかおくべしって人間は言うじゃない」
「何が目的……」
「男娼と寝台にいて、何が目的もないだろう」

 顎を掴まれ、目を覗き込まれる。明るいとび色の瞳が、金色に変わっていた。じわじわと体の熱がこもり、とくん、と孔や欲の根が疼いた。

「やだ……」
「嫌がるな。夢王を拒否したオンナが湛礼台で生きていけるとでも?」

 上がり続けなければ、死ぬ。あまりにも弱い立場に悲しみが押し寄せ、波はいつしか欲求に変わって月鳴を苛む。

「かわいそうな君にいいこと教えてあげる。月鳴ちゃん俺の好みだよ。俺はね、誰かへの恋でいっぱいになった心を犯すのが好きなんだ。すごく興奮する。泣き顔がかわいいのもいいね」
「くそ……」

 くちづけられ、だ液を飲まされる。夢王の行動すべてが、興奮を駆り立てる。たまらない。欲しい。体の奥の奥まで、暴いて、痛めつけて、丁寧に愛撫してほしくなる。

「俺の名前教えてあげるから、おあいこにしよ?」

 淘乱とうらん、と男は月鳴に囁いたのだった。


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注)奇貨居くべし:奇貨とは珍しい品物のこと。珍しい品物は大きな利益を得られるので、大事にしまっておいてよい機会を待つのがよいという意。
かつて呂不韋という男が人質先で冷遇されていた秦の王子・子楚を奇貨として援助を行い、後に子楚が王となったとき、呂不韋はその大臣となった故事より生まれた故事成語。
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