王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第二章 月ニ鳴ク獣

第二十話 花茶の君(2)

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 倒れたまま辺りをうかがうと、男が部屋の隅でお湯を沸かしていた。大きな体を縮めて作業をする横顔は、青年より年上らしい落ち着いた雰囲気を漂わせていた。鋭い目と視線が絡まる寸前で顔を伏せる。

 のしりのしりと巨体が近寄ってきて、枕もと近くにある台に茶器を置いた。素焼きの椀がふたつ置かれる。大きな手がひとつを持って寝台から離れた。首を伸ばして見ると白湯のようだ。起き上がってそれを飲む。頭が重いし、ぞくぞくと悪寒がする。だが、心が一番痛む。「化け物」と男を罵った時から、痛みは強くなっていた。

「さっきは、すまなかった」
「え?」
「助けてくれて、ありがとう」

 それまでずっと平板だった男の顔に驚きが現れた。しかし感情の変化は表情からすぐに抜け落ちる。

「名前は」
「分からない」

 何も分からない。言いかけた青年が咳をした。体を支えようと枕もとの台に手を置くと棚が揺れ、乗っていた茶筒がころりと床に落ちる。拾い上げた男が中を見て、茶筒を逆さに振る。分厚い手のひらの上に、乾いた花のつぼみが転がり出た。

「花茶か……」

 しばらく見ていた男が、ふ、と唇を笑みの形にした。よく切れる刃物を思わせる目じりが和らぐ。青年の目が不快を忘れて吸い寄せられた。あたたかい表情に、何かが胸の中でことんと揺れた。

「気晴らしに良いものを見せてあげよう。よく見ていて」

 突然笑みを向けられた青年が目を泳がせている間に、男は両手を貝のように合わせた中につぼみを閉じ込め、隙間から息を吹き込んだ。透明な急須に、つぼみを入れて湯を注ぐ。

 ととととと……。

 まろい音とともにぷかりと浮かび上がったつぼみが、湯を吸って底に落ちる。膨らんだ花弁はピンと気泡を吐きながらつぼみから離れた。

 開花が始まった。
 花弁の綻びは花の中心にまで及び、くるりと巻かれた花の芯が開く。白い花弁が姿を現す。花弁の白の中から、翠色の光が現れた。

「あ……」

 ごくりと、青年の喉が鳴る。花が水中で燃えている。
 白い花弁の所々が、まるで熾火のように発光している。炎と違うのはその色で、花弁は翠色に燃えていた。立ち上る光の先が青っぽい。

 翠の光が明滅する花弁が開ききると、白金のもやが湯の中に漂いはじめた。
 水中であおく燃える白い花。心が洗われるような絶景であった。

「綺麗……」

 それ以外、言葉にならない。
 湯呑みに注がれた茶を一口飲む。甘い香り。ほっこりとした熱が痛む胸を慰める。

「おいし、……いてっ」

 急に首の裏がズキンと痛んだ。思わず首を押さえようとした青年の手を、男が止めた。

「動かないで」

 ギシギシと寝台を軋ませて男が青年の背後に回った。首の裏側に視線が集まるのが分かる。

「――……」
「なに?」

 男のつぶやきが聞きとれない。振り向くと、男と目が合った。思わず呼吸を忘れるほど真っすぐな眼差し。色素の薄い瞳が食い入るように青年を見ていた。

「――名前が分からないと言ったが、自分の名前の他に覚えている名前はないのか」
「ない、けど」

 正面を向くように言われる。従うと、男の指が首の裏を触った。とても冷たい。首を指の腹にぐっと押された瞬間、強い痺れが首から目に向けて一直線に走った。青年の喉から悲鳴が上がる。身をよじると肩を掴まれた。

「動くな。辛いだろうが我慢しろ! 思い出せ……」

 思い出せ、思い出せと囁かれ、いよいよ首の痛みが激しくなる。激痛に断末魔の如き叫びをあげるしかない。
 苦悶する青年の真正面の窓から、赤々と燃える太陽がゆっくりと落ちてきた。黒い瞳が、太陽の光を受けて橙色を帯びる。

「あ、ぁ……?」

 太陽に見つめられているような気がした。まるで、紅い瞳。
 ガクン、と男に掴まれた肩が震える。震えは全身に広がる。ガクガクと体を揺らしながら、青年は「瞳」から目を離さなかった。

 斜陽の光の中に、様々なものが見える。
 木の幹についた血痕、本を捲る小さな後ろ姿、泉で水を滴らせる白い背中。

 断片的な光景が脳をかき回す。

 水を含んだ黒髪を絞っていた誰かが振り向いた。猫を思わせる大きく紅い瞳。白い頬がふっくらと盛り上がって、丸い歯を覗かせながら何かを言う。音は聞こえない。

「だ、れ……」

 青年が問いかけた時、破裂音が部屋に響いた。武器を持った男たちが、破壊した扉を踏みつけながら部屋の中に入り込んでくる。
 尾を持つ男が驚く青年の腰を抱いた。耳に顔を寄せ、青年の手の甲に指を滑らせる。青年の脳裏で形を成したのはたった二つの文字。しかし、記憶の綻びを見た青年には、それで十分だった。

 変化は一瞬だった。まるで被せられていた布が取り払われたかのように、世界の色が変わる。太陽が地平に沈もうとしている。そのまま見送ってはいけないという焦りが、身の内から噴出した。

 ――行かなきゃ。

 青年は男の腕を振り払うと、窓に向かって走り出した。男たちが追いかける。露台に出た青年はそのまま沈む太陽を追うように二階から飛び降りた。

『必ず迎えに来る』

 そう囁いて、男は青年の手の甲に文字を書いたのだった。
 たった二文字――〝朱昂しゅこう〟と。
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