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第一章 暁を之(ゆ)く少年
第十七話 終焉は落日の如く(2)
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全ての後片付けの後、憲龍はようやく、法廷を去ろうとしていた。
初めての大法廷は何とか終わった。
慣例を破ったことに対して、少なからず一族内の反発はあろうが、しかし法に則ったのは憲龍だ。
――理はこちらにある。
龍玉がいると言うのに、龍玉不在時に出来た慣例に従う必要はない。龍玉が在る時は、龍玉の力で秘蹟の能力を奪っていたのだから。それが、最近なかっただけのこと。
――寧の様子、見に行かなければ。
ふと、同じく初めての大法廷に臨んだ妹のことを思い出した。当代龍玉、名は寧。寧龍と呼び習わされている。
馬蹄形の一番外側にある階段を上っていく。登り切った先、円形の広間が大分小さくなったところに、龍玉が控えている小部屋があった。
「寧、私だ」
「おあにい様」
「兄上」
「宣もいたか」
扁桃型のそっくり同じ目を持つ娘が二人、狭い部屋に身を寄せ合っていた。
ひとりは翠の裳裾を纏い、流したままの美しい黒髪に銀の髪飾りを揺らしている。もうひとりは、龍騎兵を思わせる細身の銀甲冑に身を包み、憲龍と同じように硬く編んだ髪を背中に垂らしていた。
裳裾を着ているのが龍玉・寧龍。その隣に立っているのは、龍玉の双子の姉・宣龍。どちらも憲龍の妹だ。
龍玉が姉の肘をつまんでいる。それだけでなく、双子の姉妹は互いの尾を絡ませており、憲龍は妹たちと同じ薄墨色の瞳を緩ませて、そっと笑った。頬に深く、えくぼが刻まれる。
「寧」
「はい、にいさま」
「とても素晴らしかった。……あんなことまでできるんだね、龍玉は」
にこやかに褒められ、寧龍は傍らを見た。姉と視線を交わしてから兄を見る。
「はい。二人の縁を、それが生まれる前に戻しました。そして縁の時の進みを、止めました」
そうか、と時を操る秘蹟の言葉に龍王が頷く。最前から抱えていた、龍玉の力に呼応する法典がずしりと重く感じた。
強大な力だ。本来ならば龍玉の主のみが持つべき力。
――しかし、素晴らしい。
これほどまでとは。
妹は龍玉それそのもの。力を引き出すのは龍玉の主。しかし、龍玉の主はほとんど生まれてこない。故に、稀なる力を封じ込めた法具が、龍族には伝わっている。この書も、そのひとつだった。
「龍玉、か。素晴らしいな」
妹達が寄り添って小部屋を出て行く。その背を見ながら、憲龍は玉主の法典の表紙をなぞった。青年の心に、大いなる力を求める「渇望」が、芽生えた瞬間だった。
*****
黄色く濁った大河が、砂粒をかき混ぜながら流れていく。
浮かんでは沈む波間に、黒い藻の塊のようなものを見つけたのは、幼児ほどの背丈しかない小鬼たちだった。
苔むした岩に似た灰緑の肌に、醜く皺が寄っている。
「イル」
「イル、イタ」
「死ンデル?」
「引ッ張ル、引ッ張ル」
「オレタチノ、モラウ」
三匹ほどが、ひょこひょこと川縁に足を浸すと、巨大な網を川へ投げ入れた。
腹が丸く突き出た、年老いた子どものような体つきの鬼たちは、見かけによらず怪力だった。網の中に獲物が入ったのを認めるや否や、三匹はぎゅうぎゅうと腕を鳴らして網を引き始める。
やがて、川岸の石を巻き込んで、それは引き上げられた。巻き付いた網を丁寧に開くと、現れたのは長身の男だった。
顔に貼りついた黒髪を小鬼の指が払う。覗いた横顔は若く、濡れた肌が月の光を弾いていた。
「上玉、カ?」
「ウレル?」
「報告、スル!」
「ウル!男、ウル!」
カア、と夜半だというのに烏が鳴いた。
小鬼は、はっとしたように辺りを窺うと、そのまま宵闇に紛れてどこかに走り去った。
残された男の口が喘ぐように開く。円い歯の並んだ口が何事かを呟き、そして、静寂が辺りを包んだ。
第一章 暁を之く少年 了
初めての大法廷は何とか終わった。
慣例を破ったことに対して、少なからず一族内の反発はあろうが、しかし法に則ったのは憲龍だ。
――理はこちらにある。
龍玉がいると言うのに、龍玉不在時に出来た慣例に従う必要はない。龍玉が在る時は、龍玉の力で秘蹟の能力を奪っていたのだから。それが、最近なかっただけのこと。
――寧の様子、見に行かなければ。
ふと、同じく初めての大法廷に臨んだ妹のことを思い出した。当代龍玉、名は寧。寧龍と呼び習わされている。
馬蹄形の一番外側にある階段を上っていく。登り切った先、円形の広間が大分小さくなったところに、龍玉が控えている小部屋があった。
「寧、私だ」
「おあにい様」
「兄上」
「宣もいたか」
扁桃型のそっくり同じ目を持つ娘が二人、狭い部屋に身を寄せ合っていた。
ひとりは翠の裳裾を纏い、流したままの美しい黒髪に銀の髪飾りを揺らしている。もうひとりは、龍騎兵を思わせる細身の銀甲冑に身を包み、憲龍と同じように硬く編んだ髪を背中に垂らしていた。
裳裾を着ているのが龍玉・寧龍。その隣に立っているのは、龍玉の双子の姉・宣龍。どちらも憲龍の妹だ。
龍玉が姉の肘をつまんでいる。それだけでなく、双子の姉妹は互いの尾を絡ませており、憲龍は妹たちと同じ薄墨色の瞳を緩ませて、そっと笑った。頬に深く、えくぼが刻まれる。
「寧」
「はい、にいさま」
「とても素晴らしかった。……あんなことまでできるんだね、龍玉は」
にこやかに褒められ、寧龍は傍らを見た。姉と視線を交わしてから兄を見る。
「はい。二人の縁を、それが生まれる前に戻しました。そして縁の時の進みを、止めました」
そうか、と時を操る秘蹟の言葉に龍王が頷く。最前から抱えていた、龍玉の力に呼応する法典がずしりと重く感じた。
強大な力だ。本来ならば龍玉の主のみが持つべき力。
――しかし、素晴らしい。
これほどまでとは。
妹は龍玉それそのもの。力を引き出すのは龍玉の主。しかし、龍玉の主はほとんど生まれてこない。故に、稀なる力を封じ込めた法具が、龍族には伝わっている。この書も、そのひとつだった。
「龍玉、か。素晴らしいな」
妹達が寄り添って小部屋を出て行く。その背を見ながら、憲龍は玉主の法典の表紙をなぞった。青年の心に、大いなる力を求める「渇望」が、芽生えた瞬間だった。
*****
黄色く濁った大河が、砂粒をかき混ぜながら流れていく。
浮かんでは沈む波間に、黒い藻の塊のようなものを見つけたのは、幼児ほどの背丈しかない小鬼たちだった。
苔むした岩に似た灰緑の肌に、醜く皺が寄っている。
「イル」
「イル、イタ」
「死ンデル?」
「引ッ張ル、引ッ張ル」
「オレタチノ、モラウ」
三匹ほどが、ひょこひょこと川縁に足を浸すと、巨大な網を川へ投げ入れた。
腹が丸く突き出た、年老いた子どものような体つきの鬼たちは、見かけによらず怪力だった。網の中に獲物が入ったのを認めるや否や、三匹はぎゅうぎゅうと腕を鳴らして網を引き始める。
やがて、川岸の石を巻き込んで、それは引き上げられた。巻き付いた網を丁寧に開くと、現れたのは長身の男だった。
顔に貼りついた黒髪を小鬼の指が払う。覗いた横顔は若く、濡れた肌が月の光を弾いていた。
「上玉、カ?」
「ウレル?」
「報告、スル!」
「ウル!男、ウル!」
カア、と夜半だというのに烏が鳴いた。
小鬼は、はっとしたように辺りを窺うと、そのまま宵闇に紛れてどこかに走り去った。
残された男の口が喘ぐように開く。円い歯の並んだ口が何事かを呟き、そして、静寂が辺りを包んだ。
第一章 暁を之く少年 了
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