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第一章 暁を之(ゆ)く少年

第十五話 薄墨色の君(1)

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 濃くなる気配に本から視線を外すと、伯陽はくようが部屋に入ってくるところだった。
 古い家は二間しかない。奥の一室は狭いながらも寝台を置き、本が積まれる朱昂しゅこうの居室。外やくりやと繋がる居間の椅子で伯陽は眠っていた。

 下ろした髪を首の後ろで束ねながら伯陽が寝台に腰かけた。髪紐を咥えたまま朱昂に顔を寄せたので、紐を抜き取って髪を結んでやる。
 紐を抜き取る瞬間、伯陽に目をのぞき込まれた気がした。心に生まれたさざ波は、すぐに消える。体勢を変えると本が落ちる音がした。

「随分とまあ、増やしたな」

 伯陽は幾筋か落ちてくる前髪をなでつけながら本を拾って、積まれた「柱」の上に追加する。

「刀なんか持ってきたのか」
「念のため」

 床に置かれた長剣を見て、朱昂が眉を寄せつつ寝そべろうとすると、伯陽から待ったがかかった。

「何?」
「髪、いくらなんでもぐちゃぐちゃだ、下の方なんか絡まってるぞ」

 肩の辺りでふわっと嵩を増しているくせ毛を指摘され、朱昂の顔が赤くなった。

「いいだろう、別に」

 伯陽の留守中に櫛が通らなくなった髪をつまみ上げる。洗って指通りが良くなっても、乾くと絡まってしまうのだ。手櫛で整えて束ねていたので、自分ではあまり気にならなかった。

「ほら、座って。やってやるから」

 伯陽が後ろに座り、一房を持つと、絡んだ毛先を解し始めた。伯陽に髪を触られていると眠くなる。頭が前に傾ぐと、寝るなよと小さく注意される。
 やがて伯陽が櫛を取って戻ってくると、すかさずしもべの膝の上に頭を置いた。

「朱昂」
「うるさい。こうしてたって髪ぐらい梳かせるだろう?」

 ひとつため息をもらすと、伯陽は黙って櫛を使い始めた。朱昂は少し顔を横向けながらしもべの顔を盗み見る。
 若々しい滑らかな肌は淡く光を浮かべていた。長い睫毛に覆われた目はゆっくりと瞬きを繰り返している。鼻は高く、形良い唇はやや薄い。

 美しい顔だと朱昂は思う。特に好きなのは黒い瞳で、いつからこんなに色気を持つようになっただろうと不思議に思っていた。子どもの頃から知っているのに、きっと朱昂の知らないことはたくさんあるのだろうと思わせる目だ。

 ――女を知っているからだろうか。

 ふと自分が頭を乗せている足の間に意識が向きそうになって、朱昂は軽く咳払いした。伯陽が握る自分の黒髪をじっと見る。
 伯陽がたまに女の匂いをさせて帰ってくるのは知っていた。どんなだろうと、朱昂はその香りを嗅ぐ度に思った。女の肌とはどんなものだろう。女の中で果てる伯陽はどんな――。

「聞いてねえな」

 うっと朱昂の喉が詰まる。何度か瞬きをして詫びる声が少し掠れた。

「もう、いい」
「なんて言ったんだ」
「いい」
「伯陽」
「……」
「暁ちゃん!」
「……別嬪なんだから少しは身綺麗にしろって言ったんだ」
「べ!……そこはオトコマエと言え」
「ふふ」

 伯陽が笑うと、ほっとした。つられて頬が緩む。
 上機嫌な顔を見せる朱昂に、伯陽の目尻が下がった。帰ってきてから、一番穏やかな表情になる。

「天下一の男前だもんな」

 知らぬ者が聞けばぎくりとするほどうっとりした声に、朱昂は慣れていた。無邪気にしもべを見上げ、紅い瞳を細める。

「あぁ、傍で見られることを光栄に思えよ。――アハハ」

 腹を抱えた朱昂が膝の上で身を捩らせると、伯陽は櫛を置いた。朱昂の脇に腕を差し入れて抱き起こす。されるがままにしていると、背中から抱きしめられた。
 薄い布越しに伝わる体温に、中心が甘く震えた気がして、朱昂は思わず膝に力を入れた。

「暁ちゃん?」
「腹減った」
「吸えばいいだろ」

 頷いた伯陽が朱昂の首の根元に唇を押しつけるが、牙をあてようとしない。朱昂の紅い瞳が不安に揺れる。呼びかけようとした時、逆に呼ばれた。

「なあ、朱昂。お前、さっき妙に驚いていたな」
「――さっきって?」
「一緒に寝ようって言った時だよ。――どうしてだ」

 ひくりと喉が上下した。間が空けば空くほど疑わしくなる。そんなことは分かっているのに、頭が真っ白になって言葉が出てこない。

「覚えてない。そんなの……」
「……そうか」

 最悪の言い訳だ、と唇を噛んでいると、伯陽が柔らかい肌に牙を突き立てた。
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