王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第一章 暁を之(ゆ)く少年

第十二話 噛み痕は甘く疼く(2)

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 戸の隙間から白い光が差しこんでいた。日が昇っている時間にしては静かすぎる。ぺたぺたとした朱昂しゅこうの足音だけが室内に響いた。
 身体の痛みは引いていたが、貧血なのか足がふわふわと落ち着かない。朱昂はべったりと血で汚れた着物を、見やってから戸口に向かった。裸で外に出るなど言語道断だが、緊急事態だと自分に言い訳をする。

 ――一体誰が俺を運んだのだ。

 なぜ俺は生きている。なぜ俺は自由にしているのだ。
 ようやく胸の奥で違和感を覚える。

 白い手が建て付けの悪い戸を強めに押した。頭だけを外に出した朱昂の目の前に広がっていたのは、森だった。家の前だけわずかに木が切り倒され、ならされている。

 小屋の傍らには薪小屋があり、そちらを見た朱昂は、毛布を纏っただけの姿で駆け出していた。
 薪小屋の戸のそば、薪割り場の切り株に腰を下ろして、うつむいている人影に向かって小走りで近寄っていく。
 その存在を不審に思う理性などさっぱりと投げ捨てた朱昂は、彼の名を呼んだ。

「暁ちゃん!」

 弾むような朱昂の呼びかけに、背を丸めていた青年がぴくりと肩を震わせ、顔を上げた。
 矢の失せた暁之ぎょうしの背を見て、幸せな子鹿を思わせる足取りで走っていた朱昂は、その顔を見て背筋を凍らせた。足が止まる。
 暁之は涙を流していた。何よりもその口元は、見るからに生温かそうな赤い体液で汚れていた。まるで、血でも吐いたかのように。

「朱昂」

 立ち上がった長身の男を前に、朱昂はその場に根が生えたかのように動けなくなった。
 暁之が動くと、足下の影の中にぽたりと血が落ちた。暁之の影が朱昂を捉える。理性を取り戻した朱昂は、そうと分からぬ速さで薪割り小屋の周囲を見渡した。

 暁之が座りこんでいたちょうどその場所の奥、小屋の入り口の向こう側に、うつ伏せになった人間の足が見えた。年老いたその足は、投げ出されたまま、生気がなかった。

「なあ、朱昂。お前」

 朱昂はわずかな時間、目を伏せてから向かい合う暁之を見上げた。暁之が、視線を朱昂の目の高さに合わせるために、膝を曲げる。ぼたぼたっと赤いものが朱昂の鼻先をかすめた。

 次々と涙を吐き出す黒い瞳の中心は、獣の様相だった。縦に伸びた瞳孔、そして血が滴る口元から伸びる細い牙を間近で目にした瞬間、朱昂はくしゃりと顔を歪ませた。

「お前、俺に何をしたんだよ……」

 呼気が触れあいそうな近さで暁之が放った囁きに、朱昂の全身が細かく痙攣した。
 その時全身を走った衝撃は、心ならずも人間を吸い殺してしまった暁之への憐れみか、それともようやくしもべの魂を手に入れたことに対する喜びか、朱昂には分からなかった。
 ただ、すさまじい勢いで体内を走る何かに耐えきれず、朱昂は暁之の首に縋り付いた。

 毛布が滑り落ちる音にも構わず、朱昂は暁之の肩に頬を寄せる。暁之から香る血の匂いにくらくらする。やがて朱昂は血に塗れた暁之の顎に唇を寄せた。
 朱昂の唇の震えが伝わったように、肩を震わせた暁之は、どしりと膝を地面につける。
 暁之の涙は途切れ、曇っていた瞳がきらきらと輝き始める。

「暁之」

 可愛らしい音を立てて血を吸った朱昂は、桃色の唇から舌先を覗かせる。

伯陽はくよう
「ん……朱昂……」

 小さな淡い色の舌が、伯陽の唇を舐めた。
 伯陽の唇が開き、とろりと透明な筋が流れ落ちた。

「朱昂、血……。俺、血が欲しくて……」
「うん」

 伯陽が浅い息を繰り返しながら、朱昂の首を撫でる。

 ――子どもにはたっぷりと真血をおやり。

 夢の中で聞いた言葉を思い出し、朱昂は美しい魔性の瞳を細めた。

「うん。いいよ」

 己の魂を絡め取った無二の主の甘い承諾に、伯陽はすぐさま口を開き、牙を剥いた。
 伯陽の人間性は、先ほどの涙とともに流れ落ちていた。今はただ、魔性が導くままに絶対的な力を啜るだけ。真血しんけつという恩寵で乾きを癒やすだけだ。
 伯陽の力強い腕に、朱昂は眉を寄せ、歓喜に身体を震わせながら、牙が皮膚を突き破るのを受け入れた。

「あ……伯陽……」

 朱昂が、己が体に牙を受け入れるのは、それが初めてだった。
 しもべに聞かせるにはあまりにも悦びに過ぎる声を放って、主はしもべが欲するだけ、妙なる露を与えたのだった。
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