王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第一章 暁を之(ゆ)く少年

第十一話 そして青年は死んだ

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 若い人間が、幼体の吸血鬼の手を引いて暗い森の中を走る。

 夜明けにはまだほど遠いのか、それとももうすぐ空が白み始めるのかは分からなかった。人里はいつまでも見えてこない。

 もしかすると半刻はんとき程度か、それよりももっと短い時間しか経っていないのかもしれなかった。

 長いとも短いとも分からぬ時間の中で、暁之ぎょうし朱昂しゅこうの手を離さないようにして走るだけだった。抱え上げられている間に落ち着きを取り戻した朱昂は、やがて暁之の隣で走り出した。

 今は暁之の前になり後ろになり、周囲に用心の目を向けながら駆け続けている。

「暁之」

 荒い息の下で朱昂が斜め前にいる青年を呼んだ。暁之は足を止めずに顔だけを朱昂に見せる。暁之の視線の先で朱昂は後ろに首を向けたが、正面に戻すと、

「まけそうにない」と、短く告げた。

 松明の灯りが、木々の合間を動いているのが見える。五人から十人程度だろうか、距離がやや詰まってきている。

「どうする」

 そう聞きながら、暁之の頭には逃げる以外の選択肢はなかった。青年は腰に剣を佩いていたが、朱昂を連れながら斬り合うつもりはない。

 多勢に無勢であるし、捨て身で挑んで自分が死んでしまっては朱昂の安全はないだろう。先ほど気絶させた男たちは徴兵された農民であったから対処のしようもあったが、相手が訓練を受けた兵だということも考えられる。

 官側は「紅眼の鬼」を捕らえ、予想外に騒ぎが大きくなったことで潰れた面目を取り戻そうと、躍起になっている。近隣で徴収した兵以外に、正規の兵を相当数配備したのだ。

 木の葉ががさがさと揺れる音が聞こえるほどに、追っ手が近づいてきた。

 一時強くなった雨は霧雨に変わって降り続いている。

 額から目元へと落ちるしずくを振り払うように首を振って、氷のようになってしまった朱昂の手を握り直した。目と目が合う。そのまま瞬きをすること三度。

 手を固く繋ぎ合ったまま、蒼白な顔色の朱昂に微笑もうとした暁之の笑顔が、途切れた。

「っ!!」

 前方から空を切り裂いて飛んできた矢が、暁之の右肩に突き刺さったためだった。

「暁之!!」

 二人の手が解ける。手のひら、人差し指。中指が離れた。
 急には止まれず、朱昂は足をもつれさせ、ぬかるんだ地面に倒れこむ。

 すぐに飛んできた二本目の矢が、朱昂の頭上を通り過ぎた。
 キリキリと弦が鳴る音が同時に四方から聞こえたことに、朱昂の背筋がぞっとした。

 狙いは自分。瞬時に悟った朱昂は、肩を押さえ、膝をついている暁之を見た。

「暁ちゃん」

 黒い瞳だけがきょろりと動き、朱昂を映す。

「逃げて」

 柔らかい唇が告げたのと、矢が放たれたのは同時だった。

 人間に捕らえられ、永劫鎖に繋がれても、暁之が助かるのならばそれでいいと、暁之の前に立ちはだかって矢を受けようとした朱昂は、逆に大きな体に抱きしめられていた。

 地面に背中から倒れた朱昂に覆い被さるようにして、燃えるような体が密着した。

 寸時、悲鳴が木々を揺らした。朱昂が目を見開くと、すぐ近くに苦悶に歪む暁之の顔。そしてその向こうに、針のように突き立った矢羽が見えた。

「暁之!!!」

 叫ぶ朱昂の肩に、暁之が血を吐いた。
 びくりと大きく体を痙攣させて、もう一度大量の血が朱昂の顔や肩を濡らす。

 ――致死量。

 頭の隅に浮かんだ冷酷な文字に朱昂は絶望した。破裂しそうな心とは裏腹に、この出血量ではと、頭が判断してしまう。

 腕を突っ張らせていた暁之の体が力を失い、まともに朱昂の上に落ちてきた。這い出ようとした朱昂の動きを読んだかのように第二波が暁之の全身を穿つ。

 数えきれないほどの矢。刺さる矢の激しさを暁之の体越しに感じながら、朱昂は動くことができなかった。

 針山のように背に矢の刺さった暁之が、息絶えようとする瞬間にも、固く朱昂を抱いているからであった。

「しゅ、こ」
「暁ちゃん、暁ちゃん暁ちゃん」
「ごめ、な」

 自分の心臓の音が鳴り響くだけで、痺れたように何も考えられない。恐怖に喘ぐ朱昂の目の前で、暁之の瞳孔が呆気なく開いた。

「あ……」

 目を見開いたまま事切れた青年の頬を、白い手が探る。ぺたぺたと指先で叩いても、返事はない。

「暁ちゃん。暁之、しっかりして」

 どうにもならない。分かっていても、朱昂の口は止まらなかった。

「起きて。早く行こう。起きて、起きて……あ、あぁ……暁ちゃん……。そうだ!真血しんけつ、真血が」

 名前を呼びながらはっとした朱昂は、自分の手首に強く噛みついた。皮膚ごと引きちぎるようにして手首を噛み切り、あふれ出る血液を開かれたままの暁之の口に流し込んだ。

「戻して。暁之戻してくれ。頼む、頼むっ!」

 しかし、幼い主の命令が真血に届くはずはなかった。朱昂は幼すぎた。条件さえ整えば、蘇生すら可能な霊薬はその効力を発揮しなかった。朱昂の成長はあまりにも遅い。遅すぎたのだ。

 傷の塞がった己の手首に噛みつく朱昂の耳に、再び矢をつがえる音が聞こえた。
 朱昂の瞳孔が縦に伸びる。

「おのれ……」

 眦を裂き、魔性を暴露した化け物を前に、取り囲む内の一人の指が震え、誤って矢が放たれた。

 ――ピュンっ!

 まっすぐに進む鏃の向こう側で目を見開く男と、朱昂の目が合った。

「うぬら、よくも“俺の”暁之を!!!」

 朱昂が全身を震わせて放った咆哮が、まるで波のように人間達に襲いかかる。

 男達は見えない壁にされるように上体を仰け反らせたかと思うと、奇妙に頭蓋を膨らませ、やがて口や鼻、眼窩から血を迸らせた。

 頭の内側に溜まった血液はとうとう頭蓋骨を破壊し、まるでそれぞれが血の柱になったかのように、天に向かって己が体液を噴きあげた。

「暁之、暁之……」

 自分の放った力の反動で、何歩か後ずさった朱昂は、やがてその場に倒れ込んだ。瞳を閉じた朱昂の血と煤で汚れた頬を、赤く染まった雨が濡らし続けた。

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