王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第一章 暁を之(ゆ)く少年

第九話 大罪(2)

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 カシャンと、器が落ちた。中に満たされていた血液が冷たい床に広がる。
 真血しんけつあるじは、震える指を床に伸ばすことはなく、棒立ちのまま天を仰いだ。

「なぜ……」

 結界が、解けた。ズキン。肌にぶつかる刺々しい空気に瞳孔が細くなる。
 何事だろう。刃物を向けられていないところなどないほどの感覚に、肌が粟立つ。

 朱昂しゅこう、と勝手にこぼれ出た言葉にはっとした。

「朱昂!」

 父の顔に戻った血王が階段を飛ぶように駆け上がる。幼子は自分の体を守る術がない。大抵の傷ならばすぐに癒えるが、傷つけられれば痛みを感じる。

 扉を開け放ち、息子の名前を叫びながら回廊を走る。気配がないと知った血王は外に走り出た。その時、

「父上様!!」

 稚い声がする。奥の方から走ってくる朱昂を見て父親は絶叫していた。

 朱昂が自分を呼びながら泣いている。それだけでも卒倒しそうだというのに、背後には山のような人間たち。松明を掲げ、悪鬼の形相で愛児を追いかけるケダモノどもに、真血の主の思考が殺意に塗り固められた。

 爪で己の皮膚を切り裂くと、流れ出る血液を無数の刃に変える。紅の刃は雨のように人間たちの頭上に降り注ぎ、辺りは血煙に霞んだ。

 絶え間なく殺戮を繰り返しながら、血王は駆けてくる朱昂を抱きとめた。可哀想に、ひどく息を切らして涙をこぼしている。結界が解けて、余程恐ろしい目にあったのだろう。

「父、父上、様、父上ェ!!」

 抱きついて泣きじゃくる息子をかき抱き、すぐさま屋敷の扉をくぐる。
 子供部屋は遠い。自室に入り、朱昂を抱きしめたまま寝台に座る。

「怪我は!」
「父上様、父上様」

 ぶんぶんと首を横に振りながら、朱昂はしゃがれた泣き声を上げてしがみついてくる。

 軽い痙攣を繰り返してはむせている愛息に、気持ちが落ち着くように真血を与えると、こくこくと小さく喉を鳴らして貪ってくる。

 涙を収めた朱昂はむずがりながら簪の一本を引き抜いた。髪を解こうとするのを手伝いながら、小さな背中を撫でてやる。

 そうしている内に、壁が四方からドンドンと叩かれ出した。錠を下ろした扉にズシンと重い何かがぶつかる音がする。

「薄汚い羽虫ども!」

 すぐに出て行って血祭りに上げてくれる。牙を剥いて立ち上がろうとした父を、息子が引き留めた。
 いつの間にか膝立ちになって父の腕を掴み、振りかぶった朱昂の手には、先の尖った簪があった。

 ――ブスリ。

 首に金属が貫通する音が生々しく聞こえた。急所を突かれ、手足が動かなくなる。
 糸の切れた人形の如く床にくずおれた父の耳に届いたのは、

「御免」

 ひどくしゃがれた低い声だった。



 簪の両端を握り回転させると、頸椎の砕ける音が聞こえた。

 真血の治癒が追いつくよりも早く、父の寝台の下に隠していた長剣を引きずり出し、息つく暇もなく首を両断した。腕の重さで一歩足が前に出る。

 迸る血液が朱昂の頬まで飛び散るが、拭いもせずに剣の切っ先を左胸に当て、全体重をかけて押しこんだ。首を失った身体が背を弓なりに反らす。

 両手に力が入りすぎ、柄から手が離せない。早くせねば治癒が始まる。
 首と胴を離しても仮死状態のまま生き続け、心臓を抉り出しても再生させる力を持つ身体なのだ。

 朱昂は指に齧りついて柄から手を離した。逆手に握り直すと剣先を引き抜く。切っ先には最も治癒能力に長けた臓器が串刺しになっている。

 剣とともに隠していた壺を引っ張りだし、中に満たされた液体を、剣に振りかけ、すでに心臓の再生が始まっている肉体へと注いだ。

 真血の主を殺す方法を、朱昂はついに見つけることができなかった。
 しかし、治癒能力の限界を探れば、その先に父の死があることは分かっていた。

 ――首を断って一時的に意識を消失させ、身体と心臓の両方を同時に焼く。

 火打ち石から火花が散った。

 赤々と燃え上がる炎が朱昂の紅い目を明るく照らす。意識のない肉の塊が焼ける匂いに目を細める。
 思わず顔を覆った朱昂は、炎が部屋に燃え移り始める音に混じって、確かに声を聞いた。

「朱昂……」

 震えながら語尾が上がる、父の声。

 ――意識が……。

 朱昂が振り返った瞬間、胴から切り離された父の頭は紅い目を見せていた。ジワリと、真っ黒な瞳孔が、ゆっくりと広がった。

 もう、朱昂を呼ぶ声もない。

「……え」

 最愛の息子が自分を殺す一部始終を、父は見ていたのだろうか。
 炎に包まれようとする部屋の中で、朱昂は糸が切れた操り人形のように、すとんと座り込んだ。

「、上……」

 気づけば朱昂は、父の頭を抱え上げていた。目尻に口づけ、淡く産毛の生える頬を寄せる。親子の目から流れた涙が、互いの頬を濡らした。

「父上様……」

 答える声はもう、どこにもなかった。
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