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第一章 暁を之(ゆ)く少年
第五話 愛憎、暴露(3)
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「父上様……」
誰かにきつく抱きしめて欲しいという想いが、朱昂の胸いっぱいに膨らんだ。大きな手に目を覆われて、何も怖いことはないよと囁いて欲しい、と。
それをしてくれるのはいつも父だった。反発しながらも心の底では甘えていた。怖いことは父上様が全部隠してくれる、と。
幼い王子を利用しようとする吸血族から遠ざけてくれたのは父だ。お前が望むならと言ってくれるのは父だけだ。
いつまでも守ってあげると腕の中に収めてくれるのも、体調を心から気にしてくれるのも、頭をなでながら愛していると美しい声で囁くのも、全部俺の父上様。
――では誰があの方から俺を守ってくれるのだ。
大人になりたいと願いながら、誰かに庇護を求めることしかできない自分に愕然とする。
朱昂はいつの間にか濡れていた目元を拭って立ち上がった。燭台から灯り皿に火を移し、壁の灯りを消して回る。
我慢していた涙は燭台の半分を消したところで止められなくなっていた。透きとおるような白い肌に涙が走る。ひっくひっくと自分でも聞いたことのないような嗚咽が巨大な地下室の空気を震わせる。
再び灯りは手の中の火だけになった。
まるで見たものを忘れようとするかのように足早に階段へと急ぐ朱昂の袖が、最初に訪れた机の上の書類に触れた。ザザザ、と音を立てて書類が崩れ落ちる。
音に驚いた朱昂は、灯りを机の上に置いて、涙で濡れた手をごしごしと上着で拭うと紙を拾い始める。最前のように積み直した朱昂は、ふと最後の一枚を灯り皿の近くに持って行った。
文字と見れば読んでしまう朱昂は、震える手で書かれた父の字を目で追っていく。
涙で覆われ、力を失ったかに見えた紅眼は、行を追うごとに険しい光を帯び始める。
やがてその一文に達した時、朱昂の瞳孔は縦に伸び、生まれて初めて魔性を見せたのだった。
――かくなる上は、朱昂の真血を無力化するしかないか。
全身の血が燃えあがったのが分かった。主の制御の効かぬ真血が怒りながら朱昂の身体を駆け巡る。
朱昂の頬を血潮に似た液体が流れ落ちた。小さな体を震わせるのは嗚咽ではなく笑い。
――俺をどこまでこけにする気だ。
成長を喜ばず、子どもという檻の中に閉じこめようとし、それが叶わぬと知るや、今度は真血を奪おうとする。
真血を宿すが故に朱昂は迫害を受ける。だから真血の霊力を奪う、と毒でふやけた頭で考えているのだ。
毒によって朱昂の全身を犯せば、吸血族に犯されずに済むというのか。否、嬉々として霊力を失った朱昂を閨房に縛りつけるだろう。
真血の主ですら逃げられなかった陵辱の閨に朱昂は閉じこめられることとなる。
精を吐くだけの肉塊は、子を成した後に理性が残されているだろうか。いや、真血の主が狂ったのだ。能力を奪われた王子の精神など残されていないかもしれない。
血の否定はすなわち生命の否定だ。
結局は、と己の絶望の声が聞こえる。
頭の隅に常に漂い、強いて気づかぬふりをしてきた選択肢に、朱昂は向き合わざるを得なかった。
――結局は、親子で殺し合うしかないのか……。
愛を求める子が涙を流す。
誇りを傷つけられた吸血鬼の王子に殺意が芽吹く。
二つに分かたれた心を抱えて朱昂はよろよろと階段を上り始めた。
翌朝。
真血の主は、寝台の中に愛児を発見した。
閉じられたままの、愛らしい猫のように大きな目元に涙の痕が残っていた。
怖い夢でも見て父の布団の中に潜りこんだかと、愛おしさに感動しながら頭をなでてやる。しかし、項を指でなでている時に違和感を覚えた。髪が結われているのだ。
昨夜子ども部屋で眠る朱昂の髪を確かに解いてやったはずだ。夜中に、泣きながら髪を結って、親に甘えに来たというのは考えがたい。
硬直する父の視線を受けながら朱昂がゆっくりとまぶたを開いた。美しい瞳が父を映す否や涙を湛え始め、小さく柔らかな唇が震えた。
朱昂は精神の成長が早かった。その子がこのような表情をするなど尋常ではない。
「朱昂……」
当代唯一の真血の主が声を震わせた。ぎくりと全身が冷える思いがする。朱昂の紅眼、その中心にある瞳孔が一瞬縦に伸びた気がしたからだ。
「父上様」
朱昂の声が不自然に掠れた。愛らしい王子は不思議そうに喉を押さえてから大きな瞳で父を見る。ほろりと涙がこぼれた。朱昂は父に抱きついて、ある予感に早くなる父の鼓動に耳を澄ませた。
その日から、朱昂は子猫のような鳴き方を忘れてしまったのだった。
誰かにきつく抱きしめて欲しいという想いが、朱昂の胸いっぱいに膨らんだ。大きな手に目を覆われて、何も怖いことはないよと囁いて欲しい、と。
それをしてくれるのはいつも父だった。反発しながらも心の底では甘えていた。怖いことは父上様が全部隠してくれる、と。
幼い王子を利用しようとする吸血族から遠ざけてくれたのは父だ。お前が望むならと言ってくれるのは父だけだ。
いつまでも守ってあげると腕の中に収めてくれるのも、体調を心から気にしてくれるのも、頭をなでながら愛していると美しい声で囁くのも、全部俺の父上様。
――では誰があの方から俺を守ってくれるのだ。
大人になりたいと願いながら、誰かに庇護を求めることしかできない自分に愕然とする。
朱昂はいつの間にか濡れていた目元を拭って立ち上がった。燭台から灯り皿に火を移し、壁の灯りを消して回る。
我慢していた涙は燭台の半分を消したところで止められなくなっていた。透きとおるような白い肌に涙が走る。ひっくひっくと自分でも聞いたことのないような嗚咽が巨大な地下室の空気を震わせる。
再び灯りは手の中の火だけになった。
まるで見たものを忘れようとするかのように足早に階段へと急ぐ朱昂の袖が、最初に訪れた机の上の書類に触れた。ザザザ、と音を立てて書類が崩れ落ちる。
音に驚いた朱昂は、灯りを机の上に置いて、涙で濡れた手をごしごしと上着で拭うと紙を拾い始める。最前のように積み直した朱昂は、ふと最後の一枚を灯り皿の近くに持って行った。
文字と見れば読んでしまう朱昂は、震える手で書かれた父の字を目で追っていく。
涙で覆われ、力を失ったかに見えた紅眼は、行を追うごとに険しい光を帯び始める。
やがてその一文に達した時、朱昂の瞳孔は縦に伸び、生まれて初めて魔性を見せたのだった。
――かくなる上は、朱昂の真血を無力化するしかないか。
全身の血が燃えあがったのが分かった。主の制御の効かぬ真血が怒りながら朱昂の身体を駆け巡る。
朱昂の頬を血潮に似た液体が流れ落ちた。小さな体を震わせるのは嗚咽ではなく笑い。
――俺をどこまでこけにする気だ。
成長を喜ばず、子どもという檻の中に閉じこめようとし、それが叶わぬと知るや、今度は真血を奪おうとする。
真血を宿すが故に朱昂は迫害を受ける。だから真血の霊力を奪う、と毒でふやけた頭で考えているのだ。
毒によって朱昂の全身を犯せば、吸血族に犯されずに済むというのか。否、嬉々として霊力を失った朱昂を閨房に縛りつけるだろう。
真血の主ですら逃げられなかった陵辱の閨に朱昂は閉じこめられることとなる。
精を吐くだけの肉塊は、子を成した後に理性が残されているだろうか。いや、真血の主が狂ったのだ。能力を奪われた王子の精神など残されていないかもしれない。
血の否定はすなわち生命の否定だ。
結局は、と己の絶望の声が聞こえる。
頭の隅に常に漂い、強いて気づかぬふりをしてきた選択肢に、朱昂は向き合わざるを得なかった。
――結局は、親子で殺し合うしかないのか……。
愛を求める子が涙を流す。
誇りを傷つけられた吸血鬼の王子に殺意が芽吹く。
二つに分かたれた心を抱えて朱昂はよろよろと階段を上り始めた。
翌朝。
真血の主は、寝台の中に愛児を発見した。
閉じられたままの、愛らしい猫のように大きな目元に涙の痕が残っていた。
怖い夢でも見て父の布団の中に潜りこんだかと、愛おしさに感動しながら頭をなでてやる。しかし、項を指でなでている時に違和感を覚えた。髪が結われているのだ。
昨夜子ども部屋で眠る朱昂の髪を確かに解いてやったはずだ。夜中に、泣きながら髪を結って、親に甘えに来たというのは考えがたい。
硬直する父の視線を受けながら朱昂がゆっくりとまぶたを開いた。美しい瞳が父を映す否や涙を湛え始め、小さく柔らかな唇が震えた。
朱昂は精神の成長が早かった。その子がこのような表情をするなど尋常ではない。
「朱昂……」
当代唯一の真血の主が声を震わせた。ぎくりと全身が冷える思いがする。朱昂の紅眼、その中心にある瞳孔が一瞬縦に伸びた気がしたからだ。
「父上様」
朱昂の声が不自然に掠れた。愛らしい王子は不思議そうに喉を押さえてから大きな瞳で父を見る。ほろりと涙がこぼれた。朱昂は父に抱きついて、ある予感に早くなる父の鼓動に耳を澄ませた。
その日から、朱昂は子猫のような鳴き方を忘れてしまったのだった。
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