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第一章 暁を之(ゆ)く少年
第四話 運命の名(3)
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朱昂は暁之の興奮した声に一度思考を中断し、人間の少年を見る。
結髪から落ちた後れ毛が一筋、首に貼りついている。
広くなってきた肩。生え代わる様を愛でてきた白い歯。まつげの濃い目。目鼻立ちの整った男前になりそうな暁之の、満足げな笑みを前に、朱昂は眉をひそめた。
「伯黎」
「おう!」呼びかけに暁之が大きな声で返した。しかし、
「似合わん」朱昂の不機嫌な声が、暁之の喜びを切り捨てた。
「は?」
「だめだ。暁之に伯黎じゃあ美々しすぎる」
暁之がびびしい?と困惑を見せた。強い風が吹く。暁之が止める間もなく地面の「伯黎」という文字を朱昂が消した。
「なんてことするんだよ!」
思わず激高しかけた暁之に、朱昂は口を固く結んだまま首を左右に振った。紅の目が頑固な光を放っている。
「だめだよ。伯黎なんて綺麗なだけの名前は、暁ちゃんには似合わない」
ほっそりした小さな両手を暁之の膝に乗せて、朱昂は言い募った。珍しく必死な様子に暁之が目を丸くする。
もっと良い名前があるはずと、朱昂は再び「暁之」という文字と傍らの友を交互に見る。
――俺だからつけてやれる良い名前がある。暁之にぴったりの良い名前が。
朱昂のつけた名が、彼の字になるとは限らない。遊びだということも忘れて朱昂は顎に手をやった。
暁之の、この明るい笑顔に、気づいているだろうに魔物との友好を終わらせようとしない大らかな性格に、のびのびと成長を続ける少年に、ふさわしい名前が、きっとある。
子朝なんて凡庸な名前は駄目。伯黎なんて形だけ取り繕った名前では足りない。
悩む朱昂の頬が赤く照らされる。長く伸びる草の影にはっとして顔を上げると、太陽があった。雲も空も何もかもを朱色に染めあげ、泰然と宙にたたずむ、緋色の太陽が。
――夕陽。太陽。暁。
朱昂は息が止まった。しばし呼吸を忘れて、あまりにも大きすぎる存在を見上げる。
「朱昂……?」
「太陽だよ」
「何?」
「――伯陽」
桃色の唇がその名を紡いだ。
ようやく探し当てた。考えたにしてはあまりにも凡庸な答え。しかし、暁之は太陽のようだと思えば、それ以上の名は無いように思えた。
紅い瞳と黒い瞳が交わる。己が惚けていたことに照れた朱昂は、すぐに小枝を握って、深々とその字を地面に彫り込んだ。
――“伯陽”
「これが、俺の……」
「うん。伯陽」
「伯陽か……朱昂」
「暁ちゃん」
「朱昂」低い声が呼んだ。
「伯陽」高い声が微笑んだ。
唇に笑みを灯した朱昂の隣で、暁之がくすくすと笑いだした。
愛らしい笑顔を見ながら、朱昂は伯陽という字が、彼の本当のものになるようにと願った。
大人になった後も周りから伯陽と呼ばれれば、友でなくなったとしても、その名をつけた自分を忘れまい。
子どもじみた想いなのは、分かっていた。だから言葉にせずに、胸の中だけで願う。
「伯陽」
「朱昂」
呼び合う声は、白い星々が光るまで続いた。
結髪から落ちた後れ毛が一筋、首に貼りついている。
広くなってきた肩。生え代わる様を愛でてきた白い歯。まつげの濃い目。目鼻立ちの整った男前になりそうな暁之の、満足げな笑みを前に、朱昂は眉をひそめた。
「伯黎」
「おう!」呼びかけに暁之が大きな声で返した。しかし、
「似合わん」朱昂の不機嫌な声が、暁之の喜びを切り捨てた。
「は?」
「だめだ。暁之に伯黎じゃあ美々しすぎる」
暁之がびびしい?と困惑を見せた。強い風が吹く。暁之が止める間もなく地面の「伯黎」という文字を朱昂が消した。
「なんてことするんだよ!」
思わず激高しかけた暁之に、朱昂は口を固く結んだまま首を左右に振った。紅の目が頑固な光を放っている。
「だめだよ。伯黎なんて綺麗なだけの名前は、暁ちゃんには似合わない」
ほっそりした小さな両手を暁之の膝に乗せて、朱昂は言い募った。珍しく必死な様子に暁之が目を丸くする。
もっと良い名前があるはずと、朱昂は再び「暁之」という文字と傍らの友を交互に見る。
――俺だからつけてやれる良い名前がある。暁之にぴったりの良い名前が。
朱昂のつけた名が、彼の字になるとは限らない。遊びだということも忘れて朱昂は顎に手をやった。
暁之の、この明るい笑顔に、気づいているだろうに魔物との友好を終わらせようとしない大らかな性格に、のびのびと成長を続ける少年に、ふさわしい名前が、きっとある。
子朝なんて凡庸な名前は駄目。伯黎なんて形だけ取り繕った名前では足りない。
悩む朱昂の頬が赤く照らされる。長く伸びる草の影にはっとして顔を上げると、太陽があった。雲も空も何もかもを朱色に染めあげ、泰然と宙にたたずむ、緋色の太陽が。
――夕陽。太陽。暁。
朱昂は息が止まった。しばし呼吸を忘れて、あまりにも大きすぎる存在を見上げる。
「朱昂……?」
「太陽だよ」
「何?」
「――伯陽」
桃色の唇がその名を紡いだ。
ようやく探し当てた。考えたにしてはあまりにも凡庸な答え。しかし、暁之は太陽のようだと思えば、それ以上の名は無いように思えた。
紅い瞳と黒い瞳が交わる。己が惚けていたことに照れた朱昂は、すぐに小枝を握って、深々とその字を地面に彫り込んだ。
――“伯陽”
「これが、俺の……」
「うん。伯陽」
「伯陽か……朱昂」
「暁ちゃん」
「朱昂」低い声が呼んだ。
「伯陽」高い声が微笑んだ。
唇に笑みを灯した朱昂の隣で、暁之がくすくすと笑いだした。
愛らしい笑顔を見ながら、朱昂は伯陽という字が、彼の本当のものになるようにと願った。
大人になった後も周りから伯陽と呼ばれれば、友でなくなったとしても、その名をつけた自分を忘れまい。
子どもじみた想いなのは、分かっていた。だから言葉にせずに、胸の中だけで願う。
「伯陽」
「朱昂」
呼び合う声は、白い星々が光るまで続いた。
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