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第一章 暁を之(ゆ)く少年
第四話 運命の名(1)
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低い声が朱昂を呼んだ。
朱昂は顎を上げて隣の若者を見る。少年と男のちょうど狭間にいる人間。
話をするのに見上げるようになったのは、すぐだった。
「朱昂」と、彼は呼ぶ。
二重まぶたは涼しげになり、頭だけがちょこりと出ただけの低い鼻は、気づくと高くなっていた。美しい鼻筋の稜線を目でたどり、まつげの影がある黒い瞳と出会う。
「暁ちゃん」と、朱昂は返す。
喉仏が浮き出て、暁之の男としての成長が密やかに始まった。
声変りの過程も知っている。淡く生えたそれは、そっと下着をずらして見せてくれたし、初めて精をこぼした時も、暁之は涙で目を曇らせながら、朱昂に体の異変を耳打ちした。
体が大きくなるにつれ、膝が痛くて眠れないことも、彼が誰に懸想しているかも知っていた。
彼がとてつもなく恋に疎いことも、知っている。
「朱昂」と、低い男の声で彼は呼ぶ。
「暁ちゃん」と、子どもの声が返す。
もうそうなってから数年が経つ。暁之は成長を続ける。歩みの遅い朱昂を残して。
「朱昂、おい、朱昂!」
「ん……?」
見上げてきた紅眼が何も映していないことに気づいた暁之がしつこく呼ぶと、パチパチと瞬きをした朱昂が、ようやく眉を寄せた。
鼻を弾こうとした指で朱昂の肩を押す。どうしてだか、朱昂に対して同い年の友にするようにそれができない。
「聞いてなかっただろう」
「あぁ、聞いていなかった」
「字だよ」
ぽやぽやと細くて頼りなげだった眉はいつしか濃く、凛々しいものに変わっていた。
字と聞いて、朱昂は「あぁ、そう」と胡坐を組んでそっぽを向く。
字は成年男子が名乗る通り名と呼べるものだ。
暁之が成人と認められる二十までにはもう少しあるが、やはり気になるらしい。そろそろ十五を迎えるという頃から、少年の言葉に少しずつそれが混じるようになった。
朱昂には面白味など、これっぽっちも感じぬ話題だ。魔族にはそのような風習などない。それに、これ以上暁之が大人になる話など聞きたくもない。
――大きくなるな、大きくなるんじゃない、朱昂。
父の呪詛は続いている。あまりの執念に真血が反応したのか、朱昂の体は小さめだった。
成長を望まれない自分と、天に向かって背をくねらせるように大きくなる暁之。彼は家族に成長を喜ばれている。聞きださずとも分かることであった。
それに、と朱昂は下草をむしる。
――それに、暁之が大人になれば、俺のことなど……。
あと五年、遅くとも十年経てば暁之は家族をもうけるだろう。人間は全てではないが大体がそうなのだ。例え暁之が家族を持たずとも寿命が違う。朱昂が吸血鬼として一人前になる頃には暁之は老人だ。
終生の友になどなれない。幼少時の不思議な思い出。俺はきっとそうなると、朱昂は知っていた。
子どもの頃、怖いもの知らずなことに、紅い目の化け物と遊んでいたのだと、彼は記憶するだろう。
それを思って普通でいられないほどには、情を抱いてしまった。我ながら、酔狂をしたと朱昂は自嘲する。
別れを先延ばしにしようとは思わない。ただ、別れまでのほんのわずかの間、友を失うなど思いもつかないという振りをしていたいではないか。
「また聞いていない。もういい。相談があったのに……」
「相談?」
くりっとした黒い瞳が朱昂を映し、暁之は真剣に頷いた。
朱昂は顎を上げて隣の若者を見る。少年と男のちょうど狭間にいる人間。
話をするのに見上げるようになったのは、すぐだった。
「朱昂」と、彼は呼ぶ。
二重まぶたは涼しげになり、頭だけがちょこりと出ただけの低い鼻は、気づくと高くなっていた。美しい鼻筋の稜線を目でたどり、まつげの影がある黒い瞳と出会う。
「暁ちゃん」と、朱昂は返す。
喉仏が浮き出て、暁之の男としての成長が密やかに始まった。
声変りの過程も知っている。淡く生えたそれは、そっと下着をずらして見せてくれたし、初めて精をこぼした時も、暁之は涙で目を曇らせながら、朱昂に体の異変を耳打ちした。
体が大きくなるにつれ、膝が痛くて眠れないことも、彼が誰に懸想しているかも知っていた。
彼がとてつもなく恋に疎いことも、知っている。
「朱昂」と、低い男の声で彼は呼ぶ。
「暁ちゃん」と、子どもの声が返す。
もうそうなってから数年が経つ。暁之は成長を続ける。歩みの遅い朱昂を残して。
「朱昂、おい、朱昂!」
「ん……?」
見上げてきた紅眼が何も映していないことに気づいた暁之がしつこく呼ぶと、パチパチと瞬きをした朱昂が、ようやく眉を寄せた。
鼻を弾こうとした指で朱昂の肩を押す。どうしてだか、朱昂に対して同い年の友にするようにそれができない。
「聞いてなかっただろう」
「あぁ、聞いていなかった」
「字だよ」
ぽやぽやと細くて頼りなげだった眉はいつしか濃く、凛々しいものに変わっていた。
字と聞いて、朱昂は「あぁ、そう」と胡坐を組んでそっぽを向く。
字は成年男子が名乗る通り名と呼べるものだ。
暁之が成人と認められる二十までにはもう少しあるが、やはり気になるらしい。そろそろ十五を迎えるという頃から、少年の言葉に少しずつそれが混じるようになった。
朱昂には面白味など、これっぽっちも感じぬ話題だ。魔族にはそのような風習などない。それに、これ以上暁之が大人になる話など聞きたくもない。
――大きくなるな、大きくなるんじゃない、朱昂。
父の呪詛は続いている。あまりの執念に真血が反応したのか、朱昂の体は小さめだった。
成長を望まれない自分と、天に向かって背をくねらせるように大きくなる暁之。彼は家族に成長を喜ばれている。聞きださずとも分かることであった。
それに、と朱昂は下草をむしる。
――それに、暁之が大人になれば、俺のことなど……。
あと五年、遅くとも十年経てば暁之は家族をもうけるだろう。人間は全てではないが大体がそうなのだ。例え暁之が家族を持たずとも寿命が違う。朱昂が吸血鬼として一人前になる頃には暁之は老人だ。
終生の友になどなれない。幼少時の不思議な思い出。俺はきっとそうなると、朱昂は知っていた。
子どもの頃、怖いもの知らずなことに、紅い目の化け物と遊んでいたのだと、彼は記憶するだろう。
それを思って普通でいられないほどには、情を抱いてしまった。我ながら、酔狂をしたと朱昂は自嘲する。
別れを先延ばしにしようとは思わない。ただ、別れまでのほんのわずかの間、友を失うなど思いもつかないという振りをしていたいではないか。
「また聞いていない。もういい。相談があったのに……」
「相談?」
くりっとした黒い瞳が朱昂を映し、暁之は真剣に頷いた。
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