吸血鬼のしもべ

時生

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第十五話 紅眼の麗人(1)

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 ウリャルの仔。
 ウリャルの仔だ。
 毒蠱どくこを出せ。ウリャルの息子よ。
 脚を出せ!

 水から引き上げられ、魁英かいえいは舌を突きだしながら水を吐き、酸素を取り込んだ。

 キリキリキリキリと滑車が動く音に、ぐっと息を詰め、水に叩きこまれる恐怖に耐える。ドブンと逆さに吊るされた状態で巨大な水がめに頭を押しこめられる。音が遠い。
 自分の鼓動だけがうるさく聞こえる。これ以上早く鳴ったら心臓が破裂しそうだ。

 既に自分の腕程の大きさの脚が一本出てしまっていた。先端の爪のところに湾曲した鉤を打ちこまれ、膝を拘束する鎖に結び付けられている。脚は根元、つまり背中から折れかかっているようにも見えたが、水責めは容赦なく続く。

 数体の雑魔ぞうまが滑車から垂れる鎖を引いて、逆さ吊りの魁英を水瓶から引きずり出す。すぐに笠頭の男が長い鞭を振るった。

「もっと怒って、もっと、もっと、殺せと呪え!!」

 蚯蚓みみず腫れが裂けた頬に新たな傷が生まれる。背中の傷は特にひどく、中には皮膚どころか肉が抉れてしまっている箇所もある。

 鋭い打擲ちょうちゃくを被った魁英は痛みで叫ぶ。背中が熱で熔けそうだ。ずるりと何かが出てしまいそう。脚ではなく自分の背骨が腐った皮膚から飛び出そうなほど痛い。痛みが脳にまで到達し、頭蓋が破裂する感覚に魁英は絶叫した。痛みで意識が消失する。

 叫んだ魁英が口を開いたまま、水に落とされた。血で薄紅に染まった水にごぼごぼと気泡が浮かび、やがてそれも止まった。魁英の筋肉の強張りが解ける。

 笠頭が腕を上げると、魁英はまた水から出される。瞼を開いたまま失神している魁英の背中の脚を掴み、引きちぎった。黒い血が放物線を描く。それが床に届いた瞬間、魁英は白目まで真っ黒に染め上げて、吼えた。異様に背中が反っている。同時に背中から突き出した三本の脚が辺りをめったやたらに打ちまくった、脚の軌跡に雑魔の死体が出来上がる。

 笠頭の号令に、暗いじめじめとした牢獄にいた雑魔たちが次々に魁英に飛び掛かり、血煙とともに息絶える。しかし数で勝る異形は魁英の体に泥団子のようにまとわりつき、三本の脚を全て折ってしまった。

「ギャアアアアアアア」

 獣の声で叫んだ魁英は、絶叫の後ぐたりと力を失う。

 くちゅ、という粘膜の音ともに、折れた脚の根元が背中の割れ目に戻っていく。やがて割れ目も閉じて盛り上がり、それ自体が消えてしまった。傷ついた背中からたらたらと血が流れ続けている。

「なぜ五本目を出さない!六脚あるはずだろう!」

 笠頭がいらだたしげに叫ぶが魁英は答えない。

「どいつもこいつも出来損ないめ……!」

 びしりと鞭を振るってもただの肉の塊と化した青年からの返答はない。
 ウリャルの遺体はどうだ。振り返りながら笠頭が背後の影が浮かび上がったような異形に尋ねる。

真血しんけつが一向に目を覚ましません。石化したままです」
「くそ……」

 鞭を床にひとつ打つと、毒蠱を牢に戻せと静かに言った。


 *****


 ガチャン、という音にのろのろと腕を動かす。食事が運ばれてきたのだと魁英かいえいはこの三日で覚えていた。息をする度に背中の痛みが全身に響く。呼吸を止めてしまいたいと、常の魁英ならば願っただろう。だが、今、青年は激痛に耐え、咳き込む度に涙を落としながら腹ばいで牢獄に投げ込まれた器に近寄っていく。

 月鳴げつめいが心配だ。
 一度、確かにあの人を腕に抱いたのに、結局助けられなかった。
 逃げろ。と自分の胸を押した月鳴の姿が脳裏に焼き付いている。

 ――逃げろ、魁英!

 異形に飲みこまれながら、それでも自分を案じてくれたその叫びが、耳の奥に焼き付いている。

「逃げ、ないよ……」

 どんなに腰抜けでも、人間じゃなくても、化け物でも、そんなに落ちぶれたつもりはない。

『逃げて、英龍えいりゅう!』

 獣に襲われる母は助けられなかった。でも、自分はもう子どもじゃない。
 目に映る全てに怯えて、泣いてばかりだけれど。自分は。それでも。
 悔しいではないか。少しくらい、強くなったっていいはずだ。

『ここにいたいか』

 帰るところを守らないと。

『ここにいる間は魁英と名乗れ。その条件が呑めれば……ここにいてもいい』

 魁英の唇が微笑んだ。見知らぬ化け物を引き取るにはあまりにも簡単なやり取り。

 二度も殺しかけた。それでもあの人は優しかった。ならば、優しさに応えねば、会わせる顔がないということにならないように。月鳴はきっと生きている。無根拠だが、魁英は固く信じていた。

「まずは、飯を、食う……!」

 飯を食わねば死ぬ。当たり前だが月鳴が怒鳴りながらも教えてくれた。
 器の中はどろどろと溶けたものが盛られている。普通の味覚の持ち主ならばとても食べる気にはならないだろう。だが、魁英は。

「いただきます」

 魁英はこの時初めて、味覚がないという己の体質に感謝した。
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